悪魔の本質
翌朝。
天使にしては早い時間に目覚めたのは、おそらく自分のベッドはサタンに使われているので、床に薄い布団を敷いただけで眠っていたからだろう。
色々な所が痛む身体で起き上がって伸びをする。関節が少しポキポキといって気持ちがいい。
「サタン?」
一応昨日の様子が気になって、ベッドに向かって声をかけるが、応答がない。
まだ眠っているのかと近づくと、ベッドはもぬけの殻になっていた。
枕の上には、書き置きが残されている。
『悪魔の病院的なところに行ってくる。今日中には戻れると思うから、心配なんかするなよ』
悪魔にも病院なんてあるんだと感心したが、サタンが的なところというのだから、人間の病院とは少し意味合いが違うのかもしれない。
1日自由行動になってしまったので、天使は普通に大学の授業に出ることにした。
今日は必修科目もある。いつ悪魔に魂を取られるかしれない生活だが、もしかしたらこの先何十年と経ってからの可能性もあるので、大学卒業が出来るようにはしておきたい。
◆◆◆◆◆
無事に必修科目を終えて、講義棟を出た天使の視界に入ったのは、相変わらず真っ白な白衣に身を包んだ亜美だった。
しかし、その目の下のクマは前に会ったときよりも確実に濃くなっているように見える。
もしかしたら、貫徹記録更新中なのかもしれない。
「やっほ~!天使ちゃん!今日は彼はいないのかな~!?」
相変わらずテンションは高めだった。
天使はこの亜美しかしらないが、もしかしたらちゃんと睡眠を取らせれば普通になるのではないかと考えてしまった。
「今、病院に行ってるらしいわ」
「病院?悪魔も風邪とか引いちゃうの~?」
「風邪じゃないと思うけど……」
天使はかいつまんで、昨日の駅のホームでの出来事と、そのあとのサタンの様子について説明した。
「なるほど、なるほど。実は、この間採取した悪魔さんの髪の毛の分析結果が出てね~!良かったらお昼休みがてら、アタシのラボに来ないかな~!?」
「いいけど……私、亜美みたいに試験管やら試薬やらに囲まれてご飯食べたくないんだけど……」
「ええぇっ!?ビーカーはコップになるし、アルコールランプで軽く炙りも出来るんだよ~!美味しいカルメ焼きご馳走するよ~!?」
「それが嫌なのよ」
理系、特に実験関係に携わったことのある人たちにはアルアルな日常も、文系の拒否反応はすごいものがある。
しかし、学食で何か食べている時間もなかったので、生協で軽くご飯を買って亜美のラボに行くことにした。
◆◆◆◆◆
亜美のラボはいつものことながら、あまり整理整頓されているとは言いがたい状態だった。
それでも、研究者らしく、実験器具は綺麗に洗浄されていたし、実験ノートはきちんと並べられている。
とりあえず、何が何だかわからない物質が付着していないだろう、書き物机の上に買ってきたお弁当とジュースを置き、念のため周囲と自分の手をアルコール消毒してから口をつける。
「で?何か面白い結果でもわかったの?」
「ん~、面白いと言えば面白いし、面白くないと言えば面白くないんだな~!」
そう言って、亜美はどうやら実験データの入っているらしいPCを操作し、画面を私に見せてきた。スクロールはしてもいいけど、他のデータは見ないでね~と言い残して、自分も何か食べるためにどこかへ行ってしまった。
一応、画面をスクロールさせて上から下まで見てみたものの、天使にはさっぱり意味がわからなかった。
論文とかいうならまだしも、こんな記号の羅列の実験データだけでは、専門外の天使に理解しろと言う方が横暴な気もする。
それでも、観察してみて気づいたのは、記号が「A,G,C,T」の4文字しかないことだろうか。それでも、その並びはランダムにしか見えず、何らかの規則性も見いだせなかった。
そんなことを考えていた時、亜美が戻ってきた。
「で、天使ちゃんは、これ見てどう思う~!?」
「そんなに食い気味に聞かれても、私はこれ見ただけじゃわかんないんだけど…。これ、そもそも何のデータなの?」
「悪魔さんの髪の毛の細胞から採取した遺伝子解析の結果」
「遺伝子…?」
所謂DNA鑑定のことだろうか?犯罪捜査に使われたり、親子鑑定、最近は医療への応用もさかんになっている。
人間の細胞の中にはDNAがあることは周知の事実。そして、その他の地球上の動植物、ちなみに細菌、ウイルスに到るまで体内にDNAを持ち、それを元に生命活動を行っている。ウイルスの中にはDNAを持たず、RNAというもののみで存在するものも一部存在するのだが、ここで今はそんな細かいことには触れないでおこう。気になる人はググるといい。
「悪魔にも遺伝子があるの?」
「そう!アタシも気になったのはそこなんだよ~!科学者としてこの結果から考えられる仮説は2つ」
「2つ?」
「1、悪魔さんはあくまで『自称』悪魔であって、ただの人間である。2、悪魔という存在は、『未知の生物』である」
「未知の生物...って」
苦笑交じりに天使は呆れたが、亜美は大真面目らしかった。
「可能性はなくはないんだよ~!日本人はあんまり興味持たないけど、地球外生命体だって、UMAだって似たようなものだよ~。悪魔は、まさかの人間以外の地球上知的生命体かもしれないんだよ~!」
「でも、可能性としては、1の方が何十倍も高そうなんだけど」
「最初に本物って言ったのは天使ちゃんなのに~!!」
……確かに。だが、自分に限って可能性は低いと思ってはいるが、何らかのトリックで騙されている可能性、怪しい薬などの作用で幻覚、幻聴を感じている可能性、精神疾患の可能性、それらが0ではない。
「アタシがもう一つ、2の説を押す可能性は、細胞の中に見慣れない器官が存在すること、かな。毛髪の細胞ってほとんど死んでるから、毛根からのわずかなサンプルだけどね~!」
「ふぅん...」
「...なんか、どうでもよさそうだねぇ?天使ちゃん」
どうでもいい…?
どうでもいいのだろうか。
急に自分の部屋に現れて、いつかは自分の魂を喰らうというサタン。でも、私の望みが「笑って死ぬこと」だから、私を楽しませようと頑張っている。
本当なら、私なんかよりずっと長生きしているくせに、知らないことがたくさんあって、私が何も感じない日常を物珍しいもののように過ごしていた。
「たぶん、サタンが人間でも、悪魔でも、地球外生命体でも、幽霊でも、私の関わり方は変わらないと思うから。私には、それが肌の色の違いよりも大きな違いには思えないわね」
「ん~、本当に天使ちゃんは天然っていうか~、イイ子だね~!!」
「馬鹿にしてる?」
「褒めてるのに~。でも、そしたらさ...」
亜美は再び真面目なトーンになる。
「悪魔が人間と契約して、魂をもらう意味って何だろうね?」
その言葉に、天使の心臓が大きく鼓動を打つ。
考えなかった?いや、深くは考えないようにしていたのかもしれない。
契約して魂をもらうのは、仕事のようなものだと話していなかったか?仕事とは、労働し、対価にお金、つまり生活に不可欠なものを得るための行動であり、悪魔にとっての報酬が魂ということは...。
じゃあ、人間の『魂』って...?
「その辺りでやめていただけますか?」
いきなり第3者の声が聴こえ、天使と亜美は同時にそちらを振り返る。
そこにいたのは、天使には見覚えのある姿。つまり、蝙蝠のニックであった。
「最近は科学とやらの発達で、私たちにはやりにくい世の中になってしまったものですね…」
世の中を嘆く蝙蝠。なかなかレアな光景だった。
「本来であれば、契約者以外の記憶をすぐに抹消するところなのですが、今回は例外で少しお話させてもらいましょう。私たち、悪魔をはじめとして、吸血鬼、妖怪などと呼ばれる『モノ』たちについて」