出会いの手合い
「お願い、あなたの力が必要なの」
少女が目を潤ませて言った。
僕の目の前に立っているこの少女、実はなかなかの有名人であり、名を寿御幸という。苗字から名からやたらとおめでたいやつではあるが、まあ僕も千歳という名を持つ以上人のことは言えまい。この御幸嬢、僕と同じく竹ノ大高校の2年生であり、校内お笑いランキングは900位台と低いものの、お嫁さんにしたい女の子ランキングでは断トツの1位を走るかなりの美少女である。その艶のある髪は道行く男を見惚れさせ、その潤んだ翠色の瞳は周囲の女性を虜にし、その透き通った声は空に羽ばたく鳥達をも魅了する。おまけに品行方正八方美人。そんなわけでお笑いランキングが最重要視されるこの竹ノ大高校において、ランキングが低いのにも関わらずある程度の地位を築いているイレギュラーな存在となっていた。さてそんな御幸嬢が平々凡々無味無臭、花一匁で気づけばいつも最後に残ってしまうような一高校生男子たる僕に突然声をかけたかと思えばあな恐ろしや世界征服の依頼なぞをぶっこんできやがったので、今や僕の脳内は大恐慌を起こし、リーマンショックもかくやという勢いで御幸嬢の株が大暴落している最中なのだった。
だから目を潤ませて「あなたの力が必要なの」と言われても僕の昨今の日本経済よろしくキンキンに冷え切った心には一分の揺れが起きることもなく、冷静に対応を考えることができたのである。
「と言いますと?」
「あなたは、この学校のことを変に思ったことはない?」
「あるよ、おおありだ。」
確かにこの学校にはおかしなところが多い。生徒間に序列をつけることがそもそもおかしいし、しかもその序列の付け方が面白さ順など聞いたことがない。狂っている。でも僕が一番狂っていると思うのは放課後男子生徒を校舎裏に呼び出しておいて世界征服をもちかける女が平気で在籍していることだ。ファック!
「そう、面白いものこそ正義『笑こそ正』。この校風、あなたもおかしいと思うでしょ?」
「まあ確かに…」
実際僕もこのお笑いランキングシステムのせいでトラブルに巻き込まれたことがあった。というか今も巻き込まれ続けているのだけれど。
「だからーー『革命』を起こします。」
「革命?」
何を言っているのかしらこの子。あれかしら、漫画の読みすぎで現実と空想の区別もつかなくなってしまったのかしら。(しかし矛盾することを覚悟でこの場を借りて言わせていただこう!漫画やアニメの見過ぎで現実と空想の区別がつかなくなることなど絶対にあり得ないと!!我らはマンガやアニメを見るたびに現実との違いを実感させられ、絶望しているのだ!故にそれらを身過ぎて現実に絶望こそすれ、現実と我らが最後のユートピアたる空想を混同することなどあり得ない!空想は空想のままであるから美しく、現実などと交わるべきではないのだ!!)
「そう、革命よ。この学校の腐り切ったシステムを、まるごと破壊してやるの!そのためにはあなたの力が必要よ!来て!これはあなたにしかできないことなの!」
「という劇を製作中なんですね分かります。でもだとすれば些かセリフが使い回された感があるんじゃないですかね。もっとこう、オリジナリティ溢れる、叙情的な言い回しを意識すれば」
「劇の練習じゃないの!」
「え?」
「劇の練習でもなければ映画撮影の練習でもない!部活の宣伝広告でもないし、ましてや生徒会のプレゼンの練習でもない!!これは練習じゃないの。今、ここ、この瞬間が、本番なの。」
嫌な予感がしていた。
いや、それを言えば初めに天下をとろうとか言われてた時点で気づいていた。こんな文句で始まる会話が、まともに終わるわけないということに。
でも、見ようとしなかった。見たくなかった。まだ信じていたかったのだ。美少女から告白されるという夢を。彼女と秘密の関係を持つという幻想を。
しかしそんなくだらない幻想は見事にぶっ殺された。まさしく彼女は『幻想殺し』の使い手だった。五和ちゃん大天使。
「とにかく…そういうことに興味ないんで。じゃあ」
「ランキング5位なのに?!!」
ああ、またこれだ。これである。僕から平穏な高校生活を奪い去り、狂乱と喧騒の渦に巻き込む烙印ーー『お笑いランキング』。この忌々しい響きに、何度頭を悩まされたことか。因みに今のこの状況も頭を悩まさせた回数にカウントされている。
僕と御幸嬢が所属している私立竹ノ大高等学校は全国屈指の進学校であると同時に、一風変わった、いや一風どころか二風三風変わった風習がある。それがこの校内お笑いランキングシステムである。全校生徒を面白さ順でランキング付けし、そのランキングの上下がそのままスクールカーストのランキングに適応されるという、簡単に言えば「面白い者こそ正義」という風潮があるのだ。当然ランキングの低いものは例え成績が良くても周りから受ける評価は低く、反面成績が悪くとも面白ければ讃えられ、憧憬の対象となる。
このようなとち狂ったルールがある中で、僕はひょんなことから誤って校内ランキングで第5位になってしまったのである。理由を話せば長くなるためここでは割愛させていただくが、とりあえずランキング順位と僕の本当の実力が大きくかけ離れているということを知っていただければそれでいい。実力が備わっていないにも関わらず超上位ランカーとなってしまった僕を待ち受けていたのは文字通り「混沌」の日々であった。まさしく僕が求める「平穏」の日々と対極に位置する言葉である。
道を歩けば噂の超弩級転校生だと囁かれ、イスに座れば周りに相方希望の人だかりができ、食事をとれば僕の昼食のどの品目に激辛わさびが入っているのか議論になる。ふざけるな。僕は至って普通の高校2年生であるし、相方というより愛人の方が欲しいし、ましてや昼食に激辛わさびを入れるほど笑いに貪欲ではない。
そんなこんなで欲しかった理想の日々に諦めをつけきれないまま、それでもなんとかこの狂気の学園生活に(慣れてはいけないのかもしれないけれど)慣れ始めた頃に、今度は世界征服ときたものだ。いやほんと、最高だねこの高校は。
お笑いランキング、くそくらえ
世界征服、くそくらえ
そして女子に呼び出されてノコノコうきうきやってきた自分、くそくらえ!
「だからそれは手違いなんだって!僕は間違って5位にさせられただけで」
「でも間違ってでも5位に入れるくらいの実力はあるってことでしょ?!お願い!話だけでも聞いて行って!!」
「いや、いい。帰る」
「イチゴあるのに……」
「大阪のオカンか!!!そんなんで引き止められるわけないやろ!『お?イチゴあんねやったら寄ってこぉかなぁ〜』とはならんて!アホ過ぎるってこいつ!」
「なんてすごいツッコミ…これが噂のマシンガンツッコミ…」
「あ…」
しまった…こいつに何を言われてもどうボケてもツッコまないと決めていたのに、思わず…。迂闊だ。
っていうか人のツッコミスタイルに勝手にそれっぽい名前つけないで恥ずかしいから。
「さあ!そのツッコミで天下をとろう!」
「嫌だ!!やだやだやだ!!」
「子どもか!」
「ふっ!ボケがつっこんでちゃ世話ねぇな!!さらば!」
「あ……待って!!」
待てと言われて待つ泥棒はいませんよーだ!ここは逃げだ逃げ!あれ待てよ、何で僕が悪人みたいになってるんだ
「お願い……あなたしかいないの…」
後ろ髪を引かれる思いとはこのことだろう。
しかし実際に制服の背中部分をおよそ一般的な女子高生が出せる力をゆうに越える勢いで思いっきり引っ張られているのだから後ろ髪を引かれるというよりは後ろ制服を引かれる思いといった方が正しいのかもしれない。というか制服が首につっかえて息ができない。死ぬ。
「……わかったわかったから、取り敢えず手を離して。このままじゃ死んじゃうから」
「キュン死?」
「いや、窒息死」
この状況でキュン死できる方がいるならその御仁はきっとマゾヒストか異常な美少女愛好家だろう。さもなくば変態である。さもなくとも変態である。
「え、ああ、ごめん」
制服から手を離す御幸嬢。素直な子は好きよ!
「……」
「……」
俯いて思い詰めた顔をする御幸嬢。キッと閉じられた唇は、彼女が立たされている状況がよほど深刻なものであることを示していた。
…やっぱり似ている。
こうしてふと見てみると、その俯いた表情から窺える目元であるとか、固く閉ざされた唇であるとか、綺麗に通った鼻筋であるとか、その一つ一つが一々僕の脳裏に焼きついて離れない一人の女性を連想させる。
僕はそのことになぜか苛ついていた。
人懐っこい態度であるとか、さらっと人の本音を引き出すところであるとか、その一つ一つが僕を刺激し、僕の心はささくれだっていく。
こいつといると危険だ。
心のどこかで僕が言う。
こいつと居ると、僕が僕で居られなくなる。
その通りだと思う。実際僕はこのまま帰るつもりでいた。
でも、と心の何処かでひっかかっているところがある。
でも、もう一度彼女を見放してもいいのか?と問いかけてくる自分がいる。
馬鹿らしい。彼女と御幸嬢は全くの別人であるし、2人には何の接点もない。たまたま、偶然2人が似ているだけであって僕がそのことでウダウダ思い悩む必要はない。断ってやればいいのだ。そうすれば煩わしいトラブルにも巻き込まれず、平穏な生活に戻っていけるだろう。
しかしそうは思いながらも、目の前で深刻に切羽詰まった顔をしている少女を見放せないでいた。
ああもう。
そんな顔をされたら、見放せるわけないだろう。
少しだけならーーそう思い、口を開こうとしたその時、少女が突然こう言った。
「どうしてもと言うなら、無理強いはしないよ。でも、これだけは聞いて欲しい。」
「……なに?」
「トイレ行きたい」
「知らんがな!」
素直過ぎる子は嫌いです。