第一話 村正、箱を開ける
第一話 村正、降臨
そこはとある時代の日本。この物語を聴くあなたから見ておそらく親しい時代の、とある街にその男はいた。
名を八千代やちよ 村正むらまさという。
歳はおよそ20を超えた辺り、その見た目はふと見れば凛々しく、また時折優しい表情をする男だった。
彼は回りではそこそこ名の知れた男だった。
勉学に通じ、また八千代家といえばその界隈では有名な武芸を伝える旧家で、よく鍛えられた体と涼し気な佇まいは男女を問わず魅了するような男だ。
別段、顔立ちが整っている……というほどでもないが、それでも醜男とはまず呼ばれないであろう顔を持っていた。
そんな彼には誰にも明かさない秘密が多くあった。
中でも回りの持つ印象からかけ離れたものが、ファンタジー系のマンガやゲームなどにかける情熱であった。
幼少時代から八千代家の期待の一切を背負い、厳しく育てられてきた村正は幼少時代から賢い子であったために
誰にも明かさぬまま興味や感心を、そして誰にも気取られぬまま開いた時間を費やしてきたのだった。
ある雪の消え、突然の強風が街をさらう頃にその事故・・は起こった。
日課である早朝の鍛錬を終え、道場から自室に戻るべく庭を横切ろうとした時、ふといつもと違う光景に気づいてしまった。
いつもは厳重に閉じられた蔵の扉が開いているのだ、昨晩の夕食時には父も母も掃除をする予定だとは話していなかったはずだ。
蔵は大昔から八千代家と共にあったもので、時代を経るごとに大きく改修されていて今では軽く一軒家かそれより一回り大きいと言える程には大きい。
そんな蔵を掃除なり、物の出し入れをする際には必ず男手として村正に声がかかっていたのだ、何も言われていないのに扉が開いているのはむしろ当然の疑問とも言えた。
勝手知ったる蔵の中に、不届き者が紛れ込んでいても村正一人でどうにでも出来る程の地力はあった。
その自負が彼の人生の方向性を大きく変えてしまうなどとは、無論誰一人として思うはずもなかった。
村正は足音を立てずにひっそりと蔵の扉へと近づき、中を伺った。当然何らかの痕跡がある……はずだったのだが
予想は外れ、入り口付近に薄く積もった埃が侵入者の存在を否定していた。
(おかしいな、突然蔵の中の物でも入用になって開けた……が何かを思い出して開け放して戻ったのか?)
村正の母であればたまにある話だ。父と幼少時代より共に育ち、愛を育んできた母は時折うっかりしたミスをするものだった。
男としてはそんなところが可愛くもある。とは父の言葉だったか、他の誰かだったかは定かではない。
息子としても共感は出来る程度だ、ちょっとした失敗は可愛いものである。
そう思って踵を返した時、蔵の中から物音がした。コトリ、と何かが動かされたような音が。
(やはり誰か居るのか?)
勘違いであればいいが、誰かいたとあればそれはそれで一大事だ。歴史的に価値のある物も当然保管されているのだから。
村正は聞き違えかどうかを確かめる意味も含めて、蔵の中へと足を踏み入れた。
蔵は大きくコの字を描くように中央に棚が設けられ、螺旋を描くようにして大回りをして奥まで行けるようになっている。
全体が大きな吹き抜けになっていて、奥の方にある階段から二階部分の廊下へと上がる事ができる。
奥へと進むと、どうやら音は二階から聞こえてきているようだった。不定期にコトコトと音がしている。
不届き者か、ネズミでも紛れ込んだか、なんにせよ二階なら下に降りる手段は奥にある階段を使うしかない。
こちらが階段から上がってしまえば単純に逃げ道を防げるのである。村正は足早に二階へと移った。
吹き抜けの中央、大きく十字を描くように張られた渡り廊下のほぼ中央に音の正体はいた。
天窓からうっすらと差し込む光しかないためによく見えないが、どうやら箱が動いているようだった。
(なんで箱が動いているんだ……?)
当然の疑問が浮かぶが足は止まらない。相手が人間でないとわかってしまえば特に恐れる必要もなければ、相手を抑える心構えも必要ない。
箱は村正が手に取った瞬間から動きを止めた。軽く降って見ても特別何かが入っているわけでもなさそうだ。
十字に紐で縛られた埃まみれの箱の中身を確かめるべく、外まで持って出ることにした。
日光に照らされた箱は、細かい細工や装飾がしてあって、一目見ただけで何らかの価値があるものであると感じさせるものだった。
それだけに箱が動いていたというのが気になって仕方がない。紐を解いて蓋に手をかけた時、村正に声がかかった。
「村正?そんなところにいたの。朝ごはんよ、はやくいらっしゃいな」
母が廊下を曲がった所で村正を見つけたようで少し呆れたような声でそう言った。
「ごめん、母さん。ねえ、これなんだか知ってる?」
そう言いつつ箱を見せると、母は首をかしげた。そして振り返ってこういった
「あなた知ってる?村正の持ってるあの箱」
そう声をかけた方向からは村正の父が現れた。
「ん?あの箱は……」
そう言いつつ目を細める父、村正は開けてみればわかることだと再び手をかけ、その蓋を取った。
「いかん!!村正!開けるな!!」
そう叫ぶ声はわずかに遅かった。その声が届き、村正が身をすくませた瞬間にはすでに箱は開け放たれていた。
箱から突然白いような、青いような煙が吹き出す。
驚いて箱を取り落としても、一瞬で空までおおうかと思うほどの煙が中へと浮かび上がった。
そのことに驚く間も無く、煙の中から声がかかる。
「お前か。名はなんという?」
「え?」
「名だ、名無しではあるまい」
「む、村正」
「村正か、よくぞ決意したな。褒めて使わす」
突然のねぎらいの言葉に困惑する村正、そして履物も履かずに全力で駆け寄る父の姿が視界の端に移った。
「では行くぞ」
「へ?行くってど」
最後まで言い切らないうちに、突如煙から伸びた手に引かれて一瞬にして村正の体はこの世から掻き消えた。
視界が霞んで見えなくなる直前には、走りながら手をのばす父の姿と、驚いて口に手を当てる母の姿が見えた。
庭に取り残された夫婦は呆然と箱を囲んでいた。
「あなた……村正は……?」
未だに信じられない、夢でも見ているのだろうかという顔で恐る恐る尋ねる母。
「おそらく……この世ではなく、どこかの世界へと連れて行かれてしまった……」
長らく連れ添ってきた仲ですら見たことのない顔色を見ながら、今ひとつ理解の出来ない言葉を受け止めていた。