脱出⑧
ジンがビルから出た時、ビルの外では、兵士達が湧き立っていた。
何が起きているのか、いやな予感がする。ジンはそう感じていた。
光景が目に映る。
「俺の勝ちだな」
「ッ!?」
カイは槍で胸を貫かれていた。膝から崩れ落ちるも、両手に持った拳銃は落とさずに、槍を持った男――葵ユーゴに向ける。だが、
「無駄だと言っただろう、カイ」
ユーゴは拳銃を蹴り飛ばした。痛みにより、握る力や避けるための機敏さがなくなっていたのだろう。カイは両腕をだらりと垂らしていた。
ジンは後悔をしていた。どうしてカイを置いていったのか。ユウキ達の元へ向かうのは、二人で槍の男を倒してからでも良かったんじゃないか、と良くない考えが広がっていた。
「カイ!」
ジンは大剣を携えて、カイとユーゴに向かって駆け出した。叫びとも取れるような声で、名前を呼ぶ。これ以上、自分の目の前で仲間が失われることのないように。そう願いながら。
だが、その瞬間は無情にも訪れる。
「ジン……先輩? なんで……?」
カイがジンに視線を向けた瞬間、動きを止めた。
身体の至る所から蒸気のような煙が出ていた。ジンには何が起きたのかわからなかったが、いち早くカイの元に向かおうと考える。
ジンが自分に迫るのを見たユーゴはカイから槍を抜くと、ジンに向かって構える。支えを失ったカイは、槍が刺さった時の姿勢のまま、その場に倒れた。
「殺してやる!」
ジンがユーゴの前にたどり着くと、すぐさま一撃を加えようと、大剣を振り上げた。無防備となったジンの上半身を狙って、ユーゴは槍を横薙ぎに斬りつける。カウンターを狙った攻撃であったが、ジンは遅れず反応する。ユーゴに振り下ろそうとした攻撃から転じて、大剣の切っ先を上にしたまま腕を下ろし構える防御の姿勢を取った。槍の穂先と大剣がぶつかり、甲高い音と共に火花が散る。
ジンは、そのまま槍を横へと押し退けて前へ踏み込むと、大剣を振り抜いた。水平方向の一閃。だが、ユーゴもそれに反応した動きを見せた。背後への離脱という方法で、切っ先が胸を掠るギリギリのタイミングで避けていた。そして、それで終わるほど甘くもなかった。後ろへ避けると同時に、槍を長く持ち替えて、もう一度横薙ぎにジンを狙う。先程より長いリーチを使った攻撃。横から槍が迫る。だが、ジンは油断しなかった。既に前に踏み出しているため、後ろへ避けることはできない。そこでジンが取った行動は、前屈みになることであった。
頭上を槍が通り過ぎる。敵が離れたのを確認すると、ジンは倒れるカイを抱えて、背後へと離脱した。カイに触れた時、異変に気づく。カイの身体が異常に冷たく、そして硬く感じていた。そこで、カイから立ち昇る蒸気のような煙の正体が、冷気であると気づいた。そして、カイが凍らされているということにも。
「すごい……」
二人の攻防を見ていた兵士の一人が、ふとその言葉を漏らした。敵の銀髪の少年は、葵隊長と今互角に戦っている。だが、「互角に戦っている」ということにより、兵士は葵隊長の勝利を確信していた。隊長は、武器を本当の意味で使ってはいない。
「カイ! オイ、カイ!」
ジンはカイに向かって呼び掛け続ける。しかし、カイは眉一つ動かさない。両肩をつかんで揺らし始めた。ジンは痛みも、冷たく手に張り付くのも顧みない。
「そいつには、触らない方がいい。死ぬぞ、カイが」
「お前がその名前を口にするな! お前がカイを殺したんだ!」
ユーゴの言葉に、ジンは激昂する。
「俺とカイは正々堂々と神聖な決闘したんだ。俺にはその名前を呼ぶ権利がある。それより、お前はどうして戻ってきた? カイの言う通り、他の奴らと逃げるんじゃなかったのか?」
「他の奴なんて、もういない。お前の仲間に殺された! ハイドとかいう奴に!」
ジンの言葉に、一度ユーゴは目を見開いた。だが、それも一瞬のことで、怒りに震えるジンはそれに気づく様子はない。
「あとはシュウだけだ。俺にはシュウしかいない。シュウは、もうすぐここにやって来る。その前に」
大剣の切っ先を、ユーゴに突きつける。
「お前たち、全員殺してやる。一人残らず」
ユーゴの後ろに控える兵士達は、ジンの放つ殺気に震えていた。だが、
「そんなこと、俺がさせねえよ。俺はあいつらの家族から、あいつらの命を預かってるんだ」
ユーゴの言葉に安堵した兵士達は口々に「葵隊長!」と声高に言う。
ジンはその中、ユーゴに向かって再度駆け出していた。先程と同じように懐に飛び込むが、今度は頭の上ではなく、大剣を腰の位置に構えていた。対してユーゴは横薙ぎではなく、上半身への突きを放つ。それは、先程防がれたことを考えての一手であった。
その突きを、ジンは防ぐことなく半身となって避ける。そして、ガラ空きとなったユーゴの背中に向かって斬り上げたが、ユーゴは左脚を軸にして後ろに回転し、槍の持ち手の部分でその攻撃を防いだ。
「なんだよ、今の防ぎ方は」
剣でいう鍔迫り合いの最中、ジンはふと漏らす。ユーゴは不敵な態度を見せる。
「お前だって銃弾を避けるなんて芸当をしてみせたじゃないか」
ユーゴには、余裕の色が見てとれた。対して、ジンの表情にはそれが感じられない。見えるのは、焦りの色であった。
周りにいる兵士くらいならば、余裕で倒せる。それは、集団であっても多少の時間は掛かるが、自分に致命的なダメージは受けないだろうと思っていた。だが、ユーゴは違う。ジンの持てる知力や戦略、およそ人間からは離れた感覚や腕力を用いてさえ、現在、ユーゴには敵っていないと感じていた。シュウが来たからといって、倒せるかはわからない。それに、シュウについて行った子供達や『先生』を守りながら戦わなければならない。だから、ここでこの男を倒す。倒さなければならない。
ジンは体を少し引いた。自分の身にかかる力を失って、ユーゴは前のめりになり、一瞬の隙が生まれる。
「ここだ!」
その隙を縫って、ジンは大剣を振り抜いた。やった、と思ったジンだが、ユーゴの表情に体が引きつったように感じた。
ユーゴは笑っていた。
やられた、とジンは思った。今の隙は、作られた隙だ。
ユーゴは、横から迫る大剣を紙一重で避ける。そして、ガラ空きとなったジンの身体に向けて一突きを放った。その攻撃は、ジンの肩へと突き刺さることとなる。横へ身体を捻るのと同時に後ろへ下がったため、辛くも身体を貫く結果とならなかったのが幸いであった。だが、ジンはここでまた何かを感じた。ユーゴの攻撃がこれでもう終わりではないと直感して、肩に刺さる槍を無理矢理引き抜きながら後ろへと下がる。
肩の傷に違和感を感じて触れた。深く刺されたはずの傷口の血は止まっており、周囲は冷たく固まっていた。
「……凍っている?」
ジンに、今の自分の状態がなぜ起こったのか理解することはできなかった。だが、先程のカイの最期を思い出し、自分の身に起こったことは理解していた。ユーゴの武器は普通ではない、ということに。
「今の動きは正解だ。命拾いしたな」
ユーゴは槍を握る両手に力を込めた。先端から滴り落ちるジンの血が固まり、剥がれ落ちると、まるでガラスが割れるかのような音を立てて、破片が地面に散らばった。それは赤黒く光っている。
「殺すつもりでいったんだがな。……まあ、引き技を使った時点でお前の負けだ。何の戦略もなかったんだろう? 俺の回避能力を見たくせに、どうしてあんな攻撃をしたんだ? ただの逃げの一手だよ、さっきのは。カイの方が、お前より断然良かった」
「その名前を呼ぶな!」
ジンは叫んだ。ユーゴは目を閉じて、それを聞き流す。
「そんなに頑張ってどうする? 死に急いでどうなるんだ? お前は何のために戦っている?」
ユーゴは逡巡するような表情を一瞬見せたが、すぐに口角を挙げて続けた。
「もう、お前の仲間は誰もいないというのに」
ジンは大剣を落とした。手の力が抜けていた。
「今……、なんて言った……?」
ユーゴに向かって問う。聞こえなかったわけではなかった。だが、ジンは考えることを放棄していた。
「二度も言わせるな。お前の仲間は全員俺が倒したと言っている」
ユーゴは不敵な笑みを再び見せて、ジンに言う。
「嘘だ……。シュウが……。シュウがお前なんかに負けるはずがない。シュウは、後から合流するって、今、ここに向かっているはずだ!」
「シュウ……、あの赤髪の少年のことか? アイツも、好敵手と言える強さだったな」
ユーゴは考えついたように言う。ジンは、目を見開いた。
ユーゴは、シュウのことを「好敵手だった」と、過去形で呼んだ。そこから、考えられないほど、ジンは馬鹿ではない。
「ま、まさか……。本当に」
呟くように言って、膝から崩れ落ちた。その目には、ユーゴの姿は映っていない。呆然としていた。
自分でさえ勝てない相手。いくらシュウが強いといっても、目の前の男には敵わないと感じた。そして、何故この隠れ場所を知られてしまったのか。情報を得るとしたら、シュウ達の所しかないと考えた。
だが、ジンはそのことでさえ、どうでもいいと感じた。自分は何のために戦っているのか。その答えのためには、ユーゴの言葉を否定するしかない。
「諦めろ。お前も楽にしてやる」
ユーゴは槍を構えたまま、一歩、また一歩とジンに近づく。槍の穂先からは冷気が現れ、パキパキと音を立てて大きくなった。
「諦めろ……? ふざけるなよ……」
ジンは大剣を両手で掴んだ。
「アイツらが死んだなんて嘘だ……。嘘だ嘘だ嘘だ……」
顔を上げて、ユーゴを睨みつける。そして、
「嘘だあああああッ!!」
ジンは叫びながら、屈んだ姿勢からバネのように身体を伸ばして前に跳び、ユーゴに向かって渾身の一振りを叩きつけようとした。
つまらない攻撃で防ぐ必要さえない、とユーゴは感じていた。避けた所でカウンターを仕掛ける。それで終わりだと考えていた。だからこそ、ユーゴの体勢は攻撃優位となっており、防御するには時間が掛かる体勢であった。
ジンの大剣が、身体の横を通り過ぎるのが見えて、ジンの心臓に向かって突きを放とうとした瞬間、『悲鳴』のような音が聞こえ、ユーゴの見ていた景色は反転した。