疾風
ユーゴは視線の先を見据えていた。
目の前の少年――ジンは、もう既に凍ったまま動かない。
ユーゴはジンの両手を刺した槍を引き抜く。それもゆっくりと、氷が割れないように、である。
槍を抜き終え鞘に収めた所で、二人の兵士がユーゴの前に出た。
「隊長、お疲れ様です。怪我の治療をしますので、早くこちらに」
「いや、大丈夫です。それよりも被害状況を」
始めに話していた兵士とは別の者が報告をし始める。
「了解しました。死亡者は八名。負傷者は二十名、内九名は意識不明の重体で、予断を許さない状況です。今、副隊長がそちらで指揮を執っています」
「……わかりました。そこは任せておけば、問題はないでしょう」
ユーゴが一瞬、顔をしかめたのを、兵士達は見逃さなかった。自分の隊員の死を悔いているような、そんな印象を兵士には感じられた。
「それで、コレはどうしましょうか」
兵士は凍ったジンを見る。その視線には侮蔑の念がこもっていた。
「彼は運んでおいて下さい。あの大剣もお願いします」
「ですが、隊長! コレは仲間を殺したんですよ。仲間達の仇、ここで処分するべきではないんですか?!」
兵士はユーゴに向かって、一歩前に出て言った。
「あなた達の言っていることは間違ってはいないと思います。俺もできればそうしたい。ですが、任務遂行のためです。逃げ出した彼らの回収が、上から与えられた俺達の任務です。それに」
ユーゴは目を細めて、凍ったジンを見て続ける。
「彼だって、守るために戦っていました。敵だとしても、それは俺達と同じです。いや、それ以上に彼は守りたかったもの全てを失ってしまっている。ビル内の様子は確認できましたか?」
ユーゴの言葉に、二人の兵士は隠すように口に手を持っていくと、顔を伏せた。兵士は青ざめた顔をしており、それをユーゴには見せたくなかったのである。
「……全員、惨たらしく死んでいました。……あんな光景は見たことがありません。あの、汚らわしい『地上人』め! 隊長は生存したままでの回収を命令したのに!」
「オイ、大声で言うな。まだ、アイツが聞いてるかもしれないだろ」
諌める一方に対し、もう一人の兵士が「だってよ!」と反論したところで、ユーゴは両手を叩き仲裁に入った。そのため、二人は言い合うのをやめた。
「それでは改めて、まだ動ける人達で、大剣の回収をお願いします。俺が彼を運びますので」
「了解」と、二人はユーゴに答え、残りの兵士の元へ戻っていった。そして、数人を連れ、先程ユーゴが遠くに飛ばした大剣の元へ走っていく。
ユーゴはその様子を眺めた後、ジンに向き直った。そして、手をかざして氷に触れた。
「あいつらにはああ言ったが、お前が何を思って俺と戦ったのかは知らない。本当に俺と同じ、守るためだったのか?」
ユーゴは触れていてを離した。そして、手を挙げると氷が浮き始めた。
「だとしても、俺は――」
突然の殺気。
ユーゴは何かを言いかけたが、それを止めざるを得なかった。
即座に槍の鞘を抜き、臨戦態勢に入る。そして、殺気を放つ者がいると思われる方向――先程、兵士達が大剣を取りに向かった方へと向いた。
「なんだよ、これ?」
「武器が、なんで?」
兵士達は、震えた声をあげた。全員がある一点を凝視していた。
そこには、一人の少女が立っていた。
透き通るような色白の肌、純白の髪色。美しく洗練されているようだが、年が十に満たないように見える幼さは、今の光景には不釣り合いで、不気味に感じた。
「あ、あぅー」
少女は言葉にならない声をあげた。
「隊長、大剣が――」
「退け! 早くソイツから離れろ!」
ユーゴは地面を蹴った。槍を構えて兵士達の元へと駆ける。槍の穂先がパキパキと音をたてて大きくなる。
「はやく、はなれろ?」
少女は首を傾げた。視線がユーゴの物とぶつかる。赤い瞳を持つ少女の表情はまだ幼くわかりやすいが、明確な意思というものは感じられない。だが、その考えはすぐに崩れた。
「――うっ!?」
少女は頭を押さえて、その場で蹲った。ただ、少女が何かに苦しんでいるかの状況に、ユーゴは大きな胸騒ぎを覚えた。
「…………」
少女は小さく何かを呟いた。見せたのは、それまでとは違う表情。それはまるで、機械のように何も感じられないくらいの無表情であった。
「隊長の命令だ! 早く離脱を!」
少女のただならぬ様相の変化に、兵士は我に帰った。一人の号令に全員が従い、少女から離れようとした。全員が少女に背を向け、一目散に走り出す。だが、
「えっ?」
「う、うわああぁぁッ!?」
一陣の風が吹いた。
一人の兵士は自分の脚が視界の上に飛んでいるのを見た。一人は自分の顔に仲間の手がぶつかり悲鳴をあげた。ある兵士は、眼下で仲間達が苦しみ喘いでいる様子、そして自分の体を見て、自分の首から上が浮いていることに気づいた。
誰もが何故自分達がこんな目になっているかはわからないままであった。だが、突如現れた少女が、ユーゴの言った通り危険であることを理解した。そして、理解するのが遅かったことにも気づいた。
「……」
死屍累々とした血の海の中で、少女は立っていた。辺りを見回してはいるが、眉一つ変えない。そして、最後に見つめるのは、ユーゴの方向であった。
「その姿、その力。やはり、『ARMS』だったか」
ユーゴは槍を持つ手に力を込めた。怒りに打ち震えている。
ユーゴは少女の力に巻き込まれないギリギリの位置で止まっていた。仲間や部下を重んじるユーゴにしてみれば、少女がした行いは許し難いものであった。できれば、全員を救いたいと思っていた。だが、無慈悲にもその願いが叶わないことも知っている。今、ここで踏み止まることで、部下の死が無駄になることはないと考えた。
「だが、『ARMS』が主の命令なく自律するとは思わなかった。……お前は、何だ?」
ユーゴはただ質問をしたわけではない。この間に、状況と相手の情報を探る時間稼ぎをするつもりであった。例え相手が答えなかったとしても、その時間を使って考察することはできる。幸いにも、少女はユーゴの言うことに興味を持っているようで、立ち止まって聞いていた。ユーゴにはそう思えていた。だが、
「……あーむず、……わーかー?」
少女はユーゴの槍、次にユーゴを指差して言った。そして、
「……まいますたー?」
ユーゴから視線を外して、ジンを見た。その表情は変わらないが、ユーゴには嬉々としているように見えた。
ユーゴは確信した。この少女が『ARMS』であることを。
少女はもうユーゴに興味を示していない。まっすぐにジンの方向へ歩き始めた。その行動に、ユーゴとの間合いを詰めるという意思は無い。
そして次には、
「彼の元へは行かせない」
ユーゴも動き始めた。少女に近づきながら、槍を後ろに引き、横薙ぎにしようと構えた。
少女は目的なく、ユーゴはその少女を阻止しようと互いに近づく。ユーゴの間合いに入り、ユーゴは槍を横に振り抜こうとする。その時、少女に異変が起きた。
始めに、少女の体から風が発せられた。それにより空気の層ができ、少女の体を守るかのように包み込み、ユーゴの一撃を阻んだ。続けて、少女の背中が光り始めた。風に阻まれ、ユーゴが槍のコントロールを失った所で、その光が展開する。ユーゴは光により、体を宙に投げ出された。訳も分からぬまま、自分の体が地面に叩きつけられるのを感じ、ユーゴは呻いた。咄嗟に氷の鎧を展開していたため、ダメージは少なく済んだ。
何が起こったのかを考えながら、ユーゴは起き上がる。そして、そこで見た。
「……翼? 白銀の翼?」
少女の背中からは翼が生えていた。純白の金属のような光沢を放ったものであり、それはどこか、ジンの使っていた大剣が連なったように見えた。
少女はユーゴを気にも留めず、凍ったジンに向かう。ユーゴが走ったところで、人にたどり着く前に少女には追いつかない。そうだとしても、ユーゴが足を止めることはない。
少女はジンを覆う氷に手を触れた。少女の翼が白く光輝く。そして、次の瞬間には、少女の手を中心にして氷は崩れ、ジンがその中から出てきた。少女は、意識を失っているジンを抱き寄せた。再び、少女の翼が光り輝く。少女は空を見上げた。その足は、既に地面からは離れていた。
「逃がすか!」
ユーゴが、今にも飛び立ちそうな少女に迫った。再び槍の先が凍って大きくなり、ジンと少女を斬り払おうとする。ここでも、少女の発する空気の層に阻まれたが、同じ過ちを繰り返すユーゴではなかった。
ユーゴが握る手に力を込める。そして次の瞬間には、穂先の氷塊が変形し、大きな棘となり少女に突き刺さろうとした。だが、
「これでも、なのか……」
ユーゴが次に聞いたのは、金属音であった。少女の左手に突如現れた大剣が、氷の棘を防いだのである。
少女はユーゴを一瞥した。そして、大剣を振りユーゴを引き離すと同時に、空へと飛び立った。
瞬く間に火の手が上がるビルよりも、立ち昇る煙よりも高く上がり、水平方向に飛んで、その場を離れようとする。
「海凪、撃て」
少女が生み出した風により吹き飛ばされたユーゴは、宙に浮いた状態のままに言う。
火の手が上がったものとは別のビルの屋上から光弾が続けて多数飛び出した。音速を超えた速さで、光弾は少女を捉えようとする。複雑に飛ぶ少女の動きを予測しているかのように、止めどなく光弾はビルの屋上から飛び出す。それを避けていた少女だったが、
「着弾確認」
片方の白銀の翼に着弾した。その一発に続いて多くが着弾する。その時、一方の翼が光りを失い始め、消えてしまった。
スピードが落ち、落下するかと予想したユーゴであったが、その考えは覆ることとなる。
「標的は区画外に到達した模様。視認できなくなりました。まさか『雲隠れ』を!?」
ユーゴの横に双眼鏡を携えた一人の兵士が着き、報告をする。
「……わかりました。皆に伝えてください、作戦終了と。今日はこれで帰ります」
ユーゴは報告をした兵士に告げる。ユーゴの槍を握る右手は震えていた。