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蝙蝠男のマンデル祭

「そういえば、明後日は『マンデル(アーモンド)祭』だね」


「そうなんですね」


 ライマー=トットは、夕食の席で妻にそんな話を振ってみたが、彼女の反応はニコッとした笑顔と手ごたえのない言葉だけだった。どこか他人事のような返事。


「もしかして、ノル……マンデル祭には行ったことがない?」


 固い黒パンを手で引きちぎりながら、ライマーは妻──ノルディに向かって首を傾げながら問いかける。


 早春に花が咲くマンデルの木。都には、そのマンデルが数多く植えられている通りがある。その名も「マンデル通り」だ。一斉に開花する薄紅の花の群れは、とても美しく壮観な景色だった。あまりの美しさに、毎年満開の時期に合わせて祭りが開かれるほど。


 昼間から皆、花を愛でながら酒を飲み踊り、夜はかがり火が焚かれ、炎に浮かび上がる夜の花を楽しみながら、やはり酒を飲んで愛を語る。とにかく、マンデルの花の下で一日中酒を飲むような庶民的な祭りだ。


 宗教的儀式とも、国の公式行事でもないそれに、軍が携わるのは治安維持程度だった。毎年、花見とは無縁の独身かつ彼女もいないような連中に、その仕事は押し付けられるようになっている。


 去年までのライマーであれば、その仕事をしていたかもしれない。しかし、今年の彼は違う。もはや彼は既婚者である。当然のごとく休みを入れたし、ノルディが嫌がらない限りは、一緒に行くつもりだった。


「はい……神殿には関係のないお祭りなので。あと、酔っ払いが多いから女だけでは行ってはいけないと言われてましたから」


 道理で手ごたえのない反応だと、ライマーは彼女の答えに納得した。この様子からすると、ノルディは都に住んで長くなるだろうに、マンデルの花さえ見たことがないのではないかと思った。


 彼女の答えからは「行きたい」という気持ちは、これっぽっちも伝わってこなかった。「行かないのが当たり前」──それが染み付いているのだろう。


 酔っ払いが多いというのも、彼女にとっては行きたくない理由のひとつに違いない。あちこちで「ノーディ(のんだくれ)」という声が飛び交っているそこでは、自分の名が呼ばれているような気がしてしょうがないだろうから。


「良かったら私と一緒に祭りに行かないかい? 可愛い奥さんと、一緒に行くのが夢だったんだよ」


 黒パンをスープに浸して柔らかくしてから、ライマーは口に放り込んだ。黒パンは顎を鍛えるには最適だが、もう鍛えなくていいと思っている彼は、そんなズルをこよなく愛している。


「え……あ、はい。あなたと一緒なら……」


 可愛い奥さんという言葉に照れたのだろうか。ノルディはぽぉっと頬を赤くして、そんな頬の熱さに気づいたらしく、慌てて両手で隠すように抑えた。


 かわいいなあああああ、うちの奥さんは。


 そんな妻の様子に、向かいの席のライマーは本当に仕事場の連中には見せられないほど頬を緩めてニコニコしてしまった。


 妻が可愛いと、いろいろやる気に満ちるものである。おかげで、幸せな夜になった。



 ※



「わぁぁ……!」


 マンデル通りは、他の通りと違っていた。他の通りを灰色とするならば、ここはまさに薄紅のヴェールに覆われている。春風に乗って散り落ちるひとひらの花びらさえもしっかりと色づき、道にも同じ色の絨毯を作り上げようとしていた。


 通りに入った時のノルディは、隣のライマーの腕をぎゅっと握ったまま、一瞬完全に足を止めて大きく口を開いてその光景に見とれていた。


「綺麗だろう?」


 妻の感動は手に取るほど分かるが、それを表す言葉はとても陳腐だ。伊達男なら気の利いた詩のひとつでも妻に囁くところだろうが、そんな蔵書はライマーの書棚にはない。


「すごく綺麗です。初めて見ました!」


 花と同じような頬の色で、黒い目を大きく見開いたノルディが、隣の彼を見上げてくる。さして身長の高くないライマーからすると、本当にすぐ近くに彼女の目があった。


 人目がなければ、キスしてしまいたいくらいに可愛らしい。そんなものを気にしない強者つわものたちが、あちらこちらでキスをしまくっているが、さすがにライマーもそれはためらわれた。


 人ゴミに妻をさらわれないよう気をつけながら、彼女の歩幅でゆっくりと歩いて花を楽しむ。途中の露店で揚げ芋を買い、二人で分け合って食べる。


「ちょっと、昼間から飲みすぎよ、このノーディ(のんだくれ)!」


 どこかで起きたらしい男女のケンカの声に、ノルディがびくっとそっちを向いた。


「大丈夫だよ、ノル。私の声以外が、ここでノルを呼ぶことはないから。私の声だけ聞いていればいい」


 新聞で作られた芋の袋を差し出しながら、彼は妻の気持ちを取り戻そうとした。


「は、はい。分かってるんですけど、やっぱり慣れなくて」


 恥ずかしそうに、芋をひとつとりあげる指先。


「目は花と私を見て、耳は私の声だけ聞いていればいいよ。私もそうしている。おかげで、いまの気分は最高だね」


 部下が見たら、「うわぁ、オレ大佐が奥さんにメロメロな姿見ちゃったよ」と嫌そうな顔をしたであろう緩みきった笑顔を浮かべて、芋の袋を口に近づけて一本食いつく。片腕はノルディに貸していて、もう片方で袋を持っているので、そんな無作法な食べ方になる。それもまた、祭りならではだろう。


「わ、私も……私も綺麗な花をあなたと一緒に見られて、えと、嬉しいです。とても。あの……最高です」


 芋をくわえたままという間抜けな姿で、ライマーは妻の懸命な言葉に一瞬固まった。


 うわあああ。


 胸の奥からぶわっと湧き上がる、花と同じ薄紅色の感情を抑えきれず、ライマーは思わず口から芋を落とす。


 そして「え?」と驚く妻を、彼はマンデルの木陰へと引っ張りこんでいた。



 木陰でのノルディとのキスは──芋の味だった。




『終』



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