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fünf und ende

 ライマー=トットは、今夜を誰よりも楽しみにしていた。


 昨夜は、結婚式で酔いつぶされてしまったために、朝まで爆睡してしまったからだ。


 今夜こそが、彼とノルディにとっての初めての夜になる──はずだった。


「トット大佐! トット大佐はおられますか!」


 その日の夕方。


 彼の家の扉が、そんな無粋な声と共に、物凄い勢いで叩かれなければ。


「トット大佐はお留守ですよ」


「あ……あなた?」


 ドンドンと叩かれる玄関の扉の前。


 うろんな瞳で居留守を使うライマーの後ろで、ノルディが驚いている。


 妻にひどい男だと思われるのは嫌だが、この扉を開けて放たれる言葉を聞くのはもっと嫌だった。


 はぁとため息をついて、しょうがなく彼が扉を開けると。


「休暇中申し訳ございません! トット大佐! 非常召集です! すぐに軍舎にお集まり下さい!」


 ビシッ、ビシッ、ビシッ!


 伝令の青年の一言一言が決まるごとに、ライマーの眉尻は下がっていった。


 こんな時間に非常召集なんかされたら、夜中過ぎにだって帰れるかどうか分からないではないか、と。


 しかし、一大事なのは間違いないようだ。


 私の方も、一大事なんだけどなあ。


 すぐに向かうと伝令を追い払い、はぁぁと深いため息をつきながら、ライマーは振り返った。


「ごめん、ノル。明日の朝までに、帰れるかどうか分からなくなった」


「わ……分かりました、お気をつけて」


 寂しげに微笑む妻を前に、あー行きたくないなあ、本当に、とライマーは足取り重く部屋へ戻って着替えを始める。


 どうせ隣国のスカポンタンだろ、聖地ブン獲って自分の領地にして、巡礼者から参拝料でも取りたいんだろ。


 ブチブチと不満を唇の中で垂れ流しながら、彼はかっちりと襟の詰まった軍服へと着替え終えた。妻との思い出の緑のマントも肩に留める。中佐から大佐に昇進はしたものの、同じ佐官であるため、まだその色は変わらないのだ。


「ちゃんと鍵をかけて、火の始末もよろしく……ああ、どうしてこうなったんだ……ノル、ごめんね」


 玄関で振り返り、見送りの妻をもう一度ぎゅうっと抱きしめた。


「大丈夫です、ちゃんと家は守りますから」


 大丈夫じゃないよ。私が大丈夫じゃないんだよ。私がノルと家を守りたいんだよ──心の中で、本音がだらだらと洩れ出る。


「行ってくるよ……はあ」


 往生際悪く、それでもライマーはようやくにして、玄関の扉の向こうへと足を踏み出したのだった。



 ※



「よぉ、新婚!」


「分かっているなら召集かけないでください、アダー上級大佐」


「何だぁ? 欲求不満みたいなツラして……って、まさか、お前!」


「昨日は、酔いつぶして、下さって、本当に、ありがとう、ございましたっ!」


「ぶわっはっはっはっは! こりゃ、たまらん!」


 軍舎に着く直前、外に出ていたのかアダーと合流したライマーは、ゲラゲラ笑われた挙句に、痛いほど背中をぶっ叩かれた。


 理不尽にもほどがある。


「早く終わらせて、早く帰して下さいよ」


「出立前にはちょっとだけ時間作ってやるから、その間に何とかしてこい」


「出立前!? 何ですか、その残酷な響きは! ああもう、あのアンポンタンが……」


 早足で軍舎の廊下を二人で歩きながら、言葉を交わす。


「お前さん連れていくと、敵さんは夜戦しかけてこないからな。楽でいいんだわ。さすが、蝙蝠フレーダー大佐。頼りにしてるぜ」


「私じゃなくて、ワルター中将閣下を連れていけば、なーんにもせずに帰っていきますよ……絶対」


「閣下ももう年なんだから、あんまり前線に引っ張り出すなよ」


 突き当たりの会議室の扉にアダーが手をかけて押し開けると。


「誰がもう年だって?」


 ズォォン。


 目の前で、ベーア中将閣下自らが、お出迎えして下さっていた。



 結局、二晩ふたばん軍舎に缶詰になった後、ライマーは午後にやっと一度解放された。明日の朝一番に、国境を守護する軍の指揮官として出立が決まったのだ。


 ほとんど寝ていない、目の下にベーアではない方のクマを常駐させた状態で、彼はフラフラと家へと帰り着いた。


 昨日、女性職員に「今日は帰れない」と伝達を頼んではいたが、彼の愛しい妻は大丈夫だろうか。


「ただいま」


 鍵を開け、ライマーはようやく我が家へ帰宅を成し遂げるのだった。


「え? あ、お、おかえりなさい!」


 遠くから、驚いた声が飛んでくる。


 ぱたぱたと足音は、二階から降りてきた。


 階段の手前辺りで遭遇し、ライマーはその身体を抱きとめる。


「ただいまー……まだ夕食の用意は始めてないよね?」


「はい、あ、急いで作りましょうか?」


 抱きしめた妻からは食べ物の匂いではなくて、お日様の匂いがしていた。


「いや、逆。ヴルストのサンドをもらってきたから、それを夕食にしよう。何にも作らなくていいよ」


 背が高くないというのも、たまには役に立つものだと、半分寝ぼけた頭でライマーは思った。


 こうしてぎゅっとしていると、彼女の顔がとても近いのだ。


「それとゴメン……明日からしばらく帰ってこれない。国境に行かなきゃいけなくなってね」


 近すぎて、彼女の瞼の震えさえ見えてしまう。


「ああ、ごめんごめんよ」


「いいえ、お仕事ですもの……謝らないで下さい、あなた」


『あなた』と、初めてどもらずに言えた彼女の表情は静かで、照れはなりをひそめてしまっていた。


 寂しいせいだとすぐに分かって、ライマーは胸を締め付けられる。


「いや、謝るよ、ノル。多分、いまから私が望むことを言ったら、きっとノルは困るから謝っておく」


 そんな彼女の額に自分の額をくっつけて、ライマーは年下の妻に甘えるように軽く額をこすりつけた。


「望むこと……あっ、はい。分かりました」


 はっと彼女は気づいたように、身をよじって彼の腕から逃れようとした。どこか、違う場所に用事があるようだ。


「あ、ノル……分かってない。ノルの考えている用事とは違うよ」


 それが何かは分からないが、確実に違うことだけは分かる。


 何故なら、ライマーの望みは、彼女がこの腕から逃れることではないのだから。


「え?」


 がっちりと身体を確保され、ノルディは不思議そうな声を出した。


「私の望みは、いまからノルと一緒に二階の寝室に行くこと。今日の私の体調だと、一回寝てしまったら明日の出立まで絶対目が覚めない自信がある。だから、寝てしまう前に、望みを叶えたい」


 んー、と額に唇をくっつけて、ライマーは彼女に愛を表した。


「……お休みになるんですか?」


 まるで理解出来ていない、不思議そうな黒い瞳。


「まだお休みになりませんよ。さあ、行こう」


 睡魔を無理やり玄関の方へと追いやりながら、ライマーは彼女の背を押して階段を昇らせる。


「でも……寝室?」


「うん、寝室」


「私も、ですか?」


「そう、ノルも」


 どんどん階段を押し上げられながら、戸惑い続けるノルディ。


 そして。


「え? え? え??」


「ごめんね、ノル。ムードが足りなくて」


「あ、明るいです、外……」


「うん、ごめん。蝙蝠フレーダーだって、たまには真昼に飛ぶみたいだよ」


「え? 蝙蝠フレーダー?」


「ううん、こっちの話……可愛いよ、ノル」


「あっ……」



 その後。


 幸福のてっぺんまで駆け上がったライマーは、ヴルストのサンドを食べる暇なく、翌朝まで爆睡したのだった。



 ※



 朝早く。


 ライマーが目を醒ました時には、既にノルディはベッドの中にはいなかった。


 支度を済ませて階下に下りると、朝食の準備はもう終わっていた。


「お、おはようございます」


 のどにひっかかった声を、一度咳払いで追い払って、ノルディがはにかみながら彼に声を投げかける。


「おはよう、ノル。よく眠れてすっきりしたよ」


 彼が近づくと、ちょっとだけびっくりした身体の動きを、けれどノルディは止めてくれる。


 おっかなびっくりではあるが、大人しくライマーに抱きしめられたのだ。


 早く起きられたので、時間は十分ある。


 朝食を食べて、妻との名残を惜しんでから、ライマーは家を出るつもりだった。


 そんな彼に、ノルディが皮袋を差し出す。


 あの、ヨーク山羊の皮だ。


「大きいのはお邪魔になると思って、小さいのを作りました。お守りに持って行って下さい」


 彼女の故郷の村にだけ伝わる、貴重な皮とその中身。


 それをノルディは、彼のために差し出すのだ。


「これは、ノルの大事なものだろう?」


「もしもの時の助けになると思って……あなたなら、きっと大事にしてくれるでしょうから」


 問いかけに、彼女はにこりと微笑む。


 もしかして、昨日『分かりました』と、彼の腕を逃れて取りに行こうとしていたのは、これだったのではないだろうか──そうライマーは思った。


 ああもう、可愛いなあ、うちの妻ときたら。


 悶絶しそうになりながら、ライマーは皮袋ではなく、それを握る彼女の手をぎゅっと握ってしまった。


「ありがとう、大事に預かるよ」


「あなたがこれを食べずに済むように、神殿にお祈りに行きます」


 夫婦間の清らかさに格差はあるものの、ライマーがそれに不満を覚えるはずなどなかった。


 時間ぎりぎりまでグズりつつ、ついに彼は妻と離れて戦地へと向かうのだった。



 ※



「諸君。私が本部隊の隊長となるライマー=トットだ。階級はちゅう……あれ? 大佐になったんだったかな?」


 ライマーは、スピーチは苦手である。


 舌はよく回るが、一般の兵士を前に気取った、もしくは威厳ある挨拶が出来ないからだ。


 既に、並び立つ兵士らに、どっと笑われている。


 その笑いの騒がしさがおさまるまで待って、彼は唇を再び開いた。


「諸君……私は新婚だ。早く家に帰りたい」


 また、笑われる。


「私と同じように、愛する女性が待っている者、いまはまだ待っていない者、どちらも分け隔てなく故郷へ帰すのが私の仕事だ」


 ライマーは、そばかすの顔を微かに苦笑させた。


 ぱらぱらと笑いかけた兵士たちが、次第にシンとなる。


「我々の国は、我々の手で守る。妻も、家族も、将来の家族も、だ。そんな当たり前の仕事を、我々は当たり前にこなしていこう……君たちの働きに、期待しているよ」


 盛大な拍手も、力強い雄たけびも、いつもライマーのスピーチの後は起きない。


 ただみな一度押し黙り、次に決意のまなざしを上げるのだ。


 そんな静かな戦いの始まりが、いつもライマーの側にはあるだけ。


 腰のベルトに縛り付けた、妻から預かった皮袋の中身が、ころりと転がる感触を味わいながら、彼は早く帰りたいものだとぼやいた。



『おかえりなさい、あなた』


『ただいま、ノル』


 そんな妄想で自分を慰めるライマーが、何の役にも立たない真昼の蝙蝠フレーダーに戻るためには──さっさとこの戦いに、ケリをつける以外なかった。




『終』



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