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vier

 ライマー=トットは、神殿で花嫁を受け取った。


 単純な造りではあるが、美しい白いドレスを着た、可愛らしい花嫁だ。


 ほんの短い期間だったというのに、義母は死ぬ気でそのドレスを縫い上げてくれたのだ。


 今朝、神殿で会った時の義母の目の下には、見事なクマがあって、軍の正装姿のライマーは「すみません」と小さくなって詫びるしか出来なかった。


 そんな周囲の頑張りのおかげもあって、ライマーは無事に彼女と神の前で結婚の誓いを交わすことが出来たのである。


 いい加減な父の計らいで、近くの食堂が貸し切られ、祝宴が催される。


 その頃には、ライマーの可愛らしい花嫁は、若草色の新しいワンピース姿で、彼の妹と戯れていた。


 妹にとって、義姉という形ではあれ、初めて女性の姉妹が出来るのだ。それが、たまらなく嬉しいらしくて、それこそ蜜蜂のようにノルディの周りを飛び交っている。


「さあ、飲め」


 そんな妻を、緩みっぱなしの笑顔で見つめていたソバカス青年は、ぐいと大きなジョッキを押し付けられた。


 兄弟子の、アダー上級大佐だ。


 気づけばライマーの周囲には、男どもが群がってきていて、次々と酒を勧めてくる。


 酒の強さは、あくまでも普通程度の彼では、それらの酒をすべてさばくことは出来ない。


「よぉし、お前ら。俺が許す……トット大佐をつぶせ」


「ちょ、アダー上級たい……」


「先輩! これ俺の気持ちです、飲んで下さい!」


「チクショー! 昇進も嫁も俺より先かよ! 飲みやがれ、この蝙蝠フレーダー野郎!」


「おう蝙蝠フレーダー、俺の酒が飲めねぇのか、おい」


「って、ワルター中将閣下まで、何やってんですか!」


 そんな騒動は、結局──ライマーが完全に酔いつぶされるまで終わることはなかったのだった。



 ※



 ガバッ!


 ベッドから飛び起きた瞬間、ライマーの寝起きの頭は鐘が打ち鳴らされたガーンという音を聞いた。


 頭を走った大きな衝撃は頭痛となり、彼の顔をそのまま毛布の上に突っ伏させる。


「いたた……あれ……ええと」


 ガンガンと痛む頭を動かさないようにしながら、ライマーは何とか頭脳だけは動かそうとした。


 昨日は確か結婚式で、ノルディと結婚して、食堂で宴席があって、それから──


 そこで、彼の記憶は見事に止まっていた。


 そぉっと顔をあげると、そこはライマーが買った新居。しかし、ベッドの上には自分一人しかいない。いまの彼の姿と言えば、上も下も肌着一枚という、怪しくも情けない格好だった。


 窓の外からは、明るい朝の光が差し込んできているが、それは二日酔いのライマーにとっては、さわやかというより暴力的なものに感じて目をそらす。


 フラフラする身体を、何とかベッドから下ろし、彼は慣れない配置に戸惑いながらもシャツとズボン姿に着替え、二階の寝室を出た。


 頭に響かないようにおそるおそる階段を下り、そぉっと食卓を覗く。


 そこにも、誰もいない。


 ただ、おいしそうな香りは漂ってきている。


 クンクンと鼻を鳴らし、ライマーは更に奥の土間にある台所へと顔を突っ込んだ。


 はぁと、ライマーは安堵の吐息をついた。


 いると分かっていながらも、やっぱりその目ではっきり見るまでは、安心できなかったのだ。


 スープをかきまぜている、蜂蜜色の髪の後姿が、そこにはあったからだ。


 かまどの燃える音で、ライマーのため息はかき消されたのか、彼女は振り返らなかった。


「ノル、おはよう」


 呼びかけると、その小さな肩がびくぅっと驚きに跳ね上がる。


 慌てて振り返った彼女は、顔も見る前にうつむいて、スカートの前で手をもじもじさせた。


「お、おはようございます……旦那様」


 恥らう新妻の声は、彼をまたも歓喜の奈落へと叩き落す。


「そんなかしこまった呼び方じゃなくて、ライマーと呼んで欲しいな」


 ねっと、念を押すと、「ええ?」と戸惑った言葉を落とす。


「呼ぶのが難しいなら、『あなた』でもいいよ」


 にこにこと言葉を重ねると、「それなら……出来るかもしれません」と、ノルディは耳を赤くした。


「昨日は悪かったね。あんなに飲まされるとは、思ってもみなくて。変なこと言ってなかった?」


 このまま後ろから近づいてぎゅっとしたい気分に襲われるが、それはいささか紳士的とは言いがたい。きっと、彼女もびっくりしてしまうだろう。


「あの、大丈夫です。ラ……あな……あなたは、ずっと寝てらしたので、お義父さまと上官の方が運んで下さいました。服も、上官の方が……」


 ああ、結婚してよかった。


 ライマーは、それを全身で噛み締める。


 初々しい新妻の威力たるや、彼女の口から出てくる上官が、誰か分かっていながらも無視できるほどだった。


「そうか。初めての家で一人にして不安だったろう? 悪かったね。今日は休みをもらっているから、いろいろ話をしよう」


 惜しむらくは、この距離か。


 まだ、手や頬には触れれども、彼女の唇に口づけひとつ出来ていないのだ。火の神の前での誓いの口づけは、互いの頬と千年以上前から決められていた。


「はい。あ……すぐ朝食お持ちしますので、席で待っていてもらえますか?」


 彼が、余りにじーっと見るからだろう。うまく身動きも取れないようで、ノルディはちらりと心配そうに鍋を見る。


「分かったよ。楽しみに待ってるね」


 ふふふと顔の筋肉の緩みを止めないまま、ライマーは食卓へと戻ったのだった。



 ※



 スープとパンと茹でた卵、というシンプルな朝食だったが、十分にライマーの心と胃袋を満たしてくれた。


 ノルディは、神殿で厨房の仕事をしていた。華美さはなく、安い材料を使った料理ばかりが得意だという。


「今日は、結婚式にも来てくれたアダー上級大佐の奥さんに挨拶に行こう」


 台所で朝食の後片付けをしている背中を見ながら、ライマーはにこにことそう言った。


 旦那は、いまは仕事中なので、安心してノルディをつれていける。


「はい?」


 水桶の中で、食器をカチャリと小さく歌わせた彼女は、微かに顎をこちらへ巡らせる。


「うん、あのね……私は軍の仕事をしているから、悲しいけど家を空けることも多いんだよ。この間の巡礼だって、往復に二ヶ月の予定だったし……ああいう仕事の間、ノルがここにずっと一人だと、不安だろうし心配ごとだってあるかもしれないだろ? そういう時に、きっとアダー夫人だったら助けてくれるからさ」


 ノルディを一人にして不安で心配なのは、私です──そんなライマーの本心は、言葉にはされなかったが。


 彼女が頼りないというのではなく、彼女が頼りたい時に自分がいないことがある、ということが、何より気がかりだったのだ。


『軍人の妻の気持ちは、軍人の妻にしか分かりませんよ』


 アダー夫人が、昔そう言っていた。その言葉を頼りに、先日お願いしておいたのだ。ノルディと仲良くしてやってください、と。


『まあ、あの蝙蝠フレーダー隊長ともあろう方が、私の力が入用ですの? 光栄ですわ』


 彼女には、楽しそうに笑われてしまったが。


「そう……ですよね。ずっと、家にはいられませんよね」


 洗いものの手を止めて、ノルディはため息をついた。


 ゆっくり交際をして結婚した訳ではない。それ以前に、ゆっくり交際をする暇は、ライマーの方にはなかった。次の指令が下れば、すぐ王都から飛び出していかねばならないのだから。


 そういう意味で、結婚を急いでいたのは、彼の方である。


 二ヵ月後に任地から帰ってきてみれば、ノルディは庭師のハンスの息子の嫁に決まっていました──冗談にしてもタチが悪い話だ。


「ごめん、いつも一緒にいてあげられなくて」


「いいえ、ラ……あ……あなた。どんなに遠く離れても、家族なんですよね、私たち……それな……」


 ああもう、紳士的でなくてもいいや。


 作業中の彼女の真後ろへ、彼は大股で近づいた。


 余りのノルディの可愛さに、たまらなくなってしまったのだ。


「それな……きゃっ」


 パチャンと、彼女の手元の水が跳ねる。


 ノルディの前に、彼が両手を回して後ろから抱きしめたからだ。


「そう、家族だよ。ノルは、私の奥さん。よいしょ」


 胸の中の彼女を、ライマーはくるりと半回転させて自分の方を向かせる。


 両手が濡れたままのノルディは、それを彼の両脇のあたりで宙に浮かせたまま、戸惑いがちにそぉっと見上げてきた。


「そんな私の可愛い奥さんの唇に、口づけをしてもいいかな?」


 作法の悪い猫のような態度では、ずっと年下のノルディに呆れられてしまうかもしれない。


 多少は、年上の矜持を見せ付けたいものの、その内容がキスの許しを乞うものでは説得力はなかった。


「あ、あの……ラ……ラ……ライマーの望みのままに」


 赤く茹で上がる新妻は、さっきから言えなかった彼の名を、ついにその赤い唇に乗せてくれたのである。


 反則だ。


 これは、反則以外の何物でもなかった。


 すっかり二日酔いはすっ飛び、ライマーの普段の人当たりの柔らかい仮面が砕け散った。気がついたら、つられるように真っ赤になってしまっていたのだ。


「ぬ、濡れた手でいいから……背中に手を回して」


 初恋をしたばかりの少年と同じように、ライマーは彼女の頬へ指を当てた。


 少し戸惑ったノルディの両手が、ひやりと彼の背に着地する。シャツを染み入ってくる水の冷たさが、彼を少しだけ落ち着かせた。


 それでも、彼の鼓動は自分では信じられない速度を刻み続けている。


 年上の矜持はどこへいったかと、自分で探し回る暇もなく。


 結局。


 初めての口づけは──ぎこちない子供のようなものだった。


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