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drei

 ライマー=トットは、神殿の小間使いのノルディを食事に誘ったが、それは意外と難題だった。


 彼女は小間使いとして神殿で働かなければならない。神の定めた休日であったとしても──いや、休日だからこそ、多くの信者が神殿で祈りを捧げるため、ノルディは休めないのだ。


 じゃあと、仕事の終わった夜に食事に誘いに行ったら、神官に苦い顔をされた。


「未婚の女性を、こんな暗い中連れ出すのですか? それは、ビーネにとって、とても良くないことですよ」


 それから二日、ライマーはいい手がないか悩んだ。普段、戦いのことを考えている頭を、どうにかこうにか恋愛に切り替え、建設的な道筋を考え抜いたのだ。


 そして。


 再び、夜に会いに行った。


 この時間が、一番彼女の手の空いている時間だからだ。


「また、貴方ですか」


 神官に困った顔をされる。そんな男の後ろで、ノルディが恥ずかしそうに、でも少し嬉しそうにこちらを見ている。蜜蜂の黒い瞳を、燭台の灯りに煌かせているのだ。


「いえ、今日は神官殿にもご相談があります」


 ふーっと息を吐いて、ライマーは肩の力を抜いた。


わたくしライマー=トットは、そちらのお嬢さんに婚姻を申し込みたいのですが、彼女にはご両親がいらっしゃらないとのこと。どちらに結婚のお許しを得れば良いのでしょうか?」


 黒い瞳が、ゆっくりゆっくりと大きく見開かれていくのを、彼はうっとりしながら見つめていた。


「それは……」


 神官は、彼の突然の言葉に驚いたように、ノルディの方を振り返る。彼女は、どうしたらいいか分からないと、戸惑った顔を神官とライマーに向けるのだ。


「ノル……良かったら私のお嫁さんになってくれないかな。贅沢は、させられないと思うんだけど、慎ましやかに暮らしていくくらいは、何とかなると思うんだ」


 そんな彼女が愛しくて、ライマーは自分の表情がにこにこと崩れていくのが分かった。


「え……あの……」


 頬を差す赤みも、目を合わせられずに伏せられるまつげも、どれもこれも彼にとってはたまらなく可愛らしい様子だった。


「私が、ここでのビーネの後見人です。彼女の遠い親戚ですから……しかし」


「そうですか、では神官殿。未婚女性を夜に連れ出すことは、確かに私も良くないことだと思いました。ですので、婚姻という形で、彼女を私にいただけないでしょうか?」


 生まれてこの方、これほど熱心に他人を欲しいと乞うたことは、ライマーにはない。恋に愚鈍と呼ばれた男が、重い腰をあげて頑張っているのだ。


「ビーネ……いや、ノルディ」


 神官は、戸惑いの表情をゆっくりと変え、蜂蜜色の髪の少女の方へと向き直った。


「お前は、これからどうしたいのかね? この人に限らず、いい人がいるのならば、結婚してもいいのだよ。庭師のハンスも、息子の嫁にもらってやってもいいと、昨日言ってくれていたし、そろそろ考えてもいいんじゃないかね」


 庭師のハンスさん、やめてくださいね。


 神官の言葉に、声にはならない制止の声を、ライマーはあげてしまった。


『もらってやっても』なんて人に、どうしてノルディをあげなければならないのか。ライマーこそが、彼女を嫁に『もらいたくてしょうがない』男なのに。


「どうしたらいいのか、よく分からないのです、おじさま。私は愚かなのでしょうか?」


「乞われてお嫁に行くのは、悪いことではないよ。きっと大事にしてもらえるだろう。それに……」


 ふと、神官は言葉を切った。


「それに……お前がお嫁に行けば、また誰か身寄りのない者を、ここの小間使いとして雇ってあげることが出来るのだよ」


 その言葉に、ライマーはありがたいことだと、視線を下げて感謝を表した。


 神官は、ライマー=トットに、いま婚姻の許可を出したのだ。


 ノルディが神殿から離れやすいような言葉を選び、彼の方へと背を押し出したのである。


「私のような……そうですね、あの時、おじさまに食べさせていただいたスープの味は、いまでも忘れていません。枯れ木のようなやせた身体が、本当に生き返りました」


 彼女の瞳が、しばしの間だけ過去に飛んだ。


 そして、まばたきと共にゆっくりと今に戻ってくる。


「そろそろ、新しい誰かに代わらなければなりませんね」


「ええ、それがきっと神の思し召しなのでしょう」


 二人の視線が、ライマーの方に向かうのを、彼は静かに待っていた。


 とくんと、胸が鳴る。


 いまひとつ冴えないライマー=トットのまま、少年のように胸を高鳴らせて、ノルディの次の言葉を待つのだ。


「こんな私で……よろしいでしょうか?」


 はにかみながらおずおずと出されたその言葉のせいで、ライマーともあろう男が、彼女をぎゅっとかき抱きたい衝動にかられた。


 勿論、神官の前でそんなことは出来ず、彼はぐぐっと我慢する。


「あなたでなくては駄目なんだよ……ノルディ」


 彼は、最後の名をとても小さく呼んだので──教会の外の世界にいる、「のんだくれ(ノーディ)」たちが耳をひくつかせることは、きっとなかっただろう。



 ※



「今度の祭日に、結婚することになりました」


「ふごぉっ!」


 アダー上級大佐が、何か変なものを吹いた。


 何も飲食していなかったのに、口元をへたくそな刺繍のハンカチで拭っている。勿論、娘さんからの大事な贈り物である。


「今度の祭日かよ、トット中……ああ、もう大佐だったな。昇進祝いと同時に養蜂の仕事も始めるとは、お前さんは本当に働き者だな」


 ライマーが追い回していたのが、ビーネであることは、彼にも知られているせいで、結婚は養蜂と評されてしまった。


「つきましては、アダー上級大佐とそのご家族に式に参列していただければと思いまして」


 結婚式と言っても、ノルディの働いている神殿で、内輪だけの小さな式を挙げる予定だった。


 いい加減な父親と、義母に弟。そして、後で生まれた妹。


 ワルター中将一家に、アダー上級大佐一家。あとは、階級こそ上下はあるが、同じ平民出身の軍人仲間を少々。


 それが、ライマー側の出席者だ。


 ノルディ側は、みな神殿関係者。


 ライマーが最初にしたのは、家を手に入れること。いままでは、一人暮らしが面倒臭かったので、軍の宿舎で暮らしていたが、結婚するとなればそうはいかない。


 慌てて、軍舎からそう遠くないこじんまりした家を、いい加減な父の紹介で安く買うことが出来た。


 家具は、父が見繕ってくれた。多少、ちぐはぐ感があるのは、統一感より安さを求めた父の性格がよく出ている。義母は、不満そうにそれを眺めていたが。


「ライマーさん、花嫁さんのドレスはどうなさるの?」


 義母にそう聞かれて、「はあ、神殿でヴェールは借りるつもりですが」と答えたら、「何ですって!?」烈火のごとく目をつり上げられた。


 とりあえず、どんな人でも等しく結婚式を挙げられるよう、神殿ではヴェールの貸し出しを行っているのだ。


「ああもう殿方というものは、何と女心の分からないものなんでしょうね。そんな式を挙げさせたと分かったら、私が気の利かない意地の悪い継母ままははだと思われるではありませんか。あなた、あなた!」


 そこからは、恐ろしくてライマーは義母に話しかけることさえ出来なかった。父親に、厳しく指示を出すや義母は、10歳の妹の手を引きずるように、神殿のノルディの元へと出かけてしまったのである。


「兄さん……母さんは、いつもは、ああじゃないんだよ……」


 母親の豹変に驚きながらも、14歳の弟がぼそりと母を擁護した。


 ライマーと義母の血がつながっていないことを知っている弟は、微妙な年頃のせいか、家族の関係がグラつくのを怖がっているように見える。


 自分が生まれたために、ライマーが父の後を継げなくなったとでも思っているのだろうか。


「いやまあうん……分かってるよ。私があんまりに気が利かないから、お義母さんに迷惑をかけてしまってるだけさ」


 母親に似た弟の黒髪をクシャっと撫で、ライマーは笑ってみせた。



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