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zwei

 ライマー=トット中佐は、ある女性を探していた。


「巡礼団にいた、一般市民のビーネという名の若い女性」と言えば、すぐに分かるとタカをくくっていた。


 だが、そうではなかった。ビーネという女性は、名簿には載ってなかったのである。そうなると、ライマーはすっかり困惑してしまった。


 どうして、彼女が嘘の名を騙ったのか──何かやんごとない理由でもあるのかと考え込んだ。


 考えても、結局理由は分からなかった。ただ、二つの手がかりが残されているだけ。


 ひとつは、門番を通じて返された緑のマント。佐官の証の色であるそれは、確かに彼が巡礼団の護衛中に、一般巡礼の女性に貸したものである。


 馬小屋の隅にうずくまる小さな輪郭を、彼は思い出した。そう言えば、あの時の声はビーネと同じものではなかったか、と。


 即座に門番を捕まえて特徴を聞き出すと、蜂蜜色の髪の若い女性だと言う。若いじゃ分からん、いくつくらいだと更に聞くと、「16か17くらいですかねえ」と答えた。


 次にライマーは、彼女に返しそびれた皮袋が、普通のものではないことに目をつけた。手触りはとても乾いているし、皮に小さな灰色のまだらが出ているのも特徴的だ。


 軍の連中に聞いても答えは出なかったため、昔の先生のツテで高名な学者に確認してもらうと、「珍しいヨーク山羊の皮」だという。更に聞けば、その山羊の皮を使うのは、ある村の人間だけだと言うではないか。


 是非、これを譲って欲しいという学者の元を強引に去り、そこから、ライマーは、本腰を入れて彼女を探し始めた。


 先の流行病で亡くなった民衆の、死亡名簿を端から全部調べたのである。


 王都の戸籍制度は、しっかりしている。そこには、名前と現住所、そして、他の地域から来た者の場合は、出身地が書かれているのだ。


 巡礼団には、戸籍に登録されていないような人間は、参加することは出来ない。だからこそ、死亡者の中に彼女の身内がいると思ったのである。


 何千人という死者の名を前に、延々とライマーはページをめくり続け──ついに発見した。


 ヨーク山羊を使う村出身の、神殿で働いていた女性。年齢的にも、あの子の母親と考えるとちょうどいいものだった。


 すぐに神殿に問い合わせると、肩をすかすほどあっさりと、「ビーネと呼ばれる16歳の娘」が働いていることが分かったのだ。


 それはもう、ライマーは浮かれた。


 おそらく、人生で一番浮かれていたのではないだろうか。


 暗闇の中で、疲れた人々の心を助けた優しい女性を、苦労して苦労してやっと見つけたのだから。


 黄金色をした、不思議な蜂蜜の石。


 巡礼の旅に同行した部下からは、「あれは何だったのですか」「神の味がしました」と、いまだにライマーに問い合わせがある。


 おそらく、いま食べたらただの蜂蜜の味なのだと、彼は思った。しかし、あの過酷な環境では、本当に神から与えられたと勘違いしたくなるほど、命のつながる幸福の味がしたのだ。


 あれがなければ、肩を落とした洞窟の人々は、もう一度顔を上げてはくれなかっただろう。


 あの作戦を、ライマーは最善だと思って立てた。


 鉱山育ちの彼は、この国の坑道がどのように山の中を這い回っているかを調べ、記憶していた。足の達者なものであれば、一日と少しで越えられる距離だと思っていたので、巡礼帰りに襲撃された時の抜け道として選択したのだ。


 しかし、女性や老人には予想以上に辛い道だった。


 暗闇が、彼らの心を怯えさせ、弱くするから尚のこと歩みが遅くなる。


 ライマーの思考では足りなかった心配りの部分が、ひどく露呈した場面でもあった。


 その足りない部分を──『彼女』が埋めてくれた。


 それは、感謝であり、感動であり、歓喜だった。


 ライマーは、暗闇の中で蜂蜜の塊を出した少女を、抱きしめて踊り出したいほどの恍惚に包まれていたのだ。


 軽薄な男であったならば、すぐ様に彼女の指を取り上げて、その指先に敬愛の接吻をしたことだろう。


 しかし、彼は女性関係には、とことん愚鈍な男だった。


 ちょっといいなと思う子は、気がつくと他の男にかっさらわれているような、やっぱり冴えない男だったのだ。


 まあ、縁があれば、そのうち。


 そんなことを考えて、忙しい日々を送っていたおかげで、27歳にもなって嫁ももらえず、金を使う暇もなく貯まっていくばかりのしょっぱい生活だった。


 そんな男が、ついに女性に歓喜する日が訪れたのだ。


 今回の褒章として大佐の称号を与えられるという、しょうもない話の打ち合わせも放り出して、ライマーは神殿へと駆けつけた。


 神官に居場所を聞き、彼は裏庭へと出る。


 そこには──蜜蜂がいた。


 柔らかそうな蜂蜜色の髪の娘が、一生懸命蜂蜜を、いや、落ち葉を集めていたのだ。


 落ち葉はかき寄せられ、小山を作り上げる。それを一度満足そうに、彼女はやり遂げた目で見つめた後、こちらに向かって歩き出す。


 彼女に見とれていたライマーは、はっと我に返って歩き出した。


「やあ、こんにちは。初めましてじゃなくて、いいよね?」


「隊長……さん?」


 黒い瞳が、きょとんと瞬いた。


 ああ、ああ。


 再び、ライマーの心を歓喜が襲う。


 暗闇で聞いた、彼女の声に間違いなかったからだ。ついに、蝙蝠フレーダービーネに追いついたのである。



 それは、間違いなく──恋だった。



 ※



「はぁ……」


「トット中佐、気持ち悪いぞ」


 膨大な書類を前にため息をついたライマーは、近づいてきた兄弟子──アダー上級大佐に、顔を顰められる。四十の大台に乗って、可愛い娘に「おじさんになったね」と言われたのが、最近の不幸だという。


 快活な男なので、顔を顰めると言ってもそれは、ポーズに近い。彼のため息の原因を探りに来たのだろう。


「はぁ……気持ち悪くていいですよ」


 つまらない書類に目を通し、ガリガリとペンを走らせながらサインをする。


 見る-サイン-ため息-見る-サイン-ため息と、作業の中のセットにため息が含まれるのだから、同じ領域にいる人間には、確かに気持ちが悪いことだろう。


「何だ? 探してた蜜蜂ビーネちゃんにでも、逃げられたか? 蝙蝠フレーダーともあろうものが、情けないな」


「違いますよ。ノ……ビーネなら捕まえました。つい焦っていろいろ強引に進めたので、彼女が戸惑ってしまったようで……」


「ほう、ついにお前も恋の悩みか! 何の失敗をやらかした!?」


 アダー上級大佐は、目をランランと輝かせた。この恋に愚鈍な弟弟子おとうとでしが、失敗をする姿というのが楽しくてしょうがないようだ。


「いえ……戸惑う姿が余りに可愛らしくて、思い出すとついため息が……何でしょうね、この症状」


 ガリガリと自分の名を書く。こういう時だけは、短い名前である自分の名を好きになる。


 お偉い貴族の方々の長ったらしい名前を思い出し、ライマーは首を竦めた。


「首を竦めたいのは、こっちの方だ、トット中佐。お前……ほんと気持ち悪いな。軍にいて、どうしてそんな素直なのか、不思議でたまらんわ」


「ありがとうございます。意地を張っていいほど、面倒な人生を歩んできましたが、意地を張るともっと面倒な人生になると思ってやめたんですよ。多分、いい加減な父親のおかげです」


 巡礼団の任務で怪我をした兵の見舞いに関する書類で、彼は一度ペンを止めた。詳細をチェックしてサインしようと、一旦机の脇に置き、文鎮を載せる。


「やれやれ。口だけは達者なんだから、その調子で蜜蜂ビーネちゃんも口説き落としてくりゃいいだろうに……ところで、巡礼団にいた豪商の嫁が、幻の甘露とやらを探しに軍に乗り込んできたぞ。兵士たちも、似たようなことを言ってたが、何か知らないか?」


 ふざけた話をしに来ただけかと思いきや、ちゃんと本題もあったようだ。


「……ただの蜂蜜ですよ。空腹のせいで、神の食べ物にでも感じたんでしょ」


 ライマーは、静かに──すっとぼけたのだった。



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