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ハチミツ少女と真昼の蝙蝠  作者: 霧島まるは
おまけ

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コウモリ大佐と暗闇の妻蜂(3)

「うちの花売り娘に、何の用かな?」


 優しい優しい男の声に、ノルディはどきどきしながらゆっくりと振り返った。


 暗いばかりの路地を、こちらに向かって歩いてくる影がある。暗いというのに、何故か影だけは見えた気がした。顔はまったく見えない。


「あ、あの……この子はうちの妹で……」


 口を開けた時、彼女は喉がカラカラに渇いていることに気づいた。声も詰まってうまく出せない。無意識に、彼女は義妹ではなく妹と言っていた。家族であるという強さを見せることが、いまのノルディには必要だったのだ。


「おや、そうでしたか。行くあてがないと言っていたので孤児かと思いました」


 優しい声。


 しかし、その優しさはノルディにとって、とても空寒いものだった。そんなことは、義妹のニーナの身なりを見ればすぐに分かることだ。親に大切に育てられた、ちゃんとした服を着ているというのに。


「お花の代金は、弁償します……ですから、妹を連れて帰りたいのですが」


「やだー、帰らないー! おかあさんなんて大キライー!」


 勇気を振り絞っているノルディの心に反して、行き止まりのニーナはわんわんと泣き出した。ああ、お願いだからいまだけはと、彼女は義妹をどうにか止めようとした。ニーナが帰る意思を見せてくれなければ、とてもこの男を振り切れそうになかった。


「ああ言ってますが? うちはね、別に妹さんをかどわかしたわけじゃない。路地で座り込んでいたから、どうしたのかと尋ねると行くあてがないと言った。自分一人で生きていきたいとも言った。早く大人になりたいとも言った。だから、うちはそんな妹さんの手伝いをしようとしただけですよ。やると言ったのは、あくまでも妹さんです」


 優しい声は続く。選んだのはニーナなのだから、自分はこれっぽっちも悪くないという空寒さ。


 たった十歳の娘が、どれだけ正しい判断が出来るというのか。ノルディだって同じことだ。若いけれども既婚者ということで、世間では大人として扱われているが、いつだって自分の判断が正しいかなんて彼女は自信がなかった


 それでも、不安に泣いている小さい娘に優しい声をかけ、その道の先に何があるか分からないまま連れて行こうとする行為は、どう言葉をかえてもノルディにとっては「かどわかし」以外のなにものでもないと理解出来る。


「ニーナちゃん、とりあえずうちに帰りましょう……ね? 家じゃなくて、うちに。泊まっていって」


 ノルディは一生懸命、義妹を説得しようとした。とにかくここではなく、安全な場所に早く連れて行きたかった。


「ひっく、お、おねぇちゃんの家?」


「そう、おねぇちゃんの家」


 泣きながらもニーナが食いつきそうになったことに、ノルディは敏感に気づいた。何とかなりそうな予感にほっとしかけた時。


「しょうがないですねぇ。じゃあ花代を弁償していただけるということでしたので、それで手打ちにしましょう。ほんの100万ほどですが、お支払い出来ますか?」


 しかし。


 ノルディは、まだ狼の前にいた。空虚な優しさの声は、大きな難題を連れて来る。


「ひゃ……ひゃく、まん?」


 100万なんて、家が買える値段だ。あのカゴいっぱいの花ととても見合うものではない。ノルディが世間知らずであったとしても、それくらいはすぐに分かる。


 そんなお金、払えるわけがない。誰もが考えることだ。しかし、ここから二人が帰るための、命の通行料がそれほどだと言われている気がした。


「大丈夫……いま払う必要はないですよ。借用書にサインするだけで安全にお返しします。完全なる合意による金銭貸借です」


 男の言っていることを、ノルディはうまく理解出来ていなかった。言葉も難しかったし、頭の中に血が巡りすぎてガンガンしてきた。


 真っ暗になっていく視界と、黒い影と自分の心臓の音に全てが塗りつぶされようとした時。


「うちの妻に、何をしてるのかな?」


 別の音が、割り込んできた。男の声。ノルディがよく知っている声。世界で一番近いところから聞いたことのある声。


「おっと旦那さんですか、それは話がはや……」


 影は振り返り、更に後ろから来た声に反応しかけて、言葉を止めた。


「やーあ、ベルトラム一家の幹部さんじゃないか。もう一回言うけど、うちの妻に何をしてくれてんのかな? もしかして、うちの小さな妹もいるんじゃないか?」


「蝙蝠……」


 優しい声は消え失せ、忌々しい声が夜の空飛ぶ獣の名を呼んだ。


「選択肢を二つあげよう」


 その名で呼ばれた男の声が、細い路地を反射するように飛んでくる。


「ひとつは、二人をいますぐ安全にこちらに返すこと。もうひとつは、私の全力の奪還に抵抗すること」


 それは、夫の声であり男の声だった。ノルディに囁く優しさとは違う、怒りさえ感じさせる少し怖い声。


「分かった! 分かった分かった! ったく、うろちょろしねぇように、妹の首に縄でもつけてやがれ!」


 ヤケクソのように大声をあげ、男の影は両手を宙に放り投げた後に闇に混ざろうとした。遠ざかる足音だけを残して、影はノルディの前から完全に消え去った。


 代わりに。


 もうひとつの影が近づいて来る。さっきの影より小さく、さっきの影よりも本当に優しい動き。


「あ……ラ……ライマー!」


 それが誰かなんて、見えずとももはや彼女は疑うことはなかった。震える足で駆け出して無心で飛びつく。


「ああ、ごめんよノルディ遅くなってごめん。怖い思いをさせて本当にごめん」


 痛いほどぎゅっと抱きしめられる。さっきまでの声と、同一人物とは思えないほど慌てたような優しい声。


 ああもう大丈夫なのだと分かった途端、ノルディはさっきまでのニーナに負けないほどわんわんと泣き出してしまったのだった。



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