仮想世界は終末を呼ぶ
二次元の世界は進化し続け、ついに次元の壁を打ち破った。
僕が生まれる前、約五十年前の事だ。
公開された新技術、夢想の果て、その結果を大衆へと見せ付けて、
「仮想の世界は終わりの無い未来を予感させた」
と開発者の鏡蘇芳はコメントしたという。
仮想情報空間転写技術。
存在因子と呼ばれる素粒子の概念を機軸とした「存在因子による原子構成制御理論とその応用」という論文を元に生み出されたもの、即ち三次元空間へ存在しない二次元領域をリアルに反映、具現化するそのテクノロジーは人間の生活を根本から変えてしまった。
今では当たり前のように本来存在しない世界の中で人々は戯れている。
いや、その表現には多少の語弊がある。本当の意味で戯れることができたのは五年前までだ。
それから先はもはや遊ぶ余裕など消え去り、全身全霊をかけて足掻かなければ、ただ生きていくことでさえ危うい状況に陥っている。
「忘れるな。これは現実だ」
人々の希望を背負い、救世主となるために破竹の快進撃を続ける彼は、かつて怪物の前で怯える事しかできない少女であった僕へ向けて確かにそう言った。
沸き続ける水源のように怪物がリポップし続ける通称「無限の洞窟」を抜ける偉業(といっても僕の中だけでだが)を成し遂げ、日の光を体いっぱいに受けた瞬間、突然そんな事を思い出した。
確かに僕らがいる場所は現実となっている。仮想の世界は反転し、人間全体の意識境界を歪めさせた。
しかし、今僕と共にいる師匠は言う。
「忘れろ。ここはあくまでゲームの世界だ」
でも、と僕は言葉を返す。この場所で生きていくしかない僕らにとって、確かにその言葉は真実だと。
「違う。ゲームはゲームだ。現実と混同するな」
「しくじれば死ぬのに?ゲームだと言うことは分かっています。
けれど僕らにとってゲームなんていう言葉はもう過去の事だ」
「そういうことじゃない」
全てを見通したかのような憂いを含んだ眼差し。それは僕に向けられることなく、ただ前だけを真っ直ぐに見つめ、言葉だけが体を貫いていく。
「ゲームだからこそ現実には不可能なことができる。
例えば、一定時間宙に浮くとかな」
「それはそうです。
けど、それは世界の補助機能であって僕の言いたいこととは」
関係ない、と言ったときには師匠の言葉が重なっていた。
「同じことだ」
けれど、それだけで僕が頷くわけが無い。反射的に口が動く。
「いいえ、関係ありません」
それは返答だったのか。師匠は一つ溜息をつくと、腰に携えた日本刀をすらりと抜き放った。僕もそれに倣って胸元で橙色に輝く流星のペンダントを握り締める。剣呑な気配が周囲に漂っていた。
「プレイヤーがゲームをクリアするために要求されることはなんだと思う?」
「ええと、知識とテクニック?」
「そうだな。その知識はどうやって手に入れる?
そのテクニックはどうやって鍛える?」
「何度もプレイして覚えるとか、反復練習?」
「この世界が現実ならそんなことができるか?
このゲームが要求するテクニックは……」
そんな事、今更考えるまでも無い。この変えようの無い現実が、今が、それをこなせと告げている。
「魔物と戦い、倒す技術です」
「その通りだ。それを試行錯誤でやるとするなら、人間は邪魔なものを持っている」
はっと気付く。それはついさっきまでいた洞窟で嫌というほど味わった。
「恐怖ですか」
「そうだ。ゲームならば死んでもいいと思っていろんな試みをするだろう。
もっと簡単に、楽に、確実に、クリアできる方法を探すだろう。
あるいはその過程で仕様の穴を突いた、いわゆる裏技を発見するかもしれない。
だが現実だと思ってしまえば、この命が一度きりだと知ってしまえば、
そんな事はとてもできない。
危機を覆すための発想すらも制限される。
それは、ゲームクリアを困難にする一因だ」
「ああ、そうですか。そうですね。
師匠の言わんとしていることは理解できました」
現実の常識にとらわれるな。死なないために。
現実の恐怖にとらわれるな。生き残るために。
死を前にしても冷静に考え続けろ。
打倒しきるその瞬間まで気を抜いてはならない。
一秒後に何が起こっているかわからない。
現実以上の仮想がそこに待っている。
この世界はゲームなのだから。
「逆にできないこともある」
「……そうですね」
その最たるものは種の繁栄。
人はもう子孫を作れない。この世界で新たに生み出されるものは決して現実ではなく、虚構。即ちただのデータであり、仮想情報だ。今の世に溢れる子供はただの愛玩道具。慰めの産物であり、一時しのぎでしかない。本物の人間は決して生まれない。
人間は着実に滅びの道を辿っている。
もっともそれは滅亡の後付け理由にすぎない。もっと直接的で、急速に迫るものがある。
既に世界人口100億人の半分がこの五年で消え失せたらしい。
開発者の鏡蘇芳の言葉を覚えている人間など僕と師匠以外にいないだろう。
「来るぞ。構えろ」
手にしたペンダントが輝きを増す。一瞬の後、僕の手には長身の銃が握られていた。いつもの重さを感じながら銃口を奴らに向ける。
奴らの姿は異形そのもので一定の道理を持たない。目前の奴は一見すれば獣のような体型だが、地を踏みしめる足は六本存在し、肌はつるつるで一本の毛も生えていない。顔はライオンのように象られ、目鼻口を囲うたてがみは毛ではなく人の手のような物で構成されていた。そんな生物と思いたくなくなるような姿かたちをした化け物が複数で僕たちを囲んでいる。
障害怪物。
多腕の獅子がその醜い口を大きく開けると、頭の中で世界が鳴らす警鐘が煩いほどに響く。知らせてくれなくとも分かる。奴の口には青白い光が灯っている。
灰燼の蒼炎がくる。
しかし僕と師匠は動かない。これは奴らがとってくるパターン化した攻撃の一つで、確実な対処法は既に構築されている。あとはそれをなぞるだけだ。出鼻からこれなら後は容易い。
怪物達の口から青白い光が、直線状の全てを焼き尽くす炎が放たれた。しかし師匠は回避動作もとろうとせず、ただ一言呟いた。
「発動」
その呟きは自分のためではない。僕に聞かせるためのものだ。タイミングを計れ、という言外の指示。
「刀術・氷紋散花」
抜き放たれた剣筋から冷気が舞う。雪よりもさらに小粒な極小の氷結晶が舞う。
舞い散るそれらは師匠が円陣を描くように大きく振り回した刀の後をついてまわり、僕らを覆う。
僅かばかりの間を挟み、氷の塵は青白い光に包まれた。
その光は決して僕らに届くことなく塵から塵へと反射され、細かく枝分かれしていく。
幻想的なその光景の中、僕は銃口を地面へ向けて銃身を打ち立て、冷え切った頭の中でイメージする。
「発動」
この現象は長く続かない。
放っておけば、霧雪の中で反射され続けた蒼炎はいずれ爆発と共に僕らの命を奪うだろう。
だからその前に。
「対物銃術・追風波動」
引き金を引くと、大口径の弾丸が銃身の先から放たれ地面へとぶつかった。瞬間、生み出された風が僕らの体を上空へと持ち上げた。同時に青白く光っていた霧雪が怪物達へ向かって拡散していく。怪物達はそれを見ようともせず、僕らのいる空を見上げ咆哮した。
耳障りだ。
破壊の嵐を内包した霧雪は僕の感情に呼応するかのように、爆発を起こした。
爆発音の前に怪物の咆哮は消えてなくなっていく。
後に残ったのは存在因子の欠片だけだ。
期待はしていなかったけど、大した素材は無い。
「徒労だな」
「ええ、全く」
頷いたものの、師匠の言葉がどういった意味を示しているのか僕には判断がつかなかった。
先ほどのゲームであることを忘れるなということならまさしくそうだ。
完全に攻略法として成り立っているこの迎撃パターン。
本来、氷属性を付与するだけの攻撃系刀術である氷紋散花をスキルを逸らす反射術として用い、近距離に迫った敵を突風で押し返し、銃の適正攻撃範囲である遠距離へと是正するための補助系対物銃術である追風波動をスキル効果の拡散と自分達の強制移動へと転用するこの方法は師匠の言葉通り、試行錯誤の末編み出したものだったが、それを繰り返すとなればただの作業。
ほとんど確実にこなせて、尚且つ使い道が多いこともある。
事実、「無限の洞窟」では幾度となく繰り返してきた。
徒労感は途方も無い。
結果を得るためとはいえ、クソゲーをやらされている気分だ。
とはいえ、師匠がそのことを愚痴るのも今更な気がするし、
やはり今の僕らの目的の方が徒労だと言ったのだろうか。
黒の救世主と呼ばれる彼を助け、この世界に終止符を打つという目的を徒労だと。
この旅、いや敢えて冒険と呼んでいるこの行為そのものが徒労だと。
確かに師匠には無理を言って旅立ったけれど。
繰り返すが、僕には判断がつかなかった。
だから、その真意を知りたいと僕は願ってしまう。けれど師匠はそんな僕の気持ちなど露知らず、手入れが行き届いていないぼさぼさになったその黒い髪をがしがしと擦りながら先を見据えていた。
「機械樹までもう少しか」
「スキル制を根底としたゲーム性のおかげか、それほど時間はかかりませんでしたね」
「そうだな」
「後悔、していますか?」
「それは目的を達成したときに教えてやる」
幾度となく繰り返されたその言葉。
真の意味を知るその時はやがて来る。
◆
機械樹へ辿り着いたのは意外にも僕達の方が先だった。
思っていた以上に苦労も少なく、簡単に世界の中心である機械樹のさらに中心、理命核の目前まで来れてしまった。
「人類の誰もがここへ到達することが叶わなかったのに意外です」
「前例があるからこそだ。人は決して留まらない。情報を糧に先へ進むことができる」
回りくどい言い方だ。実に師匠らしい。
「だからですか?黒と合流しなかったのは」
情報という後押し、人々の歴史、積み重ねがあるからこそ、彼と彼の仲間たちは僕らの助けがなくともここへ到達できると考えていたのだろうか。それでも僕が無理を言ったから、せめて一番最後の援軍に、と。
「いいや。黒は西からここに向かっていると聞いたが、俺達は東からだ。
わざわざこの樹の外周を回り込んで入るのはかえって面倒だろう」
溜息が出た。
師匠の性格は分かってはいたけれど、実際に説明されると気が抜ける。
この機械樹の長大な円周を知っているから気持ちは良く分かるけど、もう少し言葉を選んで欲しかった。
師匠はあからさまに落胆する僕を気にも留めない。
代わりにさっきから周囲に気にしっぱなしだ。
ここに辿り着くなり、師匠は壁を背にして寄りかかったので休む気なのかと僕は思ってしまったのだが、気を抜くような仕草はそれだけで、決して座らず腕を組んで目を閉じている。眠っているようにも見えるが、長く付き合っている僕には師匠が警戒態勢を崩していないことが良く分かる。
ここはラスボス前の最後の休憩所、一切の戦闘が禁止の安全地帯なのだからあそこまで張り詰める必要は無いのに。障害怪物も出現しないし、ダンジョン内では基本制限されている食事だって解禁されている。
最後の障害である機械樹の中にこんな場所があることは不思議で仕方ないが、師匠が言うには大衆の意識が平穏を求めた末に生まれた限定空間であるらしい。
そうした空間が生まれてきていることは有難いが、その大衆の意識が閉塞感漂う現状を生んでいるのもまた事実だ。バラバラに、散漫に浮かび上がるそれらを理命核は都合のいいように編集し、まとめあげ、物質化し、結果として誰もが補足できない世界ができあがってしまっている。
そもそも、この世界は多人数参加型仮想情報入没遊戯媒体の一つを基盤として形作られていたはずだった。が、時を経るにつれ、スキルや敵、アイテム、その他諸々が異常な変化を遂げ、今や完全に剥離してしまっている。しかも大衆の意識は常に変化するため、一定期間ごとに仕様の細部がころころ変わるという鬼仕様。
それ故に、この死亡遊戯はクリアが困難だとされてきた。
それでも、いやだからこそ僕らは試行錯誤を続け、模索を続けてきた。
けれど、そんな生活ももうすぐ終わりを告げる。
黒がここへと辿り付いたときが現世への帰還の始まりだ。
問題はそのイベントの開始時刻が全く読めないことだ。
未だ周囲は静かでその兆候は見られない。
「遅いですね」
「そうだな。この様子だともうしばらくかかるかもしれん。
俺のそばで休んでいるといい」
「……そうさせてもらいます」
師匠が腕を組んだまま指だけ動かして真横の床を差したので、僕はその言葉に甘えることにした。
隣で同じように壁にもたれかかり、座り込む。
世界仕様変化の時期まではまだしばらくある筈で、師匠が何を警戒しているのかはわからないけれど、何もしないまま緊張感を抜くよりはいい。ここなら危険区域だって安全地帯になる。
ふぅ、と息をつくとぐるるとお腹がなった。
自分のステータス表示を見ると、スタミナの最大値があからさまに減っている。
このままだとスキルの連続使用時に支障をきたすかもしれない。
最後の戦いの前だというのに迂闊な。ここで気付いて良かった。
いそいそとフードサックメニューを呼び出して細長いブロックのような形をした携帯食料を選択すると、一瞬で頭の中のそれが手の中に具現化する。
「師匠も食べます?」
もそもそと頬張りながら問うと、師匠は黙って首を横に振った。
「ん、相変わらずこのパサパサ感がたまらないなぁ」
「お前は本当にそいつが好きだな。俺には耐えられんよ、そのパサパサ感が」
「そうですか?パサパサが口の中で段々と蕩けていくのがおいしいのに」
「その蕩ける感覚がどうもな。口の中でへばりつく感じがして好きになれん」
少し意外だった。普段なら僕が準備した食事なら文句も言わずに食う師匠が一言物申すだなんて。
それに、つっけんどんな態度も優しさの裏返しであることが当たり前の師匠にならピッタリの食事だとすら思っていた。
そんなことではたと気付く。
もう五年も一緒に居るのに、僕は師匠について驚くほど知っていることが少ない。
急に悔しくなってきた。まるで距離を取られているようで。
だからだろうか。僕はろくに意識もしないまま、その疑問を口にしていた。
「師匠の本当の名前ってなんていうんですか?」
「ジュダ。それ以外に名は無い」
「それは偽名でしょう?」
師匠の容姿は明確に日本人のそれだ。黒髪、黒目に黄色人種の肌。顔の造詣に関しても掘りが浅く、鼻だって白色人種のように高くは無い。一切国外人種の容姿を思い起こさせないというのに名前だけがそうだと言うのは明らかにおかしい。話す言葉だって日本語だし、なにより、好物に納豆を挙げる人間が日本人以外にいるはずがない。
「いいや、本名だ。キラキラネームと言う奴だな」
「それは一過性のものですぐに廃れたと聞いています。
それも百年以上も前のことです」
「よく知っているな、そんなこと」
「師匠が教えてくださったのです。いえ、話を逸らさないでください。
もう最後の戦いなんです。それくらい教えてくれてもいいじゃないですか」
「本当の名か……」
師匠はいつのまにか目を開き、僕の顔をじっと見下ろしていた。
少し恥ずかしいけれど、僕も負けずに見返す。
師匠の唇が動き出すその瞬間を見逃さないように。
「俺は」
僕の顔がほころぶのと同時に、頭の中で警報が鳴った。
安全地帯なのに敵襲?
もう少しで師匠の名前が分かったのに!
咄嗟に握り締めたペンダントに意識を込めて愛用の長身の銃を呼び出し、この部屋の入り口へと向けて構える。
が、そこに居たのは障害怪物ではなく、一人の人間だった。
漆黒のロングコートに黒い髪。
同じく黒いグローブを装着した手には闇に染まったかのような鎖状双剣が携えられている。
全てが黒に染まる中、唯一白く居座った無表情の仮面とその存在感には障害怪物以上の戦慄さえ覚えてしまう。
それは黒の救世主に他ならなかった。
「やはりここに居たか。蘇芳」
びくりと体が震えた。黒が僕の名前を知っている?
確かに大規模な障害怪物強襲イベントの際に一度会ったことはある。
でもそれは本当に些細な邂逅。
怪物を切り殺す彼の後姿を呆然と見つめていただけで、僕は彼に自己紹介をした覚えは無い。
「なんで──」
反射的に問い返そうとしたが、それは師匠の言葉で阻まれる。
「よく辿り着いたな、黒。久々の再会にその殺気は相応しくないと思わないか?」
また体が震えた。
師匠は黒と面識があるのか?
聞いていない。こんなこと聞いていない!
尚も黒は僕の知らない何かを口走る。
「それは無理な話だ。俺はここに至ってようやく確信を得たぞ、蘇芳、鏡蘇芳。
やはりお前こそが全ての元凶だ。お前を殺さない限り俺達は解放されない」
「鏡、蘇芳?違う。違う違う違う違う!
僕じゃあ、無い!
僕はスオウ・ミハイロヴナ・コスチェンコだ!」
混乱し、叫ぶ僕を師匠の優しい声が嗜める。
「落ち着け、スオウ」
「そうだ、落ち着け。お前の事じゃない。と言ってもお前と無関係でもないが──」
さっきから予想外の事が起き過ぎている。黒の声が、酷く穏やかに聞こえる。
まるで本当に僕を気遣っているかのようだ。
「俺と会ったのはいつだったか覚えているか?スオウ・ミハイロヴナ・コスチェンコ」
「それは、五年前の……」
仮想が現実を塗りつぶして間もない頃だった。
相次ぐ障害怪物の襲撃で人類の数が激減していた時期でもある。
その時に僕は家族を失った。
「あの頃のお前は13歳。それから五年。
お前は18になるだろう?なのにその姿はどうだ」
僕の姿。
師匠にはどう見えているのだろう。
名前と同じ、蘇芳色の髪。明らかに日本人ではないこの髪色はロシア人の血が入っているためだ。だというのに、体の方は日本人の血が色濃く出ているのかはっきり言って貧相だ。童顔、小さい身長、肉付きの良くない細い体、小さい胸がコンプレックスを刺激する。
「まるで子供と同じだ」
むっとした。事実でも赤の他人に言われると腹が立つ。気にしてるのに。
「こっ、これは単に発育が遅いだけだっ!」
「それで誤魔化してきたのか、蘇芳」
黒の口調には呆れが含まれていた。
「発育が遅い。それだけの理由で容姿が全く変わらないなんてことはありえない。
はっきり言う。スオウ・ミハイロヴナ・コスチェンコ。
お前は子供のまま、五年前から何一つ変わっていない。成長していない。
この世界で成長しない存在だ。とどのつまりそれは───」
成長しない存在。ありえない存在。
それに思い至って意識がふやける。足元がよろける。
い、いやだ、そんな、そんなバカなことがあるわけ──
「いい加減にしろ。これ以上スオウを侮辱することは俺が許さん」
「いい加減にするのはお前だ、鏡蘇芳。
俺は全て知っている。知らされている。誤魔化しは効かない」
「しっ、師匠……師匠は……僕は……」
いつの間にか両手は銃を離し、頭を抱え込んでいる。
思考がぐちゃぐちゃになっていた。
鏡蘇芳と呼ばれているのは、呼ばれていたのは師匠なのか?
なんで?どうして?
鏡蘇芳は五十年前の人物だ。生きているなら80歳近いはず。
師匠は多めに見積もっても30代。同一人物だなんてことあるはずがない。
仮想情報にとらわれた世界であっても人間は実物だ。
顔を少々変えるプチ整形程度ならともかく、若返るなんて事はできっこない。
もしそれができる存在がいると言うのなら、それは───
「ありえない、ありえない───っ!」
狂乱した。涙が止め処なく溢れてくる。
何かの間違いだ、そうに違いない。でなければ、僕は、僕らは!
「見ろ、鏡蘇芳。あの子の姿を。真実を知り苦悩する姿を。
お前が自己満足で成し遂げた夢の結果がこれだ。俺達は皆お前に踊らされ続けた」
黒は仮面に隠された奥で一体どんな顔をしているのだろう。
憎しみのこもった声音は静かだが、憤怒に歪んでいる。
けれど師匠は全く表情を変えない。涙に濡れて、みっともなく崩れた僕の顔とは雲泥の差だ。
「なぁスオウ。ここに来てまた問うのは卑怯だが……このゲームをクリアしたいか?」
このゲームをクリア、即ち理命核を破壊すれば仮想情報が転写された擬似三次元物体は全て消滅する。
仮に、仮にだ。
僕が、僕らが仮想の生命体であるなら例に漏れず───
想像したのは夢の無い未来。息が詰まる。
それを選ぶことなどできるわけが無い。でも、それを成さねば世界は救われない。
苦悩した。
「僕は……」
「いや、答えなくていい。すまなかった。あとは俺自身が決める。だからスオウ」
師匠はすらりと刀を抜き放ち、黒へと歩み寄っていく。
「俺に全てを委ねてくれ」
「───はい。僕の全てを師匠に捧げます」
そして僕の返事を聞くと同時、駆け出した。
◆
結論から言うと、師匠は負けた。
師匠はたぶん本気で戦った。管理者権限を使用して、理命核を守護する最強の障害怪物と連携して戦ったのだ。要はラスボスを黒にけしかけて、その上で彼を殺そうとした。
けれど黒の強さは僕の予測を、おそらく師匠の予測をも超えていた。
とんでもない強さだった。
あらゆる攻撃、あらゆる防御を予想もしない方法で打ち破られた。
多くの人間による試行錯誤の結果、洗練されたその正確無比な対応は最早裏技と呼ぶに値する。
あれがプレイヤースキルを極めた先の強さなのだろう。
でもそれは、明らかに人間の範疇を超えていた。
だから彼もまた、人ではないことを僕は察してしまった。
「俺は世界を凌駕した」
彼が去る前に残したその一言は随分と印象的だった。
理命核も致命的な一撃を入れられてほとんど残骸と化している。
それでも僕らが消えていない辺り、機能はまだ完全に死んでいないのだろう。
幾ばくかの猶予を与えられたのは嬉しい誤算だったが、少し不思議だった。
てっきり黒は僕らの消滅を見取るまで完膚なきまでに理命核を破壊すると思っていた。
「あいつも消える前に別れを告げたい人がいたんだろう」
「ああ、そうか。そうかもしれませんね。
彼も人であることを諦め切れなかったんでしょうか」
僕の膝に頭を乗せ、師匠はうっすらと笑みを浮かべる。
僕もつられて笑みを零してしまう。最後だと言うのに不思議と穏やかな気持ちだった。
「ねぇ、師匠」
「ん?」
「なんで僕をここへ連れてきたんですか?」
「俺はお前の望むことをしてやりたかった。結局、それだけだ」
「だったら、ここへ連れてきて欲しくなかった。
僕はずっと師匠と一緒にいたかった。普通の、幸せな家庭を夢見てた。
ここへ来ればそれを手にいれられると信じてた……」
それはどうあっても叶わぬ願いだったけれど。
「ふふ、ははは…そうか。そう思ってくれていたのか」
師匠は笑う。僕も笑う。
涙を流しながら二人で笑う。
「俺は幸せ者だ。後悔なんて一切無い」
「僕も幸せだった。ありがとう師匠。大好き」
「俺もお前を愛してる」
体を構築する存在因子が徐々に失われていく。
僕と師匠は薄れていく。
仮想世界は僕らの終末を呼ぶものでしかなかった。
けれどこのぬくもりはこの世界でなければ手に入れられなかった。
偽りに過ぎない僕には決して手に入れられなかった。
だから、その機会をくれた世界に偽りの無い感謝を捧げる。
ありがとう。
The END.
【いろんな物が台無しになる人物紹介と思いつき設定ネタばらし】
○師匠/鏡蘇芳(享年79歳)
若干34歳で仮想情報空間転写技術の基礎理論実現プログラムとハードを作り上げた天才にして、二次元の嫁を愛し、その嫁に触れてみたいという欲望の果てにマジで実体化させた二次元バカ。
リアル嫁がそれに嫉妬したために、世界中が夫婦喧嘩の巻き添え食らった。
本人は既に死亡し、作中で出てきていたのは彼の若かりし頃を仮想情報として構築したもの。
とはいえ、本人と同様に思考し、動くことができる。
いわばもう一人の鏡蘇芳という存在呼んでいい。
刀を使っていたのは日本人なら刀だよね、というどうしようもない理由。
ちなみに本人はスオウに触れることができたので満足して死んだ。
○僕/スオウ(13歳)
永遠の13歳。二次元ロリ嫁ヒロイン。元ネタはアレ。
彼女の気持ちは仮想の産物でしかないが、鏡の名誉のために言っておくと、別に鏡を好きになるようにプログラムされたわけではない。
僕っ娘いいよね!
○黒の救世主(年齢不詳)
黒いコートを羽織った鎖状双剣と呼ばれる武器の使い手。元ネタはアレ。
嫉妬に燃えた鏡の嫁(夫と同じく科学者)が生み出した仮想生命体。
どこかの赤毛の如く行く先々で現地妻候補を作っているが、復讐のためだけに生きてきた結果、全てのフラグをぶち折り、鏡の夢までぶち折って満足して消滅した。
○世界観
行き詰った問題がほとんど仮想情報空間転写技術によって解決された世界。
例えば、エネルギー資源等も存在因子をいじくることで仮想情報として構築し、現実に反映させる(実体として生み出せる)ことができた。
あんまり内容考えてないけど、実生活のそこかしこでこの技術が使われていて、もう何でもあり状態で夢の世界だわははと人々は幸せに暮らしていました、という設定。
もちろんゲームにも応用されていて、VRMMOも当たり前のように存在してた。
で、暴走した鏡が理想の自分とヒロインが生きられる世界を作っちゃった、という感じ。
感覚的には現実世界に仮想データという袋をかぶせているようなもの。
VRMMOのていを成しているのは鏡の趣味であるが、世界中の人の仮想イメージが混ぜこぜになったために既存のゲームをしっちゃかめっちゃかにくっつけた形になった。
それを統合してまとめて制御しているのが理命核。
もうちょっと練りこめたらまともな設定になったかもしれない。
○存在因子
人のネタのパク…オマージュ。
○最後の戦闘
めんどくさくなって省略した。
○ルビ
本来の読みとは別の読み方を振り仮名として飾る物。楽しい!けど読み辛い!