8話
聞きたいことは聞くな? 刺されれば戻れます?
「って、言われてもな……」
唐突に提示された大胆な選択肢に、フツルの思考が急速に回転する。
――どうすればいい。
仮想世界はフツルにとって完全なるアウェーだ。考えの扶翼となる情報の欠損はやむをえない。こうして頭を下げる銀髪ガールの言うことを全面的に信じ、ぎらつくあの凶器の切っ先を己が心臓にブッ刺されるべきなのか。それともやはり抗って、むしろ彼女をブッ刺す……は無いにしても、まだ聞き足らぬ現状の詳細を強引に引き出させる必要はあるかもしれない。もちろんその場合には、何とも言い難い背後の闇黒面――中央政府のシステム系統ですら改ざんしてしまうような、危ない連中との関わりあいをも視野に入れなくてはならない。
反世府グループの犯行とされる要人誘拐事件が、休日のワイドショーで盛んに取り上げられてたのはつい最近のことだ。関連は断言できなくとも、フツルの陥る現状は十分にイレギュラー。現実的に考えて、そちら側に触れるのは、やっぱりちょっとやばい気もする。
無難に時間を稼ぎ、ユイミが回線を切ってくれることを待つか。
けれどその場合、このおもいきりぼろ泣きで低頭な少女に対し、何か都合の良い口実を用意する必要がある。なんせ涙の量がハンパでない。仮想表現の一部だとは重々わかっているつもりだが、軽くみても常人の二倍はあるまいかコレ。そんな彼女が必死に頼んでくる案件を、言い方は考えるとしても断れば、想像するにそれ以降フツルの方が忍び難い。目前で女の子に泣かれるのは、ユイミの悪影響でニガテなのだ。それに……、
ワケの判然としない泣きべその少女だが一つだけ解っていることがあった。それは間違いなく彼女は「本気」だということ。打ち合った一撃目からぼろぼろと泣き崩れるまで、一度たりとも軽薄な態度や気配を見せない。日ごろ、挑戦心を滾らせるライバルたち(特に同年の秀才たち)と直に接しあっているフツルには、そういった気概のようなものが肌に感じ取れる。遊び感覚では決して見ることの無い気迫が、彼女にはあった。
むしろ、それが解ってしまっているからこそフツルは悩んでしまう。
「うーむ……」
結局思考が低速して決断が及ばす、フツルは考えるのを停止した。
横隔膜を意識的に伸縮させ肺を満たすと、ついで「ふう」っと息を吐く。改めて銀髪ガールへ向きなおる。
「僕は、君を信じることができない」
「――え」
悲しいとも驚くとも、何とも言えない複雑な表情で彼女が顔を上げた。
訴えかけてくる目に応えるかわり、フツルは腰巻の剣をひき抜く。どん引いた声で「えっ」と少女から声が漏れたが、構わず刀身側を手にとり胸元にもってくる。わずかに躊躇、けれど柄のほうをゆっくりと、彼女にむけて差し出した。
「間違っても負けるつもりはないよ。けれどそれ以上にさ、こんな世界で起こる事が自分の信念を左右するとも思ってない」
「……」
意味を図りかねているのだろう、銀髪ガールはきょとんとしていた。
「だからさ」
瞳孔に繊細な影を混じらせる金色の目を、真剣に見つめ返す。
「現実的にこれから君のすることだけを信じる。あとは結果次第だ」
別に放棄したつもりはなかった。これ以上泣かれるのが性分としてイヤだった、自分の直感に素直に従ってみたくなっただけ、というのが正直なところだ。
「……ありがとう、ございます」
「いや、まだ礼を言われる立場じゃないんだけど。もし君に悪意があったら――」
拳をつき出し、満面にのせた自信で言い放つ。
「今度こそ成敗してやる」
「――はい」
涙をぬぐって剣を受け取ると、代わりに彼女が手を伸ばしてきた。
「わたしの名前、えっとアヴァターネイムなんだけど《リーザ》、って言います。もしその……機会があれば……ですけど、えっと、憶えていて欲しいなって。お礼をしたいです」
アヴァターネイム? と内心未定のそれを必死に編み出しつつ、白く細い手を握り返した。
「《イヅル》。たぶん、そうなる。憶えとくよ、なんせこっちで初めて出逢って、初めて戦って、初めて触れた相手だもんな。……はは、むしろ、忘れるの難しそう」
「ふふ、確かにそうですね。すみません――」
ここに来て、銀髪少女ことリーザが笑うのを初めてみた。
――それじゃあ、いきますよ。
怖すぎて目をぎゅうっと閉じる。
心臓を刺されるってどんな気分だろう。いや、気分はこんな感じか。
吹き荒れる血潮に身を任せ、そのまま脱力しておっ死ぬなんて……。うわ、うわうわ。怖い。
――――ブツッ! 《接続を遮断します》