6話
一連の激しい動作に息切れしながらも、フツルは大声ではっきりとそう告げた。
目を完全な丸となるよう見開いた彼女は、まるで電源コードを抜かれた電化製品みたく微動もしなくなった。あれほど躍動していた剣呑は見る影もなく、ただ目前の剣を注視している。やがて唇をふるわせながら、怯えたように細い声を出した。
「わたしの……負け……?」
「そう、君の負けだ。というよりイキナリ仕掛けてきたのは君の方だろう」
嘆息ひとつ、呆れ顔で言うフツルに少女は無言のままだった。
何の断りもなく相手に凶器を向けて振りかぶる行為が仮想上の定石だというのなら、もう迷うことなどない。すぐにでも辞めてやるつもりだ。この場で最もふさわしい口上が用意されているというのなら、是非とも聞きかせてもらいたい。強固に保障されているはずの痛覚に起こった異常は、そう簡単に納められる問題ではないはずだ。
現行のVRWのサーバを監視する《世界中央政府》=世府は地球上に存在する数多の組織、国家を牛耳る絶対的な第三機関。文字通り世界の中央政治を担う強大な組織は、世を統べるに値する求心力をその特化した科学技術によって存立させている。革新的な産業の変遷をリードする(反重力物質やVRWなどの先鋭的な技術を生み出す)ことはつまり、各国家間の軍事や経済におけるパワーバランスの掌握をも意味する。
脳髄及び神経系に関わるVRの革新的な普及も、もちろん世府が主導してやったことだが、その監視下にあるゲームで犯罪にあたるシステムの改ざん行為をするなど愚の骨頂といえる。なんせ世府が公式のHPを公開した初年、腕試しにと世府サーバにクラッキングを仕掛けた有数のクラッカーたちがネット上で細部にまで至る膨大な個人情報を曝け出されるという、云わばウェブ上の《公開処刑》が次々となされたのだ。いかに現状で最も有能だと言われるようなクラッキングスキルを有する者であっても、彼らの園を踏み荒らそうとすることなど常軌を逸しているとしか思えない。
「僕は初めてVRWに来たんだ。友人にレクチャしてもらう約束で、向こう側ではほとんど何も聞いていなくて……。これって、仮想の常連からしたら普通のことなのか? それとも」
「わたしの……負けなの?」
フツルの言葉を耳に入れず、以前として呆けたように彼女が言った。
完全なるスルーにちょっとばかし頬がひき攣る。
「君の負、け、だ。見て解るし、言われても解るだろ。それより、今、この状況は一体――」
「だめ、ダメ! 負けちゃダメなの!」
「ちょ、おい――――」
再び暴れ出され、少女を押さえつけるのにフツルはまたしても女体に密着しなければならなかった。抱きしめ、被さるように地に押し付けるが、それでも暴れる肢体が顔へ腹へと容赦なく打ち付けられる。中でも頬へ直撃したヒジに「ぶふぇ」と顔が揺らいだ。
「うぐ、おちつけ! 何なんだよ一体、ワケを話せって!」
「負けられないの! ダメなの!」
必死の形相は長髪で顔を隠したホラー系統だ。動きは乱れ、それが幸いして手足の末端に至るまで精密さは欠片もない。相手の動作に無駄が多ければ多いほど、体技に造詣を持つ者であれば止めるのは造作もない。
そもそもダメとか、負けられないとか言われても、はいそうですか、と簡単に刃物でぶった斬られるほどフツルは寛大でない。むしろ、そんな人間は稀過ぎる。
「理由を話せよ! どうしたんだよ!」
今度はちゃんと聞こえるように、耳元で、多少障りになる程度に声を張った。
しばらく暴れていた彼女も足掻くことに諦めがついたのか、徐々に身体から力を抜き始めた。ぐったりと顔を地に貼るように付けて、今度はすすり泣く声が聞こえる。
――お、女の武器……だとッ!? などという余計な思考は流し捨て、事態の収拾に意識を高める。身を離し、けれど警戒は怠らぬまま剣を収めて立ち上がる。
少女を視界に置きつつ、改めて周囲を見渡してみた。
漆黒塗りの天蓋はプラネタリウムに映し出された宇宙のようで、それが冷たく四角い黒タイルの張られた円形の地面以外、全ての方位を覆っている。外縁には古代ローマ時代の建造に見られる薄茶色の欠けた柱や壁が配置され、それらが闘技場のような造形を為して周囲を囲っていた。
あとは、何もない。入り口やワープのようなモニュメントも、建物も、階段なども見あたらない。完全に密閉された空間で、人の影も少女以外にはやはりないようだった。
視線を戻すと彼女は未だぐずぐずと泣いており、一向に筋の見えない状況にフツルはふうっと重い息をついた。
「……ワケがわからないよ」