53話
絶大な力が見せつけたのは一種恐怖で、一種恍惚だった。ゼノウが、瞬時に詰めたゼロ距離からの豪腕パンチは当たらない。続けざまに放たれた回し蹴りも当たらない。直後イキナリぶっ放した「くちびるミサイル」も当たらない。アッパー、上段蹴り、頭突き、タックル、肘鉄それら複合的に繰り出される連打連撃スーパーコンボは一発もかすらない。ただブンブンと過大な音量がこだまして、会場内を竜巻めいた風が荒らした。
煽る強風の向こう側を、リサは必死に見続けた。
ゼノウは決して遅くない。それどころか眼に捉え得ぬほどの速度で攻撃を繰り出し、し続けている。だのにレイのライフゲージは、余裕を示す緑光で満ちて煌めいている。
やがてついに頭にキたゼノウは、
「うあああああああああああああああああ!」
額に血管をぶちぶち立たせ、ゼノウを全能たらしめるMAXパラメータを解放した。膨れ上がった各部位の極大筋肉がクッキリとした陰影を浮かべ、その極太右拳がぐいっと引き構えられると直後、大地に叩きつけられた。
地が削られるどころではない。スタジアム全域に及ぶ「地面」が崩れ始め、地震と呼ぶにはあまりにも爆発めいた衝撃が走る。数万の悲鳴が轟きわたる中、リサは耐えきれず彼氏にしがみついた。
会場内を粉塵が茶けた煙幕のごとく立ちこめて、寸刻視界が通らなくなる。そのうち揺れが収まると、からからと小石のこぼれる音だけがながれた。場内は完全に静まりかえる。
眼を凝らせば、砂塵まみれの視界の中にヒト型のシルエットが映り込む、――兄だ。普段、決して感情を荒立てるような人ではない。仮面のごとく動かない顔からは、その内側を読み取ることなど不可能だ。たとえそれが、内を映す仮想の世界であっても。
やがてリサは二つの光り、金の眼をみる。
きっと、それは妹を捉えていた。何ら示されるものはないのに、何故か許されてはいない気がした。また無視されているような、興味さえ抱かれていないような気もした。ただ兄と、自分との間にあるのは唯一の関係性を紡ぐ「血縁」だけ。その細い糸が、今はちっぽけに垂れている。他人とみても、兄妹とみても、兄がモノを見る目つきに、変わりはなかった。
ゼノウの胸部を銀の杭が貫き、しとどに鮮血が滴る。血の溜まりが作る円の際を、時間がゆっくりと広げた。
HPがガリッと3割消え失せ、その状況に誰よりも驚いたゼノウ本人の目が真ん丸になる。
「てんめええええええええ、やりやがったあああああ!」
鬼の形相で、今度はゼノウの「くちびるミサイル」がばんばん連弾で放たれた。だが、当たらない。まるで早送り映像(これが後に高速再生と呼ばれる)のごとく、レイが出現と消失を繰り返し、その寸隙を幾百弾のくちびるが抜けてゆく。一発もかすらない。
「クソッタレ! クソッタレ! くそったれええええええ―――――!」
怒声でくちびるを放ち続けたゼノウだったが、その動きががくっと停止した。巨体があっちの方向へ二、三歩よろめき、膝が折れた。
「―――か、ひッ!?」
反応する声も出ないのは、二本目の銀の杭がゼノウの喉元をぶっ刺したからだ。顔面からは絞られたように汗がぷつぷつと溢れおちた。
「こ、ぐ……、こぐう、こぐうう!」
声にはならない呻き声で、しかし確実に、殺す、と言っているのは形相から読み取れた。
怒りからゼノウの眼色が、赤になる。ノドの杭を引きぬくと、――がっこん。アゴが落ちて異様に大きく口が開かれる。その中が煌々と光りだした。
立ち上る熱気までも染めて、周囲の景色が歪むとやがて爆光。殺意爆発の「くちびるキャノン」がブチ放たれた。開口する極太唇から伸びる閃光がデカ過ぎて、轟々とした音だけ、光景は紅だけで他に何もみえなくなる。
その衝撃はスタジアムを半壊させるまでに至った。だが結果として意味はなかった。ここまであらゆる攻撃、破壊が繰り返されてきたにも関わらず、誰の目にも輝かしく映るその表示は、無傷にも緑光を保っている。レイの満々たるHPゲージはミクロも減っていない。
替わりに絶命に値する三本目の銀の杭が、ゼノウの広いデコを貫いた。それでも残る体力ゲージが、最強をかける舞台に相応しい猛者であることを物語る。もしくはこの時、レイは意図的にそうしたのかもしれない。時代の節目を告げるために。
無類の最強を誇示する銀髪の青年は、やがて空を仰いだ。
兄は、妹ですら滅多に目にしない「発声」という行為を、突如としてはじめた。それは発声と見て取れても、口が実際に生んだのは音を媒体とした「言葉」などではなかった。あまりに速すぎる。ぱくぱく動く口元は、火を噴く機関銃のごとく「意志」を吐き出すも、もはや高域の「音波」と化している。聞き取れない何かしらの意図を含む耳鳴り――キーンと聞こえる――が終わると、ソレは突如として発現した。
瞬時のうちに、言葉が脳内に広がりだす。
まるで真っ白だった紙のうえに、何万もの文字が一瞬で浮かび上がるように。
――僕は君らとは違う。
――世界から拒絶され、愛されずに生まれてきた。
――僕には、君たちが解らない。あるとき急に君たちはゆっくりになる。君たちの声は、音はぼやけ、時間をかけないと最期まで終わらない。あまりにも長く、長く、ゆっくりと世界が進む。僕にはそれがずっと、怖かった。
――君たちは濁った時間の中を「スロー」で僕に話しかける。初めの頃、僕はそれを耐え、耐えて最期まで聞いてあげた。だがそうしたところで僕に、返してあげられるほど悠長な思考速度なんてなかったんだ。僕が一口で伝達する意志は、君たちの時間に換算すれば数日分の情報量になる。誰もついてこれやしない。最強というキミも、楽を交わす友達も、諭してくれる先生も、怒る妹も、生んでくれた両親も、だれも解らない。僕を――、理解してくれる人、受け入れられる人間は現実の世界にはどこにもいなかった。
――だけど見たんだ、このきれいな仮想世界の中で、僕は出会った。
――彼女は僕をはるかに上まわる。
――ジェノサイド・プリンセス――彼女はこの世界を究めた。
僕と同じ最速の世界の住人たちに告ぐ――。
「VRの時代がくる」
ゼノウの顔面をわしづかみ、大地にぶっ叩きつけるとグラウンド・ゼロ。会場の完全崩壊とともに、ゼノウのHPが深紅に染め上がった。