52話
どどん! 人一倍『巨』とした風格が、はためくマントと太い唇から発せられている。
オカマの口ぶりで言い放った最初のセリフは、これから戦う敵への気の利いた掛け合いでも、戦意を煽る挑発でもなく、会場で偶然見かけた色男への誘惑だった。野太い声で「うふーん」と、ウィンクしなに赤い唇がひらく。
「あーらいい男じゃない。どうだいこれが終わったら、あたしゃと熱い一夜でも」
「ひいぃぃ!」
ぶちゅう! と放たれた投げキッスのプレッシャーが一種刺激的すぎて、数十人の観客の背中が一瞬で凍りつく。――かはは、と笑い、オカマにして全能のプレイヤー「ゼノウ」は、これはお決まりの登場演出を終えると、キリッと雰囲気を切り替えた。口角から笑みを切り落とし、眼に鋭い光をともして前を見る。
なんら普通な出で立ち、振る舞い、見た目であっても、おそらくはゼノウのゲームプレイ歴上最も異質で、クリティカル・アーマメント史上かつてない「能力」を誇示するプレイヤーが、そこにはいる。銀髪に引っ提げたどこか人形めいた無味無臭の顔面に、濁った金色の眼、高くも低くもない鼻、主張のない唇に輪郭すらデフォルメにして各パーツが端正に配置してある。――白銀のレイ。このトゲも主張もない青年プレイヤーこそが、全能なるオカマが最強をかけて相対峙しなければならないまさしく最期のライバルだ。
数万の観衆、現実世界での中継も含めれば数千万にもおよぶ人間たちが観るこの最終決戦「クリティカルマスターズ・ファイナルステージ」は、現実世界でもグローバルに影響力をもつ大舞台である。その反響はもはや仮想世界のファンたちの枠をかるく超え、世俗一般から付加益を狙う経済界、世府の高官から各国の政府・軍部にまで広がる。
ゆえにその舞台上に立つプレイヤーには、公ではない暗黙の礼儀作法がある。見栄えの悪い格好、バトル進行、台詞は往々にして激しいブーイングを買う。広告塔として期待をかける運営側としても、またとない華の機会に見苦しいマネはさせたくない。だから事前に出場選手には「ルール」が説明してあり、バトル前半には、その遵守が義務付けられている。
今思えば、現実世界で枠作られた権益のための茶番劇になど、兄が耳を傾けるはずがなかったのだ。当時の観衆、関係者にとって兄はとにかく負の面で目立った。定型から脱しすぎて、慣例から反しすぎて、そしてあまりにも強すぎたせいで。
試合開始のゴングが高らかに鳴った直後から、イキナリ兄は姿を消した。その代わりに地面からにょきにょきと召喚されたのは幾つもの銀の板「ミラーウォール」。最終戦の幕開けに最高潮に盛り上がる観衆たちも、ゼノウも、初っ端は息を巻いてバトルに踊ったが、やがて三十分の時が経ったころには、いい加減さすがに、レイの戦い方に苛立ち始めた――。
「チッ! ふざけやがって逃げてばかりじゃねえかい。くそ埒があかねえ」
突っ込んだ手を引っこ抜くと、バリン! と「鏡面」が散る。四散した銀の破片がこりんこりん地に跳ねれば、やがて溶けるように消える。
一枚消したところで、鏡はスタジアム全域、全空間を支配するよう無数に浮遊している。その全てに「眼球」が映りこみ、オカマキャラクター「ゼノウ」を捉えていた。
「いい加減にしやがりな! 真っ当に戦う気がねえなら、こっちもそれなりに決めワザ出さざるを得ねえだろうが。すこしやビジターにサービスくらいしやがれってんだよ!」
ボッこり! 浮き上がった二の腕、大胸筋、そしておデコと太い「くちびる」に走る血管がシューシュー熱気立つ。真っ赤に染まる肉体の中で、特に強調されるハチキレンばかりの「くちびる」が、ぎちぎちと限界寸前の風船のように膨らんだ。
やがて人体の3倍にも及ぼうかという膨化を遂げたそれが、
「んがあああああああああああああ!」
と目をひん剥いたゼノウの雄叫びとともに、ぶっ開らかれた。その内側に、得体の知れぬ黒いカゲが蠢きだす。
会場全体が「何だ、あれは」と前のめりになって注視してからわずかに遅れて、それは全弾発射された。
ぶむゅーん! という効果音とともに視界いっぱいを小さな「くちびる」が飛ぶ。それぞれが鏡面に接触するとぷるりんと揺らめいて、直後――、
ドガ―――――――――ッ!
くちびるが爆発した。次々と連鎖する火炎の花に、浮遊する無数の鏡が粉々に散ってゆく。降り注ぐガラスの雨の中を、ゼノウは前へ進んだ。
「ほら出てこい。すーぐ出てこい。さっさと始めろ饗宴だぜ。これが最期だ、覚悟をきめろーう♪」
会場に一人、オペラさながら高らかな声を響かせ歌いながら、ゼノウが周囲をじろじろと見まわした。輝く結晶の雨が、天蓋を覆う樹木から漏れる陽光と相まって「キラキラ」と美しい。幻想的なステージの中を銀片が積もりゆく光景に、観衆がしばらく息を呑んでいると、その男は、向こう側が透けて見えるクリアな肉体でもってして、ふわりと現れた。
その表情は、あくまで何も語らない。
「あんた、イイ男なのに全然愛きょうが無いんだねえ。あっち(リアル)で彼女にでもフラれたのかい。せっかくのヴァーチャルだってのに、もっと楽しみゃあいい。今あんたが立ってる足もとを見なよ、この世界の頂点の座をかけた最高の舞台だぜ? わかってんだろう。勝ちゃあそれで、金も名声も人生の安泰もぜーんぶ手に入っちまう。わくわくだろーが」
天を仰いでにんまりするゼノウに、結局、レイは無表情で無反応だった。
「んまあ、しょうがないねえ。そんなに終わらせたきゃ、いいだろう。出し惜しみはここまでだ。あたしゃもさすがに待ち疲れちまったよ、めんどくせえ」
呆れ顔をあっちの方へ、細めた目でぶつくさ言っていたゼノウは直後、地面を抉る強力な蹴り出しでもってしてレイへと迫った。そのあまりに猛速な突進スピードに、観衆の視線は追いつけず一瞬遅れをとった。そして観ることになる。それはあまりにも一方的で、むごく、しようのない猛攻だった。