48話
「奴らの目指すところは世界の矯正だ。もしくはそれが叶わぬ場合、世界を抹消し、カオスの為すがままに委ねるというもの。……これが、矮小な組織のほざく戯言であったれば良かったろうが、あの連中がこれまでに起こしてきた暴動の規模や周到さは常軌を逸している。未然に防いだが、かつて世府がサミットを主催した大陸に、よもやその全土に、ナノ型の生物兵器を放散しようとした事もある」
ときたま起こる暴動騒ぎのニュースとともに、テレビで映されるワード「反世府」。名の通り、世府に反駁する者たちが主導するテロリスト集団だ。地球外から得た究極的な科学技術と莫大な資本をもとに統一体制を敷く「世界中央政府」略して世府の創設より間もなく、反世府組織は各国へ向けて旗揚げと活動の開始を宣言。これまで世界の三大勢力の一角として、世府を相手にドンパチし続けている。
「VRの制御が我々の手から離れてしまっている時点で、もはや一刻の猶予もない。すでに反世府の上層部は『ロストメンタル』の記述に関する情報を得ている可能性が高い。ヴァーチャル・リアリティの技術はそもそも、ロストメンタルの記述に関しない限り、人類史では圧倒的に早熟なハイテクノロジーだからだ」
「なるほどな。……んで、そのハイテクな記述ってのが、他にもやべーもんを抱えているってわけか」
苦虫を奥歯でぶっ潰すような顔をして、田中くんは盛大に苦笑した。
地球圏外からもたらされた文明の情報媒体「ロストメンタル」は、世界中央政府が秘匿する先進知識の宝庫だ。その大部分は未解読とされているが、世府の管轄下に置かれる件の内情はほとんどが非公表のままで、実際どうなっているのかわからない。国家高官ならまだしも、一般ピーポーたる田中くんに詳細など知る由もない。が、その片鱗たる応用品は一般市場にもよくよく出回っている。仮想ゲーム機はまさにその恩恵を受けているし、反重力浮水ダムの建設や高速エレベーター、亜空間の摩擦による熱力発電等のエネルギーインフラなどは世界中どこでも目にするワールドスタンダードだ。
その『科学技術』の進展によって今もっとも危惧されているのは、人類が導き出した終末の兵器「核」すらをも凌ぐ「危険性」だ。悪用されればあながち先刻の『世界が滅ぶ』というワードも軽視できなくなる。それほどブッ飛んだ技術を、ロストメンタルは秘めている。冷たい汗が落ちると、田中くんはごしごしぬぐった。
「キミにもようやっと事態の深刻さが解ってきたかな。そして我々がキミにどれほどの望みを託そうとしているのかも。VRは人類の、すべての生物が望み得た新しき世界だ。その申し子として君臨する仮想世界最強の騎士に、今一度頼みたい。闇サーバへ赴き、そこでサーバセキリティのキーたる管理者権限を奪ってきてほしいのだ。もちろんタダでとは言わない」
――報酬を出そう。――いくら欲しい。――金では解決できないモノだって提供しようじゃないか。――進学は希望か。――海外に興味は。――女はどうだ。
メガネ男が提供する安い言葉の数々が、ぼんやり聞こえてくる。その高ぶった顔、口が動き続けるのを、田中くんはどこか遠くに見つめていた。なんら起伏のない「どうでもいい」といった感想を抱きながら、ひときわ重いため息をつく。
「なんなら就職だって我々が」
「もういい」
挙げた手から血の流れるのを見て意識すると、ズキズキと痛んだ。これだから現実は大嫌いだ。脆弱な体に、それを取り巻く最悪な環境から逃れたい。そう願って止まなかった子供時代から、世界は残酷だった。露骨に利害うんぬん言う大人、上面なだけで耳障りな御託を並べる教師も、遊びで子を産んだ母親も暴力的な父親も何もかもが田中くんを現実から逃げさせた。だから、根がひん曲がっちゃったのかもしれない。
「俺は誰の指図も受けない」
「なぜだ。キミは強い。我々の用意したどのニュータイプたちよりも遙かに優れている。最強ではないか。怖れるものなど何もないだろう? 我々も最大限のバックアップを約束する、キミが望むモノなら何だって好きなだけ用意しよう、何が欲しいのか言ってもらえれば――」
「いらねえって。いいか、俺はクソッたれな現実『世界』のルールなんざ知ったこっちゃねえんだ。取引するんなら余所に行ってやってくれ面倒くせえ。端から、俺はあの未熟で救いようのねえ仮想世界の住人なんだよ、ずっとそうだこれからも死ぬまで一生涯。だからリアルの規則なんざさらっさら守る気なんかねえし、てめーの願いを叶えてやるつもりも毛頭ねえ、冗談じゃない」
「ま、待ちたまえ、我々は」
「――だから!」
一切を受け付けない。拒絶する強い意を込めて言うと、田中くんはビシッと指をかざした。眼をギラリと光らせ、エンディングする台詞をブッ吐きだす。
「俺は自分でやるんだ。いいか、誰の指示も頼み事も受けるつもりはない。一切、お断りだ。けどな、あっちの世界で汚ねえのがのさばってるっつーのは、俺自身が気にくわない。だから、闇サーバへは、自分の意志で、俺自身の足で乗りこむ」
見た目は小太りでも、剣のようなその鋭い眼光は内包する最強をちらつかせていた。
「……そうか」
今一度メガネに指を押し当てると、男はもうそれ以上食い下がることはなかった。
仮想世界最強の騎士『セレイエ』の一徹した信念は、確かに『最強』だった。
で、終わると思いきや田中くんはキョロキョロあたりを見回すと、初めから気付いていたのか、隠しカメラに取られぬようボソボソッとささやいた。
「それでさっきの『女』の話に戻るけど俺の好みって美乳スレンダーで長髪なんだ。基本かわいい子がいいんだ、かわいい子が。巨乳ってのはダメだからな、さりとて貧乳もむりなんだ、わかってる? おっさんそこマジ重要だから頼むよ」
と、至ってマジ顔の田中くんに全部ぶっ壊されて、男のメガネが盛大にズレ落ちた。