47話
「闇サーバのウワサは君の耳にも届いているだろう。VRにログインしたプレイヤーを突如として誘拐する謎のステージのことだ。我々世府が血眼になっても見つからない不明なサーバがどこかに存る。その世界では、一切の変化が許されていない。出ることもできない。ただ仮想上のキャラクターであるアバターの『ゲージ』があるのみだ。ゲージ、つまりHP、ライフのことだよ」
もういっそ外せばいいのに、ずれるメガネに指を押し当てて男は言った。
「それは攻撃することによって減少し、やがて尽きればそこで初めて変化が起こる、――ステージが替わるのだ。彼らはそれを『階層を上る』と表現している。五十層を最終としてゴールへとたどり着いた者にはゲーム上最高位の武具『神器』が授けられると、ウワサは言う。だが攻撃することによって減少する、とは君、つまり意味が分かってるかい」
含みのある悠長な言い方に、三度田中くんはイラッとした。
「バトルするってことだろうよ。何が言いたいんだてめーは。俺にその闇サーバに行けってか?」
「ああ、ばっちりとソレだ、まさに大正解。なんだ、よく解っているじゃないか」
「一体何の義理があって俺があんたらの頼みなんざ聞かなきゃならねえんだ。今俺の頭ん中で昇ってるブチ切れボルテージがどこまできてっか教えてやろうか?」
ぎち、ぶち、ぎりぎり、とリミットブレイクされた脳指令により腕に強大な負荷が掛かる。拘束するヒモから、はちきれんばかりの音が立った。が、それ以上に血の量がヤバい。
「もっともな言い分だよ。鈴木くんだったかな? 彼女もビップルームでは数十人の監視員たちに見守られて、ああもちろん全員男性だが、囲まれてさぞかし怖がっているだろうな」
「……てんめえ!」
ぶちぃ! と遂にカチンときて拘束を破った田中くんは、そのままの勢いをもってメガネ野郎に殴りかかった。振り切った拳が、頬にめりこみ、メガネが宙へ舞って、やがて落ちて割れた。
「がふっ」
椅子ごと倒れた男が体勢を整えるよりも先に馬乗りし、一発、二発、三発と顔面をつぶしにかかる。拳についた血が垂れ、骨がびきびきと痛んだが、しかし男の方は笑っていた。
「はは、ははは、すごいな。これが新しい人類の能力か。しかし諸刃の剣もいいところだ。君の出した力はあまりにも反動が大きすぎる。その頼りない腕の筋肉繊維は、君が思っている以上に多大なダメージを負ってるのだ。君のパンチはハエ並に弱いぞ」
「だまれ!」
さらに振りかぶった拳を、しかし男はパシッと掴んだ。ぐいと体勢を崩されて、今度は田中くんが地に倒されてしまう。
男はすっと立ち上がると銃器を取り出し、次いでメガネを拾い上げた。レンズの破損したことに憂う顔をして、鬱陶しそうに言う。
「あーあ、やってくれた。高いのだぞ。君は直情的で凄まじい反応を示すようだが、友達は少なさそうだな」
男は銃口をまっすぐに向け、口元をぬぐう。
「私はジョーダンを言ったのだ、冗談を。さっきも言ったが乱暴などする気はさらさらない。我々の目的は君の協力なのだからな。冷静を保つことを学んだ方がイイ、今後のために」
「んなら、なんでこんな回りくでえやり方してやがんだ。人に頼みごとするのに、拉致なんて方法とるてめえらがバカなんだろうが」
「君はさっきキレただろう? 大切な人が危地であることを知ってそれはもう『焦った』。とんでもない形相で私に襲いかかってきたな? 対してだ、君の目には私が冷静そうに見えるか? 冗談をかましてるから余裕そうに映るか? ヒトをおちょくりストレスを与え、まるで暇を持て余しているとでも思うか? 違うさ。答えよう、まったく否だ。実質、私は君よりも遙かにアセっている」
「……何なんだ、さっきから」
「キミは知らんだろう。闇サーバは記憶を奪う装置なのだ。これまでにも多くの私の部下が捕縛され、そのアタマの中にある重要なデータが奴らの手に渡ってしまっている。世界の均衡が揺れるとき、君はこの世で何が起こるか想像できるか」
割れたメガネを、おもむろにつけて見るその瞳の奥は、もう笑ってなどいなかった。
「世界は滅ぶ。戯言なんかじゃあない、本当に、まるで簡単に崩れおちるのだ。地球なぞただの物質の塊だったと思うだろうな。奴らは自然が為すありのままの変化『カオス』を信仰するテロリストだ。反政府組織の名前ぐらい、君も時にはSNS上で見かけるだろう」
「反、世府……」