45話
仮想世界における大人の遊び場「ウエットピンク」から出てきたセレイエは、興ざめした気分をリセットするがため現実世界へと戻ってきた。重苦しい五感があっちの世界からしぼりだされ、やがて全感覚がリアルへと吐き出される。べっとりした汗を額に感じつつ、手でぬぐおうとして自らがリアルの現状にびっくりした。
拘束状態ではあるまいか。
仮想ゲーム機専用の透ったブルージェルベットの周囲を、ぐるぐると赤い縄が巻いている。
あっちの世界ではまさに相対的で絶対的に最強の「セレイエ」という仮面をかぶる男の正体は、現実では華の欠片もない男子高校生「田中くん」である。叩けば「ぽよーん」と鳴りそうなお腹に、特筆すべき点のない顔と背丈。ヒト賑わいの路上で見失えば探しようもない何処にでもいる超絶一般人である。その小太った体が、ベットに固定されるようぎゅーぎゅーに締め付けられていた。
今朝ぶっ込んだハンバーガーとポテトがもうすっかり消化されてしまったのか、お腹は心なしかぺっこりしている。にも関わらず出張った腹に縄が食い込んで息苦しい。普段はほぼ一人暮らしの田中くんには、悲鳴でも上げない限り外からの助けはこない。
「くそなんだコレ。どうなっちゃってんだよ」
思いきって上体を起こそうとするも縄の強度に、地味な高校生の腹筋が適うわけなかった。
しばらく悶々と格闘していたらば、しかし田中くんは気付いてしまった。汗がおちる。
居たのだ。
そいつは、じっとこっちを見ていて、ホラーのワンシーンがごとき暗いオーラで、こっちを見ていた。
「び、びっくりしたなマジで幽霊かと思った。お前か、勝手にぐるぐる巻きやがったのは」
と言うと、ホラーチックに登場した女子高校生「鈴木さん」のおでこに怒りマークが浮いた。
「なにが勝手なのよ! 勝手なのは田中くんの方でしょ! 約束忘れてゲームなんかしてたじゃない!」
ぐわっと近づいてきて、おなかをぽんぽん叩いてくる。
「うぐ、くるし、くるしいって」
「今日は文化祭の手伝いしてくれるって約束だったのに!」
「は、はあ? そんな約束してないぞ。俺は行かないって言ったんだ。今日は用事があるからって」
「毎日毎日、何が用事よ、ただのゲームじゃない! 私がそれを拒否したんだから、逆説的に手伝いに来なきゃダメっていうことになるでしょうよ!」
「いやそれお前強引すぎだちょそれ、おなかキツいって、叩くなって」
ぽんぽんぽん! ってされると息が詰まる。
「とにかく! もうこんなバカみたいに仮想ゲームばっかしてないで、ちょっとは外で動きなさないよ。健康にも悪いし、頭もおかしくなっちゃうよ? 今度ハンマーでぶっ叩こうかな。ゲーム中だったら何しても気付かれないもん」
「わ、わかったわかった。……さすがにハンマーだけはやめて」
「うし。それじゃあ、明日はちゃんと手伝いしてよね」
そこで、家のインターホンが鳴った。そしてまた勝手に玄関に行ってしまう。
「こら! 他人の家で勝手に接客すんな!」
と言っても止まらないので、もう嫌になる。絶対カギを二重式に掛け替えようと誓った、そのときだ。
「きゃあああああああ」
というクラスメイトの悲鳴が轟いた。
「は?」
次いでドタドタと数名の足音がわたり、ササっと部屋に現れたのは特殊部隊さながら武装した謎の連中だった。
「ターゲットを捕獲した、……いやまて、対象が二人いる。どっちだ」
と、武装隊員Aが報告すると、
「二人? 対象は一人のはずだが。かまわん。どっちも連れて行け」
と、返した。
「なんだお前ら!? なんで勝手に上り込んでんだよ」
と喚く田中くんの緊縛された状態を見て、隊員たちが固まってしまった。
「いや、これは違うって、そういうプレイじゃない!」
「このまま連れて行け!」
だだだっと寄ってきて隊員たちが専用ジェルベットごと持ち上げ、繋がれていたケーブルを引きちぎった。