44話
水塗れたくちびるのマークを彩ったマントをはためかせ、全能王ことハン・ゼノンが会場中程へと歩み進んできた。地につく尖った足から、ふわりと空間をゆがめる熱気が昇ってゆく。その立ち姿はまさにボスキャラクターの風格で、デカい顔のデカい「くちびる」が、本人に言えば怒るだろうか、巨大なタラコみたいだ。ぱっちり開いた両目に伸び伸びとまつげがおっ立って、直近で見つめられたらば、ただそれだけでも耐えられる気がしない。
それほどに強いオーラを、さらにブーストした覇気でハンは吠えた。
「何なんだいここは」
会場一帯をまるでサーチするように、大きな顔が動き、そして地響きのように声が轟く。
「説明してくれんだろうね!?」
ギロッと、目が光った気がした。かなりの距離があるにも関わらず、その視線は確かにこちらに向けられていた。闇サーバの階層を一度も負けることなく勝ち進んできた強者ハンは、状況の変化をしかと感じ取っていたようだ。会場入りしてからすぐに、こちらの存在に気付いていたようで、それはもう一方の登場口から現れたリーザも同じだった。双方とも視線はまっすぐこちらに向けられている。
対してエンターテイナーにでもなったつもりなのか、反政府組織の男はエイリアンの風貌をそのままに、両手を大きく広げてみせた。
「いやあ、ようこそ選ばれた戦士たちよ。私がこのゲームサーバの管理者であるソラン・リモンスキーだ。お見知り置きを。そして、こちらがゲストの観客お二方だが、名乗る必要はないだろう、なぜなら、主役は君たちだからだ。君たちは数々の猛者どもを打ち負かし、とうとう闇世界の最終ステージまでたどり着いた。実にすばらしい功績だ。拍手!」
ぱんぱん手を打ち鳴らすソランに、その場の誰もが反応をしなかった。しばらくしてボスの風格を持つ「オネエ」がまた声を地に響かせた。
「遊びに来たんじゃないんだよ。ここに来りゃ『クリティカル・アーマメント』が手に入るって聞いたんだ。それがマジなのかどうか、さっさと教えな」
「もちろん、もちろんだとも。そのために君たち強者がここへ導かれた。さあ、戦いは残すところあと一戦、ここはまさに君たちに相応しきファイナルステージだ。勝った方に、神器クリティカル・アーマメントを譲り渡そうじゃないか」
「見せな」
首を傾げるハンの仕草は、まるでヤクザの脅しみたいだ。あまりにドスが利き過ぎて、距離が離れていても背中が冷たくなる。
「まず見せな。どこにあるんだい、その神器は」
「まあ焦る必要はない。ちゃんとあるさ、ここに」
再び両手をひろげ、直後にばちいん! 歪みから波及した衝撃波の真ん中に、どす黒く変色した空間が生まれる。その中心部から一筋、光が瞬いた。にょろり、と姿の一端をみせはじめたソレは、一見して「杖」のように思えた。しかし、三度伸長して出てきたその延長上は、美しい諸刃を閃かせる刀身だった。そのまま、ずずずと黒い空間から抜き出てきた半分「杖」状の剣は、つんと地に降り立つと強力な波紋を産み落として大地を包んだ。
その神器の目に見えぬエネルギーに煽られて、誰もが息を呑んだ。破格の力、その仮想上の存在から発せられるパワーを、フツルは確かに感じ取った。現実では得ることのできないレベルの、筆舌に尽くし難い不明なエネルギーを、その剣は満々と放っていた。別段ゲームに思い入れを持たないフツルでさえ、ソレを手にし、振り回すことができたらばどれほどの無双感を味わえるだろうとにわかに期待してしまうほどに。
やがてソランが補足した。
「かつてクリティカル・アーマメントの制作に携わっていた乙柄壮一の設計した希有なる一品『オールデュラン』という神器だそうだ。ゲーム均衡性のためにデータが消去されそうになっていたところを我々が奪取した曰くつきのアイテムだがね、有効データとして未だにゲーム世界でもちゃんと登録が為されている。特賞としては申し分ない代物だと思うが、どうかね」
という質問は、もはや聞くまでもなかった。使わずとも、触らずとも、ただ眺めているだけで桁外れなパワーが伝わってくる。
そして誰もが見とれてしまっていた次の瞬間。
先ほどまで居なかったはずの大きな背中が、フツルの目の前、巨大なマントをはためかせながら現れた。
間合い詰めを一瞬のうちに終わらせるまさに高速再生を成す者ーーハン・ゼノンだ。
その極太い指先が、神器たるオールデュランの杖に触れようと伸ばされた、そのとき。
バチィ!
放電めいた音とともに、青白い閃光がフラッシュした。見れば指先から煙を上らせたハンが、太い血管を額に浮かしながら舌打ちするところだった。
「ご丁寧に防壁なんか張っちゃってさあ、まるであたしゃが盗もうとでもしているみたいじゃないか」
……。
いや、まさに盗もうとしていたのでは、というツッコミをするに代わり、ソランは至って平然と答えた。
「焦る必要はないと言ったはずだ。勝てばいいのだ、ただそれだけでいい。勝つだけで、この神器はほかの誰でもないキミだけのモノになる。そう、あと一勝するだけでいい」
光る眼の中にいくつもの渦を巻いて、ソランは笑った。