39話
一口に言えばアクマだ。二口なら宇宙的生命体と表せる。
こけた頬に細い目のラインが走る顔はほとんど変化していない。だが体は黒々しく変色し、ぬめり気を帯びた肢体は異様に長くなっていた。その末端からすっと伸びる指とツメはあまりに鋭く、握り拳など作れそうにない。
特徴的なのはシッポだ。巨大化した体に匹敵するほどの長いスティンガーが、背後でぶんぶん揺れている。その不気味なツラさえ除いてしまえば、全体はまさにエイリアンである。如何せん顔が人間であるからしてフォルムがミスマッチだが、気持ちの悪さでは定評できる。
異形から発せられるオーラ、そして己から湧く怖気にフツルは微動もできなかった。
これまで仮想で体感してきたものとはあまりにも違いすぎている。
仮想の世界で感ぜられるもののすべては脳に流れ込んでくる虚像のデータによるもの、つまり目前にある絵を数値として認識してしまえば、固く現実的な人間にはさほど恐いものとは感じられない。
だが、これは明確に違う。背中からゾッと寄りくる冷たい悪寒はあまりに生々しすぎる。相手が強そうに見えるからという単純な問題ではない。意識の底から勝手にこみ上げてくる感覚は、現実主義者には到底『仮想的』とは認められないのだ。脳へ送られてくる現実的で意図的な、誰かの思惑を孕んだ『何か』をはっきりと感じるのである。システム上に意味ある電子信号が混じり、フツルの体へ直接『恐怖』を送り込んでいるのではないかと。
そして今もっとも気にかかることはスーツ男が口にした突拍子もない情報だった。黙りこくったリョージの代わりに、思わず声を出す。
「――記憶を奪う!? 世府の実験って……、一体なんのことを」
「こんなトコまで送られて来ていながら、何も知らなかったと? ……いや、ともすれば君は民間人なのか。ますます不憫に思えてくる。が、あいにく私は立場や年齢で同一種人間を差別する気は毛頭無い。君らが機密事項の取得によって今後いかなる不利益を被ろうとも、事実現実ここまで導かれたのはカオスの為した運命なのだ。――と、自己紹介がまだじゃないか」
ずずん! と、巨大な体が見せる所作は慇懃にも深い一礼だった。片手を腹へかかえ頭を下げる。しかしシッポの方は常時ぶんぶんと振り動き、空を切る音を立て続けていた。
「反世府組織サイバー攻略部隊副隊長ソラン・リモンスキーだ。記憶を奪う装置、闇サーバことロストメンタルの実行責任を負っている。既知だろうが君らで言うところのサイバーテロリストで認識はほぼ間違いない。が、実際のところテロなどではない。封権的世界に終わりを告げる、真っ当な革命行為だ」
反世府組織。サイバーテロリスト。そして記憶を奪う装置。次々に、そして軽々と出される驚愕なる情報にもはやフツルは付いていけそうになかった。今目前にする男は絶対的第三機関『世界中央政府』に真っ向からケンカを売る反抗勢力なのだ。冷静に考えてみればバカげている。世界の中央政府とはまさに地球上で起こるすべての政治ごとを統括する最高権力。その支柱は神がかった『先進技術』であり、現にこうして仮想の世界で見るものはすべてその賜物なのだ。他にも幾つものハイテクを世府が一手に包括しており、世界経済の起爆剤と云われる次世代産業などはほぼすべて世府が牛耳っている。つまり経済的に世界を支配しているのだ。
一国家が「ノー」と言えば、世府は制裁として独占的かつ模造不可能である高域技術の供給を止めてしまうだろう。すればたちまち、世界の経済流動から外れて国の運営は立ち行かなくなる。いかな組織、国家体、個人であろうとも世府にたてつくことなど出来ないのだ。
そんな常識をぶっ壊して挑み続けるのが件の『反世府組織』である。テレビのニュースで時々たまにやっている。世府の要人が誘拐されたり、建造物や催しにテロ行為を仕掛けては世界を騒がせたりしている。もはや軽く流される事件ではあるが、どれ一つとっても簡単に為しうることではない。世府に張り合う相応の組織力とブレインがなければ、これまでに存続すら危うかったはずだ。その反抗勢力が関与してくるとなると、一介の男子高校生が触れられるレベルを大きく逸脱している。
「黙って見過ごすわけがない。世府はあなた方を放っておくはずがありません」
「だが現にこうして、我々は彼らの目をかいくぐっているではないか」
声に余裕をふくめ、ソランと名乗る反世府の男はその長い指ヅメを器用に宙へ走らせた。指先が光をほとばしらせながら描くのは映像、つまりスクリーンだった。
「前世の時代。多く、国々が各々の権利を主張しあっていた各国家体制だったころ。人間は土地言語文化種族、宗教等の違いによってヒトの住み場を分かち、貨幣と物流そしてITで繋がる経済をいかに安定させようかと苦慮し続けていた。時が経てばある程度の安寧を築くことは出来ただろうな。が、土台バラバラなのだよ人間のつくる社会などというものは。資本主義においては頭一つ抜き出でた者が勝つ。競争社会で利己に目をつぶるヤツなど易くは生きられまい。共同体、組織、国家とてそれは同じだ。世界は戦うことを、けっして止めようとはしなかった。挙句生まれたのがアノ絶対的第三機関だったわけだ。君らも小学校で習っただろう、我々の歴史上最悪の出来事をな」