37話
大きくぱっちり開いた瞳は碧にきらめき、その上を凛々しくまつ毛が伸び立っている。ブロンドの長髪はゆるやかにウェーブをしながら光沢を放ち、小さな唇の両サイドはほんのり紅いぷっくり頬。西洋の匂いを豊満に漂わしている、まさにお人形さんである。
それも途轍もなくデカイ。目測してみるに寸法は優にメートルの二桁域に達している。顔だけでフツルの身体をすっぽりと収めるのではないかというソレが、灰の丘陵に体の一部を埋めているのだ。例にならって皆目意味がわからない。
「イキナリ襲ってくるに百円」
「敵じゃないと思うよきっと。オブジェクトさ」
人差し指で宙をとっ突くリョージの前に、淡いグリーンウィンドウがポップした。表示されるのは周囲数キロ範囲に及ぶ位置情報(レーダー)だ。おそらくは自分たちを示すのだろう青い点が、中心に二つ点滅している。それ以外、他は空っからかん何も映っていない。レーダーをそのとおりに信じるならば、周辺地域にモンスターやプレイヤーといった固有識別される存在は居ないということになる。
とはいえ最低限の警戒をしつつ、リョージは人形の方へと近づいていった。
見れば見るほどよくできたフランス人形である。ロココのドレスを纏い、布下の肌は灰まみれではあるが触ってみると人間と程近い精巧なつくりになっている。目の虹彩や髪の質に宿るツヤ感は、じっと眺めていると本物にも思えてくる。ここはあくまで仮想だが。
「本当にただのオブジェクトだ。……なぜこんなところに。何のためだろう」
考え込むリョージは人形をあちこちから探り始めたが、やがて何もないことがわかるとあっさり諦めた。イキナリ動いたりしないだけハッピーだが、状況が進展しないのはやはり辛い。
仕方なさそうにまた歩み始め、そしてしばし進んだときだった。
「今度はコレか」
灰で濁っているため全体は把握できないが、それが何であるのかは簡単に予測することができた。ブランコである。柱にクサリ、ペンキの剥げた板イス。どこにでもある極々普通の遊具が、形もくっしゃりと朽ち転がっていたのだ。
「……闇サーバの製作者は実は小学生だったりしてな」
口まわりに付着した灰をごしごし拭いながら言う。
「シットするよ。そんな子いたら天災過ぎる」
やはり納得のいかない顔のリョージは、再度レーダーをチェックしながら口ごもった。周囲には何もなく、目前には色の剥げたブランコがあるだけだ。一種廃墟的な趣があって個人的には好意的な絵ずらだが、依然として意図はさっぱりわからないままである。
「進もう。フィールドはそろそろ中心地へつくよ。これでもし何も無かったら……ごめん」
「ち、ちょ縁起悪いだろ。行ってみなくちゃまだわかんないよ」
☆§§§§☆
善きことに最悪の展開はまぬがれた。
灰の世界、その中にひっそりと建つ城はあった。石造りを基調とした塀越しに、背の高い尖った塔が三つ並んでいる。グリフォン、ユニコーン、そしてドラゴン。それぞれ緑、黄、赤そして枠部に金色を装飾した大きな旗が各塔の周囲に掲げられ、ゆったりと揺れている。濁る大気の中では、中央を占める大きな建物の天頂は見えない。視線を目前に戻せば相応としたデカ門が「どどん!」と構え、こじ開けるがためにリョージは再び呪文を口にした。際して一気に熱ッ気が盛る。相も変わらずエフェクトがもたらす猛風はハンパない。
――ジイラ・ボノ・ファイア。
火炎は前方に向けられる手のひらから、ドリルのように先端を細めたウズとなって木製門を貫いた。爆裂し、焼け焦げ、塞ぐ木の大壁にくっきりと大穴を穿てば断面は黒コゲ。しゅーしゅー煙がのぼる。
その白煙の先で、古風なお城は重厚な威圧感を放ちながら姿をさらしはじめる。……ぜったいヤバイのが出てくるぞ、と危惧しながら踏み入ってみれば不思議と敷地内は灰すらも入り込めぬ凄然とした様相を呈していた。どこか神聖なテリトリーとも感じられる場所は外界から切り離されて、一切の音が死んでいた。突然音が消えてしまったコンサートライブのような、空疎な違和感が襲ってくる。……やはり、ぜったいにヤバイ。
中へと歩き始める。続く石畳の道は隅々から青草、ツタの群がる城壁は細部のあちこちが朽ち欠けていて、デザインは中世より残るヨーロッパの古城といったところだろうか。中庭を過ぎ、入り組んだ細道を少しゆくと一回り小さい扉にたどり着いた。
――向こう側で、誰かが拍手していた。