36話
熱オーラを放つ魔道書物を改めて手に取り、ふんぬ! と持ち上げる。すると表紙から零れる光が増して、わずかに周囲が赤みを帯びた。色彩を真紅とする書は触れるだけで何か知れぬパワーを得たような気になれる。実際、装備をすると精神面のステータスにボーナスがあるのだそうだ。リスクとしてとんでもない重さを背負うことにはなるが。
しゅぱーん! というキラめく効果音を付随させてページをめくってみると、見たこともないナゾ文字が全面に連なっていた。目を通せばそれら不可解な文字群が、不思議なことに順次日本語へときり変わってゆく。――おお、スラスラ読める。と思っていればぬか喜び。欠損、もしくは変換されずにナゾめいた象形文字が次々と文面に湧き出てしまう。読める言葉だけ口にしてみれば、
「……コポ、こぼて! チロス、ナコ……もるがん? い、いや全然よめない」
「読めるわけないよ。修行しなくっちゃ」
あっさり斬って言いのけ、リョージは続けた。
「火とか水とか風とか地とか、他にもたくさん。このゲームは多くの魔法属性が用意されてる。呪文の傾向や感覚にそれぞれ特徴があって、そのうち自分と相性が合うものはすぐに慣れるし、発動者のフィーリング補正も加わって威力も高くなるんだ。ほとんどの人が四元素(火、水、風、地)のいずれかに適性を持つから、そこらから修行を始める人が多いよ。運がよければ継承プレイヤーから『銀幕‐Mirror veil』とか『雷槌‐Sudden shock』のような特殊属性を継ぐこともできる。……一子相伝のシステムだから継承魔導士に逢える確立はかなり低いけれど。で、しかも、一つの魔法属性を伸ばすと他が均等に劣化するから、最終的に特化できる系統は大体二、三に限られてくるんだ。欲張るとどれも中途半端になっちゃう。まあ――、どれにしたって使い勝手は一長一短。始めるなら安定してる風系統とかいいんじゃない?」
「し、修行って……。い、いや個人的にはそーゆーの好みだけどさ。もっとこう、感情うんぬんでぶっ放せる魔法はないのか? さっきリョージが放ってたみたいなヤツ」
「強さうんぬんはフィーリングでカバーできるけど、どんな魔法にしたって唱詠は必要だよ。スペルが読めなくちゃそもそも発動できないんだ。つまりはどっかの魔法院とかギルドとかに行って、みっちりシュギョーさ」
「げー」
結局ゲームじみているではないかとゲンナリしつつ、受け取ったデカ書物をリョージに押し返した。別に魔法だの戦闘スキルなどのお遊びを目的にVRWへ来たわけではない。リョージが世府から依頼されている「調査」を手助けするためだ。するべきことは他にある。
「魔法の話はいずれじっくり聞かせてもらうこととするよ。今はまず、ここの調査が先決だろう? とっとと探ってさっさと解決してくれよ。じゃなきゃ、いつ帰れるのか知れたもんじゃナイ」
「あはは、そうだね。もしかしたら一生帰れないかも知れないしね?」
などと寒いジョークをぬかしたリョージは自分のストレージに魔法書を納めると代わりに、手乗りサイズほどの小さな本をポップさせた。
「それじゃあ手短に済ませるよ。これが継承魔法『爆燐‐Bomb dust』。ただ読むだけでいいから、目に焼きつけておいて」
本を受け取るとただ言われたとおりに、ぺらっとめくって見た。その瞬間、
――爆発。
フラッシュする炎の映像が脳裏にダイナミックに映り出した。紅蓮のゆらめきが捩れ曲がって、やがて姿を現すオニの顔。ぼうぼうと耳鳴るサウンドの奥から、そいつはひと言だけ、それも重層な響きをもってこう告げた。
《正せ。篝火の導く先へ。ゴンドラ・ゼノ・ベルムンク》
ごうごう轟く猛風音と熱波がフツルの体を完全焼却させるのに、一時の間も必要とされなかった。
急に夢から醒めるように、意識がもとの灰世界へと戻ってくる。手もとの本は消えていた。
そちらへ顔を向けると、リョージはただこっくりうなずき、笑ってみせた。
「それじゃあ行こう。僕らはこの世界の謎を暴かなくちゃいけない」
リョージの力強いひと言に、再び歩き出した。
強風に荒れる灰砂漠は行けども行けども、見通しはすこぶる悪い。風のピューウという音にノッてくる灰に撫でられて、鼻も口も粉っぽくてぱさぱさする。何度も瞬きする目にはうっすらと涙が浮かび、こそばゆかった。
途中、リョージは何度となくサーバへハッキングを仕掛けてみたが、依然として効果はなかった。もとよりリョージが受けた依頼は、世府登録外サーバの所有者及びその目的を暴くというものだ。かつて政府サーバへのハッキングを成功させた実績を持つリョージならば、と安心をしきってはいたものの、ココまで来るとさすがに焦りも出る。当人がほのめかす「一生帰れないかも」などという軽口が、なんだか冗談ごとでもないような気がしてくる。
「なんだろう」
そんな不安感も高まり始めた頃合だ。リョージがぼそっと声を出すと足を止めた。肩越しに向こうを見やってみれば、そこには確かに「なんだこりゃ」の台詞がぴったりのナゾが横たえていた。
「――プレイヤー、ではないよな」