29話
ベルジュの振りかぶる細っこい右腕、握られたカットラスがほんの一瞬だけ、フツルには別の物に見えた気がした。色や形のない、絵とは違う何かだ。凄まじい勢いで変遷するその全体象を一部フォーカスすると、小さな数字が無数の列を為して走っていることに気付く。オブジェクト、ではない。どこか知らぬ場所で、知らぬ誰かが、VR機器を介して送った信号、――今まさに刻一刻とシステムに運搬されている電子的コードだ。
アヴァターを操るために仮想世界で解される《0》と《1》の情報源は、すべて現実に存在する生命体から生成されている。ガラピオは教えてくれた。フツルにとって敵う余地もない強者ベルジュであっても、本体である彼女(もしくは彼)が《ココ》へ送ってくるものの実態は、所詮は肉体の動作指令でしかないのだと。フツルの顔面へ高速で振りかぶられる凶器も、実のところは鋭利でなく、意味付けされた数値なのだ。
脳内に無辺に広がりだす大海原のマトリックスから、フツルは仮想世界に潜む《現実のソレ》を見出し始めていた。
目を閉じると、ふいに笑ってしまう。忘れていた。
止まぬ高揚感に、裂けた口から歯がむき出しになる。自分が何を信じてこれまで生きてきたか。自覚する最大の長所を、なにが悲しくて放棄してしまおうというのか。
昂ぶる気持ちのうちに、僅かに記憶が呼び覚まされる。フツルが最悪の黒歴史とするVR被験の時だ。双子の兄であり、四人の幼馴染のうちの一人『キクル』と共に《バイオテレメトリー・バトル》に参加させられた。脳内の信号をぶつけ合い、その質や速度、連続性を試されるVRWの草分け的な実験だった。試験管で人工的に生を受けた兄「キクル」の脳みそは《現実的》に凄まじく、フツルには手も足も出なかった。
あれ以来、現実主義者は完璧を求めて止まない。
過去の因縁も含め、それがいかなる不利的状況であったとしても、負けるなぞ許せない。あってはならないのだ。必ず兄を越えてみせると、墓前で誓ったのだから。
「いまさら目の色を変えても遅いんだよ! この一撃、冥土のみやげに持参していけ!」
ベルジュの渾身のカットラスが閃き、
「ダンナアアアア―――――!」
ガラピオが超絶ムンク化した顔でさけび、
「うおおおおおおおお!」
フツルの体から黄色光のオーラが爆発したのは、ほぼ同時だった。ほとばしる強烈なエフェクトは、眩い光となって周囲の音すら消しさる。刻々と無音が過ぎると、やがて暗転する。
その中にポツリと、小さくつぼみを開く極小の光。次の瞬間には、モノクロが反転して世界が真っ白にきり変わった。壮絶な爆撃の中心地にいるかのごとく豪風が肉体をあおり、体のパーツ一つ一つが散り散りにされたかのような衝撃が走る。
バッキイィィィィィィィン!
ベルジュが勢いをそのままにユニコーンを突っ走らせた。勝利GETヤッホー的な表情は実に楽しそうに、海賊風の三角帽子を脱ぐと高らかに笑いだす。そのあまりの愉快さに、つられてツノ馬がぱこっ! ぱこっ! と蹄で地を叩きだすほどだ。
「きぃ――はッはははは! 見たかッ! 見たかッ! これぞベルジュ様の実力ううううう! 何人たりともおおおおおおお、アタイには勝てなああああああ――」
い、と言いかけたその時だ。
ぱりーん、と軽快な破損音がわたり、ヒモ解いたようにベルジュのカットラスが刃先から根元まで一息に崩れおちた。そのまま粒子となって愛刀は宙に舞い、きらり、きらり、と光をまとって華麗に降り注ぐ。儚げに散る光粒のなかで、ベルジュはその瞳を丸々とひん剥き唇を奮わせた。
「な、なな、なぬううぅぅぅぅん―――――――っ!?」
いやああ信じられなーい! という哀れな顔のエフェクトは見事にも驚愕な表情を引っ提げて、半ば目玉が飛びだしている。無理もないとは思う。ベルジュの剣は間違いなくフツルにクリティカルヒットしていたし、ユニコーンの馬力補正を鑑みれば防御など不可能だったはずだ。
なのに、フツルのHPはぴくりとも減少されていない。
「ダンヌアアア!」
ガラピオは自慢の鼻をドリル化してぐるぐる回しながら、目をキラキラ輝かせた。
「ここで祝いの一曲、十八番、星に願いをだぜ!」
「やめろ鼻!」
BGMが流れるより先にながっ鼻を握ってスン止めし、代わりに「ぴき」と鳴った手元の剣をみた。切っ先に小さく走ったヒビが瞬く間に刀身全体へとわたり、最期はベルジュのカットラス同様こなごなになってしまう。なるほど理由は明快、生じたダメージのすべてをこの剣が受け止めてくれたのだ。良くやった、と内心おもう。
勝利を目前に逃してしまい、ベルジュはみるみる顔を紅潮させた。ぷうぷう頭頂部から蒸気を吹きあげ、可愛らしい顔に血管をぶち上げてヤバイことになっている。
「貴様あ! 素人がイキナリ高速ってんじゃねえぞコラ!」
それが素なのか、キャラ的に崩壊したベルジュにつられてツノ馬がひひーんと嘶く。
「ねえちゃん、そりゃ違いまっせ。ダンナは高速再生を超えてやがった。ありゃ多重再生だ」
「とぅあ、多重再生――だとおおッ!!? ふ、ふふふざけんな! あんなのは突然変異野朗の反クソ技だろーが!?」