28話
バッと立ち上がり、またすぐに走り始める。距離を取るのに相手の動きを見つつ、フツルは一番効率のよいコースを描いた。すべきことは戦って勝つことでなく、時間稼ぎなのだ。(完璧主義者としては煮えくり返る思いだが)逃げるに徹して、後のことはリョージに任せるしかない。そもそも、こんなバカらしく不公平な勝負に、いちいち気など張っていられない。
「おいリョージまだか!?」
「もうちょっと。あと三十分ぐらい」
いやいやいやバカ長すぎる。視界左上のHPゲージを見れば、残りはわずか十五パーセントほどしかない。このペースでベルジュの攻撃を受け続ければ、三十分どころか三分だって危うい。MPゲージもほぼ全体が真っ黒に失せて、端にわずかな緑を残すのみだ。
「くうっそ、ほんとにヤバイぞ」
「おおヤバイ! そうさヤバイ! だから提案してんですぜダンナ! アンタならできる!」
「できないよ! 大体そんな紛い論理信じられるか! 僕は仮想へきて間もないんだ。あれこれ上級者向けのスキルを説明されても意味なんてわかんないんだよ」
「頭で理解しよう、たってそら、ダメなもんはダメですぜ。こーゆーもんは感覚やらセンスやらで覚えちまうもんなんでさ。その点ダンナの評価は☆一個! 望みは小さいが光ってやがる!」
高らかにのたまうガラピオの説明が根から解らない、ということはなかった。ただ、頭で納得できても《ソレ》を実行するには相当な訓練が必要と思えたのだ。
――高速再生。
それが仮想世界でもっとも重要な『裏技』であることを、キノピオ的生物は訴え続けた。言いたいことは解らなくもないのだ。現実での肉体に物理的な縛りがあるのに対し、仮想での等身――アヴァターは《システム》制御によって形作られた『絵』でしかない。
例えて言えば『運動会で走る少年』は現実の存在だが、その少年を録画して保存した動画は単なるデジタル上の『絵』となる。本来ならば特訓でもしない限り少年の走る速度は変えられないが、記録した映像の再生を早送りにするだけで、好きなだけ超人化した少年の姿を画像上で見ることはできる。――これが仮想でも同じだと言うのだ。
「つまり、早送りボタンを押すように走れってことなんだろう?」
「違いますぜダンナ、この世界にそんな都合の良いもんは存在しねえ。そんなんじゃないんですぜ。考えるべきなのは――」
システムや物理的なエネルギーから得られる速度ではなく、現実の肉体から発せられる信号と、それを元に映しだされる『絵』との間に介在する回路だ。
「ダンナ、アンタは自分で願って体を動かしてる。当然だ、システムがアンタの発する指令をキャッチしてこの世界に映し出しているんだからな。つまりアンタは自分の移し鏡を好きなように動かせるんですぜ。だから仮想肉体の右手は、現実にいるダンナの肉体、もっと言えば《脳みそ》が《動け》と発した信号によってこの世界に顕現しているってわけだ。そこで重要なのはだ、ダンナ、アンタの発する信号があんまりにチンケだってことなんだ」
ガラピオがその長い鼻の切っ先を天にむけた。
「アンタはもっと願うべきだ。単に『右手でパンチ』なんて安っぽいコマンドで終わらせるんじゃあない。同時的にもう一度だけ『右手でパンチ』を欲すりゃあいい。うんや、そんなもんで満足してもらっちゃあいけねえ、さらにだ。一度に幾十ものアクションを願うんですぜ。頑固に挑みきれりゃあ、ダンナの発した願いはきっと☆に届く! 高速再生としてこの世界に顕現せしめられる! ヒーッヒッヒッヒ! 快感を覚えちまいますぜ! きっともう二度と現実には戻れねえようになっちまう」
何故か『星に願いを』のメロディを、オルゴールverで鼻の先から流しだすガラピオ。その恍惚とした表情がちょっと不気味なので視線から外し、フツルは教わった裏技について真剣に考え始めた。
仮に出来たとして、果たしてベテランのプレイヤーに通用するのだろうか。望みのうすい技に慌てふためくより、残りわずかなHPを守るのに全神経を集中するべきなのではないだろうか。どうせ勝利そのものは望めないのだから、今できる範囲のことに全力を尽くす。それが最善なのではないか? どうせ、勝てないのだから。
――ああ。イライラする。
迷える時間も許してはくれず、女海賊ベルジュは駆るツノ馬の進む方角を華麗に切り返し、こちらへ疾走してきた。猪突猛進の勢いは相変わらずパなく、アヴァターとその幻獣の周囲が霞んでみえるほどの速度でフツルの取ったマージンを突き破ってくる。
「そろそろ限界じゃないのかいボウヤ! 今から請えば可愛がってあげてもイイんだよ?」
「……高速再生」
立ち止まり、ファイティングポーズを構える。一度空に思い切り拳をつきこむと、ギラリというオノマトペがよく似合った覚悟の眼差しでベルジュを睨む。
「ほお、ヤル気満々じゃないか。いいさ、お望みどおりアタイがその自信ごとアンタの体をぶっ叩き斬ってやるよ!」
「簡単にやれるつもりはないネ、来い!」
しかし今のままでは脳内に描くイメージ速度が遅すぎるし、全体の動きもまとまっていない。大事なのは脳の発する信号、それと受けとった回路が導き出す仮想上での結果だ。現実の肉体が発する電子信号を単なる『攻撃』としてシステムに送っていたのでは勝てない。より膨大な情報量に『脚色』する必要がある。単一アクションではなく、アクション+αへと。