26話
仕事終わりのサラリーマンよろしく完全脱力モード、フツルは体を横にして鼻をほじりだす。作り込まれた仮想世界の肉体はさすが、鼻の穴さえ感覚は繊細だ。このもじょもじょする感じは果たして毛なのだろうか。だとすると、量や長さに個人差とかあるのだろうか。引っこ抜いたらビジュアル的にはどうなのだろう。やっぱり痛いのかな。などとクダラナイことを考えていると、リョージが呆れ顔で続けた。
「ちょっと、話の途中でくつろがないでよ」
「……なんで?」
あくびを一つ「ふわあ」と、目じりに雫を浮かべながらフツルは聞き返した。もう大役を果たし終えた演者の気分さながらだ。どうせ自分の意志では帰ることもできないのだから、くつろいだって構いやしないだろう。
目をこすりながら、片方の目だけでリョージを見る。
「これからハッキングにとりかかるんだろう? だったら僕なんかと話してないで、さっさと作業に就きたまえ。その間、僕はここでしっかりと寝てるから」
言い切るとごろり、背を向けて、あっちを向く。わざわざ現実の身体を寝かしつけてまで来ているというのに、こっちでも『寝る』とか意味わかんないっすね、とか思いつつ目をつむった。――の、だが、次いでリョージが掛けてきた言葉に事情が一変した。
「寝てる場合じゃないよ、勝ち抜き戦なんだ」
突如として耳の中に闖入してきたワード「カチヌキセンナンダ」が脳内で幾度かリピートされるが、理解に及ばず、むしろ嫌な予感だけがびんびんと伝わってきた。
起きる動作は高速再生に、フツルの体がシュバッと直立する。
「――はッ!? いや、だって、これからハッキングしてサーバを乗っ取るんだろう? ゲームの話なんかしてる場合じゃないでしょ何ふざけたこと言ってんの」
「ふざけてないし」
呆れ顔を通り越して、もはやホラーチックな表情でリョージが続けた。
「ゲームの話じゃないよ、さっき言ったでしょう? このサーバでのウワサ話。掲示板内での供述内容が共通しているって、それが《勝ちぬき戦》なんだ。この闇サーバはバトル専用、つまり《プレイヤーVSプレイヤー》をする舞台なんだよ。言い換えてPⅴP!」
「いやいや、だってウワサだろ? そんな、確証もない話をいちいち鵜呑みするなんて良くな―――――ちょ、えええええええええええええええええええええっ!!?」
否定しようと口を開きしなに、見てしまった。こちらからはリョージを背景に、向こう側、円形の空間その端に青白い光の柱が『クア――ン』と立ちのぼる。引き続き、効果音「ブオオン」とご一緒して輝きの中心から、なにやら人影――のようなものが、気のせいか、怖気のせいか、何なのか、見えてしまった。いや、いやいやいや。
「まてまてまて、僕にどうしろと!?」
「時間稼ぎでいい。ボクがサーバをハッキングしている間、なんとか穏便に往なしてくれればいいから。ホラ、ボク引きこもりが結構長かったろう? しゃべるの得意じゃないし、そういうのってやっぱりフツルのほうが適任だと思うんだ」
「十分ふざけてるぞソレお前十分にぃ!」
顔をムンク化させたフツルが、目じりに涙をちょちょ切らせる。――何故か、フツルは本能的に悟っていた。この仮想世界、しかもその中でさらに特質なこの場所《闇サーバ》は、自分にとってかなり危険な場所であることを。こちらから自主的に戦わなければ、どうしたって《命のキケン》に晒されてしまうことを。話し合いで往なせるような、紳士的な人間などいないだろうことを。
フツルがガクブルしているのを尻目に、リョージは宙に青白いスクエアウィンドウをポップさせ、なにやら打ち込み始めた。その北斗神拳さながらの速度たるや、一瞬で何百枚にも及ぶだろうページ量を躍らせ、最後にはそれら膨大な情報たちを一まとめにファイルへと仕立て上げる。
一枚のカード状になったそのファイル・オブジェクトを、リョージはアヴァターの小さな指先でぴんと弾き、こちらへ投げ寄こしてきた。
「大丈夫さフツル。君のお得意なマニュアル・マスターなら、きっとどんな状況にも対応できる。しかもソレは単なるマニュアル本じゃない。ボクが造った仮想世界での特別な処世術、いわば裏技の書だよ。非売品だからね」
くるくる宙を回って飛んできたカードが、フツルのおでこにヒットして凛々と輝きだす。(ムンク化した顔のまま)つまみ上げると、視界の隅にアイテムを《取得》したことを告げるGETマークが表示された。続いてポップした《YES》or《NO》から、説明書きも見ず前者に触れる。すると、効果音とともに満を持して《変なの》が現れた。