24話
闇にも匂いがあることを、フツルは仮想へきて疑似的に悟った。ぴたりと頬に触れる《黒いオーラ》は、何者でもない無の存在である。コイツは怖れる生き物に対し、わずかにも容赦することを知らない。楽しそうに引きずり込み、深遠、常闇、絶無へと誘う。そのくせ客をもてなすこともなくホッポリ放し、此方からは足掻いても絶縁拒否されるのだから手に負えっこない。
気まぐれな闇が、不意に声を掛けてきたのは――。目が覚めたのはほんの数分前のことだった。まず五感の一つ一つが不順ランダムで蘇生消失を繰り返し、そのうちに胸中を吐き気が覆って「オエッ」と目覚めたのである。
闇黒の天蓋に覆われたプラネタリウム、もしくは《闘技場》なる空間が浮かび上がる。大宇宙に漂う孤島のようなこの場所は、まさしく非現実を顕現する仮想ならではの世界だ。その空間の中心に、フツルは膝を抱えてぽつりと座っている。
「くうっそ、まだビリビリするぞ。後遺症とか残ったらどうすんだッつーの」
わずかに残る頭部の痛みに、ちょっとキレめで言ってみる。けれども聞き手方の反応が「……うん、そうだね」だけなのだから、あまりにもツンすぎてイラッとくる。
つい先ほどのことだ。フツルは幼なじみである「三酉 良治」の家へ出向き、そこで凶暴なメイドさんに襲われた。その窮地を強行突破した暁には遂に拒絶され続けていたリョージとの邂逅を果たしたのである。ともすれば感動の再開、となる予定を組んでいたフツルは驚天動地、裏切られる羽目にあう。
赴いたリョージの部屋で見たものは、かつての『幼なじみ』とは隔絶を果たした少年の姿だった。天才ハッカーとして世に名を轟かせた彼は幾つものケーブルに体を預け、脳髄から直接プログラミングを為すという異質な世界に踏み入っていた。
変貌を遂げた彼の背後には最高権力「世界中央政府」が構えている。
件の始まりは、世府の営むサーバにリョージがクラッキングを仕掛けたことから発した。禁断の園へ手を出した彼は身元を暴かれてしまい、その後、ハッカーとしての腕を買われ世府からスカウトされたのだ。その際に親睦のある関係者との交際を一切絶ちきり、頑なに自室にこもるようになった。それが三年前の話だ。
そして時は今。再会の契機となったのはフツルのVRW(仮想現実世界)ゲーム機利用の解禁だった。頑なに拒否していた仮想の世界へ、周囲に煽られる形で参戦することになったフツルは、しかし緊急事態に巻き込まれてしまう。
そう。確かに何か、得たいの知れぬ《問題》がそこで起こったのだ。不思議なことにフツルは仮想での記憶が曖昧で、実際に何が起こったのかを憶えていない。理解しているのは、際してユイミがリョージに連絡を取ってくれ、そして窮地から救われ、引きこもっていたリョージとの再開を果たし、最後はメイドにぶちのめされちゃった、という事の顛末だけなのである。
ともあれ、その《仮想》での件が今の状況に関与していることは間違いない。
「おいこら超はっかー。ちゃんと解るように説明してくれるんだろうな」
ほの暗いプラネタリウム、もしくは《闘技場》。直径が百メートルほどの円形空間の端っこで、先ほどからリョージは辺りを検分し続けていた。こちらから声をかけても上の空で、「まさか本当に……」とか「ありえない……」とか「なぜ……」とか独り言をのたまっている。こっちには目も留めてくれないのだから、あまりにもツンすぎてムッとする。
「ほッ!」
背筋のみで飛び立ち上がり、ファンタジーよろしく中世な服装をなびかせる。腰巻の剣はどうせショボイ初期装備なのだろうが、好奇心にまかせて引きぬく。現実と見紛いそうなほど忠実再現された刃は、切っ先がキラリと鋭利に輝いていた。その刀身に映るのは、仮想の世界で構築された自分の等身――アヴァターだ。しかしてルックスは現実とはかけ離れている。「誰だ君は」と自顔にツッコミを入れたくなる感覚はかなり斬新でおもしろい。
「意外と軽いんだな」
刀を振り回した経験など一度もないはずだが、どこか違和を覚えた。もっと《重い》気がしたのだ。さほどの「初めて感」がない。ここは薄暗がりに肌寒い、現実には存在しない仮想なる世界のはず。なのに、何故か来たことがあるようなデジャブ感が拭えなかった。思い出そうにも鮮明とならず、ただもやっとするだけ。取っ掛かりがあるのは、銀色の川がたおやかに流れゆく、その《キラキラ》とした輝き……。