2話
一通りのチェックが済むと、一体どんな処理を施しているのか、ほったらかしにされた。無視覚で無聴覚、その他すべての感覚を完全に塞がれた常闇の真っ只中に取り残される。
ただでさえヴァーチャルゲーム初参戦のフツルなのに、不安を助長するばかりの見事な放置プレイだった。
(……本当に大丈夫なんだろうか?)
背中に嫌な悪寒を感じ、声でも出してみようかなと思ったときだ。
突然、水の中に落とされた。
水面を叩くざぶんっ! とした音と共に、背面を叩かれて勢いよく着水する。体表面を冷たい液体の感触に見舞われ、反射的に全身が力んだ。当たり前のように、水をかくような動作をするのだが、
――――スカスカッ!
水の中にいる感覚は確かにあるのに、触れようとするものはまるで空気のような、斬新なシチュに落とし込まれてしまった。初心者にはこれが生命に危機をもたらす重大なエラーなのか、それとも仮想の入り口としては当たり前のデフォなのか、まるで判別のしにくい極めてアンビリボー! な展開だ。
「ぶべぇ(ええ)!? ぶあんっぇ(なんで)??」
いや、いやいや。
これは想像していたよりもはるかに厳しい世界のようだ。
ちょっと、本当にいくらなんでも苦しすぎる。
ユイミから事前に、仮想の中での痛みは「かゆみ」程度のものだと聞いてきた。施行された当初は多くの試験者やゲームのベータテスターなどからデータを蓄積させ、肌の感覚の強度を誰もが不快なく楽しめるように平均化して調整させたそうなのだ。
水の中というシチュエーションが仮想ではどんな位置付けとなっているのか知りもしないが、早く次の展開がこなければヤバイのではないだろうか。
フツルがいかに肉体的に有能であっても、酸素ボンベなしで水中に野放しにされたら五分ともたない。そもそも脳内の世界で、現実の肉体的要素が加味されているとは考えにくいのだが。
(こ、呼吸、酸素がやばい! ……いや待て待て、落ち着け、あくまで仮想! ここは仮想だ! 酸素はタップリある、理性を失うな!)
しかし本当に苦しい。体外のモノを吸い込むと、口腔がごぼごぼと言うだけで肺がまったく満たされない。
もはや拷問のような状況に、フツルはこれを【エラー】だと認識した。
といっても対処法がさっぱり分からない。
ボタンか、ボタンがどこかにあるのか?
身をよじって後ろを向いても、顔をひねって横を向いても、目につくものは何もない。大口ひらいて声を出すもまったく無意味、全て水泡となって吸い込まれてしまう。どこかに何かないかと必死にあたりを探ってはみるものの、左右に上下、どっちがどっちなのか方向の感覚すらも絶無である世界は、ただ遠く青い光に包まれているだけで何もなかった。魚類が見受けられないことが疑問に思えるほど、途方もなくキレイな海の中だった。
そのうち頭がぼーっとして視界も薄くなり、のたうつ体から徐々に力みが失われた。五感もない、意識すら海溝のそこに沈み込むように、フツルは奈落の底へと落ちていった。
☆☆☆
身を刺すような冷気を感じ、次に目が覚めたときにはフツルの体は地面の上にあった。
「……ううっ」
よどみの混じった白い悪寒に、ぶるぶると全身が震える。
肌に感じる重力をたどりつつ、ゆっくりと体を起こした。手に触れた床がツルツルとした黒光りするタイル。触れる手のうちが痛みと紛うほどに冷たい。
「どこだここ。……まさか、あの世?」
そんなわけないだろう、と自らの思考に冷静なツッコミを入れる。
状況を把握しようと周囲に目を向けると、地は円形に、淵から先は暗闇の閉塞的空間で、どこかプラネタリウムのような場所だった。【闘技場】とも似通る。
まどろみかけの思考を冷ますため、ふるふると頭を振ったとき。
視界の隅、フツルからは反対側となる闘技場の端に、小柄な少女の姿を目にした。いかにもファンタジー系RPGに使われていそうな武具を身にまとい、白銀の長髪、色のついた瞳は金色で、はたはたと揺れる服の裾からは格好良くデフォ化された【剣】が携えられていた。
姿を見るや、やっとまともなゲームの世界へ着いたのかと、フツルは思わず歓喜した。ともすれば泣きだしそうなほど胸中が昂ぶってくる。
「あ、あの! 今日初めてゲームに参加し……って、え?」
少女はゆるりと体位を移し変える。
腰巻に下げられた鞘から剣を抜き去り、ぎん、と金擦り音が響く。全力の疾走でこちらへと向かってくる一種華麗なる様は、どう凝らしても話し合うという所作には思えない。むしろヤル気に満ちた臨戦の態勢である。
「いや、ちょっと待て! 来たばかりでまだ何がなんだか、ってうおおおおお!」
――ヴンッ! シュヒン!
二連撃で振り払われた刃が、かろうじて避けたフツルの眼前と横腹をかすめた。当たればただでは済まされないだろうその行為を、しかし彼女はそこで終わりにするつもりはないらしかった。くるり、と華麗に一回転を為すと、そのまま次なる連撃に向けて予備動作に入る。
フツルの思考はいよいよサッパリ覚めた。




