表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/55

18話

 

 広大な敷地に築かれた建物とあって、家の中は相応にだだっ広い。玄関から六つの扉とゆるく楕円をえがいて昇る階段が二つ。伸びやかな段々を登ってゆけば、懐かしきあの音が聞こえてくる。異国情緒あふれる洋風のロビーには、天上から吊り下げられた巨大な古時計が音を立てているのだ。その短針が九十度を回るたびに「ゴーン、ゴーン」と屋内外を重厚な鐘の音で包みこんでくれる。昔はそれを合図におやつを食べたり、帰宅したりしたものだった。

 窓辺、テーブルクロス、食器棚やカーテンでさえ重厚感がある。目を配れば多様な民芸品、調度品が豊富な数を並べられており、廊下にはホコリ一つ見受けられない絨毯が敷かれ、その上を等間隔に金細工の照明が輝いている。

 居並ぶ「雷カエルや翼ブタ」の彫刻を、単なるおもちゃだと思いこんで遊んでいた頃は良かった。しかしそれが庶民の想像をぶっ飛びこえる超高級品だと知ってしまった今は、恐れ多くて触れるのもはばかる。

 ふるまいに自然と気を使いたくなる空気の家柄だが、今はなりふりも構わず全速力で突っ走る。行き慣れたかの部屋へ一心不乱に向かいながら、考えることはリョージのことばかりだ。

 アイツが自分からアクションを起こしてくれた。そう思うだけで、胸の高鳴りが加速して全身に期待がみなぎってくる。これまで辛かったのは、彼に反応がないことだった。

 いかに恨まれていようと、今は全てを受け入れる覚悟がある。殴られたって構いやしない、本人から直接想いをぶつけてもらえるのであれば、それで本望だ。

 もう一度会いたい。会ってちゃんと謝りたい。ただそう思う。気持ちはみるみる急いてゆくが、しかして周囲への警戒は怠らないよう心がけた。フツルはいわば三酉家の宿敵とも呼べる存在だ。ここはまさに彼らの本拠地であり、従者の誰かしらに遭遇するのは必至なのだ。一度や二度の戦闘は覚悟しておかねばならない。と、思っていたのだが、反して屋敷の中は異様なほど静まり返っていた。

 罠かもしれない。廊下のすみっこや、物陰から襲われやしないかと慎重に進むが、甲斐なく何も起こらなかった。気のせいか、追っ手の気配も感じられなくなっている。

 やがて見えたその部屋を前に、トクン、と心臓が一撥ねした。

 閉ざされたこの扉の向こう側に、かつての親友、――リョージがいるのだ。


 《『――それじゃあさ、じゃんけんで決めようよ!』》


 目をつむれば、暗闇の底から今でもあの頃のことが鮮明に浮かび上がってくる。際して胸を潰されるような痛みに襲われ、思わずくちびるに歯を立てた。

 現実主義者の上っ面は、しょせんは道化に過ぎない。

 巡る回想に子供時代の笑顔がいくつも映る。しかしてそれはもう戻ることのできない過去だ。

 四人で過ごした日々の映像が、徐々に壊れゆく古時計の音と同調して、

「ゴーン、ゴーン」

 重い音を鳴らしながら崩壊をはじめた。そのまま、最後はゆっくりと消えてしまう。

 まぶたを開ければ、眼前にあるのは一枚の扉だけだ。

「僕の現実は、今ここにある」

 この部屋に、フツルが清算しなければならない過去が眠っている。震える手を見つめると、再度大きく息を吸い、そして勢いよく吹きながら拳を握り締めた。

 ドアノブの金属質に手を触れ、熱を奪われながら回転させる。カギのかかっていないことを確認すると、ゆっくりと押し開けた。

 軋む音をつれて開かれた世界に光が射しこんでゆく。まず隆起する床が目に入り、次いで見たこともない異物が現れ、それらが光源に導かれてゆっくり正体を晒してゆく。浮かびあがった幾つもの《何か》が、足下を覆うように広がりだす。

 ゾクゾクと湧きだす緊張感から、意識もせずゴクリと生唾を呑み下した。


 ――なんだ、これは。


 ギイイ、とやがて開ききれた扉が静止し、フラッシュバックを誘発する《ソイツ》の姿が、脳内を焼き付けるように瞳に映りこんできた。記憶に残るかつての遊び部屋は、そこにはもう存在などしていなかった。子供の生活空間とは隔絶を果たした部屋の中には、オモチャの代わりに黒い無数のケーブル、鉄管がヘビの群れのように「うじゃうじゃ」と徘徊している。

 部屋の奥部には高々と伸びる円筒状の機器がそびえ、そこで発色する点、点、点……が、夜光虫の大群のように不規則に明減を繰り返している。

 周囲にぼんやりと浮かぶ巨大な青プレートは、全体が膨大な数のディスプレイによって形づくられたものだ。その数は、目で追うのにも躊躇われる。漏れだした青い光は部屋の中の色合いを薄暗いブルーブラックに固定し、部屋を浮世から完全に引っぺがしている。ただ眺めているだけなのに、こちらまでもが別次元へと導かれてしまうかのようだった。

 ディスプレイに映し出される映像はどれも、現実主義者には到底認識の叶わない謎のプログラムコードばかり。かつて世間を騒がせたハッカーの一大ニュースを、彷彿とさせる見事な光景だ。解せぬ無機質な機器、器具で溢れた異様なる世界の内容物は、今この瞬間にも刻々と文字数を増やし、まるでこの時が革命の只中であるように急速に変化してゆく。

 ……これが現実だとは、認めたくない。お前は一体、誰なんだ。

 なによりも受け入れられなかったのは、部屋の中心に居構える《ソイツ》の存在だった。数年は切られていないと思しき長髪が微動もせずに真っ直ぐに垂れ、その下に、未だ子供っぽさを残す童顔が音も立てずに眠っている。まぶたには、これまた長いまつ毛が美しく弧を描いて伸び立ち、肌は女子としてもなんら違和感のない抜群の白さだった。

 細っこく、昔と変わらず華奢でいたその体は、巨大なる機器から伸びた幾数百ものケーブルによって、空間の中央に吊られていた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ