17話
血走った目でカチャカチャと右手拳のメリケンを調整しだすマチノさん。どこからどうみてもただの《メリケン》だが、気になるのはむしろそのネーミングセンスだ。別になんでも構わないが。
マチノさんがせっせと準備に勤しんでいる間に、どうにかこの場を脱する方法はないかと考える。いつもの知識知恵スキルをフルに発動させ、周囲情報を吸い込んでは頭の中でミキサーにかける。シャーベット状に導き出される数多の答えのうち、最も効果の望めるものを選択してゆく。ひょこひょこ出てきて邪魔なのは、さきほど計らずとも見てしまったマチノさんの青パンツだ。
顔をぶんぶん振って、邪念は捨て去る。
荒業だが、彼女しか向かってこないのを逆手に人質にとってしまうか――いや、彼女は強い。密着して動きを封じるにはあまりに腕が立ちすぎており、むしろ急所を狙われて一撃ノックダウンを食らう絵が容易に想像できる。特に下半身を狙われるのがとてもコワい。
思わず下の方を抑えたくなる衝動を捨て、ちらと周りの黒スーツたちに目を移す。
キケンな賭けとなるかもしれないが、こちらから仕掛けることはできまいか。あの構えられた銃口の先はフツルを捉えて放そうとはしないだろう。しかし、彼らが三酉家に仕える忠実な従者であるならば勝算はまだ多いにありうる。
よし、と心構えを決めると、リョージが居るのであろう屋敷の方へ一度だけ目を向けた。
「マチノさん、僕も同じだよ。リョージには元気であってほしい。アイツが僕らのもとに帰ってきてくれることをずうっと待ってる」
「何をいまさら! そんなこと言える資格、あなたにはありませんよ沈黙しなさい!」
「なら、証明してやる! 所詮はメイド、親友の二の次じゃないか!」
その挑発的フレーズを耳に入れた途端、マチノさんはメキメキとこめかみに青筋を立て、鬼の形相で突っ走ってきた。
「では食らうがいいです! 愛情タップリメイドパンチ、その重量感はあなたなんかの比じゃないんです!」
その驚異的なスピードを確認してから、フツルも次なる動作へあらん限りの全力を搾る。ほぼ同時的に疾走アクションを起こした二人に、動揺したのはサークルを形成するSP男たちだった。
見事なスタートダッシュを切ったマチノさんにも舌を巻くが、百メートル十一秒を切るフツルの快足ダッシュにも寸刻の間、SP男たちがフリーズする。
フツルが逃げようとすれば、彼らは「威嚇射撃」することを命じられている。つまり、当てずに撃ち、びびらせることをだ。もしここで、はじめから「当てる」「殺傷する」等を目的としていたのであれば、彼らが要する逡巡はわずかに収まっていたのだろう。だが「止まる気がない」フツルの全速力に対し、あくまで「威嚇」をする目的で銃器を扱うのは難しい。いかに訓練された者であっても「当たってしまう」危険性をけっして拭えないからだ。忠実に命令を守ろうとする従者であれば尚のこと、そんなリスクは犯せない。
きっと、体で止めにくる。
それを悟っていたフツルはぎゅん! 一番小柄なスーツ男の懐に入りこみ、現実主義者のメンタリティをもってして一撃に神経を注ぎこんだ。アドレナの大量放出に異様なほど感覚が研ぎ澄まされる。昇り詰めた心拍数のビートは耳元にまで響きわたっていた。
SPたちに一瞬の動揺を誘ったところで、駆け出した慣性へ身をのせてみぞおちに渾身の肘鉄タックルを食らわす。さすがは鍛えられているのか、その腹筋は壁のように堅かった。だが反動によって十分に硬化はもたらされており そのスキを突き、キケンを承知でフツルは《銃》を奪い取った。
もう興奮で鼻血がふき出ていたかもわからない。
その黒い堅物を手に取った瞬間、周囲に凍るような空気が下りる。周りの困惑なる気配を感じとっていたフツルは、これ見よがしに形成を崩しにかかった。
身を崩したスーツ男の肩の上で宙返りをし、その体勢から銃器を持った片腕を思いきりのばす。
ゾッと冷たいオーラが場を支配し、それをぶち抜くように腹の底から渾身の大声を張り上げる。
「しゃがめえええええええ!」
――パアン! パアン! パアン!
素人の扱う銃器類ほど危険なものはない。流れ弾に当たって死ンじゃいました、なんて最悪なる人生の終幕に見舞われるのは誰だってゴメンだろう。
当然のごとくマチノさんもSP男たちも全員が地に身を伏せ、その稼いだスキを最大限に利用して、フツルは自身の足に急速発進を命じた。競技バリに最高のフォームで猛然とダッシュし、メイド&スーツ男たちからありったけのマージンを取る。目指すのは屋敷の玄関だ。
「何をしているんですっ! 足の一本や十本ぐらいぶち抜いたって構いません! 追いかけるのです!」
後方でマチノさんがなにやらヤバイことを叫んでいるが、やや気にしつつも思考からほっぽり出す。巨大な屋敷の入り口である大きな扉に半ばぶつかるようにしてたどり着くと、金製の豪勢なノブに掴みかかり、一息にひねり開けた。
「リョージ! いるんだろう!」
飛びこむしなに叫んだが、応えはなかった。こちらも返事を待っている余裕はなく、急いで扉にカギを掛ける。メイドなのだから「キー」ぐらい幾らでも持ち合わせているのだろうが、多少の時間稼ぎにはなるはずだ。あの激昂状態なら、もしかすれば蹴破るかもわからないが。
息を切らしつつも、左右一対となって広がるエントランスの階段をかけ上る。