33:いってきます
次の朝、宿屋の食卓には、いつも通りの朝食が並んでいたが、三人の間にはどこか張り詰めた、静かな空気が流れていた。ミーナは黙ってパンをかじり、リラは紅茶のカップをじっと見つめている。
沈黙を破ったのは、僕だった。
「明日の朝、ここをたつことにしたよ」
その声は穏やかだったが、昨日までの迷いは消え、鋼のような決意が宿っていた。
ミーナは顔を上げ、目に涙を溜めながらも、何も言わずにこくりと頷く。
リラは「……そう。分かったわ」とだけ短く応えた。
二人とも、もう僕を止めることはできないと、そして、この旅が僕にとってどれほど重要かを理解してくれていた。
その日は、旅立ちまでの最後の一日になった。僕たちは言葉少なに、しかし心を込めて支度を始めた。それは、悲しい作業ではなく、僕の未来を想う、温かい時間だった。
「カイ、これを持っていって」
リラは自分の工房から戻ってくると、僕に一つの石を差し出した。それは、僕が以前手に入れた『調律石』だったが、表面にはリラの手によって精密な紋様が刻まれ、中央には小さな魔石が埋め込まれている。
「改良しておいたわ。あなたの精神が乱れた時、前よりも強く、安定した『声』を返してくれるはずよ。言わば、あなた専用の『錨』。これがあれば、どんな奔流の中でも自分を見失わずに済むはず」
「……ありがとう、リラ」
受け取った石は、彼女の想いが宿っているかのように温かかった。
「カイ兄ちゃん、これ!」
ミーナは大きな布袋を僕に手渡した。目に涙を溜めながらも、気丈に笑おうとしているのが痛いほど伝わってくる。
「お父さんと一緒に作った、日持ちするパンと干し肉がいっぱい入ってるから! これで、お腹が空いて動けなくなることはないからね!」
そして、彼女は自分の髪を結んでいたリボンを解くと、それをコダマの小さな手首に優しく結びつけた。「コダマちゃん、カイ兄ちゃんのこと、お願いね」
コダマは、手首に巻かれた赤いリボンを、不思議そうにじっと見つめていた。
二人の温もりを荷物にまとめながら、僕は故郷を飛び出した日のことを思い出していた。あの時は、恐怖と絶望だけを背負った、孤独な逃亡だった。だが、今は違う。二人の温かい気持ちも一緒持って行く。
(……こんな旅立ちもあるんだな……。僕は、逃げるために旅立つんじゃない。この温かい場所に、もう一度胸を張って『ただいま』って言うために、行かなくちゃいけないんだ)
翌朝の柔らかな日差しの中、三人と一匹は、アルメの北門へと続く道を歩いていた。
行き交う人々が、新しい一日を始めている。その活気が、旅立つ僕たちの静けさを際立たせた。
門の前で、僕は立ち止まり、二人に向き直った。
「リラ、ミーナ、本当にありがとう。君たちがいなかったら、僕はきっと、ここで潰れていた」
「馬鹿ね、お互い様でしょ」
リラはそっぽを向きながら言う。その耳が、少しだけ赤く染まっていた。
「カイ兄ちゃん……絶対、絶対帰ってきてね!」
ミーナの目から、こらえていた涙が溢れ出した。
僕は泣きじゃくるミーナの頭を優しく撫でると、二人に、そしてこの街に誓うように言った。
「ああ。必ず、また会いに来る。だから、これは『さようなら』じゃない。『いってきます』だ」
僕は二人に背を向け、朝日に照らされた『嘆きの荒野』へと続く道を、一人歩き出す。
肩の上で、ミーナのリボンをつけたコダマが、小さく手を振っていた。
リラとミーナは、僕の背中が小さくなって見えなくなるまで、ずっとその場で見送ってくれていた。
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
ようやく、アルメをたつことができました。
ミーナやリラとの別れは寂しいですが、これからが本当の冒険の旅になります。
どうぞご期待ください。
おもしろいと思ってくれたり、先が読みたいと思ってくださったら
ぜひ、『ブックマーク』と『評価』をお願いします。




