第08話 森の外へ
ミィの作るスコーンは想像通りの絶品だった。私は木いちごのジャムをぬった焼きたてのスコーンを頬張り、ほのかなレモンの香りの紅茶を飲んでホッと息をつく。
「ああ美味しい。ミィは食べないの?」
「ワタクシはお味見で満腹でございます。お構いなく、廉潔なレディ」
「私、いつかこの森を出るとしても、あなたが作ってくれたこのお食事のことはきっと一生忘れないと思うわ」
私が、食事のたびに言っていてもう何十回目にもなる賞賛をまた口にすると、ミィは嬉しそうに三角の耳をぴくぴくさせてうやうやしくお辞儀をした。
「もったいないお言葉ありがとうございます」
「一緒に連れていきたいくらいよ、あなたの料理を絶対に食べさせたい人がいるの。ねえ私と来ない? 三食お昼寝おやつ付き、悪いようにはしないから」
「でも三食とおやつはワタクシが作らせていただくのでしょう?」
「ばれたわね。ならいっそレストランを開くのはどうかしら? 街の一等地にお店を出すの。私、毎日食べに行くわ」
「むむ。魅力的なお誘いですな」
「主人の目の前で使い魔をそそのかすな」
テーブルの正面でちぎったスコーンを口に運んでいたカイが、私たちのオープンすぎる密談にたまりかねたように口を出してきた。ミィに(たたき)起こされて寝ぼけまなこで食堂に現れたカイが、スコーンには手を伸ばすもののぼんやりして一言も話さないので、私はわざと彼が口を挟みたくなるような話題を出したのだ。うまくいったなぁと思いながらミィを見ると、執事猫はなにもかも心得ておりますといった表情でいたずらっぽくウィンクをしてみせた。
(カイも自由になれたらいいのに)
私が紅茶のカップを両手でつつみながら小さくため息をついていると、知ってか知らずかカイが言葉を続ける。
「使い魔が主人から離れられるわけがないだろう」
「そうなの? でもミィは森から出られないあなたの代わりによく街に行っているんでしょう?」
魔法の知識がほとんどない私が首をかしげると、カイは唇を曲げた。
「多少の距離なら問題ない。偵察用のカラスもいるくらいだ」
「そうなの。ならミィのお料理を食べるためには、私はずっとここにいるしかないのね。もちろんルイーゼも一緒に」
「オレの家は宿屋でも飯屋でもないんだが」
私のわざとらしい提案に、カイはため息をついてスプーンを手に取りスコーンにジャムを追加する。そして私は、自分の口から出た無責任な発言に意外にも心惹かれてしまっていた。
(カイがいてミィがいる。ここにルイーゼがいてくれたら)
忠実なる兵団長は、国に家族を残しているから妻子の待つ家に帰してやらねばならない。でももし、たとえ束の間でも、ルイーゼも加わった四人でこんな穏やかな時間を過ごせたら。カイを苦しめ続ける魔女のこと、そして無念の死を遂げた国王様と王妃様のことを思い浮かべて、すぐにそんなことを考えてはいけないと頭を振って打ち消したけれど。
テーブルの上のスコーンが綺麗になくなったので、お茶会もそこでお開きになった。皿を片付けながらミィがカイに顔を向ける。
「カイ様、ワタクシはこのあとジャムを卸しに街へ行きます。買い出しもいたしますので少々遅くなるかもしれませんが、くれぐれも二度寝はなさいませんよう」
「最後は余計だ。分かっている」
「お腹がすいたら戸棚にキャロットケーキがございますので」
「子ども扱いするんじゃない」
口うるさいミィに眉間にしわを寄せて言い返すカイがおかしくて、私は思わず口元が緩む。それから思い切って口を開いた。
「ねえ、私もミィと一緒に街に行ってはだめかしら」
「なに?」
カイが私の顔を見た。
「変装するし、なにも目立つようなことはしないわ。外の様子が気になるの」
「ミス・ララサ。お気持ちは分かりますが森の外は危険です。侵略軍の手の者がいないとも限りません。ここはどうかご辛抱ください」
ミィが真っ先に反対の声を上げた。やっぱりだめかと思っていると、意外にもカイがうなずいた。
「オレは構わないが」
「え、いいの?」
「カイ様!」
逆に驚く私と非難の声を上げるミィ。スコーンを食べ終えたカイは紅茶のカップを手にして口を開く。
「そもそもオレの許可は必要ない。オレにララサの行動を制限する権利はない。自分の責任で自由にするといい」
「それはそうですけど……」
納得いかない顔のミィに、「心配なら魔除けのアミュレットくらいは持たせてやる」とカイが言い、やがてミィも「仕方ないですね」と心配顔のまま渋々承諾した。
「ジャムの支度ができたらお声がけしますので」
「私も手伝うわ。勝手を言ってごめんなさい、二人ともありがとう」
顔の前で両手を合わせてお礼を言う私に、カイは「アミュレットの用意をする」とだけ言って立ち上がった。
「ワタクシ、なんだか嫌な予感がするんですよぉ……」
珍しくネガティブなミィのつぶやきが耳に入ったけれど、私は気に留めていなかった。そしてこのあと私は、ミィの勘を軽んじた自身の愚かさを激しく後悔することになるのだった。
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