第06話 魔女ガンダルーシア②
「魔女はオレに執着している」
「どういうこと?」
理解しきれずに眉をひそめる私を、カイは「順番に話す」と牽制してから口を開いた。
「昔、オレは魔女ガンダルーシアに会ったことがある。そして理由は知らないがその時からずっと、魔女はオレに求婚し続けている。自分のものになれと」
「……魔女があなたに求婚? 本当に?」
「嘘なら良かったが本当だ。そして魔女は恐ろしく嫉妬深い。男も女も友情も愛情も関係なく、オレと一定以上に親密な人間は全員殺された。父も母も弟も妹も。友も何人も」
「ええ!?」
「もちろん、例によって魔女自らではなく不老不死のエサをぶらさげて人にやらせるわけだが」
「そんな」
二千年も生きると人は思考回路がおかしくなってしまうんだろうか。私が絶句していると、話し声が聞こえたのか厨房からひょこりと顔をのぞかせたミィが「ワタクシは人間ではなく使い魔なので見逃されているようなのです」と小声で補足した。そして皿をふきながらまた引っ込んでいった。
「オレは、自分のせいでこれ以上誰かが死ぬのは見たくない。かといって魔女と結婚するのもごめんだ。だから、もう誰とも関わらないように結界を張ったこの森の中だけで暮らしている」
「そう、だったのね」
カイの告白に私は言葉を失っていた。魔女ガンダルーシアのその異常な執着は、単にカイの外見的な美しさによるものなのか、それとも何か他の理由があるのだろうか。
「聞かせてくれてありがとう。そんなあなたがなぜ私とルイーゼを助けてくれたの? そして王宮が襲われた理由はなに?」
「問題はそこだ」
はあとため息をついて、カイは苦悩の表情で額に手を当てた。
「今回、魔女が王宮を襲わせた理由は悪いがオレにも心当たりがない。オレはもうずっと森にこもっているから、王宮の誰かと親密になれるはずもない。でも魔女が人間社会に関与するのはオレに関することだけだから、なにかが魔女の逆鱗に触れたのは確かだ」
カイは、端正な顔をゆがめて心底嫌そうに言った。よほど魔女を嫌悪しているのだろう。親しい人たちも、自身の自由も、魔女の偏愛のせいで一方的に奪われているのだから無理もない。かける言葉も見つからなくて、私は黙ってうなずくことしかできなかった。
「オレは、なんでもかんでも首を突っ込んで人助けをするつもりはない。ただオレのせいで、オレが原因で、人が死ぬのはさすがに気分が悪いからアンタたちふたりを助けた。それが助けた理由だ。魔女の動向を見落として王と王妃を救えなかったのは悪かった。あれはオレのミスだ」
「……そもそもが魔女がカイを狙って始めたことで、私たちはそれに巻き込まれた。だからカイも責任を感じて今回だけは助けてくれたっていうこと?」
「そうだ。怒っていいぞ」
「どうして私がカイに怒るのよ」
どう考えても一番の被害者はカイだ。魔女に勝手に妄執されて、その魔女が勝手にしたことにも責任を感じて、少しでも被害を少なくしようと腐心している。なんというか、不幸なまでの苦労性で、もしかしなくても大変なお人よしだ。
「カイは優しいのね」
私がジュースのグラスを傾けてそう言うと、カイは「どうしてそうなる」と理解に苦しむといった表情でつぶやいている。この孤高の最強魔法士様は、どうやら自分の善性に無自覚のようだ。
「ねえ。逆に考えてみたらどうかしら」
「逆に?」
私はふと思いついて口を開いた。
「魔女が王宮を襲った理由が分からないなら、逆に今回魔女が狙った相手を先に考えるの。一番の被害者は亡くなった国王様と王妃様、そして王宮を追われた王女のルイーゼ。この三人の中で一番、魔女の嫉妬の対象になりそうなのは誰かって」
「それで言うなら、王女ルイーゼだな」
カイは思案顔になって腕を組んだ。記憶を探るように目を閉じて、小さなうなり声を上げる。
「実はオレも考えた。両親を殺し絶望と恐怖を与えたところで本命の王女を殺す、いかにもあの陰湿な魔女が考えそうなことだ」
「たとえばよ。たとえばだけど、国王陛下がルイーゼとあなたを結婚させたいと考えた。それをあなたやルイーゼよりも先に魔女が知った。それで魔女は激怒した」
「ありえない、と言えないところがあの嫉妬深い魔女の恐ろしいところだ」
苦虫をかみつぶしたような表情になって、カイはため息をつく。私の説はあくまで思いつきの雑な仮説だったけれど、要するにルイーゼもカイも知らない無茶苦茶な理由で魔女が動いた可能性もありうる、と私は言いたかったのだ。
「カイ、お願いルイーゼを守って。私にできることがあるならなんでもするから」
「王女と護衛の男を守る結界を強めておこう。ただもう一度言うが、オレはこれ以上の手は貸せない。王国のために戦うとかそこまでするつもりはない」
「……ええ。分かっているわ」
カイの話を聞きながら、私はどんどん気持ちが重くなっていっていた。親友のルイーゼを守り元の生活を取り戻したいだけなのに、そのためには侵略軍だけでなくその背後にいる魔女まで敵に回すことになるという。それはいくら最強魔法士とはいえ、乗り気でないカイを無理やり巻き込んでいいレベルの話ではなかった。そしてほかに思いつく手立てもない。万事休すだ。
自身の無力さに押し黙る私に、白パンの最後のひとかけらをようやく飲み込んだカイが言う。
「アンタはしばらくこの家に住むといい」
「え? 私?」
幻惑魔法の後遺症もとっくに抜けて、必要な情報も教えてもらった。早晩この森を出て行かなければと考えていた私は、カイの言葉に驚いてうつむかせていた顔を上げる。
「この森は結界に守られているから、ここにいれば魔女に見つかることはない。いま外に出ていくのは危険だ。オレのそばにいれば守ってやれる」
「……いいの? 迷惑じゃないかしら」
夜着一枚で逃げてきて持ち合わせはないし、王宮はもちろん領地にもうかつに帰れない。行くあてのない私にはカイの申し出はとてもありがたかったけれど、本当にいいのかと問いかける私にカイはうなずいた。
「うちのおしゃべりな使い魔も喜ぶだろう」
不安な状況に変わりはなかった。でも無愛想だが根は優しそうなカイと温和なミィ、このふたりともう少しの間一緒にいられることに私は心からホッとしていた。自分で思うよりも内心で不安が募っていたようで、思わずこぼれそうになった涙をまばたきをしてなんとか押しとどめる。
「ありがとうカイ。あなたはやっぱり優しい人だわ」
本心から出た私の素直な言葉に、カイは「ミィが喜ぶからな」と小さな声で繰り返した。私も「そうね。ミィに感謝しないとね」と言って笑う。そして白いナフキンで口元を拭き、カイの顔を正面から見すえた。
「ねえ。あなたはどうなの」
「なに?」
「カイは、このままでいいの」
周回遅れでようやく白身魚を食べ終えたカイは、ナイフを持ったままの手を止めて私の言葉に片眉を上げた。言われた意味がよく分からなかったようだ。
「私はいいのよ。あなたに守ってもらって、いつかはこの森を出ていける。でもルイーゼと、それにあなたはどうなるの? このままずっと魔女に監視されながら、ミィ以外の誰とも関わらずに生きていくの? そんな人生ってちょっと悲しすぎるんじゃないかしら」
それを聞いたカイは、思いがけないセリフを聞いたと言わんばかりの顔になって大きな目を見開いて黙り込んだ。しばらくの沈黙のあと、あきれたような声音で言う。
「アンタも変な奴だな。オレの心配なんかしてる場合じゃないだろうが」
「それはそうだけど、でも残念ながら恩があるのよ」
「命の恩人ということなら気にしなくていい。オレが勝手にやったことだ」
「それだけじゃない、一宿一飯の恩もあるわ。誇り高きゲインブール家の人間は、一度受けた恩も恨みもきっちりお返しするのが家訓なの」
「……貴族令嬢というより、騎士のようだなアンタ」
ふは、と小さく息を吐くような声が聞こえた。驚いて見ると、カイは可笑しそうに目を細めて小さな笑みを浮かべている。ほんの一瞬の笑顔だったけれど、心を少しだけ開いてくれた気がして私も思わず笑顔になった。
「ねえ、ねえカイ。あなたせっかく美人なんだからもっと笑った方がいいわよ。その方がきっといいことがあるわ」
「大きなお世話だ」
「それに笑った方が絶対かわいい」
「オレがかわいくなったらなんだと言うんだ」
「さあさあおふたりとも、クリームタルトのおかわりとお菓子に合う紅茶をいれて参りましたよ……って」
紅茶と焼き菓子の載ったトレイを持って明るい声と共に食堂に現れたミィは、言葉の応酬をする私たちを見て目をぱちぱちとまたたかせた。そしてすぐにカイの方を見て厳しい声を飛ばす。
「カイ様。レディにまたなにか失礼なことを言っていないでしょうね?」
鋭い目で主人をにらむミィに、私は笑顔で声をかける。
「ありがとうミィ。全然そんなことないわ、大丈夫よ。紅茶をいただけるかしら」
「もちろんです」
うやうやしく返事をしたミィは、私の前に透きとおった緑青色の紅茶を置いてくれた。そして「……もしかしてもしかして、ワタクシお邪魔でしたか?」などとわくわくした好奇心を隠しきれない顔でささやいてきたので、私は吹き出して笑って首を横に振る。ティーカップからさわやかなハーブの香りが立ちのぼっていた。
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