第05話 魔女ガンダルーシア
「アンタは、ララサは『魔女』を知っているか」
ベッドに上半身を起こして紅茶のカップに口をつける私に、カイはそう尋ねてきた。『アンタ』なんて呼び方をされるのも初めてだったが、男性に『ララサ』と下の名前で呼ばれるのも国王様以外では初めての経験だ。私は少し緊張しながらも、カイの問いかけに真面目に答える。
「魔女というと……あの伝説の不老不死の魔女のことよね? 歴史の教本で読んだだけだけれど」
「そうだ。その魔女のことだ」
カイはうなずき、紅茶を一口飲んだ。執事猫のミィが床に散らばる書物をかき分けて引きずってきたサイドテーブル、その上にカップを置いて腕を組む。
「この世界で『魔女』といえばただひとり、魔女ガンダルーシアを指す。不老不死の秘術を使えるこの世で唯一の存在で、魔女本人もその秘術の力で二千年以上の時を生きていると言われている」
「ええ、教本や物語にもそう書かれているわね」
カイの話にあいづちを打ちながら私は考える。不老不死の秘術なんていう空想じみた魔法が本当にあるなんて、私を含めた世の中の人の大半はおそらく信じていないだろう、と。
そもそも魔女ガンダルーシア自体が、かつて実在したのは確かながら、記録ではもう数百年も公式に姿を現していない。黒衣に身を包み銀色の髪を持つ長身の麗人だとまことしやかに言い伝えられているものの、本当に今も存命しているのか雲をつかむように怪しい存在なのだ。しかしそんな私の思考を読んだかのようにカイが首を小さく横に振る。
「魔女ガンダルーシアは今も現実に生きている。そして不老不死を望む権力者や金持ちによって常に居場所を探されている。しかし魔女がどこにいるのかは誰も知らない」
「そうなのね、すっかり伝説上の人物だと思っていたわ。でもその魔女がどうしたっていうの?」
「王宮を襲ったのは、その魔女ガンダルーシアだ」
「え?」
思いもよらない言葉だった。私はてっきり、王国の持つ豊かな資源を狙った他国からの侵略だと想像していたのだ。まさかそんな、魔女のしわざだなんて。
「正確には、魔女にそそのかされたどこかの浅はかな権力者だ。国王かなにか知らないが……。魔女は自分では決して手を汚さない。汚す必要がない。おまえを不老不死にしてやると甘いエサをちらつかせれば、大抵の人間はしっぽを振って魔女の言いなりに動くからな」
「……そんな」
「魔女に王族を殺せと言われれば殺す。魔女に国を乗っ取れと言われれば乗っ取る。富を築いた権力者ほど老いと死を恐れ、不老不死に目がくらみ魔女の言葉に飛びつくものだ」
「なんてひどい!」
いきどおる私に、カイは「もっとも、不老不死にしてやるという約束を魔女が守ったことはオレの知る限り一度もないはずだが」と付け足した。そして私は、ルイーゼと手を取り合って逃げた王宮の中で見た、見慣れない甲冑の兵士たちを思い出す。どこの国のどんな権力者が、何の権利があって私たちの王国を奪ったんだろう。しかも不老不死なんて不確かなものに惑わされて。言い知れない怒りではらわたが煮えくり返る思いだった。
「許せないわ。いったいどこの大馬鹿がそんな甘言に乗って私たちの国を」
「落ち着け。怒りの矛先を見誤るな」
思わず声を上げる私に、カイは静かに言った。
「たまたま魔女に選ばれただけの、使い捨ての操り人形に怒る価値はない。黒幕は魔女だ」
「……そう、そうね。あなたの言うとおりよ」
正直に言えば、王宮内を逃げ惑ったあの恐怖の一夜を思い出し国王様と王妃様の仇であることを考えると、はいそうですかと納得することは私にはまだ難しかった。でもカイの言葉は客観的で正しい。私も冷静にならなくては。私は息を吸い、そして吐いてから口を開く。
「……それで、そもそもなぜ魔女は私たちの国を狙ったのかしら」
平和だった王国。国を愛し国民のために日々身を削って政務に励んでいた国王様と王妃様。その国を立派に受け継ぐはずだったルイーゼ。その毎日がどうしてあんな形で破壊されなければならなかったのか。なにがそれほどまでに魔女の怒りを買ったというのか。
その答えを求めてカイの金色の目を見ると、カイはふと私の視線から逃れるように目をそらした。小さく息をついて口を開く。
「それはたぶん……オレのせいだ」
◆
◆
(なんてこと。信じられない……!)
私は両手にナイフとフォークを持ったまま、テーブルの上を息をのんで見つめていた。
カブのポタージュ。新鮮な葉野菜とナッツのサラダ。白身魚の香草焼き。ふかふかの白パン。野ぶどうのジュース。おまけにデザートに小さなクリームタルトまで出てきて私は思わず目を丸くする。
「すごい。すごいわミィ。この素晴らしいごちそうをあなた一人で作ったの?」
私の素直な賞賛に、ミィは「光栄です、レディ」と言って照れくさそうに肉球のついた手で頭をかいた。
ーーあのあと、話が長くなると察した賢い執事猫のミィが「カイ様、レディにこのままベッドにいていただくのもよろしくないかと」と気を回してくれたのだ。そして「湯浴みの支度ができていますよ」とも。
正直、私は湯浴みなんかよりも一刻も早くカイの話の続きを聞きたくて仕方なかった。魔女ガンダルーシアはなぜ私たちの国を狙ったのか。それがカイのせいとはどういうことなのか。そしてカイはなぜ私とルイーゼを助けてくれたのか。知りたいことだらけで脳内が今にも破裂しそうな心持ちだった。
でも、いったん落ち着いて自分の姿を見てみれば。王宮の中を逃げ回った時の薄い夜着そのままの格好なことを自覚した私は、だいぶ遅れて赤面した。ミィはそもそも人間ではないし、カイは紳士なのかなんなのか知らないが私の夜着姿にまったく興味関心がない様子だったけれど、それとは関係なく私の中の貴族令嬢としての羞恥心が珍しく仕事をしたのだ。
そして考えてみれば、この薄汚れた格好でカイのベッドに寝かせてもらっている状況も非常にまずいし申し訳ない。ということで、ルイーゼも国民もひとまず無事だと分かったこともあり、私はひとり先走るのをやめてミィの申し出をつつしんで受けることにしたのだった。
「ああ気持ちよかった。ありがとうミィ」
「お役に立てて嬉しいです」
小さな浴室で湯浴みをして思いのほか生き返ったようなすがすがしい心持ちになった私は、ミィが今朝街で調達してきたという女性ものの服にそでを通した。柔らかな生地のシンプルなワンピースは私の体のサイズにぴったりで、着替えて部屋から出てきた私を見たミィは「とてもお似合いですよ、レディ」と満足そうな顔でうなずいた(ちなみにカイからのコメントは特になかった)。
それからミィは、私の髪を拭くのを手伝いながら「お食事のご用意ができています」と言った。私は、得意げに長いひげをひくつかせるミィには悪いけれど、立て続けに様々なことが起こりすぎて食事なんてとてものどを通らないだろうなと内心思っていた。
ところがいざ目の前に湯気を立てるごちそうが置かれると、私はたちまち暴力的なまでの空腹を自覚することになる。しかもミィの手料理はどれもこれもすさまじく美味しくて、脇目もふらずに食事を平らげていく私を見てミィは小さくジャンプして喜んだ。
「とってもとってもとっても美味しい。ミィあなた、王宮のスターシェフになれるわよ。私が保証する」
「ありがとうございます、健啖なレディ。ポタージュはおかわりもありますよ」
「ありがとう。ぜひいただきたいわ」
私がそう言うと、ミィは背中のしっぽをご機嫌に揺らしながらいそいそと皿にスープをついでくれた。短い指を曲げてレードルを器用につかむその手はやはり肉球のついた猫の手で、私はふと浮かんだ疑問を投げかける。
「ミィ、あなたその手で包丁やお鍋を扱えるの?」
するとミィは、スープをつぐ手を一瞬止めて少し恥ずかしそうに言った。
「ワタクシ、料理をするときは人間の姿になるのです。街に買い物に行くときなどもです。普段のお給仕くらいならこの執事猫の姿でも支障なく務められるのですが」
「え、ミィは人間の姿にもなれるの?」
「はい一応。カイ様の魔力はそれほど強大なのです。……でも恥ずかしいのでお見せすることはいたしませんよ」
本当に恥ずかしそうに早口でそう言うと、ミィは話題を変えるようにテーブルの料理を指し示した。
「このカブや葉野菜は、すべて裏の畑でカイ様が育てているものです。森でナッツと野ぶどうを収穫してきたのも、池で魚を釣ってきたのもカイ様です。私はちょっとしたお手伝いと、あとは調理をしたのみでして」
「ミィ。おまえは本当に余計なことばかり言う」
テーブルをはさんで私の対面に座り、黙々と白パンをちぎって口に運んでいたカイが釘をさすように言った。ということは本当なんだと私が内心驚いていると、すかさずミィが言葉を返す。
「ミス・ララサがお料理をたくさんお召し上がりになってくれてワタクシは大変嬉しいのです。カイ様は普段からお食事をあまりお召し上がりになりません。なんとも作り甲斐のないことです」
「そうなの!?」
こんなに美味しい料理なのに、なんてもったいない。いつか絶対にルイーゼにも食べさせてあげたい。そんなことを考えながらとろりとした甘いポタージュをさっそく口に運んでいると、ミィがにっこり笑って続けた。
「とはいえ、カイ様も今日は比較的よく召し上がってらっしゃいます。こう見えて久しぶりのお客人が嬉しいのですよ」
「ミィ!」
テーブルの向こう側からまた非難の声が飛ぶ。ミィは小さな舌を出して私のそばから離れると、空いた皿をうやうやしく集めて下げていった。厨房兼洗い場は隣の部屋にあるようで、私はカイと食堂にふたりだけになる。ほとんど私とミィでしゃべっていたので、カイとふたりきりになった食卓には瞬間、気まずい空気が流れた。
「……久しぶりの客人だ。多少の便宜をはかったところでおかしくはないだろう」
「はい?」
沈黙を破ったのは意外にもカイの方だった。ぼそりと告げられて私は思わず聞き返したけれど後続の言葉はない。少し考えてから、さっきのミィの「カイ様も久しぶりに客が来て嬉しいのだ」発言を受けて彼なりに言い訳しているのだと分かった。言い訳、弁明、照れ隠し。端正な仏頂面とのギャップに私は思わず吹き出しそうになるのを、野ぶどうのジュースを飲んでごまかした。甘酸っぱい果実の恵みがのどを優しく滑り落ちていく。
「そうよね、お心遣い心から感謝します。ありがとう。スープもサラダもお魚も、どれもびっくりするくらい美味しい」
「口に合ったなら何よりだ」
「特にお野菜の味が本当に素敵。みずみずしくて、シャキッとしていて、かんでいるとまるで元気を分けてもらえるようだわ。きっとカイが畑で愛情をこめて育てているからなのね」
私が率直な感想を述べると、カイは黙ってゆっくりとうなずいてまた白パンをちぎって口に入れた。食べるのが早くない。私の方が数倍早い。普段あまり食べないと言っていたからこれが普段のペースなのかもしれない。そして黒髪からのぞく耳が心なしか赤く染まっている気がしたけれど、もしかして私に褒められてちょっと照れたりしているんだろうか。まさかね。
そして、残念ながら楽しいばかりの世間話をしてこの晩餐を終わらせるわけにはいかなかった。私には聞かなければならないことがある。
「それでカイ。そろそろさっきの話の続きを聞かせてもらってもいいかしら」
魔女が王国を襲うように仕向けた、その理由が自分にあるとカイは言った。その真意を知りたい私が水を向けると、カイはグラスに入ったジュースを一口飲んでからうなずいておもむろに一言だけ発した。
「魔女はオレに執着している」
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