第03話 カイとララサ②
「ここはどこなの? 私、どうしてここに?」
「焦るな。幻惑魔法の後遺症が抜けるまで待て」
「でも」
食い下がる私に、カイと名乗った青年は小さく顔をしかめて仕方なさそうに口を開いた。
「……ここはオレの研究室兼寝室。アンタを助けたあと目が覚めるまではとここに連れてきた」
「私を、助けた?」
「この家は深い森の中にある。この森に人間はオレしか住んでいないし、森全体に結界を張っているから誰もアンタを追ってくることはできない」
「え、ええと」
質問したのはこちらとはいえ、ぼんやりした頭で情報を受け止めきれずに私は困惑する。ええと、私はカイに助けられて、ここは森の中で、とりあえず今は安全で。そこまで順を追って理解した瞬間、私は突然すべてを思い出して一気に血の気が引いた。
「私を、助けた、ですって!?」
そう叫ぶなり、ベッドから起き上がった私はカイの頬を振り上げた平手で思いきりひっぱたいた。高い音が部屋に響く。酷い行いだと思う。けれどとっさの衝動と怒りをどうしても止められなかった。
「なんてことを! 私は王女ルイーゼとしてあそこで死ななければならなかったのに! でないとルイーゼが、あの子の身に危険が、ああ……!」
言いながらも目に涙がにじみ、私はたまらず泣き出した。一度は本気で覚悟した死。そこから緊張の糸が切れて、今は親友を守れなかった自分の不甲斐なさに気が狂いそうになっている。
毛布に顔を伏せて嗚咽をもらしていると、カイが椅子から立ち上がる音が聞こえた。自分をひっぱたいた上に勝手に泣き出した女に呆れているのだろう。私にしたって泣きたくなんかないのに、あまりに悔しくて自分が情けなくて、あとからあとから流れる涙を止められなかった。
(ごめんなさいルイーゼ。どうしよう、どうしたらいいの……!)
いま窓から差し込んでいるオレンジ色の陽光はおそらく夕日で、私が幻惑魔法で眠っている間に夜はとっくに明けてしまったようだ。ルイーゼと兵団長は無事に逃げおおせているだろうか。どこかに身を隠せているだろうか。王宮が、優しかった国王様と王妃様があんなことになって国はこれからどうなるんだろう。そしていったい誰があんな酷いことを。
(ララサ、ルイーゼと仲良くしてくれてありがとう)
(私たちも、おまえを娘のように思っているよ)
そう言って私を抱きしめてほほえんでくれた国王様と王妃様。両親のいない私にそれこそ家族のように接してくれた。そんなふたりは王宮で非業の死を遂げて、残されたルイーゼの行方も無事も今はわからない。
「ルイーゼ……」
無力感にさいなまれてほとんど吐きそうになりながらしゃくりあげていたら、ふと良い香りが鼻に届いた。ルイーゼとよく散歩した懐かしいバラ園を思い出して涙に濡れた顔を上げると、鈴を振るようなかわいらしい声が話しかけてくる。
「紅茶をどうぞ。レディ」
「え? ……猫?」
驚きのあまり思わず涙がひっこんだ。しかも間抜けな声まで上げてしまった。ただよう芳香の元は柔らかな湯気を立てる琥珀色の紅茶で、そしてそのティーカップの載ったトレイを捧げ持っているのはふわふわの毛皮に包まれた一匹の猫、だったのだ。
「ね、猫が歩いてる! しゃべってる!」
驚きながらもよくよく見てみれば。その猫はサイズこそ普通の猫であるものの、背すじをしゃんと伸ばして二足歩行をして、さらに洒落た赤い毛糸のチョッキまで着ているのだった。背後には長いしっぽがゆらりと揺れている。
「ワタクシは猫ではございません。勇猛なレディ」
「猫じゃ、ない?」
「ワタクシはカイ様の使い魔でございます。執事猫とも呼ばれております。ほら背中に翼があるでしょう?」
そう言うと、猫もとい使い魔はガラス玉のように大きな丸い瞳をいたずらっぽく細めて紅茶の載ったトレイを持ったまま背中を向けた。茶色と白と黒の三色に塗り分けられた柔らかそうな背中に、確かにコウモリのような小さな翼が生えている。
「本当だわ。ごめんなさい、本物の使い魔なんて生まれて初めて見たものだから」
「いいんですよ。使い魔を使役できる魔法士はほんの一握りですからね」
なぜか得意げにえっへんと胸を張って、猫型の使い魔は言葉を続ける。
「カイ様はワタクシの御主人様で偉大な魔法士なのですが、なんせ口下手で無愛想で奥手のクソ変人なのでレディの扱いがなっちゃいないんです。ですからこうして執事猫たるワタクシが可愛さでレディの心を解きほぐし……あ痛っ!」
「ミィ。余計なことをしゃべるな」
ミィと呼ばれた猫型の使い魔の後ろに、いつのまにか先ほどの青年、カイがムッとした表情で立っていた。猫の頭をぺちんとたたいて、金色の目を細めて心外そうな顔をしている。
「客人に茶でも出してやれと言っただけだろうが」
「ふふ。カイ様はどうやら女性の涙に弱くていらっしゃる」
「うるさい。そんなことはない」
「あの、さっきはごめんなさい。取り乱してしまって。本当にごめんなさい」
執事猫を自称する使い魔の登場で、私はなんだか毒気を抜かれてしまった。そしてどう言い訳しようと突然の暴力はいけないことだ。反省してひとまず素直に謝ったのだけど、それを聞いたカイは眉毛を少し動かしただけで何も言わなかった。長い手足を折るようにして椅子に座る姿は、改めて見るとかなり背が高い。そして相変わらず表情にとぼしくて感情が見えない。
「それで、カイ、さん」
「カイでいい」
「じゃあ、カイ。聞きたいのだけど、その名前とこの部屋にある大量の魔法書と使い魔を使役できるほどの強大な魔力。あなたはもしかして」
「最強魔法士、か?」
私が言い終わる前に、言葉を継ぐようにしてカイが言った。しかしその声からは誇らしさはみじんも感じられず、むしろ嫌そうな響きがある。
「オレが知らない間に勝手につけられていた。下品で悪趣味で近視眼的でくだらない称号だ」
「……そこまで言わなくても良くないかしら?」
続きは今日の21:07更新です。