第02話 カイとララサ
私、没落貴族の娘ララサは、親友である王女ルイーゼを守るために身代わりとして死ぬ覚悟を決めた。
とはいえ首を取られて首実験をされたら、私が王女でないことはたちまち露見してしまうだろう。だから私は、自分が王女だと名乗りを上げてしっかりとこの姿を目撃させた上で、焼身自殺を遂げるつもりだった。特に顔だ。顔は正体が分からないように念入りに焼いてしまわなければならない。
そんなことをむしろ冷静に考えながら、私は壁にかかっている燭台をひとつ手に取った。赤く小さな炎がちらちらと震えている。兵士たちがこの小部屋に押し入ってきたら自分は王女だと名乗り、そしてろうそくの炎をこの長い髪に引火させるのだ。そうすれば親友の命は守られるはず。
(お父様。お母様。やっとお会いできますね)
ずっと壁に飾られた肖像画の中の存在だった両親。ふたりに静かに祈りをささげる間もなく、ドン、ドン、と無粋な音を立てて扉が揺れ始めた。やがて乱暴に破壊された扉から、血の匂いをまとい興奮した兵士たちが我先にと部屋の中になだれこんでくる。彼らは燭台を手に立つ私の姿を見て瞬間足を止め、それから口々に騒ぎ立て始めた。
「女だ。女がいるぞ」
「王女か?」
「金髪に緑の目。特徴は一致していますがーー」
「いかにも。私はこの国の王女、ルイーゼ・ラ・ヴィッテルン。命乞いはしないわ。さあ私を殺しなさいーー!」
挑発的なセリフに兵士たちがざわめく。言えた。ちゃんと言えた。声は少し震えてしまったけれど、王女にふさわしい高潔さを演じきれただろうか。私は一度深呼吸してから手にしていた燭台を傾けて自らの髪に近づける。ルイーゼが「私たち同じ髪の色だね」と嬉しそうに笑ってくれた蜂蜜色の髪にろうそくの火が、あと少しで燃え移りーー。
(え?)
不意に意識がぐらりと遠のいた。立ちくらみにも似たこの感覚は知っている、この身になにか強い幻惑魔法を受けたのだと気づいた時にはすでに遅く、私はたちまち力の入らなくなった指の隙間から大切な燭台を取り落としてしまった。
(いけないーー!)
燭台が音を立てて床に転がる。目の前で群れていた敵兵たちも頭をおさえてうめきながら膝をつき次々にその場に倒れていく。どうしよう。心臓が大きく跳ねた。敵兵の目の前でこの身を燃やさなければいけなかったのに。いったい何が起ころうとしているのか分からないまま、これだけは分かる。私は失敗するのだ。
ルイーゼ。ごめんなさいルイーゼ。そんな胸中の思いも虚しく、私は冷たい石の床にゆっくりと倒れ伏してそのまま意識を失った。
◆
◆
次にまぶたを上げた時、目の前にあったのは男性の顔だった。
額をおおう黒い前髪の隙間から、長いまつ毛に縁取られて月のように輝く金色の両目が見える。どうやら私は、寝台に横になっているところを真上から至近距離で顔を覗き込まれているようだった。眼前の唇が動いて言葉が静かにつむぎだされる。
「気がついたか」
「あの、え、あの、私……?」
焦った。あわてた。すっかり没落したとはいえ一応貴族令嬢である私は、こんなに近い距離で若い男性と見つめあうなんて生まれて初めての経験だったのだ。混乱する頭で今とっさに思い出せる男性との接触といえば、せいぜい毎日世話をしていた愛馬がオスだったとかそれくらいなもので。
「気分はどうだ。強めの幻惑魔法をかけたから、完全に抜けるまでしばらく意識混濁があるかもしれないが」
「幻惑魔法……」
言われたとおり、なんだか意識も記憶も高熱の後のようにもうろうとしている。私なにをしていたんだっけとぼんやりしたままあたりを見回すと、ここはどうやら恐ろしく散らかった部屋の一角であるようだった。
薄いカーテンのすきまからまぶしい西日が差し込む、窓際の質素なベッドに私は寝かされていた。あごを上げて見上げた天井は高くとんがり帽子のような形をしていて、ここが屋敷の中の一室ではなく独立して建っているひとつの家であることが分かる。
そして周囲をとりまく壁という壁には背の高い本棚が隙間なくびっしりと立てられていて、そこにはまた隙間なくぎっしりと本が詰め込まれていた。大量の本に対して収納がまったく追いついていないらしく、書物の一部は本棚からあふれ出して、なだれの後のように床のそこここに積み重なっている。もはやぎりぎり足の踏み場しかないような床の上で、最後の聖域とも言うべきベッドに、今私が寝かされているのだった。そしてその脇に置かれた椅子に座っているのが。
「……あなたはだれ」
黒い前髪の隙間から見える瞳はどこか冷たい光を放っていて、私は尋ねておきながら思わず首をすくめたのだけど。
「オレの名はカイ。姓はない」
表情を動かすことなく淡々とした口調で答えを返してくる青年は、あらためて見ると驚くほど美しい顔立ちをしていた。浅く日に焼けた肌にかかる髪は黒く艶やかで、高く通った鼻すじや薄く形のいい唇からどことなく淡い気品がにじんでいる。そして何より印象的なのはその大きな金色の双眸だった。星くずを宿したような一対の美しい瞳が今、私の顔を真剣な表情でじっと見つめている。
「あ、あの」
普通なら、こんな美形の男性に見つめられたら一瞬で恋に落ちてもおかしくない。けれどその表情は固く何を考えているのかまったく読めなくて、人間というよりも綺麗な人形を相手にしているような冷淡な印象を受けてしまうのだった。私は胸の前で毛布をにぎしりめて、警戒しながら口を開く。
「ここはどこなの? 私、どうしてここに?」
続きは今日の18:07更新です。