第14話 真夜中のお茶会
真鍮のトレイを手に持って、壁にかけられたろうそくの灯りを頼りに廊下を歩いた。トレイの上には熱い紅茶のポットと二人分のティーカップが載っている。白磁のティーポットは、私が歩を進めるたびにカバーの中で揺れてカタカタと小さな音を立てた。
日付が変わる少し前、深夜と呼んで差し支えない時間だった。ミィは自分の部屋で、首輪につながれたスズリもミィのベッドの足元に置かれた古い鳥かごの中で、静かに眠っているはずだ。幸い、私が寝泊まりさせてもらっている部屋は彼らの部屋とは真反対にあるので、ドアを開ける物音で起こしてしまう心配はなさそうだった。
こんな時間だというのに扉の下の隙間から明かりの筋がもれている部屋の前に立った私は、緊張しながら二回ノックしてドアを押し開く。良かった、今日は本にぶつかることなくドアが開いた。
「カイ。起きてる?」
気持ち小さめの声を投げると、デスクに向かっていたカイが肩ごしに振り向いた。
「ララサか。どうしたこんな時間に」
その声と表情に、驚きはあれど拒絶の色がなかったことに内心胸をなでおろして、私は手に持ったトレイを顔の横に掲げて笑ってみせた。
「私とお茶会をしない?」
◆
相変わらず大量の本で埋めつくされたカイの部屋には、本以外には本棚とデスクとベッドしかない。なのでカイはいつも通りデスクの椅子に座り、私は本棚の高い場所にある本を取るための二段脚立に腰掛けることにする。カイがデスクの上を片付けてくれたので(といっても紙と羽ペンと本をまとめてデスクの隅に押しやったのだが)、私が持ち込んだティーセットも無事にデスクに置くことができた。
「ハーブティーなの。ミィほど上手くはいれられなかったけど」
ティーポットから注いだ紅茶は、運んでくる間に熱すぎずちょうど良い温度になっていた。私が温かい液体をのどに通してホッと息をついていると、カイも一口飲んで「美味い」と短く感想を言ってくれた。
「研究の邪魔をしてごめんなさい。迷惑ではなかった?」
私が聞くと、カイは首を横に振った。
「オレはいつも研究に没頭しすぎて、寝ることも食べることも忘れてミィに叱られている。いいタイミングだからこのあと寝ることにする」
「なら良かったわ。スペアミントのハーブティーには安眠効果があるのよ」
言いながら私はカイを見る。今は少しほつれた黒髪と長いまつ毛に縁取られた金色の瞳。ティーカップを持つ指は長く白い爪の形が綺麗だった。今日、昼間、この同じ指が紅茶のカップではなく短い杖を握り重力魔法を操っていたことを私はまた思い出す。カーディガンを羽織ったワンピースの下で小さく心臓が跳ねた。
「ねえカイ。私ね」
「ああ」
「私……」
言いながら私はソーサーにカップを戻し、うつむいて膝を見つめる。膝の上で握りしめたこぶしが小さく震えて、その上に不意にあふれた涙の粒がぽたぽたとこぼれ落ちた。
「み、みんなといる時は平気だったの。本当よ。この家に帰ってこられて安心したし、あれこれ忙しなくて……。でも夜になって部屋に戻ってひとりベッドに入ったら、急に怖くなってしまって」
涙をこらえながら、たどたどしく繋ぐ私の言葉をカイは黙って聞いている。深い森の夜は暗くて静かで、森の住人である獣やフクロウの声も家の中までは届かない。本にうずもれた静かな部屋にふたり、ただ私のしゃくりあげる声だけが響く。
「私、本当なら今日だけで二回死んでいたわ。一度目はミィが、二度目はカイのアミュレットが助けてくれて、でもその時のことを思い出したら今さら震えが止まらなくなってしまって」
口に出したことで余計に歯止めが効かなくなったようだった。こぶしの震えが全身に伝播して、自分で自分の肩を抱いて浅くなった呼吸を必死に吐き出す私の耳にカイの穏やかな声が届く。
「人が死を恐れるのは当然だし、恐怖が時間差で襲ってくるのも珍しいことじゃない。大丈夫だララサ。今日はもう終わったんだ」
「そう、そうよね。ええ、分かっているわ……」
息を整えようと深呼吸をして、私は紅茶のカップを両手で包んだ。そのほのかなぬくもりと、手を伸ばせば届く距離にカイがいてくれることに驚くほど安心して私は小さく鼻をすすって笑顔になる。
「ごめんなさい。大丈夫よ」
「ララサはいつも人のために命を懸ける」
「え?」
不意に投げられたカイの言葉に私は目を瞬かせた。私の顔を見つめながら、カイが静かに続ける。
「親友の王女。スズリ。ミィ。ララサはいつも自分の身を挺して他人の命を守ろうとする。立派なことだがララサの命も等しくひとつだ。もっと自分を大切にしろ。いや、大切にしてほしい」
「……カイ」
意外なセリフに私はきょとんとしてしまった。カイがスズリにあれほどまでに怒ったのは、とにかく大切な使い魔のミィが傷つけられたからだと思っていた。それももちろん大きいのだろうが、少しだけうぬぼれていいのだとしたら、スズリが私を危険な目にあわせたことにもカイは怒ってくれていたのだろうか。
(いいえ、でもそれは)
たとえそうだとしても、それはカイが魔女の嫉妬に巻き込まれた人間が死ぬことをとても嫌がるからだ。そのことの原因と責任が自分にあると考えているからで、私に死んでほしくないのもそれが理由なのだ。まちがっても、まちがっても勘違いしないこと。私は自分を固く戒めてまた一口紅茶を飲んだ。そんな私の胸中を知ってか知らずか、カイがおもむろに口を開く。
「ララサ」
「なにかしら?」
ティーカップに顔を寄せてほのかな苦みをはらんだスペアミントの香りを吸い込んだ。清涼感ただよう芳香で気持ちを落ち着けようとしていた私に、カイが真面目な顔で口を開く。
「男の裸を見たことはあるか?」
「……はい?」




