第11話 ミィ
「驚いたわ。ミィあなた、背が四倍は高くなったんじゃない?」
つややかな白銀色をベースに、黒と茶色が風切羽のように混ざる不思議な色合いの長い髪。細身の長身に涼やかな目元の美丈夫は「四倍は大げさです」と言って柔らかくほほえんだ。
この青年が、まさか家事の達人でちょっとおしゃまで主人への小言を欠かさない、あのかわいい執事猫のミィだなんて。私がいまだ信じられない気持ちで見ていると、ミィは腕を持ち上げて顔を隠すようにして「恥ずかしいのであまり見ないでください」と照れたように言った。
「でもどうして普段は猫の姿でいるの? 執事として働くなら人間の姿の方がなにかと便利なんじゃないかしら」
「それはそうですね。しかしミス・ララサがあの家で初めて目覚めた時、カイ様とこの姿のワタクシ、体の大きな男性ふたりに迎えられたらどうだったでしょう? やはり少し恐ろしく不安になったのでは?」
「……そうね。そうかもしれないわ」
「かわいい姿でいることは時に有効なのです」
真面目な顔で迷いなく『かわいい』を強調するミィに私は思わず吹き出してしまった。
「ありがとう、私のためでもあったのね」
「もちろんです、レディ。だますようで心苦しくもありましたが」
「そんな風には思わないわ。あなたがいてくれてずっと感謝しかないもの」
確かに、あの家で暮らすと決まったあとに森の外に出られない私の代わりに着替え一式、それこそ下履きに至るまで街で購入してきてくれたのはミィだ。そのことを思い出すと、いくら彼が職業執事とはいえ私は今さら少し恥ずかしくなる。でも彼に用意してもらうよりほかに調達の方法はなかったのだから、私がミィの人間姿を知っていようがいまいが結果は変わらなかったのだと思い直した。
そしてこんな堂々とした美青年が街で女の服や髪留めやクシや下履きを淡々と購入する姿は、さぞ服屋勤めの女性たちの好奇心を駆り立てたに違いない。そんな他愛もないことを想像して、私は少し笑ってしまった。
「それにこの人間の姿は仮の姿で、どうも少し恥ずかしいのです。確かに人間社会で生きるには便利ですが、あの猫の姿こそが使い魔としてのワタクシの真の姿です。やはりできるだけ真の姿でいたいものです」
「確かにそうね。でも人間の姿のあなたには助けられたわ。すごく強いのね」
「執事とは主人を守るもの。弱くては話になりません」
きっぱりと言い切るミィに、私はほうと感嘆の息をついた。
「カイは立派な執事を持って幸せね。でもカイも強いのではないの?」
「カイ様は魔法士としては超一流ですが近接戦闘は五流以下です」
「なるほど」
そこでバランスが取れているらしい。私は妙に納得してうなずいた。
「さて、そろそろ木いちごのジャムを届けに行かねばなりません」
「そうね。でもこの人はどうしたらいいかしら」
追い剥ぎに頭を殴打されていまだ地面に伸びている若者を見下ろして私は言った。最初は木陰にでも移動させてやろうと考えたのだが、ミィが「頭を打っているなら動かさない方が良いです。見たところ問題はなさそうですが」と言ったので、かわいそうな若者は倒れた姿勢のまま地面にあえて放置されていたのだ。
「ワタクシはカイ様の使い魔です。本来なら必要以上に主人以外の人間に関わることは致しません。ミス・ララサはカイ様が助けた客人なので特別なのですが……起きて根掘り葉掘り聞かれても困りますし、このまま置いていきましょう。まだ明るいしこのあたりには野犬もいません。そのうち目を覚ますでしょう」
「そうね……」
冷たいようだが、確かにこれ以上おせっかいを焼いてカイやミィに迷惑をかけるわけにはいかない。私はうなずき、そしてこの若者が追い剥ぎたちに持ち物の棒をさわられて激怒していたことを思い出した。きっと大切なものなんだろう。これくらいはせめて、と私はリュックを拾うと地面に散らばっていた彼の私物を集めて中に入れた。例の古い木の棒も拾って、倒れている若者のかたわらに置いてやる。
「じゃあ……」
目礼して幸運を祈りそのまま立ち去ろうとした時、タイミング悪く彼がまぶたを上げた。地面にひじをついて起き上がり、焦点の定まらない目であたりを見回している。だいぶ強く頭を殴られていたから、意識がはっきりしないのだろうか。
私がミィの顔を見上げると、人間姿の彼は仕方なさそうに肩をすくめた。
「大丈夫?」
私が近づいて意識して声を低くして話しかけると、赤茶色の髪と瞳の若者はこくりとうなずいた。
「……あんたたち誰?」
「あなたが追い剥ぎに襲われてるのを見て助けに来たのよ……んだぜ」
「そうか、あいつらに殴られたところまでは覚えてる。てことは命の恩人なんだな。ありがとう」
若者は素直に礼を言ってこくりとうなずき、リュックの脇に私が立てかけた棒に気がついて目を輝かせた。すぐに棒をつかんで嬉しそうに破顔する。
「タクト! 無事だった良かった!」
「大切なものなんだな」
「うん。ばーちゃんがくれたんだ。おまえは剣も体術もダメだけど魔法は才能があるから頑張れって」
「素敵なおばあ様だ。魔法士なのか、そのタクトを杖として使うんだな」
「そうそう! かっけーだろこれ!」
若者はうなずき、にぱっと擬音がつきそうなくらいに明るい笑顔になった。髪と同じ色の赤茶色の目が、笑うと三日月のようになる。天真爛漫そうな言動に私は一瞬年下かと考えたが、顔つきや体格をよく見ると私と同じか少し上くらいの年齢が妥当かと思えた。
「ロウ様、そろそろ参りましょう。あまり遅くなると街の門が閉まってしまいます」
私の後ろに黙って立っていたミィが静かに声を発したので、私はあわてて振り向く。
「そう、だな。ごめん。ええと、じゃああなたも気をつけて。目的地は近いのか?」
「あー、人を探してんだ」
「人?」
私がつい聞き返すと、若者は笑顔で言った。
「このあたりにすげー強い魔法士がいるはずなんだけど。あんたたち知らない?」
「え?」
私は思わず小さく声を上げてしまった。背後に立つミィもにわかに緊張するのが分かる。
「におい的には絶対このあたりにいるはずなのに全然見つかんなくて困ってんだ。で、ひとりでうろうろしてたら変なのに絡まれちゃってあのザマ。僕フィジカル弱いんだよね、魔法士にはありがちだけど。タクトがないとだめなんだ。このタクトさえあれば無敵なのに」
若者は人懐こい笑みを浮かべて、左手に持ったタクトを右の手のひらにぺちぺちと打ち付けている。その無邪気な仕草を見ながら私は内心で血の気が引いていくのが分かった。もしかして私は、彼にこのタクトを絶対に渡してはいけなかったのではないだろうか。
「あれ、でもあんたたち」
若者がふと首をかしげた。かと思うと、不意に体を寄せて首元に顔を近づけてきたので私は思わず硬直する。
「え、あ、なに」
「におう」
「え?」
「このにおい。もしかして同じ……? それに後ろのおにーさん、よくかいだらあんたも」
若者の大きな赤茶色の瞳が、ぎょろりと音を立てそうな動きで私の背後に立つミィを見た。
「この子よりおにーさんの方がにおいが強いね。まさかあんたが本人……? いやちょっと違うな。なんだこれ」
「ロウ様。ワタクシの後ろに」
襟元に鼻を寄せられて固まる私の肩をそっと押して、風のような速さでミィが私と若者の間に体を割り込ませた。そのまま数歩下がる私を振り返ることなくミィと若者がにらみあう。いや、にらんでいるのはミィだけで若者は相変わらず笑顔のままだ。背の高いミィをあごを上げて少し見上げるようにしながら口を開く。
「うんやっぱりおにーさんの方がにおうね。あんたあの魔法士に関係してるよね。血縁か、一緒に暮らしてるのか、それとも」
「戯言もいい加減にしろ。このまま黙って帰るなら見逃す」
「そういうわけにもいかないんだ。それに気づいちゃったんだけど」
急に顔を向けられて私はまた一歩後ずさる。
「そこのお嬢さん」
「え、どうして、オレ、は」
「男装してるけど女の子でしょ? しかもその緑の目。帽子の下の髪は何色? もしかして蜂蜜色なんじゃないの?」
「ロウ様! 下がってください!」
ミィが短く言うなり、強烈な蹴りを若者の腹にたたきこもうとした。さっき追い剥ぎを一撃で倒した蹴りだと分かって私は思わず息をのんだけれど、若者は倒れなかった。あくまでにこやかに、しかし油断なくタクトを構えてプリズムのように光る六角形の防御壁を張っている。ミィのブーツのかかとはその防御壁に完全に防がれていた。
「あはは! 動揺するってことは当たりだ!」
若者はそう言うと心底ゆかいそうに笑った。
「僕おにーさんに用はないよ。魔法士ももういらない。そこのお嬢さん、僕と一緒に来てもらうよ」
「指一本触れさせるものか。これが最後だ、今すぐ立ち去れ。さもないと殺す」
「おにーさんじゃ無理だよう。だって」
殺す、と迷いなく言い切るミィを見上げて、タクトを持った若者はにっこり笑って言った。
「僕、天才だから。名前はスズリだよ。よろしくね」
読んでくださりありがとうございます。
毎日〜週2回程度の更新で進めていきます。




