第10話 道中の出会い
ミィと協力して、ジャムのビンを詰めた木箱を手押し車に積み込んだ。道中でビンが割れないように、隙間を灰やおがくずを詰めた麻袋で補強する。木製の手押し車はミィが扱えるように少し小さめに作られていて、子どもが人形を乗せて遊ぶ乳母車のようにも見えた。
「素敵な手押し車ね」
「カイ様が森の木を切って作ったのです。これでワタクシは仕事がなにかと楽になりました」
「確かに使いやすそうだわ」
他愛ない会話をしながら森の小道をふたりで歩いた。静けさに満ちた森の空気はひやりと澄んで、時おり高い木の枝から小鳥の鳴く声が聞こえる。
特別な整備はされていない、少し上等な獣道といった調子のでこぼこ小道は狭く、ふたり肩を並べて歩くことはできなかった。私たちは一列になって、手押し車を押すミィの後ろを布カバンを肩からななめ掛けにした私が続いて歩く。郵便配達夫を思わせる布カバンは大きさの割に軽く、ミィは街で買ったものを入れるために持ってきたようだ。
「そうそうミス・ララサ。あなたは今は少年なので、人に会ったら言葉遣いに気をつけなければなりませんね。誰とも話さないのが一番ですが」
「そうね、分かったわ。じゃなくて、ええと」
「『うん、分かった』などがよろしいかと」
「うん、分かった!」
元気に返事をしてみたけれど、声の高さはどうにもならない。話すならわざと聞き取りにくくボソボソとしゃべるか、ミィの言う通り誰とも会話しないのが良さそうだ。
「レディやミス・ララサと呼ぶわけにも参りませんね。男性名でなにか偽名を決めておきたいのですが」
「なら、ロウがいいわ」
「どなたです?」
「私の愛馬よ、少し前に老衰で亡くなったのだけど。ミィ、そういえばあなたは? その執事猫の姿で街に行くの?」
ふと気になった私が問いかけると、先を歩いていたミィは赤いチョッキの背中をぎくりと揺らした。小さなコウモリの羽が落ち着きなくパタパタと動いている。
「いえ、ワタクシは街に入る前に人間の姿になります」
「え、じゃああなたの人間姿を見れるのね!」
途端にわくわくと目を輝かせてしまう私の顔が見えているかのように、前を行くミィは「ちょっと恥ずかしいのです」と言って長いしっぽを揺らした。
「でもいずれは分かることでしょうから、仕方ありません」
「ごめんなさい、無理を言ってついてきて。でもどんな姿なの? 私のイメージでは可愛らしい少年執事なのだけど」
「そのご期待には添えないかと存じますが……街が近づけばおのずと分かりましょう」
「そうね。楽しみだわ」
そんな会話をしつつミィの手押し車の車輪がガタガタと地面をこする音を聞きながら歩を進めていくと、前方に生い茂る木々の切れ目が見えてきた。森の出口に着いたのだ。
「カイ様が結界を張っているのはここまでです。動物や鳥の出入りは自由ですが人間は外からは立ち入れません」
「結界は目に見えないのね」
「はい。そもそもこのタイプの恒常結界は、人間を物理的に跳ね返すわけではありません。外から近づく者に中に入る気をなくさせる、無意識下でここには近づきたくないと思わせる、そんな効果があるのですよ。レディ」
「なるほど、だから人間にしか効かないのね。もしかして私も、帰る時にはそんな気持ちになってしまうのかしら」
「アミュレットをお持ちなので大丈夫かと。あれはカイ様の魔力が込められているので、通行手形としても作用するはずです。もちろん、使い魔であるワタクシと一緒に戻るのが確実ですが」
「そうね。そうするわ」
話しながらいよいよ森を抜けた。ミィの言うとおり結界を出るときもなにか衝撃を感じるようなことはなく、身構える間もなくごく自然に通り抜けることができた。入るのではなく出る方だからかもしれない。
「森の外だわ。一週間ぶり」
「ここは王宮からはかなり離れていますので、大丈夫かとは思いますが。お気をつけて」
「ありがとう。気をつける」
森を出て、目指す街へは草原をひとつ越える程度だとミィは話した。
「平坦な草原ですが、少し歩きますよ」
「大丈夫、任せて。手押し車も途中で交代するわよ」
「お気持ちだけありがたく」
ちょうだいします、と言おうとしただろうミィがふと言葉を切った。三角の耳をぴくぴくさせて透き通った瞳で中空を見つめ、鼻をひくつかせている。
「ミィ? どうかしたの?」
「……なにか聞こえます。近くに誰かいる」
「えっ」
私は思わずあたりを見回した。広がるのは蝶が舞い飛ぶばかりで野生動物の姿すらないのどかな草原。しかししばらく耳を澄ませていると、確かに人が言い争うような声が風に乗って私の耳にも届いてきた。かすかだが「やめろ」とか「返せ」とか叫び声がしている。ミィの顔を見ると、困ったように鼻の頭にシワを寄せていた。
「旅人が盗賊にでも襲われたんでしょうか。面倒なところに行きあってしまいました」
「大変、助けに行かないと」
急いで駆け出そうとする私の服のすそをミィがつかんだ。
「無謀です、レディ」
「でも」
「……では様子を見るだけ。こちらに危険が及ぶようなら気づかれる前に逃げますよ」
「……分かったわ」
ミィの言うことももっともなので、私は仕方なくうなずいた。ミィと私はジャムを満載した大事な手押し車を草の茂みに隠すと、連れ立って声のする方にそっと忍び寄っていく。大木の影に隠れて首だけ出して様子を伺うと、どうやら三人ほどの屈強な大男がひとりの若者を取り囲んでいるようだった。
一人が足をばたつかせて暴れる若者を後ろからはがいじめにして、二人が若者の物らしきリュックをひっくり返して中身を確認している。盗賊というほどでもない、どうやら野良の追い剥ぎといった風情だ。しかし彼らの腰にはしっかりと革の鞘に入った剣が携えられているので油断はできない。
「放せ! 荷物にさわるな! 返せ!」
「なんだよ。身なりはそこそこなくせに金目のものはほとんど無いじゃねぇかよ」
「身ぐるみ剥いで捨ててくかぁ?」
そろいの濃い髭を生やしたごろつき達は、リュックの中身を見て失望しているようだった。助けてやりたいのはやまやまだが今は私とミィしかいないし、若者も殴られているわけではないし、このまま追い剥ぎたちが諦めて去ってくれるならそのあとで声をかけるのがベストかと私が考えていると。
「なんだ? この汚ぇ棒」
追い剥ぎ一味のひとりがリュックの中から細い棒を取り出した。目を細めてにらみつけては首をかしげている。
「ゴミか。こんなもん売れねぇから捨てーー」
「さわるなって言ってんだろ!」
若者が突然大声を上げた。両膝をふっとかがめたかと思うと、自分をはがいじめにしている一人に下から全身で頭突きをしてあごの下に強烈なアッパー・カットを食らわせる。急所に直撃を受けた男は地面に転がって悶絶した。
「なっ、テメェ!」
「それ返せ! ばーちゃんにもらった大事なモンなんだよ汚ぇ手でさわるな!」
「このガキ、ナメやがって!」
リュックと謎の棒を足元の地面に投げ捨てた二人が剣を抜いて構える。対する若者は、相手を気丈ににらみつけてはいるものの武器もなく丸腰で劣勢は明らかだった。そうしている間に地面に倒れていた男が頭を振りながら立ち上がってくる。手合いの熊のように目に怒りの炎を燃やして。
「こんの……死ねクソガキ!」
「……!」
組んだ両拳を振り下ろされて後ろから頭を殴られた若者は、地面に膝をついて倒れそのまま気を失ったようだった。それを合図にしたように剣を構えた二人も声を上げる。
「殺っちまえ!」
「おう!」
「だめー!」
見ていられなくなった私は、思わず叫ぶと隠れていた大木から飛び出した。声に気づいた追い剥ぎたちが肩越しに振り返り、全速力で走ってくる私を見て唖然とする。
「な、なんだこの小僧」
「コイツの仲間か?」
「違うわ、じゃない、違う! でも一人を寄ってたかって襲うなんて卑怯よ、じゃない卑怯だぞ!」
慣れない口調で言うセリフは終始ぐだぐだで、私に女優の才能はなさそうだった。私は両者の間に割って入り、倒れた若者をかばって両手を広げて立ちふさがる。
「やめなさ、じゃない、やめろ!」
「構わねえ、まとめて殺っちまえ!」
ボスらしき男が剣を振りかぶって吠えた。私は若者の前に立ったまま腕で顔をかばって反射的に目を閉じる。けれど覚悟したような刃物で切りつけられる痛みはいつまで待っても襲って来なかった。
「……え?」
おそるおそる目を開けて腕の隙間から前を見ると、若者の前に立つ私のさらに前に立ちふさがる長身の後ろ姿が見えた。ひとつに束ねた白銀の長い髪。背中を向けていて顔は見えない。そろって切りつけてきたふたりの追い剥ぎの剣二本を、右手に持った一本のなんの変哲もない木の枝で受け止めている。
「なんだコイツ! どこから出やがった!?」
「ただの木の枝が、切れねぇ、なんで」
「……そのあたりで拾ったただの木の枝に違いはない。だが魔力をこめて武器化している。おまえたちがたとえ二十人三十人と束になっても、この枝は決して折れない」
私たちをかばって立つ人物がすらすらと言葉を発した。私の知らない清々しく凛とした男性の声。でもどこかで似た声を親しく聞いたことがある気がする。私が戸惑っている間に、背後にいたもう一人の男が剣を抜き後ろから彼に無言で斬りかかろうとするのが見えた。
「危ない!」
とっさに叫んだ私の声に彼が振り向く。白銀の髪がベールのように舞って私の目には何が起きたのか捉えきれない速さで鈍い音が二発響き、見るとまず前方の二人が地面に剣を取り落としてみぞおちを押さえてうずくまっていた。そして後ろから襲ってきた男もまた、彼が高く振りかぶったブーツのかかとに側頭部を思い切り蹴飛ばされて泡を吹いて地面に倒れ伏す。あっという間にすべてが終わっていて、呆然とする私と白銀の髪の彼との目が合った。
カイよりもさらに背が高い。しなやかな筋肉のついた体を簡素な服に包み、中性的でクールな顔立ちをしている。髪はよく見ると白銀だけでなく、茶色と黒が羽のように混ざり合った三色の神秘的な色をしていた。
そしてさっき、私の頭を超えるほどの信じられない高さまで脚を蹴り上げて追い剥ぎを倒していた。なにかの格闘術の使い手なんだろうか。しかもただの木の枝を武器として使っていた気もする。私は混乱したままそこまで考えてハッと我に返った。たったいま命を助けられたというのに、驚きすぎてお礼も言っていない。
「あ、あの、助けてくれてありがとうございました。あなたは」
「その前に」
地面に這いつくばって無様なうめき声を上げる追い剥ぎたちを、彼は鋭い目で順番ににらみつける。途端に「ひぃ」「助けてくれ」「命だけは」と口々に叫びながら彼らは剣も拾わずに脱兎のごとく逃げていった。その後ろ姿を彼は腕を組んで見送っている。追いかけるつもりはないようだ。
「この物騒なものも、今のうちに壊しておきましょう。危ないので」
そう言うと、彼はまだ持っていた木の枝先を地面に落ちている剣の刃の中心に垂直に立てた。なんなら小さな葉っぱまでついている正真正銘の細い木の枝で彼はトン、と軽く剣身を打つ。するとたちまち剣身にひびが入って剣はバラバラに砕け散ってしまった。残りの二本の剣も同様に破壊される。役目を終えたということなのか木の枝を地面に放り捨てた彼は、私の視線に気づいて「これは本当にただの枝です。ワタクシが持つから武器になるだけなのです」と言った。
「待って。ワタクシ……?」
「さておケガはありませんか。無鉄砲なレディ」
少し困ったように鼻の頭にシワを寄せて、腰を少しかがめて私の顔をのぞきこむようにして。三色髪の彼がそう言ったので私は思わず声を上げた。
「あなた、やっぱり、ミィなのね!?」
読んでくださりありがとうございます。
毎日〜週2回程度の更新で進めていきます。




