8 ◇回想◇ 失敗必至の逃避行(2)
全12話+後談1話執筆済。基本毎日投稿予定です。
〈注意書き〉
過激ではありませんがR15相当の描写があります。暴力的要素等が苦手な方はご注意ください。
ベインにも私にも、今日決行しない理由はなかった。
1日でも遅れて、どちらかが手遅れになって欠けてしまうわけにはいかなかったから。
即興で立てた駆け落ち計画を、私たちはその日中に決行することにした。
家で何か長々と作業していたら父にバレる可能性がある。そうでなくとも邪魔をされてしまって捗らないかもしれない。
だから私は午後の授業を普通に受けて、放課後に学校内で準備に取り掛かった。
まず手紙を書いた。
よくある、典型的な駆け落ち宣言。
〈恋人の彼と駆け落ちします。探さないでください。〉
というやつ。
私は学校備品の便箋と切手を、堂々と職員室から数通分拝借した。
狙い通り、先生方はそれぞれが「ああ。誰か別の先生に頼まれた仕事があるんだろう。」と思ってくれたようだった。級長をやっていてよかったと思えた一番の出来事だった。
そして私は、手紙を3通分書いた。
一通は実家のエンシーラ子爵家宛。
何故かって?
堂々と自室の机の上に書き置きしようものなら、すぐに手紙を見つけられてその日中に父が私を探し始めてしまうから。
もし放牧地で飛竜と対峙する前に見つかって連れ戻されてしまったら、台無しどころじゃない。そうなった後のことは想像もしたくない。
だから、確実に私たちが逃げ出した後に父の元に手紙が届くように、郵送することにした。
もう一通は、婚約相手の資産家の老人ゲイラー卿宛。
その老人にも捜索されてしまうリスクはある。
でもどちらかというと、父が私からの手紙を捨ててしまうリスクの方を考えた。
同じ内容のものを資産家老人にも送っておけば、父がこの駆け落ちの事実を誤魔化し切ることはできないはず。あとは違約金を巡って、父と老人で揉めるだけ揉めればいい。その方が私にとって都合がいい。
そして最後の一通は、お義姉様の彼氏様のご実家の男爵家宛。
ここに送っておけば、きっと彼氏様経由でお義姉様たちに私の駆け落ちが伝わるはず。
そうすれば、お義姉様たちは必死に私を探さなくなるだろう。
…………あの家族は皆、優し過ぎるから。
きっと私のことを心配して、今も救い出そうとしていてくれている。
……だからこそ、ちゃんと連絡をしておきたかった。
〈私は大丈夫です。彼と幸せになります。安心してください。〉
私はそう書いた。
名残り惜しくはない。
もともとお義兄様を一度頼って実家から脱出できたら、その後に頃合いを見て《聖女保護法》違反で自首するつもりでいた。
その「一度は頼る」のが無くなるだけ。脱出の手段が変わるだけ。
……そうよ。むしろあの家族に迷惑を掛けずに済むから、こっちの計画の方が断然いいわ。
手紙を書いているうちにそう思えてきた。
お義兄様もお義姉様の彼氏様も、ただの社会人1年目の新人貴族男性だ。地方とはいえ金のある子爵と資産家の老人を相手に真っ向から戦って私を守り抜くのは、さすがに無理があるだろう。
……1年間、ずっとその「お義兄様たちを頼る」脱出計画を心の支えにして、恐怖に耐えてきていたけど。
土壇場でベインとの計画に切り替えられてよかった。
当初の計画のままじゃ、絶対に失敗していたわ。
私は今さらそう思いながら、3通の手紙を書き上げた。
準備はすべて学校内で終えてしまいたいところだったけど、このまま一度も家に帰らずに消えたら、それはそれで今度は夜中に父が「あいつはどこへ消えた!」と騒ぎ出す可能性がある。
リスクはゼロにはできないけど、少しでも父に今晩だけでも探されないようにするために、私は手を打っておくことにした。
いつもよりも早い6時頃に一度家に帰り、父と遭遇しないよう祈りながら、そこまで大きくない鞄に最低限の道具を入れた箱と着替えを数着詰め込んだ。それと手持ちのお金をあるだけ。もちろん、化粧品の類などの余計なものは一切入れなかった。
そして敢えて制服を着たまま、その鞄を「ただの宿泊道具と勉強道具」に見せかけて、屋敷の執事長に
「急で申し訳ないのですが、成績下位組の勉強合宿に付き合うよう先生に頼まれました。
今晩は一晩、私も旧校舎で泊まりがけで勉強してきます。先生も監督についているので安心してください。」
と伝えて家を再び出た。
物凄く嫌そうな顔をされた。「ユキアはどうした!」って激昂した父に尋ねられて報告をするのが嫌なんだろう。
でも、そんなことを私が配慮する義理はない。
もう一生戻ることのない実家。
私は微塵も繊細な気分にはならずに、一度も振り返ることなく屋敷を去った。
◇◇◇◇◇◇
直接ベインのいるパルクローム領主家の放牧地には行かない。
少しでも周りに怪しまれないように、私は一度学校に戻った。
それから鞄を足元に隠しながら図書館で本を読んだ。そしていつも通りに先生が来て「今日もユキアさんは最後までいるつもりかしら?」と聞かれたときに「今日は少し早く帰ろうと思います。」と答えた。
先生は笑顔で「それじゃあ、今日は先生が旧校舎を施錠をするから。ユキアさんいつもありがとう。」と言って去っていった。
私は先生の後ろ姿を見送って、それから学校を出て、なるべく知り合いに目撃されないよう気を配りながらベインの元へと向かった。
途中で例の手紙3通を投函しながら。
かなり早足で歩いているつもりだったけど、それでもすごく時間が掛かった。
ベインは毎日どうやって登校していたのかしら?
馬車で来ているのかもしれないけど……でも、それならあの血だらけで来ていた昨晩は何だったんだろう。まさかあの状態で馬車に乗って御者に「学校まで」なんて指示したわけではないだろうし……
……そこまで思って、私は自分が魔法を使えることに気が付いた。普通科学校に通っていたせいですっかり発想が抜け落ちてしまっていた。
私は回復魔法くらいしか普段使わなかったから。
私は脚に強化魔法を掛けて走ってみたけど、結局不慣れで上手く走れなくて2回も派手に転んでしまったから、また歩きに切り替えた。
そうしてひたすら放牧地を目指して、暗い山道を緊張しながら早足で歩いていったら、ようやく牧場らしい家畜の匂いのする開けたところに到着した。
時刻は夜の10時近くだった。
ベインの言っていた牛舎の横にある管理小屋を見つけて、そこに行った。
ベインは「俺、領主邸に普段は入れないんだよね。だから管理小屋を家代わりにしてんの。」と言っていた。
……どうやら、ベインはそういう迫害のされ方を普段されているようだった。
ノックをして入ろうとしたら、後ろからベインに「あ、ちゃんと来れた?良かった。」といきなり声を掛けられた。
私は大袈裟に悲鳴を上げてしまって、ベインに謝られた。
「驚かせてごめん。あっちでアイツらの世話してた。」
「ううん。いいけど……『アイツら』って、ここの牧場の?」
「そう。牛と、羊と、ヤギ。みんな俺の友達。」
…………ベインはそのとき、初めて私の前で優しい笑顔を見せた。
私たちは管理小屋に入って、そこで私は制服から持ってきていた私服に着替えた。
ベインはその間にキッチンらしきところに引っ込んでいって、しばらくしたら簡易的な夕食を持ってきてくれた。
「級長はもうなんか食った?いる?」
「あっ、食べてない。……ありがとう。いただきます。」
全然仲良くもないベインと二人で食べる夕食。何だか変な感覚だった。
私はどうしていいか分からなかったけど、ベインは何も気にしていなさそうに私に話しかけてきた。
「俺さ、またちょっとこの後、アイツらんところ行ってくる。級長は好きにしてて。何でも使っちゃっていいから。」
「……牧場で働いている人たちは?さすがにもう帰っているわよね?
誰か来たら何か言い訳しておいた方がいいかしら。」
私が一応警戒しながら確認すると、ベインは
「いや、大丈夫。誰も来ない。
飛竜が出て以来、来ないようにしてもらってるから。今はアイツらの世話は全部俺がやってる。
おっさん達にも虚言癖だと思われてっかもしんないけど、もう別にいいと思って。さすがにそれで人間が喰われたら洒落になんないからね。」
と答えた。
「えっ?!一人で全部の世話を?!」と私が驚くと、ベインは「まあ俺は魔法使えるし。水魔法や風魔法使えば掃除とか一人でも余裕でできるよ。」と苦笑していた。
「ねえ、ベイン。お世話もいいけど……ベインはもう《駆け落ち》する準備は終わった?」
私は普段と変わらない表情で普通に小屋を出て行こうとするベインを見て不安になって、一番重要なことも確認しておこうと思った。
自分で口にしながらむず痒くなった。
照れるというよりは、仲良くないベインを前に、自分を曝け出したような気分になった。
「準備っつっても、やることないよね。とにかくアイツらの世話をできる限りちゃんとしてやんなきゃって。それしか考えてない。」
ベインがそう言ったから、私は「書き置きの手紙は?」と聞いた。
私はすでにちゃんと手紙を投函してきたから大丈夫。
遠方に住むお義姉様たちにも〈彼と幸せになります。安心してください。〉って、ちゃんと手紙で伝えられるから大丈夫。
そう言って「ベインの方は?」と確認をしたら、ベインは「それはちゃんと書いた。」と言って頷いた。
「……それ。その机に置いてあるやつ。そこに置いてく。
さすがに飛竜のデカい死体が放牧地にあったら、誰かが気付いて管理小屋にも来るんじゃね?そうでなくとも級長の手紙もあるし。級長の手紙が読まれたら、俺の方にも探しに来るっしょ。」
私がベインの指差した方を見るとベインが「確認しときたい?いいよ。」と言ってきたから、私は一応、ベインの手紙の内容を確認した。
内容は、ほとんどが牧場に勤めている人たちに向けた内容だった。
飛竜の親子は倒したからまた通常通りに仕事に来てほしい。家畜たちをよろしく頼むといったものだった。あの牛がもうすぐ出産しそうだの、ヤギのあの子は最近調子が悪いだの、1ヶ月で見違えるほど大きくなったあの羊はミミだから間違えないでだの……ただの引き継ぎ資料だった。
最後にようやく「ところで俺、駆け落ちします。探さないでください。」みたいなテンションで駆け落ちの宣言が付け足してあった。
家畜の世話を頼むくだりが長すぎて、明らかにペース配分を間違えていて、駆け落ち宣言は最後に枠外になりながら一番小さい字で書いてあった。
「『駆け落ちします。探さないでください。』って書くとき、俺めっっっちゃ恥ずかったんだけど。恥ずすぎてちょっと書く手が止まった。
級長、よく『彼と幸せになります』とか書けたね。……やっぱ俺もそこまで書かなきゃダメ?」
読んでいる私を見守っていたベインが少し恥ずかしそうにしながら聞いてきたから、私は思わず笑ってしまった。
何だ。ベインも私と一緒で、むず痒くなってるんだ。
「ふふっ。ベインって、そこだけは普通の感覚をちゃんと持っているのね。変なの。」
「はぁ?……級長、俺のこと相当勘違いしてるっしょ。俺を何だと思ってんの?」
心外そうに顔を顰めたベインに、私は……何て答えたんだっけ。
……ああ、そうだ。
私は初めて、そこでベインに
「いきなり片腕を無くしてきて、私に駆け落ちなんて提案してきて──……今回の一件で相当な『気狂い』だと思った。」
って伝えたんだった。
◇◇◇◇◇◇
ベインは結局、日付が変わってから帰ってきた。
「あれ?まだ起きてたんだ。級長も今のうちに休んだいた方がいいよ。ベッド使っていいから。」
くたびれたのか、それとも家畜の世話をしているうちに気分が沈んできたのか。
さっきは私に普通に話してくれていたのに。ベインは戻ってくるなり素っ気なくそれだけを言って、ゴロンと私に背を向けて床に寝転がった。
飛竜の親子はいつもいつ来るのか。どう待ち構えるつもりなのかも、私はこの後どうすればいいのかも言わなかった。
気まずいを通り越した、変な空間だった。
………………。
私は到底眠れそうになかったけど、たしかに明日の日中に眠気を引き摺る方が良くないと思ったから、大人しくベッドを借りて、身体を休めるために目を閉じた。
布団はこの辺り一帯に漂う家畜の匂いなのか、それともベイン自身の匂いなのか、よく分からなかった。
…………やっぱり全然眠れなかった。
普通なら「いつ飛竜が襲来するか分からないところで眠るなんてできない」と思うところなんだろうけど、私は違った。
私は飛竜よりも父に怯えていた。
こうしているうちに父がここに来てしまったらどうしよう。
旧校舎の勉強合宿が嘘だってバレたら、絶対に激怒して私のことを使用人たちに探させる。もしそれで、私がここにいると分かってしまったら──……
私は「早く飛竜の親子に来てほしい。さっさと倒して今すぐにでも出発したい。そうしないと父が来てしまう。」と怯えながら、パルクローム領での最後の一夜を過ごした。
◇◇◇◇◇◇
私は家畜たちの騒がしい鳴き声で目を覚ました。
窓から外を見たら、まだ日は昇っていなかった。でもだんだん辺りが白んできていて、もうすぐ夜が明けると分かった。
管理小屋の中でも空気が冷んやりしていると思ったら、管理小屋の入り口の扉が開きっぱなしになっていた。
ベインが見当たらなかったから私が外に出ると、すでに家畜たちは放牧地に散らばっていた。
その家畜たちはみんな同じ方角を向きながら、必死に鳴き声を上げていた。……何かを警戒する獣のように。
管理小屋から少し離れたところにベインはいた。
ベインは興奮して鳴いている乳牛の一頭の左横に立っていた。右手で首元を宥めるようにトントンと叩いていた。
そしてベインの左手には──彼の背丈ほどもありそうな、重そうな魔物素材でできた大槌があった。
まるで冒険小説に出てくる挿絵の武器のようだった。
小説に出てくるような戦士服とは違ってただの作業服を着ているベイン。でもむしろベインの作業服の方が、大槌に似合っているような気がした。妙にしっくりときていた。
私がベインを見つけたのとベインが私に気が付いたのは同時だった。
小屋の方を振り返って私と目が合ったベインは、大きな声で「級長起きたの、ちょうどよかった!今起こしにいこうと思ってた!」と言ってから、そのまま牛を撫でていた右手でベインの後方にある柵の向こうの一本の木を指差した。
「コイツらが気配察して騒いでるから、多分もうすぐ飛竜来る!
級長そこに隠れてて!俺が頼んだら治癒魔法掛けて!」
どんどん家畜たちの鳴き声が大きくなってきて、夜明け前の空ごとざわざわとしているようだった。
私は恐怖心よりも胸のざわつきばかり感じながら、ベインに指差された木のところへ逃げるようにして走った。
そして、私が木の影に隠れて、しばらく恐怖でも心配でも興奮でもない、言葉にできない未知のものが来る予感へのざわつきを感じていたら──いきなり山の木々がバキバキと物凄い音を立てて葉と鳥たちが一斉に散る音がして──
──森を抜けてきた真っ黒い巨大な飛竜の親子が、地面を滑るようにして飛びながら──放牧地の、ベインの目の前に現れた。
家畜たちが一斉に散り散りに逃げていく。
私は恐怖を通り越して悲鳴一つあげられないまま固まって──
──ベインは無言で大槌を風を切るように回して持ち上げて、足を開いて腰を落として、巨大な飛竜たちに向かって武器を構えた。
◇◇◇◇◇◇
狂気の沙汰じゃない。
頭で分かっていたとしても、到底できることじゃない。
でもベインは、宣言通りにたった一人で超大型の飛竜の親子へと向かって行った。
ベインは散り散りに逃げる家畜を追う飛竜3匹それぞれに向かって火魔法を撃ちまくって挑発し、意識をベインの方に向けさせた。
それから全身に強化魔法を掛けて高く跳んで、飛竜の子ども2体の翼の骨を折って次々に撃墜させた。
すかさず堕ちてきた子どもの頭を叩き潰そうとするベインに親の飛竜が激昂して襲い掛かって──
そこからは、見ていたけど、何が何だか目で追えなくて分からなかった。
地面に堕ちてきた飛竜の子どもたちは、脚で走ってベインに襲いかかってきた。親の飛竜は上空で怒り狂って暴れ狂って咆哮しながら、何か口から魔法攻撃を吐きまくって、ベインのいる一帯の地面を長い尾で叩きつけていた。
私はもう、父のこともこの後のことも、何も頭になかった。
ただ目の前の光景を見ながら「私は今日ここで死ぬんだ」と妙に冷静に思っていた。
あれが「諦めの境地」というやつだと思う。
でもそのお陰で、私は落ち着いて自分の役目を果たすことができた。
……役目と言っても、私はずっと彼に庇われるようにして木の影に隠れていて、3回だけ「──級長!!」って叫ばれたときに、飛竜たちから飛び退いて距離を取ったベインに向かって全力で治癒魔法を彼に掛けただけだったけど。
そしてその死闘の末、ベインは見事に、その恐ろしい飛竜を3体とも討ち取った。
──計3回。
左腕を1回と、右足を1回。それから左脇腹ごっそりを1回。それだけの治癒魔法で、彼はすべてを乗り切った。
──会話もできない「友達」の……牛と羊と、ヤギのために。
──まだろくに会話を重ねてもいない「クラスメイト」の……「3回なら治癒できそう」という、根拠のないただの予想を信じきって。
ショックで一瞬で気を失ってもおかしくないほどの重傷を躊躇うことなく3回も連続で喰らいながら、一切怯むことなく彼は恐ろしい魔物たちと対峙して、最後は見事に脳天を叩き潰した。
「はぁ〜……何とかなった。あんがと級長。」
何メートルあるのか分からない巨大な山みたいな親の飛竜の死体を前にして、安堵の溜め息をついてから私の方を振り返ってゆるい笑顔でお礼を言ってくれたベイン。
本当に狂気の沙汰じゃない。
もはや「気狂い」を通り越した、人間じゃない違う生き物だと思えた。
ゆるい笑顔のベインと目が合ったとき、私は自分がまだ夢の中にいるんだと思った。
そしてベインとそのまま数秒間、目が合って──……私は遅れてようやく、自分のしたことを理解した。
まるで私たち、小説に出てくる冒険者パーティーのようだった。
……私、魔王との決戦で死闘を繰り広げている勇者様を後ろからサポートしていた、本物の聖女様みたい……!!
遅れて脳内麻薬がドバドバと出てきて、高揚感とともに胸がバクバクと鳴ってきた。
私のそんな紅潮した頬と緩んだ口元に気付いたベインは、少しだけ目を見開いてから、呆れ笑いをして失礼なことを言ってきた。
「級長。……その顔、どういう感情?
けっこうヤバいよ。もしかして、欠損とか血を見ると興奮しちゃうタイプの人?」
私はハッとして表情筋をなんとか普通に戻そうと試みながら、失礼なベインに言い返した。
「そんなわけないでしょう。ただの安堵よ。
躊躇いもなく自分の身体を欠けさせるベインの方がどう考えても狂っているわよ。」
するとベインは、折れるどころかもう一度、私に失礼な言葉を畳み掛けてきた。
「えぇ〜……その顔が『安堵』だとしたら、それはそれでヤバいって。
級長、マジで変態じゃん。」
「…………………………うるさい。」
自分とベインを物語の聖女様と勇者様に重ねて、年甲斐もなくワクワクしちゃった!なんて言うのは……それはそれで、馬鹿みたいで何だか恥ずかしかった。
だから私はあのとき、仕方なく「変態」認定を受け入れた。
でも今振り返ってみると──……やっぱりあのとき、「複数回死にかけた同級生と飛竜の死体を前にニヤける変態」よりは「物語のヒロインに自分を重ね合わせていた少女」だと思われた方が、少しはマシだったような気がする。
…………もう、どうでもいいことだけど。
◇◇◇◇◇◇
それから私たち二人は、計画通り《駆け落ち》を実行した。
ベインは飛竜に手や腹を吹き飛ばされても足を喰い千切られても全然泣かなかったくせに、いざ出発するとなった途端、鼻声になりながら牧場の牛と羊とヤギたち一匹一匹に「お前たち、ありがとな。みんな幸せに暮らせよ。……大好きだぞ。」と別れを告げていた。
間抜けに「ンモォォ〜〜」と鳴いた乳牛の返事らしき声を聞いて、ベインは感極まってホロリと涙を零して「……ソラ!」と言ってその乳牛にガバッと抱きついていた。
普通に家畜の糞の匂いが臭くって、乳牛のソラちゃんがガサッと足を少し動かすと、バッタが数匹ピョンピョンと飛んでいった。
すっごく間抜けな光景だった。
──私がベインの涙を見たのは、「大好き」という言葉を聞いたのは……それが、最初で最後だった。
◇◇◇◇◇◇
そうして間抜けな別れを告げて、朝焼けとともに旅立った私たち。
さっき飛竜の親子が抜けてきた森の中に、私たちが今度は逆に入っていった。
そしてまず私が最初にやったことは、自分の見た目を変えること。
私は「少しでも知り合いに目撃されにくくするため」という名目で、目元を隠したくて掛けていた太い枠の伊達眼鏡を外して、ずっと三つ編みにしていた髪をバッサリと肩上まで切った。
「……豪快にいったね。」
左手で三つ編みをガッと掴んで右手で持ったナイフで一気にザクっと髪を切った私を見て、ベインがまた驚いたような顔をした。
でもそれからベインは、数秒だけ私の顔をじっと見て、すぐに悪そうな笑顔になって
「級長、級長。俺が整えてあげよっか。そんだけ短いと、後ろ見えないっしょ?」
と言って、私の鞄の道具箱から勝手にハサミを取り出して、楽しそうにショキショキと鳴らしてきた。
「嫌よ。絶対に変な髪型にする気でしょ。」
「え〜?信用無いなぁ。俺、けっこう腕いいよ。普段から髪は自分で切ってるし。羊の毛刈りもできるから。」
「えっ?!その髪、自分でやっているの?!そんなに短いのに?!」
「そう。上手いっしょ。割とセンスの塊っしょ。俺、美容師の才能あると思う。」
「すごい!ベイン、センスあるわ!」
羊の毛刈りと一緒にされるのは意味が分からなかったけど、私はあのときは何故か、自分で散髪をしているというベインの発言に異様に驚いてしまった。
……ハイになっていたのかもしれない。
あんな飛竜との戦闘場面に立ち会って、治癒魔法を連続で3回も使って。駆け落ち作戦を決行して森に入って、眼鏡を取って髪を切って……別人に生まれ変わった気分になって、テンションがおかしくなっていた。
実際、あのときベインは「そんなに驚く?」と言って、珍しく苦笑していたから。多分、完全にハイになっていた。
私はそこでベインに大人しく任せることにした。
私の後ろに立ったベインは、まるで美容師のように私の髪を両手の指で軽く梳いて「綺麗な髪してんね〜勿体無いね〜。ま、今からもっと短くしちゃうけど。」と言ってきた。
……その髪を梳く彼の手の感触が、とても心地良かったのを覚えている。
そうしてしばらくベインに任せてぼーっとしていて……サラッと爽やかな早朝の風が吹いて、いつもより首元が涼しくなったなーって思ったところで、ベインが陽気な声で「できた。傑作。」と宣言してきた。
「──短っ?!」
手鏡を渡されて生まれ変わった自分の顔を見た第一声は、それだった。
肩上くらいまでの長さに切ったはずの髪は、自称・天才美容師の才能によって、顎あたりの長さまでサッパリ切られてしまっていた。
慌てて横を向いて一生懸命横目で鏡を見てみたら、後ろ髪も首筋が丸見えになるくらいに短くされていた。
「どうりで首元が涼しいと思った!」
思わず間抜けな感想を叫んでしまった私を見て、ベインは
「どう?似合うっしょ。
級長、首長いし生え際も綺麗だったから、ちょっと調子に乗っちゃった。
けどイケると思わん?これ。どう考えても一番可愛い髪型になったって。圧倒的に俺好み。」
と言って、一人でその出来栄えに悦に入っていた。
「…………そうかな?」
そう言われてみるとたしかに、思っていたよりもだいぶサッパリとしてしまっていたけど……今までで一番自分らしくなれているような気がした。
一歩間違えればただの男子のような髪型なのに、今までで一番、大人びた女性の雰囲気が出ているような気がした。
だんだん満更でもなくなっていく私の表情の変化を見て、ベインは笑いながら「そうそう。これが級長の『最適解』。」と、遠慮なく自分の趣味を私に押し付けてきた。
「眼鏡掛けてても似合うとは思うけど。
この髪型なら、眼鏡ない方が似合うな。うん。」
謎に専門家のように言い切るベインに乗せられて、私はこの生まれ変わった新しい自分の姿を、すっかり気に入ってしまった。
──最初から失敗必至の逃避行。
目的を果たしたら自首するだけ。そうなればずっと檻の中。
すぐに終わりが来るって分かっていたはずなのに──……それでも、あの駆け落ち初日の散髪で、私は初めて「自由」を手に入れた気がした。