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7 ◇回想◇ 失敗必至の逃避行(1)

全12話+後談1話執筆済。基本毎日投稿予定です。


〈注意書き〉

過激ではありませんがR15相当の描写があります。暴力的要素等が苦手な方はご注意ください。

 私はずっと、自分の【ユキア】という名前が嫌いだった。

 母の名前に、少し響きが似ていたから。母を彷彿とさせるから。


 そして、自分の母親似の顔も嫌いだった。


 自分で言いたくはないけど、もし娼館にいたら一番人気になれていたと思う。そのくらい「色気」だけはあると思っていた。

 挑発的な目つきな自覚はあった。薄めの唇は妙に血色が良くて目立った。顎がスッキリとした骨格で、華奢な印象があった。

 髪が紫色なのも……何だか、上品ではなく、悪い方向に作用している気がした。


 ……まあ、()()()()()あの父親は見た目だけで母に食い付いて、母は娘の私を置いて逃げたんだけど。


 見た目で決めつけるのは良くない。偏見で語るのは良くない。

 そんなのは百も承知の上で言わせてもらう。


 父と結婚した母。母に暴力を振るうようになった父。そして娘を置いて逃げた母。

 なんて()()()()()の、娼婦と娼館の客みたいな出会いと別れだろう。


 だから私は、この母親似の娼婦みたいな見た目が嫌いだった。



◇◇◇◇◇◇



 自覚があったからこそ、私は自衛を徹底した。

 逃げた母と血が繋がっている時点で、父からの私への暴力はゼロにはできないけど。


 でも少しでも母の面影を消すために、私は目元が目立たないよう、黒縁の伊達眼鏡を掛けた。

 そして少しでも色気が無くなるよう、洒落っ気が無い三つ編みをカチカチに編んだ。


 見た目だけじゃまだ足りない。

 私は学校では「つまらない優等生」になった。

 ひたすら真面目に授業を聞いて、ノートを几帳面に取って、休み時間も勉強。

 皆が嫌がるようなクラスの雑用の「級長」の仕事を、積極的になり過ぎず、ちょうど良い頃合いを見計らって引き受ける。


 成績は良過ぎないように(じょう)()程度に調整した。

 運動神経は少し悪め。美術の作品は真面目で丁寧だけどセンスは平々凡々。

 友達は作らずに、皆と程よく距離を置いた。


 何故かって?

 私は通知表に、先生から〈ユキアさんは真面目で、とても素直な良い子です。級長の仕事を頑張ってクラスに貢献しています。〉以外の評価を書いて欲しくなかったから。


 もし〈彼女の態度には問題があります〉なんて書かれたら、父に激怒されるに決まっている。

 かと言って、逆に〈彼女には素晴らしい才能や魅力があります!〉なんて書かれたら──それも、父の癇に障るはずだから。


 だから、ひたすら害のない「いい子」になった。



 今まではそれで乗り切れた。

 我ながら上手くできていた。



 ……でも、お義母様、お義兄様とお義姉様の三人が子爵家を逃げ出してから、流石に耐えられなくなってきた。



 予想通り、父の怒りはすべて私に向かってきた。

 死なないと頭では分かっていても、父を視界に入れた途端、体が目に見えてガタガタ震えるようになってしまった。

 子爵家の屋敷に一歩足を踏み入れた瞬間から、生きた心地がしなくなった。廊下の曲がり角の向こう側から来るんじゃないか、閉まっている扉のドアノブが動くんじゃないか、今もう真後ろに立っているんじゃないか──恐怖で動悸が止まらなくなってしまった。



 だから、私は避難場所を探すことにした。


 最終学年だから授業が夜コマまであることにして、級長の仕事量も増えたことにして、学校の本校舎が閉まるまで図書館で粘った。

 それから最後まで居残っていた流れで、先生の旧校舎施錠も手分けして手伝うようにした。そして何とか今までの「無害な真面目人間」という評価の蓄積をもって、「旧校舎の施錠を任される」ことに成功した。


 私は本当に上手くやったと思う。

 先生に「ユキアさん。親御さんが心配してしまうんじゃない?勉強を頑張るのもいいけど、ほどほどにね。たまには早く帰って息抜きすることも重要よ。」と言われてしまったから、旧校舎の施錠を引き受けるのは週3回程度に留めるようにしたけど。

 夜の8時に旧校舎を施錠。……でも実際は、明かりをすべて消してから、周辺住民に怪しまれない程度に旧校舎内でゆっくりしている。それから夜の9時前にようやく出る。

 そうやって、父と晩餐の時間をずらすことに成功した。上手くいけば、夜は一度も会わずに済んだ。……夜中に自室の扉越しに「出てこい!」って怒鳴られる日は台無しになってしまうけど、それはさすがに避けられないから。そこはもう、諦めて耐えた。


 二度の長期休暇は、学校の図書館も夕方5時半に閉まってしまうから地獄だったけど。

 それでも、私は何とか乗り切った。私は本当に上手くやった。



 そうして、あと1ヶ月。

 あと少し耐えればいい。もうすぐ私も逃げ出せるって思っていた矢先に──私は偶然、聞いてしまった。


 いつものように父の出現に警戒して全神経を使いながら屋敷内を歩いていたとき、書斎の扉の向こう側から、通話機で話す父の声が。


「──ええ。そうですね。

 ()()()()()()()()そちらに寄越してしまった方がいいでしょうかね。

 ──……はっはっは!ええ!はい。──」



 まずい。



 私は心臓を破裂しそうなくらい鳴らしながら、足音を鳴らさずにすぐにその場から離れた。


 早く逃げなきゃ。……早く、早く逃げないと。私も早くお義姉様たちのところへ──……!

 明日、父がいきなり屋敷に資産家ジジイを連れてきて私を引き渡してもおかしくない!!


 私は必死になって考えた。


 でも、お義兄様の就職先がどうなっているのか、まだ私には分からない。お義姉様夫婦が王都に本当にいるか分からない。手紙なんて貰えないから。

 まだお義母様からの連絡がないから、迎えに来てくれていないから……!

 どうする。どうする……まずはとにかく、馬車に乗ってこの領を離れて、それから王都に向かって──……!


 その通話を盗み聞きしてしまった次の日、学校を無断欠席して先生から「ユキアさんはどうされましたか?」なんて父に連絡でも入ったら一巻の終わりだと思ったから、とりあえず平静を装って、何とか普段通りに登校した。


 でも、それから数日は生きた心地がしなかった。



 そんな卒業1ヶ月前の平日の、夜の9時前。

 旧校舎の施錠を終えて、今日はまだ大丈夫であれと祈りながら死ぬ思いで地獄の家に帰ろうとしたとき。


 私以外にもう一人、今にも死にそうな人間が無人の学校の敷地に現れた。



 それは、1学年のときからずっと私と同じクラスの、万年サボり男。

 元々なのか本当に眠いのか、いつもやる気の無さそうな死んだ目をしていて、特にここ1ヶ月近くは1日も登校してこなかった──よく分からない問題児【ベイン】だった。



 ──そしてそのベインは血だらけで、()()()()()()()()()()()()()()



◇◇◇◇◇◇



「──ベイン?!」


 私は夜の学校の敷地で、思わず悲鳴をあげてしまった。

 暗闇の中にいた私の声に気付いたベインは「……あ、級長。ごめん、本校舎開いてない?まだ先生残ってたりしない?」と顔を歪めながら尋ねてきた。


「そんなことより!その傷!っ、腕!!どうしたの?!早く……早く治さないと!」

「いや、治すも何ももう……それより本校舎──」

「いいから!早く!そこで止まって!それ以上動かないで!!」


 私は叫びながらベインの元に駆け寄って、慌てて()()()()を掛けた。


 私が魔法を掛けると、ベインの左腕は()()した。


 …………良かった。さすがに負傷から1日は経ってなかったんだ。

 無我夢中で魔法を使ってみたけど……良かった。何とかなった。


 私はホッとして──次の瞬間、ハッとして青ざめた。


 あ。……私、聖女の能力があるってこと──



 私がそう思ったのと同時に、目の前のベインから拍子抜けする声がした。



「…………うわっ。級長、聖女だったんだ。」



「えっ?それだけ?」



 私は思わずベインの顔を勢いよく見てそう言ってしまった。

 リアクションが薄すぎる。私の方が拍子抜けしてしまった。

 それからふと、ベインのこの中途半端な驚き加減には覚えがあるなと思って記憶を辿って、すぐに思い出した。


 ……あれだ。夏季休暇明けのとき。

 先生に頼まれて夏季休暇の課題を早く提出するようにベインのところに催促しに行ったら、ベインが「あー……あと3日待って。……ってか、あんなん終わらなくね?量多すぎ。級長も終わってないっしょ?」って言ってきたから「私は最初の1週間で全部終えたけど。」って返した。

 そうしたらベインは、眠そうな目を少しだけ見開いてこう言ってきたんだ。

「うわっ……級長、終わらせんの(はや)。」って。


 今のベインのテンション、あのときと完全に同レベルだった。



 …………私の聖女の能力って、夏季休暇の課題程度の衝撃でしかなかったってこと?



 ベインは私の視線を受けて「驚いたけど……悪い。疲れてて驚けない。」と、リアクションに失敗したことを覇気のない声で謝ってきた。


「まあ…………そうよね。」


 私は納得した。


「……って、そうよ。

 ねえベイン。この腕、どうしたの?何があったの?」


 私が尋ねると、ベインは何とか重傷から回復はしたもののかなり血を失ってしまっていたのか、文字通り血の気のない顔色でいつもよりも弱々しく、よく分からないことを言った。


「──魔物が来てんの。()()()()()。あの山の放牧地のところに。

 だから、王国に通報したくて。学校の通話機貸してほしかった。」


「…………どういうこと?」


 私はよく分からなくて聞き返してしまった。

 するとベインは、よく分からない説明を重ねてきた。


「飛竜の親子に、俺ん家の放牧地が狩り場に使われてる。

 今日も何とか()()()()()けど、腕喰われたから……。

 家っつか領主邸行くより、学校に下ってきた方が近いから、こっち来た。

 さすがにこんだけ怪我してたら()()()()()()()と思って。」


「……えっと、よく分からないけど、本校舎はもう閉まってる。

 それに今、学校の通話機、壊れてて新しいものに買い替え待ちだって。……昨日先生が言ってたの。」


「………………は?」


 私がそう言うと、ベインは血の気のない顔のまま目を見開いて、絶望の表情をした。

 そしてそれから、張っていた気が途切れたのか、その場に倒れ込んで「………………休む。無理。」と言った。



 私はそのとき、頭の中で「──そうだ。早く帰らないと、さすがに父に怪しまれる。」と咄嗟に思った。


 今振り返るとかなり非常識だったと思う。

 片腕を失う重傷を負ってきて倒れ込んだ同級生。普通ならば彼の心配をして、看病をして、夜でも病院に連れて行くなり、近くに住む大人に助けを求めるなり──然るべき対応を取るべきなところだったのに。


 でも私は頭の中が父への恐怖で埋まってしまっていたから、真っ先に父の機嫌を損ねないための判断をしてしまった。

 

「ベイン。私、もう帰らなきゃいけないの。

 ……これ。旧校舎の鍵を渡しておくから。それを使って旧校舎に行って、そこで休んだら?水道で水も飲めるから。」


 倒れているベインを前に、私はそんなズレたことを言った。


 でもベインは「助かる。あんがと級長。……ちょっとそこに置いといて。」と言ってくれた。

 ベインはベインで、相当ズレた感覚を持っていた。


 私はベインを心配しながらも、夜9時が回ってしまった校舎の時計を見上げて、急いで走って家に帰った。



◇◇◇◇◇◇



 翌朝。

 私は無事に資産家ジジイ送りにされずに一晩を超えて、登校日を迎えた。


 旧校舎の鍵を早く回収して先生に渡さなきゃいけないというズレたことをまた考えながら、いつもよりも気持ち早めに家を出て、まだ誰もいない時間に走って学校に行った。


「──ベイン!生きてる?!」


「………………生きてる。」


 旧校舎に入ってすぐの廊下の水道のところで倒れていたベインを見て思わずそう声を掛けながら揺さぶると、ベインは生きていて返事をしてきた。


 ベインは体調が悪いのか、そもそも寝起きが悪いのか、上半身を起こしてしばらくぼーっとして、それからゆっくりと脳を起動させて、私にお礼を言ってきた。


「…………あー……昨日はありがと。助かった。マジで。」


 でもそれから、ベインは一人でハッとして、お礼とは真逆のことを口にした。


「──あ!腕、治っちゃった!やばい。駄目じゃん、終わった。」


 私は意味が分からなかったけど、とりあえず文句を言った。


「何?どういうこと?腕を治してもらいたくなかったってこと?」


 するとベインは、まだ眠いのかしばらくまたぼーっとして、それから説明してくれた。


「…………俺ん家。

 パルクローム領主家が持ってる、牧場。放牧地。」

「……知ってる。」


「そこに、1ヶ月くらい前に、大型飛竜の親子が来て……アイツらが……飼ってた()()が喰われた。

 そんとき俺はアイツらを守ろうとして、その飛竜の親子を追い返したんだけど……。」


「『飛竜を追い返す』って…………本気?嘘でしょう?」


 私が思わずそう言うと、ベインは苦虫を噛み潰したような顔をした。


「……そう。俺が追い返したから、信じてもらえなくなった。

 俺が領主邸に行って、親父に『飛竜が出たから通報して魔導騎士団呼んでくれ』って頼んだら──


 ──『飛竜が出たなら、何故貴様が生きているんだ。』って言われた。


 そんで、通報してもらえなかった。」


「…………何それ。」


「だから、親父の目を盗んで通報した。

 そしたら一回は来てくれたんだよね。……ちゃんと。王国から派遣された魔導騎士団が。


 でも、飛竜の巣はあの山じゃなくて、あと幾つか離れた山にあったらしくて……捜索しても見つかんなかったって。

 それでも魔導騎士団側は『飛竜は狩り場を離れたとこに作る場合もあるから、しばらくパルクローム領にいて様子見する。』って言ってくれてたんだけどさ。


 ……だけど、親父が追い返した。

 親父は、俺が嘘ついて親父の気を引こうとしただか嫌がらせしようとしたと思ってたらしい。


『息子には()()()()()()()があるから、よくそういう通話を掛けて遊んだりするんだ。』っつって。

()()でわざわざ来させてしまって、申し訳ない。』って、俺がいないときに勝手に魔導騎士団を帰した。

 ……『放牧地にまで来ていたのに、その場にいた息子が無傷なのが、その証拠だ。』っつって納得させて。」


「………………。」


 昨日の片腕を無くしたベインの姿を見ていなかったら、私も信じなかったかもしれない。


 ……でも、昨日のあの光景のお陰で、私はベインの話が本当だと理解できた。


「だから、もう一回通報したけど──……そんときは通話してたのが親父にバレて、即取り消された。『もう二度と息子からの通報は聞かなくていい。』っつって。


 前に一度学校にも来て、職員室の通話機借りたいって頼んだんだけどさ。『遅刻と欠席の理由にしては酷すぎる』って言われて終わった。親父と同じように、だったら怪我してないのがおかしいっつって。

 しかも先生がさ、魔導騎士団じゃなくて()()()連絡しちゃったんだよね。『息子さんがこんなこと言ってますけど』って。


 ……そんで親父に殴られたとかはもうどうでもいいんだけど、とにかく、飛竜が来んのが止められない。


 今までは俺が追い返してた。でも、その間にまた喰われた。牛が2頭。

 ……もうこれ以上、俺の友達が飛竜に喰われんのは許せない。

 でも、どうしていいか分かんない。俺一人じゃ飛竜の親子を倒しきれない。


 だから──昨日飛竜の親に腕喰われてもう無理だと思ったんだけど──……気付いたんだよね。()()ならさすがに学校で信じてもらって通報してもらえるかもって。


 ……でも級長に治された。終わった。証拠無くした。」


「…………ちょっと。」


 私は最後のベインの物言いにそう一言だけ返した。


 そして──私は初めて、ベインに()()をした。


 …………そうだった。

 このベインは「パルクローム領主の()()()」だった。領主様の不倫相手の子どもで……私と同じ。母親に置いて行かれた立場の人間なんだった。

 そもそも。私もベインも魔法が使える貴族の血を引く人間で実家はまあまあな金持ちなのに、貴族向けの魔法学校じゃなく普通科学校に通わされている時点で、家の中での扱われ方は……お察し、ね。


 私がそう思ったとき、ようやく脳が起動しきったのか、ベインが当然の疑問をぶつけてきた。


「……あれ?ってか、級長『聖女』なん?何で?

 こんな地方(とこ)にいていいやつ?駄目じゃね?」


 …………ベインにはもう昨日能力を使ってしまった。今さら伏せても無駄よね。


 私は開き直ってベインに教えた。

 ……というか、これ普通に中等部で習う内容なんだけど。割と常識っていうか、有名な法律なんだけど。


「そう。駄目よ。《聖女保護法》違反だから。


 ──聖女の能力が発現した場合、速やかに王立魔法管理局または公認修道院に申告しなければならない。

 ──聖女の能力を意図的に隠し、私的な能力利用をしていた場合は《聖女隠蔽(いんぺい)罪》となり、懲役刑10年以上が課される。


 聖女の存在を知る周囲の人間に対しても、同様。

 ──聖女の能力保有者を意図的に隠し、私的な能力利用を黙認または享受、強制していた場合は《聖女隠避(いんぴ)罪》となり、懲役刑30年以上が課される。


 だから、ベインも昨日のことを黙っていたら罪になるわよ。

 ……私としては、今は見逃して欲しいんだけど。ベインが黙っていてくれたら嬉しい。」


「何で?」

「いろいろあるのよ。私にも事情が。

 時が来たらちゃんと自首するつもり。ベインに昨日能力を使ったことは伏せてあげるから、心配しないで。」

「……ふーん。」


 ベインはそう言って、何かを考える素振りを見せた。


 もしここでベインが騒ぎ出したら、私は懲役10年以上が即確定してしまう。

 でも私はこのとき不思議と、ベインならばそうしないだろうという根拠のない確信を持っていた。関わりがないなりに3年間クラスメイトだった者の経験則とも言える。

 私は微塵も不安にならずに、何かを考えているベインを凪いだ心で見つめていた。


 ベインはしばらくして、まだ考え事を続けているように視線を斜め上に向けたまま……私に()()を持ち掛けてきた。


「………………級長さ。」

「何?」

「俺、級長のこと黙ってるからさ、級長のその聖女の能力をもう一回使わせてもらってもいい?」

「……どういう意味?もう一回ベインも犯罪したいってこと?」


 私が首を傾げると、ベインは信じられない狂ったことを口にした。


「昨日みたいに級長に再生してもらいながらなら、()()()()()()()()()()()()()()かも。……多分いける。

 そうすれば、通報してもらえなくてもアイツらを守れる。

 だからさ、級長。一回だけでいいから飛竜倒すの手伝ってくんない?」



◇◇◇◇◇◇



 ベインはそれから


「まあ、昼までに考えておいて。飛竜は昨日追い払ったばっかだから、今までの感じだと明日くらいまでは来ないし。

 俺、制服じゃないし今日はこのまま旧校舎の屋上行って寝てるわ。──じゃ、また後で。」


 と言って「…………あ、金ない。飯ない。死ぬ。……まあいいか。水道あるし。」と独り言を呟きながら、旧校舎の階段を上がって行ってしまった。


 私は突然の提案で頭が回らなかったから、そのまま一旦いつも通り、職員室に旧校舎の鍵を返しに行った。


 それからいつも通りに授業を受けながら、ベインにされた交渉について考えだした。


 昨日の夜から変な夢を見ているようで、朝も全然頭が回っていなかったけど…………考えていくうちに、もしかしたらこれは「使える」のではないかと思えてきた。


 私は授業を聞き流しながら、頭の中で状況を整理していろいろと計画を考えた。

 そして昼食のときに出たパンを一つこっそり紙に包んでスカートのポケットに隠して、その後の昼休みにベインのいる旧校舎屋上へと向かった。



 ベインは屋上で寝ていた。

 私がベインを起こしてパンを渡すと、ベインは「え?くれんの?級長マジ聖女じゃん。助かった〜。」とただの事実を言って喜んでいた。


 私はありがたそうにパンを食べるベインを見ながら、午前の授業中に考えてきた()()をすることにした。


「ねえ、ベイン。

 私、考えてきたの。……いいわよ。協力する。

 ベインが飛竜を倒すのを治癒魔法を使って手伝えばいいんでしょう?

 試してみたことはないけど、多分、昨日の感じなら3回くらいなら使えると思う。」


 私の言葉を聞いたベインは、いつもの眠そうな目を大きく見開いて、見たこともない顔で喜んだ。


「まじで!?3回!?級長ありがとう!それなら絶対いける!!」


 私は初めて見るベインの嬉しそうな表情を見ながら、交換条件を提示した。


「その代わり、私からもお願いがあるの。」

「何?何でもするよ。級長にそこまでしてもらえんなら。」


 そして私はベインの言葉を聞いて、私も私で客観的に見たら相当狂っていることを頼んだ。


「ベイン。飛竜の親子を倒せたら、私が地元(ここ)から脱出するのに協力して。

 私は一刻も早く、実家の子爵家から逃げたいの。」


「…………はい?」


 ベインは喜んでいた顔を今度はポカンとさせた。

 いかにもな優等生の私が、いきなりそんなことを言い出すとは思っていなかったようだった。


「あのね、私も今、困っているの。追い詰められているのよ。

 私、このままだと卒業を待たずに資産家のゲイラー卿と結婚する羽目になるの。だから一刻も早く逃げ出したいのよ。」

「ん?ごめん級長。……(なん)て?」


 ベインが聞き直してきたから、私は繰り返した。


「私このままだと資産家のゲイラー卿と結婚する羽目になるの。それが嫌で逃げたいの。」

「ごめん級長。……何て?」

「ちょっと!何度も聞き直さないでよ!」

「いや、ごめん級長。……何て?」

「だから!私、父に()()()()()になっているの!あの資産家ジジイのところに!」


 地元でも有名な、パルクローム領主よりも金持ちな悪名高い老人ゲイラー卿。

 ベインもその老人の存在は当然知っていたようで、脳が理解を拒絶していたようだった。


「うわ…………級長かわいそ。」


 ドン引きしながら私に同情してくれたベイン。

 どうやらベインは今の話で、私の家庭での立場を何となくお察ししてくれたようだった。


「だから私、もう学校の卒業とかどうでもいいのよ。早くしないと自分の身が危ないの。

 でも、私一人で馬車を借りて逃げようとしたところで、どうせすぐに足がついて連れ戻されてしまう。

 それで、一度でも逃げようとしたとなれば……もう父にも資産家ジジイにも、何をされたっておかしくない。私はそれが怖いの。」


 ベインは何だか気まずそうな顔をして視線を泳がせた。

 多分、話を聞いて「本人を前にして一瞬いろいろ想像しちゃってごめんなさい」とでも思ったのだろう。


「だからね?ベインに私が逃げるために協力して欲しいのよ。

 最悪、馬車の手配を代わりにやってくれるだけでいい。……でもできれば、私と一緒に山を一つ分、馬車を使わずに数日かけて抜けて欲しいの。


 ただ、それでも不安だから……山を越えた先の街に出るくらいじゃ、見つけられてしまう気しかしないから──……


 ──だから、欲を言えば、ベインに一緒に逃げて欲しいの。()()()()()()の間。


 私と資産家ジジイの婚約解消ができるまで。それと、私が子爵家から勘当されて絶縁手続きをされるまで。

 ……父が、私のことを諦めて捨てるまで。


 逃げた先の役場で戸籍を確認すればいい。確認でき次第、私は《聖女保護法》違反の罪を自首するつもりよ。

 それで《聖女隠蔽(いんぺい)罪》で懲役10年になれば、私の身の安全は確実に保証できるでしょう?囚人になれるから。

 そこまで、欲を言えばベインに付き合ってほしいの。」



◇◇◇◇◇◇



 ベインは私の発言を聞いて、すぐには返事しなかった。私はベインに


「私一人だと絶対に無理だけど、飛竜を追い返せるくらい強いベインがいれば、山を抜けたり、足のつきにくい冒険者ギルドでお金を稼いだりして行けるでしょう?」


 と付け足した。


 ベインの「飛竜の親子を倒したいから、聖女の能力を3回使いたい」に対して、厚かましい要求だとは思った。

 だから、私の一番理想の「数ヶ月一緒に地元を離れて逃げて欲しい」はさすがに無理だとしても、せめて「山一つ抜けるまで協力して欲しい」は叶えたかった。



 私はベインの反応を待った。

 ベインは「ん〜……」と言ってから、一つ疑問点を挙げてきた。


「級長が家から逃げたいのは分かったんだけど。

 ……級長、最終的には自首するつもりなんでしょ?『身の安全を確実に保証』するために。」

「そうよ。」

「だったら、地元(ここ)ですぐに自首すればいいじゃん。それで懲役10年になれば、さすがに結婚しなくて済むっしょ。

 それに出所後も聖女様として国の保護対象になんじゃないの?」


 私は当たり前の疑問にこう答えた。


「理由は一つじゃないんだけど……でも一番は、お金。」

「金?」

「そう。聖女の能力って、ベインの言う通り保護対象になるでしょう?聖女の能力を使って王国に貢献するたびに、私の()()()()報酬金が入っていくの。

 私はそれが許せないのよ。父の金蔓(かねづる)にはなりたくない。だから絶縁したい。父に、親子間での権利を全部放棄して欲しいの。

 ……いけると思う。私がゲイラー卿との婚約を無視して逃げれば、父は法外な違約金支払いに迫られるはず。そうなったら私は勘当されるに決まってるもの。父はその違約金を払えないはずだから。」

「なるほどね。」


 ベインはそれを受けて、少し考えてから私の取り引きに応じた。


「いいよ。分かった。級長が数ヶ月逃げるの手伝う。

 ……ってか、級長が自首するときに俺もするよ。最後まで付き合うよ。

 だって俺もこれから『私的な能力利用を黙認または享受、強制』だっけ?するわけだし。俺は懲役30年だっけ?何でもいいけど。

 どうせ懲役刑になんなら、その前の数ヶ月なんて誤差っしょ。」


「えっ?!本当にいいの?!ベインはそれで釣り合ってる?」


 私はまさか最後(自首する)まで付き合ってもらえると思っていなかったから、驚いて確認した。

 そうしたらベインは迷いなく頷いた。


「うん。だって級長の力を借りれば、牧場のアイツらを飛竜の親子から守れるし。俺にとっては充分それで釣り合う。アイツらみんなの命に比べたら、安いもんでしょ。

 それに、そもそも級長の聖女の能力がなかったら、いま俺、腕無いわけだし。片腕だったらもう飛竜倒すどころか追い返すのも無理になってた。そう考えたら、むしろこっちの方が釣り合ってないって。」


「そう?……そっか。……そうよね。ベインの腕も治したし……。」


 私がそう言いながら考えていると、ベインは「級長優しすぎない?遠慮しなくていいよ。」と言って笑った。

 そしてそれから、ベインはさらに私にとってありがたい提案をしてきた。


「──あ。ねえ級長。今ちょっと思いついたんだけどさ。」

「何?」

「級長、確実に実家から逃げたいんでしょ?追っかけられて連れ戻されたくないんだよね?」

「そう。」

「そんでもって、ついでに勘当されたいわけだ。」

「そうよ。」


「だったらさ、ちょうどクラスメイトの男子の俺と逃げるわけだし。

 ついでに《駆け落ち》ってことにしちゃえば良くない?」


「…………は?」


「そうすればもっと楽になるよ。

 ただの行方不明だと捜索願いを警察に出されて探されたりして面倒になりそうじゃん。でも《駆け落ち》なら本人の意思だから、警察は動かないっしょ。その方が逃げやすそうじゃね?

 それに、その理由の方が婚約の契約違反の違約金も跳ね上がりそうだし、親にも勘当されやすくなりそうだし。」


「──たしかに!!」


 私は目を丸くして驚いた。

 ベインの案を聞いたとき、一気に自分の逃亡計画の成功率が跳ね上がった気がした。


「級長が俺と駆け落ちしたことになっちゃって良ければ。俺は全然いいけど。」

「うん!いい!全然問題ない!むしろベインはそれでいいの?!そこまでやってくれるの?!」


 私が聞くと、ベインは


「級長めっちゃ喜んでるけどさ。俺の頼みの方がやばくね?

 まず級長には飛竜来るところに一緒にいてもらわなきゃいけないんだから。級長の方が命懸けてくれてんじゃん。」


 と言って苦笑した。


 ベインはそう言っていたけど、あのとき私は何故か、飛竜との戦いについていくことに不安はなかった。

 まだ見たことのないベインの強さを信頼していたというよりは、このまま実家に残って資産家ジジイのもとに嫁がされる方がよっぽど死に近いと思っていた──と言った方が正しかった。



 私はこのとき、人生で一番頭が悪くなっていた。


 より確実に実家から逃げ出せそうだということになって、それがとにかく嬉しくって──……全然、気付いていなかった。



 ただの同級生(わたし)の願いをより確実に叶えるためだけに、


 いきなり実家も学校の卒業も捨てる決断をして、


 大して仲良くもない(わたし)と《駆け落ち》して、


 ──最後には自首して懲役30年の刑を受ける。



 そんなの、誰がどう考えても狂っていた。



 私はその後の人生を地獄にしないために、実家から逃げ出そうとしていた。

 でも、そんな私に付き合う決断をしたベインは、逆だった。


 彼はあの瞬間、牧場の家畜たちを守るために、()()()()()()()()()()()()()()()()()



 その事実に気付けなかった。……私は、頭が悪すぎた。



「……いきなりではあるけどさ、意外と疑われなさそうな気がするんだよね。先生たちにも。俺と級長の組み合わせ。」


 一連の交渉の話の最後。ベインは謎の自信を見せた。

 私が「どういうこと?」と聞くと、ベインは少し悪そうな笑顔に変わった。


「ん〜……級長みたいな『真面目で、お堅くて、融通効かない、孤立してる系』の女子ってさ──……」


 ……狙い通りの印象とはいえ。

 失礼な言葉を面と向かって並べてきた彼は、最後に納得しかないド偏見を口にした。


「俺みたいな『素行不良な成績最底辺のバカ』に絆されて、道踏み外して『無謀な駆け落ち』しそうなイメージ()あるっしょ?」


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