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5 ◇ 不条理な真実の傍観者

全12話+後談1話執筆済。基本毎日投稿予定です。


〈注意書き〉

過激ではありませんがR15相当の描写があります。暴力的要素等が苦手な方はご注意ください。

 長い長い、暗くて重い話を終えたリサ様は、辛そうに息をついた。

 そして、しばらく無言で自分の握りしめた手を見つめていた。


 私はその時間を使って、リサ様からの話を整理していた。



〈複雑な事情が絡んだ再婚一家。

 後から入籍してきたリサ様たちは、ユキア様に庇われながら子爵家から脱出した。

 そしてその1年後に、ユキア様は父親の子爵から逃げ出す予定だった。……資産家老人との結婚を(まぬが)れるために。

 でもユキア様は何故か義兄を頼るのではなく、計画を変更して『恋人と《駆け落ち》する』という形で逃げ出した。〉


 ここまでは、リサ様が語った事実。

 そこから順当に現在の状況と私が知っている情報を合わせると、こう続く。


〈その駆け落ち相手の恋人は、例のベイン様。

 ユキア様はベイン様と1年8ヶ月の逃避行を続けた後、ベイン様と別れた。

 そして1週間後、自分が聖女であることを隠していた《聖女隠蔽罪》の罪で逮捕され、懲役10年を課された。

 一方でベイン様は、彼女と別れてから王都に来て魔導騎士団に入団。現在は部隊長として活躍している。〉



 一応、話は通っている。


 通っている…………のかな?



 破綻はしていないかもしれないけど、ところどころ違和感がある。


 リサ様の話を聞いた部分はすべて納得できたけど、いきなり恋人と駆け落ちをした、後半。【ベイン】様の登場部分あたりから、急に変な歪みが出てきてしまったような気がした。


 推理小説の中盤で、まだ決定的な情報や証拠が出揃っていない中で犯人と真相を推理しているような……そんなもどかしさを感じた。



 ……情報が足りない。

 それに、今はまだ頭の中がごちゃごちゃしちゃってて分からない。


 でもとりあえず、一つ。私は自分の勘違いを修正することができた。


〈ユキア様が言っていた「絶対に許さない()()()」。

 恐らくそれは【ベイン】様のことではなく、実の父親の【エンシーラ子爵】のことだ。〉


 ユキア様に直接聞いたときは、私が「ベイン様のことですよね?」って質問して、そこからベイン様の話になってしまっていた。

 でも振り返ってみると、ユキア様はベイン様のことは「名前を聞きたくないとは言っていない」と言っていた。

 彼を「気狂い」なんて表現していたけど、どちらかというと、元恋人への未練や呆れのような感じがした。憎悪はあまり感じなかった。


 ……むしろ、調書に書かれていなかった家庭の裏側の事情を考えると……その実の父親の子爵こそが、完全に狂っていると思う。



 私がそこまで考えたところで、リサ様は最後に、今日彼女が何をしようとしていたのかを語ってくれた。



「私は正直なところ、ベイン様のことは何も知らないんです。

〈パルクローム領主の婚外子で、同級生のユキアと突然《駆け落ち》をした相手。〉

 ……あとは、他の王国民も知っていることだけです。

〈魔導騎士団の第1部隊長で、大槌(ハンマー)使い。21歳での入団から、歴代最速の僅か2年で部隊長の座まで上り詰めた正真正銘の天才。〉

 …………それだけです。


 ユキアが突然駆け落ちをしたと分かって、それで……いきなり王都で『特級聖女【ユキア】逮捕 懲役10年の刑』の号外新聞を目にしたとき、私は本当に衝撃を受けました。

 慌てて記事を読みました。名前が同じだけの別人だと確認したくて。

 でも、その【ユキア】の出自があのパルクローム領なことと、その聖女が《駆け落ち》をしていたことまで記事に書かれていたことで、すぐにあの子本人のことだって分かってしまったんです。


 私たちは動転しながらも、記事に書かれていた駆け落ち相手の【ベイン】様がどんな人物なのか、調べようとしました。

 子爵にバレないよう気をつけながら地元に戻って、彼の実家のパルクローム領主様のもとにも伺いました。ユキアと彼の学生時代の同級生たちに会って、話を聞こうともしました。


 …………でも、何も分かりませんでした。

 領主様には『育ててやった恩を《駆け落ち》なんて仇で返すような奴は、もう息子でも何でもない。』とだけ言われて、門前払いされました。

 話を聞けた同級生たちは、口を揃えてこう言っていました。


『ベインのことは何も知らない。そもそも彼は学校にあまり来ていなかった。来ても寝ているだけで、とにかくただのサボり魔だった。』

『ユキアさんは真面目で、級長をやっていた。模範的な優等生だった。でも友達はいなかった。休み時間も、自習か、先生に頼まれた作業ばかりしていた。』


『あの二人が《駆け落ち》したなんて信じられない。

 二人が会話をしている姿なんて、ユキアさんがベインに提出物の催促をしているとき以外、見たことがなかった。』」


 リサ様はどんどん語気を強めていって、再び手を堅く握りしめていった。


「ですから何も分かりませんが……でも絶対にベイン様は、私たちの知らない事情を知っているはず。

 ユキアのことを……何かを知っているはずなんです。


 だから、一度でいいから私の話を聞いてほしい。

 彼の知っていることを、話せる範囲でいいから教えてほしいんです。

 それで……彼がまだもし、ユキアのことを大切に想ってくれているなら、私たちに協力してほしいんです。


 ただの身内の私たちと一部の王都民だけでは、どうやっても何も届かない。何も変えることができないの。

 ……でも、王都民の誰もが知っている【魔導騎士団の部隊長ベイン様】なら……彼が【聖女ユキア】の真実を語ってくれれば……!

 絶対に、彼の言葉ならば国民も耳を傾けてくれるはず。……そしてユキアの真の姿を知れば、皆も絶対に分かるはずなんです!

 あの子は『無実』だって!《聖女保護法》なんて比じゃないくらいの、諸悪の根源がいるんです!


 たしかに私の話した子爵家の事情は、ユキアの犯した《聖女隠蔽罪》とは無関係かもしれない──しれないけれど、でも!

 でも絶対に、駆け落ちをしたのはユキアが父親の子爵と資産家老人に追い詰められたせいなんです!

 きっとそこで追い詰められて、何かあって……それで聖女の能力を報告する余裕がなかっただけに決まっています!あの子に悪意なんて絶対にないんです!


 だから──っ、あの子が服役して閉じ込められてしまっているせいで、何も訴えることができないのなら!ベイン様に代わりに訴えてほしいんです!


『ユキアは誰よりも優しい心の持ち主だ!

 たしかに罪は犯したかもしれないが、罪を犯したのには理由がある。致し方ないことだったんだ!

 ユキアは酷い家庭環境から逃げ出すことで精一杯だったんだ!そんな中で〈聖女であることの申告が遅れてしまった〉だけで()()1()0()()を課せられるなんて納得がいかない!

 ユキアは被害者なんだ!被害者のユキアが裁かれて、あの子爵がのうのうと生きているなんておかしいだろう!

 ──この国の法は間違っている!今すぐユキアを解放しろ!』


 って、私たちと一緒に、ユキアのために戦ってほしいんです……!

 国民が声を上げて、この国の間違った法律を変えるべきなんです!!」



◇◇◇◇◇◇



 リサ様が心を苦しめながらも語ってくださった(むご)い過去の現実。

 そして最後の切実な願い。


 それは、私の「良心」を酷く痛めた。


 リサ様の言う通り、現行のクゼーレ王国の「法律」に従うならば……たしかに、私がもし裁判官だったならば、こう言わざるを得ない。


「……そうですか。ユキア様は辛い環境に置かれていたんですね。可哀想に。

 ──それで?彼女が《聖女隠蔽罪》を犯した事実は変わるんですか?

 変わりませんよね。罪を犯したならば、法に則り、懲役10年です。


 ……そうですか。彼女はとても素晴らしい人格者なんですね。

 ──それで?『いい人だから罪が軽減される』なんて法律はありませんよ?

 それで罪の重さが変わってしまったら、司法制度が崩壊してしまう。我が国ではそんな『お気持ち量刑』はできません。」

 

 だからリサ様は《聖女保護法》という「法律」に立ち向かおうとしている。

 この王国を変えようとして声を張り上げていたんだ。



 …………通らない声で。


 ……………………8年半もの間。ずっと。



 声を上げ続けて…………何も、起きていない。



 ユキア様は刑に服したまま。子爵は罪に問われないまま。



 …………そして、リサ様の話を聞いた私も──……




 私はリサ様と別れて、とぼとぼと休日の王都の賑やかな大通りを歩いていた。

 リサ様は別れ際に、私に


「お時間を取って、私の話を聞いてくださって本当にありがとうございました。……こうして話を聞いていただけでも、とても救われました。

 今日のことは忘れてくださって構いません。……ユキアを、妹をよろしくお願いします。」


 と、深くお辞儀をしてくださっていた。



「お礼を言われるようなことなんて、何もしてない。

 …………私、何の役にも立ってない。」



 私は立ち止まって、口に出して呟いた。

 そうしたら何故か、自分の言葉で涙が溢れてきた。


 今日、私はリサ様に勇気を振り絞って話しかけた。

 今までの学生時代のお固い殻を破って、自分の意思で一歩踏み出した気がした。

 そして、それが自分の「成長」だと思った。


 …………でもその結果は?


 何も変わっていない。何も起きない。何の意味もなかった。


 私が今日の話を聞いたところで、魔法管理官の「規律」を守らなきゃいけないから、ユキア様にリサ様の声を届けられるわけじゃない。

 ただ、話を聞いて(つら)い気持ちになっただけだった。


 私はこれからきっと、心の中で「ユキア様が可哀想」と思いながら、残り1年半くらい、ユキア様をただ見続けるだけなんだ。


 その間、リサ様が必死になって声を上げ続けても、それも何の影響ももたらさない。だって、8年半変わらなかったんだから。

 だから、普通にユキア様はあと1年半、粛々と刑に服して、懲役10年をやりきって出所するんだ。私はその間「法に則った罰だから仕方ない」って思いながらユキア様をただ見続けるだけ。


 ……何も知らなかった今までも、ただ見続けていただけ。


 辛い背景を知ってしまったこれからも、ただ見続けているだけ。


 私は、何かをしてもしなくても、何も変わらない。



 …………無意味すぎる。


 ………………私、ただ今日、胸糞が悪くなって終わっただけだ。


 この世界の不条理さに。



 王立機関に受かって「私も今日からこの王国を動かす一員になるんだ!」なんて張り切っていた私。



「『王国を動かす』なんて、何言っちゃってたんだろう。笑っちゃうよ。」



 私はそんな暗い気持ちで、とぼとぼと歩いて家に帰った。



◇◇◇◇◇◇



 リサ様の話を念のためにまとめて資料にしておこうと思って……でも虚無感や胸糞の悪さの方が(まさ)って、私は何もせずにその日を終えた。


 ……どうせ変わらないから。何をやったって。


 真実なんて知るだけ無駄。むしろ知らない方がいい。


 そう思っていた週末が終わり、再び修道院で過ごす平日がやってきて、3日が経ったときのこと。



 ゴーーン……ゴォーーン……ゴォーーン…………



「…………あ。」


 14時半。

 修道院の中庭の片隅で陽の光を浴びながら護身術の練習をしていたら、王都の空に魔導騎士団施設の鐘の音が鳴り響いた。


 この鐘の音の鳴り方は「討伐隊の帰還」の音だ。


 3日前に団長のラルダ様と部隊長のベイン様が率いていた、第1部隊の帰還の鐘。

 ……あのベイン様が帰ってきたんだ。


 ユキア様が動きを止めて、見えない修道院の外側を見るように、遠くを眺める。


 ………………。


 ユキア様は何も言わなかった。

 それから護衛の方に習って、護身術の練習をしていた。


 15時前になり、私たちがまた建物内に戻ろうとしたとき。

 例の大通りのある方角から、帰ってきた魔導騎士団の隊列を見てはしゃぐ王都民たちの歓声が微かに聞こえてきた。


「…………ここまで聞こえてくるんだ。」


 平日なのに。


 休日よりは沿道の人数は多くないはずだけど。

 それでも、こんなに離れている修道院まで声が届くんだ。


 私はそんなことを思いながら呟いた。



 ……その日、ユキア様は15時からの自由時間、そっと静かに横になって目を閉じたまま、何も喋らなかった。



◇◇◇◇◇◇



 ユキア様の監視役に配属が決まったときに、目を通した資料。

 8年半前から変わらず、何かを黙り続けているユキア様。

 思いがけず出会い、そして知ってしまった、リサ様が語ったユキア様の過去。


 中途半端に繋ぎ合わせる気にもならなくて散らかしたままになっている、私の中のユキア様の罪と経緯。


 ユキア様が真実を語らない限り、今すべてが綺麗に繋がることは絶対にない。



 ……どうせ変わらないから。何をやったって。


 真実なんて知るだけ無駄。むしろ知らない方がいい。


 だから、もうこれ以上の情報はいらない。

 ピースの揃わない穴だらけのパズルのような推理はしたくない。見たって虚しくなるだけだから。

 ……どうせきっと、リサ様の話のように胸糞が悪くなるだけだから。


 そう思って数週間過ごしていた私に、ある日、避けられない邂逅がやってきた。


 変わらない日課(ルーティン)。1日の勤務時間の最後の懺悔室。

 顔の見えない格子越しに、最後の推理のピースを持った人物が現れた。



「久しぶり。遊びに来たよ、級長。……級長だよね?」



 16時23分。

 その日、最初の懺悔をしにきた人物。


 その男性の声を聞いた途端、ユキア様の退屈そうだった表情が変わった。



「……私よ。合ってる。」


 ユキア様がそう答えると、格子の向こうの声は「あ、よかった。」と笑った。


「久しぶり……っつっても、半年振りくらいになっちゃったっけ?

 ……ごめん。平日のこの時間だけって縛り、意外とキツいんだよね。最近なんか忙しかったし。」


 その男性の声を聞いたユキア様は、すでに泣きそうな顔をしながら「半年も経ってない。4ヶ月振り。……無理しなくていいのに。忙しいなら。」と沈んだ声で返した。


「うん、まあ……言われなくても無理はしないけど。」


 ユキア様の言葉にそう返した彼は、少しだけ何かを考えるように間を取ってから、場違いに明るく弾んだ声を出した。


「……あ!でもアレだね。

 このペースだと、俺が来んのもあと4、5回くらい?それでもう級長は刑期終えて出られるんじゃね?そう考えると、あと少しだね。」


 それを聞いた途端、ユキア様は声は出さずにじわっと目に涙を浮かべた。



 ユキア様のことを「級長」と呼ぶ、格子の向こう側の男性。

 私はその「級長」という単語に、聞き覚えがある。


 ──「学生時代は級長もやっていたの。クラスのまとめ役。」


 配属初日に、ユキア様が私を見て「自分にそっくりだ」って話をしてくれたときに、言っていた言葉。


 王都から離れた西の地出身のユキア様の、学生時代の知り合い。

 そしてさらに今、王都の……この修道院の懺悔室に来ている人。

 ……そんなの、限られた人に決まっている。



 格子の向こう側にいるのは、ユキア様の同級生だった《駆け落ち》相手──魔導騎士団の第1部隊長【ベイン】様だった。



◇◇◇◇◇◇



「ん〜……そういえばつい最近、仕事であそこ行った。ケタスの街。懐かしくね?

 俺らが気に入ってたあの酒場もそのまんまで、店主も変わってなかった。

 討伐も終わってケタスの宿で1泊するってことになったから、どうせならと思って適当に部隊員たち誘って酒場(そこ)行ったんだよね。……で、結局夜通し飲んじゃった。」


 リサ様が期待を寄せていたベイン様。

 何かを知っているベイン様。

 彼は自分の素性を伏せるでもなく、でもリサ様と違って何かを訴えたがるわけでもなく、懺悔室に通い慣れた様子でユキア様にゆるく雑談や近況報告をしていた。


「そんで、そしたら店主が普通に俺の顔覚えててさ──……あ、やめとこ。これ、今ここで言える内容じゃなかったわ。話題ミスった。」


 ベイン様が雑に何かを伏せる。


「楽しかった?」

「まあまあかな。」

「そう。……一緒に行った部隊員の(かた)たちとも、仲が良いのね。」

「仲良いっつーか……まあ、仲良いかも?悪くはないかな。」

「でも、一緒にお酒を飲んで夜通し楽しめるなんて、仲が良いじゃない。」

「あれ楽しんだっつっていいのかなぁ〜……うん。でも面白かった。いろいろと。」


「いい仕事に、いい仲間に恵まれているのね。」


「そうだね。そう思うよ。」


「……手放すのが惜しいんじゃない?」


「惜しくはないな。」



 …………あっさりと返された「惜しくない」の返答に、ユキア様は口を噤んだ。



「級長の方は?

 何か変わったことあった?……っつっても、何もないかもしれないけど。また面白い本でも見つけた?」


 明るいままの格子の向こう側の声を聞いて、ユキア様は涙を零さないように慎重にそっと目を閉じて一息ついて、それから口を開いた。


「……私の担当の魔法管理官が、今年度から新人さんに変わったの。」

「へー!……じゃあ俺、どこまで話していいか分かんないや。今日はもうあんま喋んないようにしとこ。」


 そう言って笑う彼。ユキア様は相変わらず辛そうな顔のまま……でもほんの少しだけ呆れたように笑って、こう続けた。


「あのね。その新人の子、昔の私にそっくりなの。

 眼鏡を掛けていて、毎日きっちり三つ編みをしてきて……性格もお堅くて全然会話が弾まないの。」


 それを聞いた彼は「話弾まないのは級長のせいじゃね?」と言って笑った。


「『昔』かぁ。たしかに、懐かしいね。眼鏡に三つ編みの級長。」


 それから彼は、しみじみとした声になった。


「そういえばもう級長の顔……俺、8年半も見てないのか。

 級長は今どんな髪型してんの?またけっこう髪伸びちゃった?」


「変わらないわよ。ずっと変えないようにしてるの。毎回散髪のときに頼んで、短くしてもらってる。」


 ユキア様が答える。

 すると彼は、今度はどこか面白がっているような声になって「素晴らしい。」と言った。


「…………『素晴らしい』って何よ。」


 ユキア様がそう言うと、彼はこう返してきた。


「級長の『最適解』。圧倒的に俺好み。

 俺の傑作だからね。その髪型。また三つ編みに戻しちゃってたら、(むせ)び泣いてたところだったよ。」


「……………………。」


「ああ。でも、8年半経ってるしなぁ。意外と顔変わっちゃってるかな?

 髪伸ばした感じの方が、今なら似合うのかもしんないね。

 これからあと1年半だけでも伸ばしとけば?……1年半じゃあんま伸びないか。でも肩くらいまでなら行くんじゃね?」


「……どっちの方がいいと思う?」


 ユキア様が言葉を詰まらせながら問い掛けると、格子の向こう側の声は、ちぐはぐな温度感で笑った。


「えぇー……8年半前までの級長なら分かるけど、今はもう分かんないよ。

 どっちでもいいんじゃね?級長のしたいようにすればいいじゃん。

 自由になるときに、どっちでいたいかで考えれば?」



「……貴方(あなた)は…………ベインは、……どっちが好き?」



 振り絞るようにして声にしたユキア様に対して、顔の見えない彼の声は、懺悔室に無機質に響いた。



「8年半前なら圧倒的に短い方。

 でも、今はどっちもいいんじゃないかな。分かんないけど。

 ってか、俺の意見に合わせる必要なくね?

 ……多分、どうせ見る機会ないだろうし。」



 ユキア様が何も言えなくなったところで、格子の向こう側で動く気配がした。


「……10分だよね?一人当たりの制限時間。

 意外とあっという間だよね。

 …………じゃあね、級長。また来る。できたら早めに。」


 そうして、足音とドアを開けて、閉める音がして──……格子の向こう側は無人になった。



◇◇◇◇◇◇



「………………ごめんなさい。

 今日はもう、終わりにしてもいいかしら。次の人はまだ来ていないわよね?

 向こう側の扉がある廊下に、立ち入り禁止の柵を立てておくだけでいいの。……お願いできる?ミカさん。」


 彼が去った後、ユキア様はずっと無言で隣にいた私に、静かに頼み事をしてきた。


「安心して?私、17時になるまで、ちゃんと懺悔室(ここ)にはいるから。ルール上は問題ないはず。

 ……まあ、ちょっとしたサボりにはなっちゃうんだけど。

 ……でも、ごめんなさい。許して?……今日はもう、他の人の話は聞けそうにないの。」


 私は「……分かりました。」と言って、懺悔室を出てささっと駆けて行って、反対側の廊下に言われた通り柵を立てて戻った。

 ユキア様はちゃんとまだ懺悔室にいた。

 背筋を伸ばして、両手を膝の上に重ねて……美しい姿勢で、静かに壁を眺めていた。



 ………………。



 察しの悪い私でも分かる。



 ユキア様に以前感じた、昔の恋人に向かって愚痴を零すような、少しの湿っぽさと色香が漂よう未練と呆れ。


 あれはそんな大人の女性がよくやりがちな、どこか自慢げな過去の色恋沙汰の仄めかしなんかじゃなかった。


 ……あれはただのユキア様の、私の前で取り繕うための強がりだった。


 ──「……貴方は…………ベインは、……どっちが好き?」


 ユキア様はまだ、ただ純粋に、別れた彼のことが好きだった。



 それに、ベイン様も。

 8年半叫び続けているリサ様を無視し続けているベイン様。彼は別れたユキア様のことを嫌ってなんかいない。

 こうしてずっと懺悔室に来て、変わらずにユキア様と話している。


 ……そして、魔法管理官の私が横にいても、隠す気すらない。形だけは取り繕って、決定的なことを言わないようにしているだけ。


 ──……魔導騎士団の今を手放すのは惜しくない。


 ──自分の意見に合わせる必要はない。どうせ見る機会はないから。


 ベイン様はリサ様と違って、ユキア様の懲役10年を受け入れている。

 さらに……自分の犯した罪のことも、すでに受け入れていた。



 修道院(ここ)に配属が決まったときに目を通した、ユキア様の当時の資料。


 わざわざ駆け落ちをしたのは、その聖女の能力があったためではないのか。

 その駆け落ち相手の同級生も、ユキア様の聖女の能力を知っていたのではないか。


 その同級生には《聖女隠避(いんぴ)罪》という懲役30年以上の刑が適用されるのではないか?


 ……当時の尋問の内容は、正しかった。



 やっぱりベイン様は、ユキア様の聖女の能力を知った上で、ユキア様と駆け落ちをしていたんだ。



 そして恐らくベイン様は、ユキア様が過ごしている懲役10年を見届けて──


 ──……今度は、自分の罪を認める気でいるんだ。



〈複雑な事情が絡んだ再婚一家。

 後から入籍してきたリサ様たちは、ユキア様に庇われながら子爵家から脱出した。

 そしてその1年後に、ユキア様は父親の子爵から逃げ出す予定だった。……資産家老人との結婚を(まぬが)れるために。

 でもユキア様は何故か義兄を頼るのではなく、計画を変更して『恋人と《駆け落ち》する』という形で逃げ出した。〉


 リサ様が以前語っていた事実。

 そこからの推測の後半を、私は少し修正した。


〈その駆け落ち相手の恋人は、例のベイン様。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ユキア様はベイン様と1年8ヶ月の逃避行を続けた後、ベイン様と別れた。……()()()()()()()()()()()()

 そして1週間後、自分が聖女であることを隠していた《聖女隠蔽(いんぺい)罪》の罪で逮捕され、懲役10年を課された。

 一方でベイン様は、彼女と別れてから王都に来て魔導騎士団に入団。現在は部隊長として活躍している。


 ──そして、ベイン様はユキア様が聖女であることを隠していた《聖女隠避(いんぴ)罪》の罪で逮捕され、懲役30年を課される未来をすでに受け入れている。


 ユキア様が出所するのを、ベイン様は待っている。


 ……多分、受け入れていないのは、ユキア様の方。

 未来に怯えて嘆いているのは、あと少しで自由になれる、ユキア様の方だった。〉



 私の推理は、少しだけ前進した。

 それでもまだピースが不揃いの、穴だらけのパズル。真相は分からない。


 ……でも、私にはもう、これで充分すぎた。


 私は探偵になりたいんじゃない。

 物語の最後に「世界の不条理が生んだ愛の悲劇。……これが今回の事件の真相です。」なんて決め台詞を言いたいわけじゃない。


 だから、もうこれ以上、ユキア様の懲役10年が終わるまで、何も真実は知りたくない。


 きっと配属は1年だけじゃ変わらない。

 来年度も私はユキア様の担当になる。……そして、そこでユキア様は刑期を終える。


 …………そのとき、何が起こるのか。

 私は物語の最後を、見たくない。


 まだ私には見えていない推理のピース。


 ──「絶対に許さない()()()」と「殺人罪」。そして、いつユキア様の聖女の能力が覚醒したのか。……ベイン様はいつ、聖女の能力を知ったのか。


 …………知ったところで、物語の最後のお涙頂戴の展開に、どうせ深みが出るだけだ。

 より胸糞悪くなって、終わるだけ。

 より一層、無力感と虚無感に打ちひしがれるだけ。


 私は、就職が決まったときの期待と決意を、そっと心の奥底にしまい込んだ。



 そして見え透いたバッドエンドに向けて、私は毎日、粛々と仕事をこなしていった。


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