3 ◇ 駆け落ち相手の婚外子
全12話+後談1話執筆済。基本毎日投稿予定です。
〈注意書き〉
過激ではありませんがR15相当の描写があります。暴力的要素等が苦手な方はご注意ください。
「……ねえ。今日はどうする?
昨日の話の続きでもする?
続きと言っても、何を話していいか迷うところだけど。」
15時の自由時間。
どう切り出せばいいか迷っている私の微妙な空気を感じ取って、ユキア様は笑ってそう言ってくださった。
本当に、学生時代に雑談の導入の勉強と練習もしておけばよかった。
いつも二人きりで過ごす、この仕事。
唯一必要とされる技術が「会話力」だと言っても過言ではない。
その会話力が何よりも絶望的に乏しい私は、学生時代に真面目さにすべてを賭けてしまったことの弊害を今さら痛感しながらも、やっぱり加減を間違えて、いきなりユキア様に直球で切り込んでいってしまった。
「その……昨日おっしゃっていた『絶対に許さないあの男』というのは、ユキア様の駆け落ち相手の御方のこと……ですよね。」
私なりに気を遣った結果、内容は深く踏み込み過ぎなのに、変にぼかし過ぎている……一番変な感じの質問になってしまっていた。
もやもやする失礼な質問を聞いたユキア様は、そんな私の不器用さに失笑しながら、素直には答えずに煽ってきた。
「貴女。昨日から名前を伏せているけど、その相手の御方が誰なのか、知っているんでしょう?
私に気を遣っているのか何なのか知らないけど、はっきり言ってしまえばいいのに。
私『彼の名前は聞きたくない』だなんて、一言も言っていないわよ?」
「……………………。」
私は躊躇いながらも、ここまで言われてしまっては名前を出さないわけにもいかなかったから、素直に名前だけを答えた。
「……【ベイン】様だと、聞いております。」
「そうね。正解。よく予習してあるのね。」
「………………。」
会話が止まってしまったところで、ユキア様はその印象的な猫目をキュッと細めて笑った。
「私ね、8年以上ずっと修道院にいるでしょう?
外の様子は見れないのよ。だから前任の彼女に聞ける範囲でいろいろ教えてもらっていただけなの。
でも、その情報だけでも何となく分かるわ。貴女が言いたがっていること。」
ユキア様は私から目を逸らさずに、じっと私の言葉を待っていた。
私はその視線に屈して……でも、やっぱりいい言い回しが器用に思い浮かばなくて、中途半端に質問風にしてしまった。
「ベイン様というのは……その、やはり【魔導騎士団のベイン第1部隊長】で、間違いないんですか?」
私がそう口にすると、ユキア様はほんの一瞬だけ止まってから、すぐにまた自然な感じに戻って私の質問に答えた。
「それ、わざわざ私に聞く意味があるのかしら?
……ああ、でも名前だけじゃ特定はできないわよね。よくある、一番ありふれた名前だから。クラスに一人か二人はいる名前。」
そう言ってから、ユキア様は、どこか馬鹿にするように鼻で笑ってこう続けた。
「それでも、王立機関に勤める貴女なら、少し調べればすぐに分かるはずでしょう?私の出身地から辿ればいいんだもの。
それともまさか、この王国は同じ名前の人間を全員混同してしまうほど、戸籍の管理が適当なのかしら?さすがにそんなことはないでしょう。……仮にも大国なんだから。」
そこには確かに、この王国が嫌いだというユキア様の感情が滲み出ていた。
◇◇◇◇◇◇
──クゼーレ王国魔導騎士団。
私の所属する王立魔法管理局と同じ、この王国の王立機関。
でも、就職難度は段違い。私のいる場所とは、正直、格が違う。
魔導騎士団というのは、王宮直属の最強の戦闘部隊。
王国中の危険度最大級の魔物を討伐するために存在する、魔法を駆使した特殊戦闘を専門とする部隊だ。
この国の第一王女で「王国の象徴」と呼ばれる歴代最強剣士【ラルダ・クゼーレ・ウェレストリア】様が団長として率いる魔導騎士団は、選び抜かれた精鋭のエリートたちの中でも突出した戦闘力を持つ5人の部隊長が率いる全5部隊で編成されている。
団長で王女なラルダ様のことはもちろんだけど、副団長、そして5人の幹部陣の名は、王都民で知らない者はいないだろう。
役者よりも、歌手よりも、芸人よりも──何よりもこの「第一王女率いる最強の魔導騎士団」こそが、圧倒的国民人気を誇る王国一のスターなのだ。
そしてそのスター集団の幹部陣の1人が……私がいま名前を口にした、現・第1部隊長【ベイン】様。
圧倒的破壊力で魔物を粉砕する、クゼーレ王国一の大槌使い。
前評判や噂などが何一つ無い中から、あるとき突然王都に現れて、その実力一つで入団から僅か2年で部隊長の座にまで上り詰めた風雲児。以来、彼は5年間、部隊長として最強戦闘集団の部隊の先頭に立ち続けている。
…………聖女【ユキア】様と同い年の、ユキア様逮捕の翌年に現れた、駆け落ち相手と同じ名前の青年。
よくある名前が一致しただけの、ただの偶然。……そう捉えている国民たちもいる。
しかし「彼こそが聖女ユキアの《駆け落ち》相手だ」と、もう何年も前から、王都中で半ば確信を持たれた噂は流れている。
そして──……調書によれば、その噂は「本当」だ。
◇◇◇◇◇◇
「……俄には、信じられません。」
私はそう言ってしまった。
王国一、華やかで誇り高い魔導騎士団。
そんな誰もが憧憬の眼差しを向ける仕事に……そんな脚光を浴びる明るい場所に、どうして平然といられるのだろうか。
……《駆け落ち》なんて、一番後ろめたくて、影に隠れなければいけないことをして。
…………そして、その愛した相手が懲役10年の刑に服しているというのに。
一体彼はどんな神経で、堂々と人前に出ていられるのだろうか。
私の言葉を聞いたユキア様は、溜め息をついた。
「私は地方の出身だから。王都に来たのは、捕まって修道院に収容されたときが初めてだったの。
だから私、魔導騎士団の存在は知っていても、直接目にしたことはないのよね。
前任の彼女から魔導騎士団の人気ぶりは教わったけど……ベインがそんなところで王国民に持て囃されているなんてね。
笑っちゃうわ。全然らしくない。」
「………………。」
私がどう相槌を打つべきか迷っていると、ユキア様は私の本音を見透かしたようにこう言ってきた。
「『駆け落ちしたくせに……しかも相手はいま服役しているくせに、よくそんな衆目に晒されて平気でいられるな。』って、貴女もそう思ったかしら?
普通はそう思うわよね。当然よ。私も理解できないもの。
でも、そういう普通の感覚なんて、ベインには通用しないのよ。
──……彼、生まれながらの『気狂い』なの。
彼の理屈はまともじゃないのよ。
かと言って、感情的なわけでもないの。
……だから余計に駄目なのよね。感情に訴えようとしても全然響かないんだから。」
それは、まるで昔の恋人に向かって「彼、本当に駄目な男なのよ。」と愚痴を零すような……そんな少しの湿っぽさと色香が漂よう、未練と呆れが混ざった、独特の響きだった。
「…………そもそも、そんな『気狂い』でもなければ、私と駆け落ちなんてしないわよね。」
最後にそう呟いて、口を静かに閉じたユキア様。
………………。
ユキア様からの「気狂い」という強烈な言葉。
私とは縁遠い、愛憎に塗れていそうな駆け落ちの過去。
私はそこから器用に彼の話を広げられなくて、その日のユキア様との会話はそこで終わってしまった。
……「絶対に許さないあの男」のこと、結局……聞けたような、聞けなかったような。
ユキア様は「彼の理屈はまともじゃない」って言っていたけど……ユキア様自身の感覚は、私と同じなのかな。
だとしたら、
〈ユキア様だけに10年もの罪を償わせておきながら、彼は檻の外の世界で自由に輝いて生きている。〉
…………それが、ユキア様の「あの男」への怒りの理由なのかな。
私はその日の最後の勤務時間を懺悔室で静かに過ごしながら、踏み込んで聞ききれなかった部分をそうして一人で想像し、補完していた。
◇◇◇◇◇◇
ユキア様の罪と過去に少しだけ踏み込んだ日から、さらに1ヶ月ほどが経った。
相変わらず私は自分の仕事に意味を見出せないまま、虚無のような日々を過ごしていた。
そもそも私は友人もろくにいないから、他人との会話なんて、ユキア様としかする機会がない。
会話力も相変わらず向上しないまま、私はユキア様と申し訳程度の雑談をぎこちなくする程度にとどまっていた。
ただ、少し発見したことがある。
私は配属初日に、ユキア様を見て直感的に「この人、苦手だ」と思ってしまった。
私を小馬鹿にするように笑って、私がおどおどするたびに噛み合わない感じの会話をしてくる──そういう、クラスで一目置かれている女子。取り巻きがいつもいて、孤独とは無縁の女子。そんな印象をユキア様にも抱いてしまっていた。
……でも、それは間違いだった。
何故なら、その見た目に反して、ユキア様も実はあまり対人関係が器用じゃないようだったから。
私が初日に感じた「苦手な大人びた女子」の印象は、単にユキア様が実際に私よりも歳上な大人で、そういう気の強そうな猫目と綺麗な色の唇とお洒落な短い髪型なだけだったから──ということが分かった。
ユキア様は「私はずっと同じ生活を繰り返しているだけだから、話題が全然思いつかないのよ。ミカさん、何か面白い話はあるかしら?」なんて尋ね方をしてくる。
今まで私にはそれが、会話力のない自分への煽りかのように思えて、苦手だと感じてしまっていたんだけど……
……ユキア様もただ私と同じように、話の振りや雑談の導入が苦手で、妙な感じになってしまいがちなだけだった──ということが分かってきた。
お互いの学生時代の雑談をしようとして、結局「休み時間もずっと勉強をしたり、先生からの頼まれ事を引き受けたりしていました。友人との思い出は特にありません。」でお互いに終わったり、趣味の話をしようとして「趣味らしい趣味はありません。昔からずっとそうでした。」でお互いに儚く散ったり。
そんなことをぎこちなく繰り返しているうちに、ユキア様の私を揶揄うようなクスクス笑いも、実はただの会話力皆無女子なりの場繋ぎ術なのだと思えるようになっていった。
──「もし新しい担当者と気が合わなかったらどうしようかと思っていたの。……よかった。貴女となら、会話も弾みそう。しばらくは退屈しなくて済みそうだわ。」
初日のユキア様の言葉を思い出す。
うん。……あんまりまだ会話は弾んでいないけど、意外と気の合う部分はあるのかもしれません。
私は相変わらず仕事では虚無感を味わっているものの、聖女ユキア様ご本人に対しては、少しずつ前向きに捉えていけるようになっていた。
でも、相変わらず踏み込んだ話は聞けなくて……
私は中途半端にユキア様のことを知っただけのような、誤魔化されたままのような気がして、若干のもやもや感をずっと抱え込んでいた。
そんな日々を過ごしていた、とある週末の休日。
お昼過ぎの賑やかな王都の空に、重々しい鐘の音が鳴り響いた。
王都中に響き渡ったその鐘に、道行く人々が湧き立つ。
──クゼーレ王国魔導騎士団、魔物討伐へ緊急出動。
鐘の回数は1回。少し間を置いて、それの繰り返し。
あの【ベイン】様が率いる第1部隊の、討伐遠征の隊列が来ることが王都中に知らされた。
◇◇◇◇◇◇
大国、クゼーレ王国の王都。中心にある王城から放射線状に広がる大通り。重厚感のあるレンガや石造りの建物たちが美しい格調高い街並みは、日々、人々の活気で満ちている。
王城の真横にある魔導騎士団施設から伸びる一本の大通り。その大通りの沿道には、魔導騎士団の隊列を一目見ようと、大勢の人たちが詰めかけていた。
「こっちの区画に買い物に来ていて良かった!ちょうど隊列が見れるなんて運がいい!」
「団長のラルダ第一王女様は出動なさるのかしら?!今日こそは絶対にお姿を拝見したいわ!!」
「いや、副団長のドルグス様が来られるかもしれないぞ!何てったって第1部隊の出動だからな!」
「──ってことは今日は、かなり大型の危険種の討伐依頼が出たんだろうよ!派手にやってきてほしいな!」
「今日はベイン様の部隊かぁ!剣もいいけど、あの幹部陣唯一の大槌がかっけーんだよなぁ!」
「もうすぐ来るかしら?!そろそろかしら!……ちょっとくらい彼との待ち合わせに遅れちゃってもいいわよね。だって、やっぱり魔導騎士団の皆様は見ておきたいもの!」
魔物討伐の出動要請があったという緊急事態にも関わらず、沿道に駆けつけた王都の人たちは皆が笑顔で色めき立っていた。
──海や山。森や渓谷、湿地帯。普段は雄大で険しい自然の中に棲んでいる魔物たちが、自然と隣り合わせの地方の人里に現れたときに、私たち人間は危機に迫られる。
犬や猫、牛や馬なんかとは違う。人と魔物は共存できない。決して通じ合うことはない。
魔物が人里付近で発生した場合、領主は魔導騎士団に通報する義務がある。その通報を受けて、迅速に討伐に向かい王国全土の平和を守るのが、この魔導騎士団本来の使命なのだ。
…………でも、人間の手で造られた建物や道がひたすらに広がり、さらに周りを別の街たちに囲まれてしまっている王都には、魔物なんて物騒な生き物は襲来しない。
だから王都民の大半は、呑気に平和に、賑やかに、魔導騎士団の出動を「最強戦闘集団の華やかな隊列を見て声援を送る」突発開催の楽しいイベントのように思っている。
そして、第一王女様を筆頭とする幹部陣や自分が推している騎士様たちを一目見ようと、沿道に詰めかけてくる……というわけだ。
◇◇◇◇◇◇
「…………ぬおぉ……っ、すごい……!押される……前が見えないぃっ!」
王都民の中でも少数派だった私。
「魔導騎士団?……いい。興味ない。見に行ったって仕方ないから。
そもそも、命懸けで魔物討伐に向かう騎士様たちを相手にはしゃいで何が楽しいの?向こうは王国民を守る大切な仕事をしてるんだよ?
そんなすごい方達を見てキャーキャー騒いでいる時間があるなら、自分も将来何かの役に立てるように、少しでも勉強しておいた方がいいんじゃない?」
カチコチ頭でそんなことを考えながら、魔導騎士団の鐘の音を聞き流していた学生時代の私。何なら鐘の音を聞いたら、人混みを避けたくてあえて大通りから離れるまであった。
今でも正直、その考えは変わらないけど……たまたま、今日は休日だから。たまたま今日の出動部隊が、例のベイン様が率いる第1部隊だって分かったから。
……ただ彼を見たところで、自分の仕事の足しにも、ユキア様の足しにも何もならないって、分かってはいるけど。
私は今日初めて、魔導騎士団の隊列を見る気になって、大通りの沿道に駆けつけるミーハーな王都民の一人になろうとしていた。
「……あっ、ごめんなさい!……あっ!眼鏡、あぶなっ!」
休日の昼間なせいか、本当に人が多かった。多分、平日の昼間とか、夜とか明け方ならまだマシなんだろうな。
不慣れな人混みの中、私はモタモタと誰かにぶつかって謝って、誰かの肘にうっかりぶつかってを繰り返していた。とにかく眼鏡だけは落とさないように死守していた。
来たことを後悔しようにも、もう身動きが取れない。
このまま見ていくしかない。
ちょうどそう思ったとき、私から見て左側の、魔導騎士団施設がある方から、どんどんざわめきの波が大きくなってきた。
「──今日はベイン様と──ラルダ第一王女様だ!!」
誰かの声が左側から聞こえた。
それを聞いた周りの人々が口々に「ラルダ様ですって!」「ドルグス副団長じゃないのか!」「ベイン様とラルダ様の組み合わせは珍しいんじゃない?!」とはしゃぎだす。
その声をさらに聞いた右側の方の人の誰かが「今日の先導はベイン様とラルダ様のお二人らしいぞ!」と伝言ゲームのようにどんどん沿道の人々に伝えていく。
沿道初心者の私も、この異様な雰囲気に乗せられるようにして、徐々に緊張と期待と興奮に包まれていっていた。
「──来たぞ!!」
左の方から声がして、一気に歓声が湧き上がった。
私は背伸びをして首を伸ばしたけど、たまたま周りに背の高い人たちが多かったせいか、まだ全然見えなかった。
「キャー!ラルダ様!いってらっしゃいませ!!」
「ベイン様!ご武運を!!」
「初めて生で見たわ!かっこいい!!」
「こっちを向いてくださいお二人とも!」
口々に応援や感想や好き勝手な要求を叫ぶ沿道の王都民たち。
その歓声の波が私たちのところに近づいてきたとき、私は気合を入れて「ふんっ!」と一段と背伸びをして、必死に正面の大通りを見た。
「──ベイン様だ!」
私は思わず、見れた興奮を口にしてしまった。
気合を入れて背伸びまでする必要はなかった。
隊列の先導をしていたラルダ団長とベイン第1部隊長は、馬に乗っていたから。
私たち大衆の目線よりも一段上のところにいたから、見上げればちゃんとお二人の顔が見えた。
──騎士団唯一の女剣士。綺麗な黒髪を高い位置で一本に結っている【ラルダ・クゼーレ・ウェレストリア】様。
切れ長の目には王家特有の煌めく茜色の瞳。ピンと背筋の伸びた御姿は、最強戦闘集団の団長らしく、凛々しく勇ましく──それでいて大国の第一王女らしく、気高く美しかった。
親近感なんて微塵も湧かない、異次元のような完璧なオーラが放たれていた。
──そして、その隣。完璧な輝きを放つ第一王女様の隣に堂々と並んでいたのは、聖女ユキア様の《駆け落ち》相手のはずの【ベイン】様。
緑みがかった薄灰色の短髪は、さっぱりしているけど、どこか小洒落た雰囲気に整っている。
戦いの場には少し派手なんじゃないかと思える細長い白黒のピアスが、彼の独特なセンスと遊び心を表しているような気がした。
ベイン様は大衆の視線や声援にも余裕を見せながら、どこか気怠げな三白眼の目元を緩めて、少し口角の上がった口を動かしていた。
どうやらベイン様はラルダ様と雑談に興じているようだった。
左手で馬の手綱を握ったまま、右手を会話に合わせてふいっと軽く動かす。そのベイン様の手振りを横目で見たラルダ様は、顔を少しベイン様の方に向けて、何やら楽しげに笑って返事をした。
私はその会話の内容を聞き取ろうと試みたけど、周囲の歓声や黄色い悲鳴がうるさ過ぎて、全然何も聞こえなかった。
それどころか、ベイン様の振りでラルダ様が歯を見せて笑った瞬間、周りの人たちが一気に湧いた。「キャー!!」という耳をつんざくような声に頭がクラクラしてしまった。
でもその瞬間に、それまで聞き取りきれなかった王都民たちの思い思いの歓声の波が、悲鳴でちょっと統一された感じがした。
そしてそのお陰で、場の流れに乗っていない一人の王都民の声が、浮き彫りになって耳に入ってきた。
「──ベイン様!っ、ベイン様!!
リサです!──貴方の──……っ、私!あの子爵家の──姉です!!
どうか話を聞いてください!!お願いです!!話を聞いてください!!!」
「えっ?」
私の耳は一度聞き取った瞬間から、もうその声に完全に集中してしまった。
私は驚いて顔を動かして魔導騎士団の隊列から視線を外し、その声の主を探した。
そして何とか人々の隙間から、声の主の姿を捉えた。
大衆に揉まれながら、通らない声質の声を必死に張って叫ぶ、小柄な長髪の女性。
明らかに場違いな内容。
彼女は魔導騎士団に声援を浴びせている人々の中で一人だけ、「キャー!」でも「頑張って」でも「格好いい」でも「こっちを向いて」でもなく──……「話を聞いて」と訴え続けていた。
…………何より、見覚えしかない【リサ】という名前。
私は人々の波に埋もれていくその彼女から目が離せなくなっていた。
「ベイン様!!……ベイン様!!
お願いです!リサです!!どうか話を──!」
彼女から何とか一瞬だけ目を離して、もう一度確認した隊列。
先頭にいる第1部隊長ベイン様は──……聞こえているのか、いないのか。一切彼女の方を振り返ることなく、隣の第一王女ラルダ団長と笑顔で会話をしながら、あっさりと進んでいってしまった。
隊列の先頭で王女様と並んで憧憬の眼差しと盛大な声援を受けながら、楽しそうな笑顔で悠々と会話していた部隊長の【ベイン】様。
そんな彼に、場違いな言葉を必死の形相で叫び続け……呆気なく大衆に揉まれて埋もれていき、失意で顔を曇らせる【リサ】様。
夢と希望が華やかに輝き溢れる、王国一幸せな場所であるこの王都で……私は今、酷くちぐはぐな王都の「影」を見た気がした。
見たくない、気付きたくない…………王国の理不尽な「現実」を見た気がした。
◇◇◇◇◇◇
隊列が去り、楽しい突発開催のイベントが終わった。
王都民たちは「いいもん見たぜ!」「かっこよかったぁ〜!」「どうする?この後、ここで買い物していく?」「あっ!待ち合わせ場所に急がなきゃ!」と、徐々に熱を冷ましながら日常へと戻っていった。
休日の王都に散り散りになっていく人々。
私はその中で、どこにも行かずにただ立ち尽くして──……どこにも行かずに膝をついてがっくりと項垂れている、小柄な長髪の女性のことを見つめていた。
公平公正。私情を絡めてはいけない。
今日は休日。仕事は私生活に持ち込まない。
私は王立機関の職員。感情だけで動いちゃダメ。
…………私は、他の人とは違って、リサ様が何者かを知っている。
私は、──……ベイン様とリサ様を見た、私は……
見ないことにすべきだ。声を掛けたって意味がない。むしろそんなことしたら、私は魔法管理官失格かも。
でも、いま彼女を見捨てたら……私はまた「規律」の代償に「良心」を失う気がする。
リサ様からのユキア様への贈り物をこの手で焼却炉に投げ込んだとき以上に、人として何かを失う気がする。
──……「規律」の範囲内の「良心」程度なら、ギリギリ、許していいんじゃないかな。
私は新卒社会人としての葛藤の末、私情まみれの声掛けを決断した。
勇気を振り絞って、初対面の女性に私の方から話しかけにいった。
「突然申し訳ありません。
ユキア様のお義姉様の、リサ様ですか?
……お子様をお産みになったばかりのお身体に障ります。ご無理はなさらずに、あちらで少し休まれていかれてはいかがですか?」
私は身分を明かしていない。
ユキア様側の機密情報も漏らしていない。
……「ユキア様宛の手紙の内容を漏らしている」って?
大丈夫。このくらいの事実は、ユキア様について少し頑張って調べれば、素人でも得られる程度の情報だから。
だから、ギリギリ職務の規律違反には当たらない。
私はただ、ユキア様のファンで、ユキア様の情報にちょっと詳しい人間なだけ。
私はその体で、膝をついて涙を零しているリサ様にそっと話しかけた。
するとリサ様は、頭上から降ってきた私の言葉を聞いて、バッと勢いよくその顔を上げて、驚愕の表情をした。
「……!
ユキアを……っ、私の手紙を──貴女、知っているんですか?
あっ、貴女……修道院の御方ですか……!?」
私はそれに対して、何も言わずに沈黙を貫いた。
何も返事をしない私の固い表情を見つめて、リサ様は私の意図を汲み取ってくださったようだった。
彼女は私に縋るような目をして、こうお願いをしてきた。
「……貴女から私に話せることはありませんよね。
ですが…………あの!
もしよろしければ、少しお茶でも一緒にしていただけませんか?
こうしてお声を掛けていただいた御礼がしたいので。
それで……私の話を、どうか一方通行でも構わないので、聞いていただけませんか?
お時間があればでいいんです。お願いします。私、関係者の方に、お伝えしたいことがあるんです。」
それからリサ様は、私に
「もし可能でしたら、お名前だけでも伺ってもよろしいでしょうか。」
と聞いてきた。だから、私はただの通行人として
「……ミカ・テンシーと申します。」
とだけ答えた。
リサ様は頷いて立ち上がって、膝を軽く払ってから、無理矢理に笑顔を浮かべた。
「……お時間をくださって、ありがとうございます。
ここから割と近いところに、穴場の美味しいカフェがあるんです。
少し移動しますが、そちらでお茶にしましょう。」
真面目さ、実直さ、正しさ、規律──
ただ授業を聞いて教科書通りの勉強をして、頭に詰めてきたものを試験で発揮していれば良かった学生時代。
何一つ恥じることをしていない人生なのが自慢だった私は、今──自分の良心に従って初めて、綺麗事だけじゃない、理屈じゃ整えきれない──理不尽な大人の世界の裏側に、一歩足を踏み入れたような気がした。
酸いも甘いも知るような。理想と現実を直視するような。
…………これが私の、社会人としての「成長」なのかもしれない。
そんなことを思いながら、週末の休日のお昼過ぎ、私はリサ様について歩いていって、落ち着いた雰囲気の穴場カフェに入った。




