2 ◇ 幸せを祈る義姉の手紙
全12話+後談1話執筆済。基本毎日投稿予定です。
〈注意書き〉
過激ではありませんがR15相当の描写があります。暴力的要素等が苦手な方はご注意ください。
「ミカ様。
こちらの手紙の内容を確認して、15時の自由時間のときに、聖女様に読んで差し上げてください。」
週が明けた3週目の出勤日。
重い身体を引き摺りながら仕事に来た私に、朝イチで修道院長が一通の手紙を渡してきた。
──服役中の聖女【ユキア】様への手紙の検閲。
これは、魔法管理官の私【ミカ】の仕事。
ユキア様の方から返事を書くことはできないから、一方通行ではあるんだけど。
それでも、その手紙の内容に、犯罪に関連するものや機密情報の漏洩に繋がりかねないもの、ユキア様への脅迫や取引の要求などが万が一にでも書かれていないか、チェックをしなければいけない。
そしてさらに、手紙自体に透かしや魔法による炙り出し文字などの加工が入っていたり、縦読みや斜め読み、暗号などの別の読み方が隠されている可能性もあるため、ユキア様には手紙そのものは渡さずに、書かれている内容を魔法管理官が音読することになっている。
ちなみにこの徹底ぶりは、私が産まれる前──20年以上前に、王国の捜査機関が一斉検挙して壊滅させたとある暗殺組織の手法から学んだ結果の産物らしい。
その暗殺組織が使っていた依頼発注や暗殺指示のための暗号がとにかく巧みで、複雑で、当時の王国は「犯罪者の隠しメッセージのすべてを検閲で見抜くことは不可能だ」という結論に至ったらしい。
だから、音読。手紙自体を手にさせない。改行や区切り、字や用紙などの余計な情報は一切渡さない。検閲を通過した文章の内容だけを、つらつらと語って聞かせるだけ。──そういう風に、検閲法が改定されたそうだ。
これまでも、この服役中の駆け落ち聖女ユキア様には、何通か手紙は届いていた。
治癒魔法に救われた方やその家族からの、感謝の手紙。あの懺悔室のお母様のように、ありがとうが繰り返し書かれた文章。
もしくは、ファンからの手紙。唯一の犯罪者聖女で、服役中なため表に顔を見せる機会もないユキア様。そんな変わった特級聖女に興味を持った、物好きな王国民からの応援や質問。
今までは、そのどちらかだった。
でも、今回は違った。
修道院長から受け取って目を通した手紙。
それは、ユキア様の元身内の御方からの、意外な内容のものだった。
◇◇◇◇◇◇
「ユキア様。週末に、ユキア様宛にお手紙が届きました。……差出人は【リサ】と、書かれています。」
15時の自由時間。
私がユキア様に何か話しかけられる前にそう報告すると、ユキア様は「まあ!お義姉様?……読んでもらえる?」と、嬉しそうな顔をして少し弾んだ声を出した。
「お義姉様は前にくださった手紙で、第三子を妊娠していて体調が優れない日が続いていると書いていたの。
……心配だけど。無事に産まれたかしら。……まだかしら?……まあ、聞けば分かるわよね。」
ユキア様はそうブツブツと呟いて、少し緊張しながら手紙の内容を待った。
──ユキア様のお義姉様。
ユキア様の父親の子爵が再婚したときに、お相手が連れていた兄妹。……それが、ユキア様にとってのお義兄様とお義姉様。
その後妻の連れ子のうちの一人、義姉のリサ様からの手紙だった。
私は手紙を封筒から取り出して開き、今朝確認した内容のものを、規則に従って音読し始めた。
〈ユキアへ。
ユキア。元気にしていますか?どこか体を壊したり、気分が落ち込んだりはしていませんか?
貴女から返事がもらえないことは分かっているけれど、貴女の言葉を聞きたいです。ずっと、ずっと貴女のことを考えています。
ユキアが変わらずに王都の修道院で聖女として誰かを救っているという話を聞く度に、安心と心配を繰り返しています。
前回の手紙から少し期間が空いてしまってごめんなさい。
少し忙しい日々が続いたから……なんて、ぼかしても仕方がないので書きます。
私は1ヶ月前に、第三子を出産しました。そのことがあって、少し体調が優れない日が続いてしまって、ペンを取るのが遅くなってしまったの。もし心配を掛けてしまっていたらごめんなさい。私は今はもうとっても元気です。〉
そこまで読んで、私は辛くなってしまって、ひと息ついた。
何故なら……これはユキア様には言えないけど……この辺りから、手紙の字が涙で滲んでしまっているから。
私が区切ったところまで聞いたユキア様は、部屋の壁を眺めたまま嬉しそうに笑って「よかった!お義姉様、三人目も無事に出産できたのね。……男の子かしら?女の子かしら?……書いていなかったわよね?私、聞き逃しちゃったかしら。」と感想を口にした。
私が小さな声で「……書いてありませんでした。」とだけ伝えると、ユキア様は「ふふっ、そうよね。……じゃあ、分からないのはお義姉様のせいということね。きっとうっかり書きそびれてしまったんだわ。相変わらず抜けているんだから。」と、苦笑した。
私はそんな楽しそうなユキア様を見て心苦しく思いながらも「続きを読ませていただきます。」と言って、手紙の音読を再開した。
〈ユキア。貴女がどう思っているのか、返事を聞けないと分かっているけど、私は貴女に謝りたい。
ユキア、本当にごめんなさい。
私は今、夫と結婚して、子どもを3人も産んで、毎日がとても幸せです。
……だからこそ、貴女には顔向けできない。何度謝っても、許してもらえるなんて思っていない。
私の今の幸せは全部、貴女の犠牲があって成り立っているもの。貴女が私たちを守って、全部全部、一人で抱えて遠くに行ってくれた結果だから。
お願いです。ユキアの返事が欲しいです。
貴女がこの手紙を読んでくれているのかが知りたい。もし読んでくれているとしたら、何を思っているのかを聞きたいです。
嫌われていて当然だと思ってる。私は貴女に、憎まれていなければおかしいもの。
恨みつらみを書いた文章だっていい。『お義姉様だけが幸せになって許せない。殺してやりたいほど憎んでいる。』って、そう書かれた手紙でもいいから、貴女の気持ちが知りたいです。〉
私がそこまで読むと、ユキア様は笑顔を消して、代わりに呆れたように溜め息をついた。
「まったく。第三子が産まれて幸せ真っ只中のはずなのに、子どもの性別も書かずに、こんな暗いことばかり書いているの?
……お義姉様、大丈夫かしら?これって所謂『産後の精神不調』なんじゃないかしら。
私、心配になってきちゃった。」
「………………。」
私が何も言えずにいたら、ユキア様は私の顔を横目で流し見て、静かに「……続きはある?」と、残りの文章の音読を促してきた。
〈でも、ユキアは優しいから、きっと『何を言っているんですか?お義姉様。私のことは気にしないで、今は身体をゆっくり休めて、子どもたちをたくさん可愛がってあげてください。また次の手紙の近況報告を楽しみに待っています。』って、そう言ってくれている気がするの。
私の知っているユキアは、そういう妹だから。
ユキアは、能力よりも何よりも、その心こそがだれよりも清い、本物の聖女なんだもの。
だから私は、ユキアがそう言って笑ってくれていると信じて、また手紙を書いて送ります。
破棄されてしまっているかもしれないけれど、少しでも足しになればと思って、日持ちがするドライフルーツとナッツも送りました。それから、季節の花で作った栞も付けました。
……もう少しで、あと1年と8ヶ月。貴女が刑期を終えて外に出てきたら、真っ先に会いに行きます。それまでどうか、どうか、身体を大切にして心穏やかに過ごしてください。
リサより。〉
「…………以上です。」
私が手紙を読み終えると、ユキア様はそっと目を伏せて「ありがとう。ミカさん。」と私にお礼を言ってくれた。
「まあ、聞かなくても分かっているけど。
……そのお義姉様の差し入れは、やっぱり破棄されてしまったのかしらね?」
一応といった感じで、さらりと質問をしてきたユキア様。私は申し訳なさでいっぱいになりながらも、頷いて「規則なので、こちらで破棄いたしました。」と伝えた。
朝、私は手紙と一緒に、修道長から差し入れの現物を見せてもらった。……破棄する前に、不審な点がないかを確認するために。
すっごく美味しそうな、ドライフルーツとナッツの詰め合わせだった。
王都の高級店でもなかなか見かけないような、大粒で丁寧に作られたものだった。……きっと、お店をたくさん回って、いいものだけを選んで詰めたんだろうなって思った。
それに、お花の栞も……とっても綺麗で、素敵だった。
一番綺麗に咲いている花を選んで、花びらが少しでも変に折れてしまわないように慎重に押し花にしたのであろう、手作りの栞だった。
それらを受け取って確認して──……そして、焼却炉行きにしたとき。
魔法管理官として「規則」を守った私の中の「良心」がボキッと折れる音がした。
暗い顔を取り繕うこともできなくなっていた新人の私を気遣うように、ユキア様はそっと笑って、ちょっとした情報を教えてくれた。
「この手紙だけでも察せたと思うけど、私のお義姉様──リサ様はね、とっても心配性で優しい人なの。
私が修道院に収容されてすぐの頃に、面会を求めて何度も来てくれていたみたいで、一度、懺悔室にも来てくれた。
でも、面会はそもそも禁止されているし……懺悔室でも、お義姉様は加減を間違えてしまったの。
お互いの顔が見えない匿名性。それを無視していきなり『私はリサよ!ユキア、分かる?貴女の姉よ!』って本名を名乗って、私に向かって『ユキア、お願い。本当のことを話して?私、貴女の罪が無くなるためなら何でもするから!お願い、貴女の釈放に協力させて!』って……もう一発アウトなことを言いまくってきたの。
それで、すぐに強制退出。以降、懺悔室にも出入り禁止。……当然よね。
ふふっ。可笑しいでしょう?
犯罪の内容に触れようとしただけじゃなく、私に取引を持ち掛けてきたんだもの。私、あのときは本当にびっくりしちゃった。
普段は賢くて、とってもお淑やかな人なのに。……優しすぎて、馬鹿なのよ。」
………………。
私は私で、加減が苦手な自覚がある。
私はいつもの下手な相槌の代わりに、手紙の内容と今の会話で引っ掛かった違和感を、そのまま質問してしまった。
「ユキア様。……その、『犠牲』って、『本当のこと』って……どういう意味なんですか?」
私のいきなりの踏み込んだ質問に、ユキア様はあの初日のときのようにその猫目をキュッと細めて、どこか面白がっているような顔をした。
「あら、ミカさん。
ついに私と雑談をしてくれる気になったのね?嬉しいわ。」
それからユキア様は私の返事を待たずに、私に質問を返してきた。
「そうね。……じゃあ、まずは先に貴女から聞かせて?
貴女は、私のことをどのくらい知っているの?
私の犯した『罪』のこと。……私が捕まった『経緯』のこと。」
◇◇◇◇◇◇
聖女【ユキア】。
元の本名は【ユキア・エンシーラ】。
彼女は王国西部、パルクローム領の出身。
エンシーラ子爵の前妻の一人娘で、後妻の連れ子であった義兄と義姉を含めれば三人兄妹の末っ子に当たる立場だった。
しかし、ユキア様は18歳のとき、地元の普通科学校高等部の卒業を目前にして、同級生と《駆け落ち》をして失踪。
その同級生は、パルクローム領主の婚外子──……要は、領主と不倫相手の間に出来た子だった。
当時ユキア様は、地元の資産家と婚約関係にあったけれど、その婚約はユキア様の逃亡により破棄された。
エンシーラ子爵は莫大な違約金を支払わなければいけなくなったため、それを回避すべく駆け落ちした娘のユキア様を勘当。ユキア様側の過失を理由に絶縁の手続きを成立させ、親子間のすべての相続権や金銭保証の義務は失効となった。
その「違約金回避」のための副産物。
戸籍上は血縁関係が認められているものの、ユキア様は【エンシーラ】の姓を失い、貴族ではなくなった。
彼女は、ただの【ユキア】となった。
……そして、駆け落ち発覚から1年と8ヶ月が経ったある日。
王都付近の南東部の町で「非公認の聖女がいる」という通報があって……ユキア様はそこで一人で見つかり、逮捕された。
──《聖女保護法》。
聖女の能力が発現した場合、速やかに王立魔法管理局または公認修道院に申告しなければならない。
聖女の能力を意図的に隠し、私的な能力利用をしていた場合は《聖女隠蔽罪》となり、懲役刑10年以上が課される。
ユキア様はこの《聖女隠蔽罪》を犯したため、懲役10年の犯罪者となった。
能力の私的利用をしていたとはいえ、ユキア様はその王都付近の南東部の町でも、治癒魔法を使用した相手に金銭を要求したりはしていなかった。
ただ、申告を怠っていただけ。そして出会った死傷者に、独断で治癒を行っていただけだった。
愚かではあるが、悪質性はない。
そのことから、最短の懲役10年で収まった……というわけだ。
当時、ユキア様は調べに対して、こう話していたという。
「《駆け落ち》は失敗した。彼とは2ヶ月前に別れた。私はようやく目が覚めた。彼の居場所はもう分からない。
《聖女保護法》を破り独断で人々に治癒魔法を施していたのは、自分の特別な才能を見て周囲が驚くのが快感だったから。優越感に浸りたかった。」
……整合性は取れている。
でも、怪しさは満載だった。
一体いつ、彼女の聖女の能力は覚醒したのか。
わざわざ駆け落ちをしたのは、その聖女の能力があったためではないのか。
その駆け落ち相手の同級生も、ユキア様の聖女の能力を知っていたのではないか。
その同級生には《聖女隠避罪》という懲役30年以上の刑が適用されるのではないか?
──……貴女は、誰かを……彼を、庇っているんだろう?
半ば確信を持たれた上での1ヶ月近くに渡る尋問に、当時19歳だったユキア様はついに泣き崩れて……でも、口は割らずに、最後にただこう言ったらしい。
「《殺人罪》には、時効がありませんよね?
でしたら、私が刑期を終えたら、すべてをお話しします。
…………私は絶対に許さない。あの男を。
そのために駆け落ちしたんだから。」
ユキア様から出てきたのは《聖女隠避罪》ではなく、より重罪な《殺人罪》という言葉。
でも、それ以上はどれだけ尋問を重ねても、ユキア様は決して口を割らなかった。
そしてそれからユキア様は何年も何年も、現在に至るまで何も語らずに粛々と、この修道院で模範的に服役をしている。
これが、私が知っているユキア様の「罪と経緯」だ。
◇◇◇◇◇◇
「──ああ。そんな感じだったかしら。もう忘れちゃった。
前任の魔法管理官とこういう捕まる前の話をしたのも、7年以上前だから。
……彼女、元気かしら?新天地で上手くやっているといいんだけど。」
ユキア様のもとへの配属が決まった日に目を通した当時の資料。そこで知ったことを、私はそのまま素直に彼女に話した。
私の話を聞いたユキア様は、懐かしむように遠くを見て微笑んだ。
「彼女ね?本当は魔法管理官じゃなくって、王宮補佐官になりたかったんですって。7年前に話してくれたの。
だから私、応援したのよ。『この暇しかない勤務時間を使って勉強して、何度でも採用試験に挑戦したらいいんじゃない?』って。
それでこの間、ついにその試験に受かったのよ。彼女、本当によく頑張っていたわ。……結婚して、途中で子どもも産んだのに。それでも諦めずに努力し続けていたの。すごい根性よね。そう思わない?
私も彼女を見習って、根性を見せなくっちゃ。」
「あ、あのー……」
最初は黙って聞いていようと思っていたけど、どんどん話が「ユキア様」のことではなく「私の前任者の彼女」のことになっていってしまったから、私は申し訳ないと思いつつも、遠慮がちに話を遮ろうと声を発した。
すると、私の遠慮がちな声を聞いたユキア様は、またあの私を揶揄うようなキュッと目を細めた笑みを浮かべて、自然に話の流れを変えてきた。
「……それでね?
彼女、ようやく試験に受かったくせに『私のことが心配だ』なんて言って、魔法管理官を続けるか辞めるか迷っていたのよ。だから私、こう言ったの。
『貴女が新天地で頑張るなら、私も初心に戻って頑張るわ。
だから、次の担当者は、できれば真面目そうな新人さんを連れてきて。
昔の私に似た子を見れば、私も上手く初心に戻れそうな気がするの。』
って。……けっこう我儘で無茶振りだったと思うんだけど。
でも彼女、私の望みを期待以上に叶えてくれたのね。」
そうしてユキア様は一息ついて、私を見つめながらにっこりと笑った。
「ミカさん。ここ半月ほど、貴女を見て、それで今の話を聞いていたら──……私、ちゃんと初心に戻れたわ。
ちゃんと、思い出せた。
…………あの男への、怒りを。」
ユキア様はにっこり笑っていたけど……その目は、さっきまでのキュッとした目とは違って、全然笑っていなかった。
私はユキア様から目を逸らせずに、無意識のうちに身震いをしてしまった。
そんな私の怯えに気付いたのか、ユキア様はふっと肩の力を抜いて、目元をまたキュッと細めて柔らかい雰囲気に戻した。
「ふふっ。ねえ、ミカさん。
私、初心に戻れたついでに、いま二つ、気付いたことがあるの。
──まず一つ。
駆け落ちした彼と別れたのは、捕まる2ヶ月前じゃなくて、1週間くらい前よ。
……こんなの、どうでもいいかしら?まあ、どうでもいいんだけどね。
きっと当時の私は変な見栄を張ったのね。恥ずかしいわ。
あまり関係ないかもしれないけど。必要だったら資料に訂正を入れるなり新規証言として報告するなりしておいて?
──……それと、もう一つ。
私が絶対に許せないと思っているのは、あの男だけじゃない。
今は、この王国を恨んでいるわ。私はこの国の非情な法律に怒っているの。
……こんなこと言ったら、罪が増えたりする?……そんなことないわよね。この程度の戯れ言で懲役が何年も追加されたら、たまったものじゃないわ。
でも一応、こっちの話は記録せずに、軽く聞き流してもらえると嬉しいわね。」
「あ、……えっと、」
私がもう何を言っていいか分からずに固まってしまっていたら、ユキア様は私から視線を外して軽く壁に掛かった時計を見上げた。
「……あら。もうこんな時間。
自由時間って、お喋りをしているとあっという間よね。
懺悔室に行きましょう、ミカさん。続きはまた明日話しましょう。」
そして私たちは、無言のまま、その日最後の仕事の1時間を、誰も来ない懺悔室で過ごした。