3 ◇ 手紙の代読と囚人の伝言
国の法令を遵守し、大切な人は責任を持って自分の手で幸せに。
当たり前のことを当たり前にできなかった彼の、駆け落ちの暫定エンドまで。
追加分の最終話です。
とある平日の午後16時。
1ヶ月前までは、私はこの時間は毎日、ユキア様と一緒に修道院の懺悔室に座っていた。
でも今日は違う。
私【ミカ】は、ユキア様……のお義姉様の【リサ】様と一緒に、とある場所に来ていた。
──クゼーレ王国一の監獄。王都刑務所。
王都の北北東の一番端。中心部からは馬車でも1時間半はかかる場所。
先週末、王都の一角で珍しく事件が起きて死傷者が出て、ユキア様と私は休日だったけど治癒魔法の利用のために緊急呼び出しをされて、事件現場に駆り出された。
今日はそのときの休日出勤分の振替休み。
私はその平日の休みを利用して、リサ様にお声を掛けて、囚人面会にやってきたというわけだ。
逮捕されてすぐに、あっさりと「懲役30年」の刑が確定した《聖女保護法》違反の囚人【ベイン様】に会いに。
◇◇◇◇◇◇
「…………緊張しますね。」
もともと会話下手な私は、話が下手なりに、この面会室で待たされている間に少しでも重苦しい空気を柔らかくしようとした。
苦手だからって甘えてちゃいけない。私にはできない──なんて、他人に任せてちゃいけない。
地味なことかもしれないけど、私なりに少しずつ、変わりたいところは頑張って自力で変えていくんだ。
そう思いながら、私は隣に座っているリサ様に、ぎこちなく微笑みながら一言だけ話しかけた。
私のぎこちない振りを受けたリサ様は、私よりもずっと上手に、この場の空気を和らげるようにそっと微笑んでくださった。
「そうですね。……私は特に、ベイン様と直接お話しするのは初めてですから。」
そう言ってリサ様は、正面の鉄格子の先を見つめた。
修道院の懺悔室にある、顔の見えない格子じゃない。
壁に沿って付けられたテーブルの上側に嵌められた、刑務所らしい、檻のような鉄格子。声だけじゃなく、姿も見える。
……だから私たちは今から、ベイン様に鉄格子越しに会える。
「勢いで来てしまいましたけど……いざとなると、何を話していいのか。まだ全然、頭の中がまとまっていないんです。
この時間を大切にして、ちゃんとお話をして、あの子に──ユキアに少しでも何かを伝えてあげたいとは思っているんですが。」
待ち構えるように姿勢を正すリサ様の言葉に、私は
「私もです。」
と言って、頷いた。
「……………………。」
頑張ろうとは思ったものの、話を広げることができずに頷いて相槌を打っただけの私に、リサ様は笑ってこう提案してくださった。
「……とりあえず、はじめにミカ様がユキアから預かっている手紙の内容をお伝えすることにしましょう。
そうすれば、あとは自然と話が続くでしょうから。」
「そうですね。……だと、いいんですけど。」
私はリサ様のように正面は向けずに、膝上に置いた手に持っているユキア様からの手紙を見つめた。
……この「手紙」の内容。ベイン様はどう思うんだろう。
これを聞いたら……ベイン様、何て言うんだろう。
想像しても仕方ない直近の未来を無駄に想像しようとしたとき。
壁と鉄格子の向こう側の部屋の扉がガチャリと開けられて、階級が高そうな刑務官に続いて──
特殊な拘束魔法が施された片手錠を左手首に嵌めた、囚人服姿のベイン様が現れた。
◇◇◇◇◇◇
私がベイン様にこうして向かい合ってお会いするのは今日が2回目。
1回目はユキア様の釈放日。あの修道院で、第一王女のラルダ様と特別警備に来てくださったときだった。
今まで、魔導騎士団の団服を着ていたベイン様しか見たことがなかったけど。
何だか不思議と……こう言っていいのかは分からないけど……ベイン様はすごく、囚人服を見事に着こなしていた。
もともと「お洒落な人なんだろうな」とは思っていたけど、ピアスのような装飾品も何もつけていない囚人服姿のベイン様は、妙に様になっていた。何ならその左手首の黒と銀色に金色文字の片手錠が、ピアス代わりのお洒落なアクセントになっているような気がした。
……「囚人姿が様になってる」なんて言っちゃいけないんだけど。
──……ああ、そっか。
ベイン様は実家のパルクローム領主家が所有していた牧場で、ずっと家畜を大切にお世話して、家畜たちと一緒に暮らしていたんだった。
……ベイン様はこういう作業着こそ、一番、着慣れていたのかも。
私は1ヶ月前に聞いた、ユキア様の証言の内容を思い出していた。
私の脳内がズレた方向に行きかけたところで、ベイン様は椅子に座りテーブルに左肘をついて、その片手錠のついた左手の上に顎を乗せて私たち二人を見てきた。
……もう偏見は持ってない。
他人の人柄を見た目だけで決めつけたりは、もうしてない。
でも私は、ベイン様の隠す気すらない態度の悪さとその気怠げな三白眼に、うっかり怯えてしまった。
どう言い表せばいいのか分からないけど……うん。素直に認めてしまうなら……普通に「怖い」と思ってしまった。
顔には出さないようにしたつもりだったけど、ベイン様はそんな私の様子を見て、頬杖をついたまま軽く笑った。
「……別にそんな緊張しなくてもいいっすよ。俺もあんま身構えて話す気ないんで。」
「あ、……えっと、あの……私、ユキア様担当の魔法管理官の【ミカ・テンシー】です。」
口元は笑っているものの、私たちを睨みつけるような据わっている目はそのままのベイン様。
私は怯えを通り越して何も考えられなくなりながら、慌てて頭を下げて名乗った。
「知ってますけど。
誰が面会希望してるか、事前に教えてもらえるんで。……ってか、会ったことありますよね。ミカさん。」
「あっ!あ……はい。そうですよね。」
………………怖い。
私の心はすでに挫けそうだった。
すると、私の横に座っているリサ様が、気合いを入れるようにしてもう一度姿勢を正して、ベイン様に向かって口を開いた。
「初めまして。ユキアの義姉の【リサ】です。
今日はお会いくださって、ありがとうございます。……短い時間ですが、よろしくお願いします。」
私とは違って、きちんと大人らしく丁寧に礼をするリサ様。
ベイン様は頭を下げたリサ様を見て、頬杖をやめて椅子の背もたれに寄りかかりながら「ああ、どうも。」と言った。
それから背もたれに寄りかかった姿勢で怖い視線をリサ様に向けて、また口元だけで笑った。
「『懺悔室』と違って、『刑務所』だと面会するかどうか選べんの、楽でいいっすよね。……まあ、拒否できない某王女様とかもいるんで、そこは面倒くさいっすけど。
知り合いじゃない場合は基本的に拒否させてもらってますけど、別に一回くらいなら、いいんで。
何か話があんなら聞きますよ。」
………………やっぱり、ベイン様は怖かった。
ベイン様は私たちに、思いっきりこう言っていた。
──「今回は許可したけど、次は面会を拒否するかもしれない。」って。
ここで私がベイン様に「もう会う価値はない」「もう会いたくない」って思われちゃったら……私は、ベイン様に面会できなくなるんだ。
そうなったら、私はユキア様からの「手紙の代読」もできない。
ユキア様の様子も伝えられない。
ユキア様の言葉も、想いも……何も伝えられなくなる。
…………それをベイン様は、本気でしてもいいと思ってる。
ユキア様の話を今後一切聞けなくなっても、それでもいいと思ってるんだ。
私は本当に怖くなって、情けないことに泣きそうになってしまった。
今こうしてユキア様の代わりにベイン様に会ってみて、初めて「今までユキア様は懺悔室で、ずっとこんなに怖い思いをしてたのかも。」って……そんな風に思ってしまった。
ベイン様の言葉を受けたリサ様は静かに息を吐きながら目を伏せて、それから私の様子を窺いながら、私を励ますようにして話を振ってくださった。
「そうですね。では、面会時間も限られていることですし……まずはユキアからミカさんが預かっている手紙があるので、その内容を聞いていただけますか?
……ミカさん、お願いします。」
◇◇◇◇◇◇
ベイン様は少しだけ目を細めて、さっきまでよりも気さくな笑顔に変わった。
椅子にもたれていた上半身を起こして、もう一度テーブルに肘をついた。それから再び頬杖をついて、どこか面白そうにしながら私の方を見てきた。
「へー。そんなのあるんだ。」
私はプレッシャーを感じながらも──……それ以上に、これを聞いたベイン様がどう反応するのか……ユキア様の言いたいことが上手く伝わるか不安になりながら、封筒から一枚だけの手紙を取り出して開いた。
「…………読ませていただきます。」
ベイン様の視線を受けながら、私は手紙の内容を一字一句違わずに読み上げた。
〈ベインへ。
王都は想像していたよりも広くて、人もたくさんいて、 やっぱり怖いです。 、寂しいです。
寒い季節だから、風邪をひかないように気を付けてください。〉
「………………。」
「………………。」
「……………………あっ、終わり?」
「終わりです。」
ベイン様は拍子抜けしたように、頬杖をついている手から少しだけ顔を浮かせて、軽くその目を見開いて──……
──それから、今までとは全然違う表情になって笑った。
「本当に終わりなんだ?
いやぁ〜こんだけのためにわざわざ来させちゃって申し訳ないね。
すんませんミカさん。級長の代わりに謝っとく。」
私が「いえ、大丈夫です。」と返すと、ベイン様は視線を上に逸らして考える素振りをした。
「……たしかにね。別に何も予想とかしてなかったけど、級長だったらこういう手紙になりそうだね。
対面でも話弾まないのに、手紙で一方的に長々と書けるわけないか。」
「………………。」
私は迷ったけど、勇気を出してベイン様に追加で伝えることにした。
「そうなんですけど……でも、それだけじゃないと思います。
ユキア様は私にこの手紙を渡してくれたときに、こう言っていました。
『言いたいことはたくさんあるけど、書けなかった。』と。
『全部、直接伝えたいことばかりなの。』って、そう言っていました。」
私の付け足しを聞いたベイン様は、私と一瞬目を合わせて……それから目を伏せて失笑した。
「ああ……そっすか。」
………………余計なこと言っちゃったかな。
私が遅れて後悔しかけたところで、ベイン様は再び私の方を見て、笑いながら質問してきた。
「級長の手紙だけじゃ全然分かんないから、一応聞いとくか。
ん〜……級長、元気?どんな感じっすか?……ってのも漠然とし過ぎか。
級長、大丈夫そっすか?
10年振りに外に出て、知らない場所に住んで、いきなりいろいろ注目もされて大変だろうと思うけど。
普通に生活できてます?ちゃんと仕事してます?」
ユキア様の近況報告はもともとしようと思っていたから、それは頭の中でなんとなくまとめてある。
私はその事前にまとめた通りに、ベイン様にお話しした。
「はい。ユキア様は本当に頑張っていらっしゃいます。
ユキア様は修道院を出られた翌日から、魔法管理局と警察に10年前のことを積極的に証言してくださいました。
捜査の他にも、新聞社などの取材にも協力的で、市民からの声掛けにも落ち着いて対応なさっています。
……魔法管理局と警察でも、過剰な聞き取りや過度な接触がないよう最大限配慮もしていますので、その点はご安心ください。」
「…………『ご安心ください』って。」
ベイン様はそう言って苦笑した。
「現在は国が用意した居住地に住まわれていますが、先週あたりから徐々に、お買い物や外食などにも出掛けられるようになりました。
特級聖女としても、この1ヶ月だけでも、何件もご活躍いただいております。」
私からの簡潔な報告を聞き終えて、ベイン様は軽く笑った。
「それは良かった。手紙ではああ言ってた割に、級長、頑張ってるんだね。」
…………伝わってるような、伝わってないような。
全部事実なんだけど、何だか私は上手くユキア様の様子をベイン様に話せた気がしなかった。
それからベイン様は、私の隣にスッと視線を移して、今度はリサ様の方に質問をした。
「そういえば級長、もうリサさんたちともちゃんと会えました?
……10年前、俺にずっと話してくれてましたよ。『優しい義理の家族の三人が大好きだ』って。」
それを聞いたリサ様は、泣きそうになりながらも涙を堪えて答えた。
「ええ。ユキアが釈放されてすぐに、私と母と兄で会うことができました。
王都にある兄の家に何度か家族で集まって、一緒に食事もしています。一昨日は母と私とユキアで、ユキアの服を買いに街にも出ました。
……あの子と10年振りに──……いえ。今ようやく初めて、たくさん話すことができています。
エンシーラ子爵家にいた頃は……私たちは、あの子とろくに話すらできていなかったので。
貴方がユキアを守ってくださったお陰です。
…………本当に、ありがとうございました。」
そう言って深々と頭を下げるリサ様を見て、ベイン様は私からの報告のときのように再び苦笑した。
「いや、別に『守って』ないっすけどね。
級長は10年間も修道院に一人でぶち込まれてたし。俺は今、刑務所にいるし。何もしてませんけど。」
その返しを聞いて、俯くリサ様。
でもベイン様はお構いなしに、まるであの懺悔室でのやり取りのときのように、ちぐはぐな温度感で一回り明るい声を出した。
「でも良かったっすね。食事とか買い物とか一緒にできてんなら。
……思ったより楽しそうに暮らせてるみたいで、何よりかな。その調子で久しぶりの自由を謳歌してほしいね。級長には。」
既視感のあるこの感覚。
ベイン様とユキア様の、虚しくてどうしようもないすれ違い。
ベイン様がいない王都で「自由を謳歌」なんて……そんなのユキア様に、できるわけがないのに。
私が複雑な気持ちになっていると、隣の俯いたままのリサ様から、静かに……でも、ベイン様の言葉を強く否定する声がした。
「…………良くないです。
ベイン様。……本当に、貴方はそう思われているんですか?
……お願いです。そんな風に言わないでください。
あの子のことを……っ、ユキアの想いを、お願いだから分かってあげてください。」
◇◇◇◇◇◇
リサ様の責めるような言葉を聞き取ったベイン様は、笑うのをやめてスッと真顔に変わった。
そして頬杖をつき直して、軽く手のひらと顔の角度を変えた。
それで、相手を睨むような三白眼が──……さらに据わって、怖くなった。
俯いたままのリサ様には見えていないベイン様の姿。
リサ様はベイン様の方を見ることなく、膝上で組んでいる自分の両手を見つめながら、ベイン様に切実な思いをぶつけた。
「……ユキアは、とても強いんです。
もうユキアは私たちの前では泣いていません。
いつも気丈に振る舞って、……私たちが話しかけると、頑張って笑ってくれるんです。
『お義姉様たちにまた会えて嬉しいです。お義姉様たちが無事で良かった。幸せになれていてほっとしました。』……って。
度々、そう伝えてきてくれるんです。」
「……まあ、そもそもそれが級長の『目的』だった訳だし。
そう言うんじゃないっすか?」
ベイン様は頬杖をついたまま、怠そうにそう言った。
その冷たい返しを聞き取ったリサ様は、少しだけ声を詰まらせて……でも、懸命に続けた。
「……あの子は、昔からそうでした。
あのエンシーラ子爵家で…………っ、……わ……私を殺した男から、ずっと私たち家族を庇い続けてくれていました。
私たちを守るために、あの子は一人で……人殺しの男と実家に残ったんです。私が心配しても『大丈夫です、お義姉様。』って、何度も何度も繰り返して。
──……それが、私たち家族三人が知っているユキアなんです。」
「………………。」
無言でリサ様を見つめるベイン様。
リサ様はそこでようやく、顔を上げてベイン様と目を合わせた。
そしてベイン様の冷たい視線を受けて、リサ様は悲しそうに顔を歪めた。
「私たちは、一度も見たことがありませんでした。……何年も同じ家に住んでいたのに、知らなかったんです。
……一昨日に一緒に買い物に出掛けたときも。
ユキアは『こんな風にお義姉様とお義母様と買い物ができる日が来るなんて、何だか夢みたいですね。』って、笑ってくれていました。
『王都が怖い』『寂しい』なんて、ユキアは私たちの前では一言も言っていません。……さっきの手紙の中だけなんです。
…………ベイン様。
私たちは、あの子の弱い姿を見たことがなかったんです。
あの子が怖がりだったってことも、本当は寂しがり屋なんだってことも……っ、人前であんなに悲しそうに泣き叫ぶような子だったってことも──……、あの釈放日のときまで、全然知らなかったんです。
あの子が『怖い』って、『寂しい』って言って泣けるのは──……ユキアが弱くいられるのは、全部、貴方の前でだけなんです。」
それを聞いたベイン様は、完全に表情を消した。
…………「驚き」に、近いのかもしれない。
まるで、自分がずっと信じていたものをいきなり覆されてしまった人のような、
誰もが知っている当たり前のことを指摘されて、今さら一人で真実に気付いた人のような、
──……そんな、茫然自失とした顔だった。
リサ様は涙を流して、しばらく鼻を啜っていた。
でもリサ様は懸命にまた口を開いて、最後にベイン様に、必死に訴えようとした。
「ですから、……ベイン様、お願いです。分かってあげてください。ユキアは──っ
「はぁー…………はい。はい、分かりました。分かってるんで。もういっすよ。」
「──……っ!」
再び不快そうな表情に戻ったベイン様は、苛つきを逃すようにして長い溜め息をついて、リサ様の話を容赦なく遮った。
低い声で言葉を被せられてしまったリサ様は、泣きながら声を詰まらせてしまった。
…………でも、それからベイン様は、私たちに怒りはしなかった。
あの最後の懺悔室のときのように──泣いているユキア様を温かく格子越しに見守っていた、あの最後の説得の日のように。
ベイン様はもう一度深く溜め息をついて、それからまた椅子の背もたれに寄りかかって、軽く手を組んで自嘲するように笑った。
「…………級長も、リサさんも。本当、俺のこと何だと思ってんすかね?
さすがに俺だって、分かってますけど。
……だからって、それ言われたところで困るんすよね。別に今から何ができる訳でもないんで。
──……もう分かってるんで、勘弁してもらえます?」
リサ様はベイン様のその言葉を聞いて俯いて、さらに涙を目に溢れさせた。
私はリサ様と違って、エンシーラ子爵家にいた頃の、父親からの暴力に耐えていたユキア様の姿を見たことはない。
ベイン様と《駆け落ち》をしていた頃のユキア様が、一体どんな風に泣いたり笑ったりしていたのかも……まったく知らない。
私が知っているのは、ただ私とぎこちない雑談をしながらキュッと猫目を細めて笑ってくるユキア様と……
……懺悔室で、あの釈放日の修道院の正門で、ベイン様の前で辛そうに泣いていたユキア様の姿だけ。
だから、私は何も知らない。
何も知らないけど……それでも私は無性に、リサ様と一緒に泣きたくなってしまった。
──「さすがに俺だって、分かってる。」
ユキア様はベイン様のことが、本当に、本当に「好き」なんだって。
ベイン様のことを「愛している」から、離れたくなかった。ずっと一緒にいて欲しかったんだって。
──「それを言われたところで困る。」
でも、自分はもう、ユキア様の隣に行くことはできない。
こうして刑に服してしまっているから。……懲役30年だから。
──……「もう分かってるから、勘弁して欲しい。」
…………俺もユキアが「好き」だから、これ以上、その事実を突きつけないでくれ。
……「愛してる」って、もう分かってるから。自分たちが10年間ずっと「両思いだった」ってことくらい、言われなくても知ってるから。
だからこの最悪な終わりを、勝手に悲しまないでくれ。
お願いだから少しでも俺に、これがマシな終わりだと、そう信じさせてくれ。
ベイン様が言いたいことが、手に取るように分かってしまった。
ただの傍観者の私でも、それが苦しくて仕方なかった。
◇◇◇◇◇◇
………………もう、次はないかな。
私はユキア様に泣きながら謝っている明日の自分を、頭の中で想像していた。
やっぱりベイン様とユキア様は、お互いへの想いは一緒でも、その望みは違っていた。
ユキア様は、ベイン様とまた一緒にいたい。ベイン様の隣に立って……それでベイン様にもう一度、笑って抱きしめてもらいたい。
ベイン様は、早く自分のことを諦めてもらいたい。……それで、ユキア様にまた笑ってもらいたい。自分の隣とは別のどこかで、早く幸せになってもらいたい。
10年間、ずっと格子越しにすれ違い続けていた二人。
……そしてユキア様が【聖女】になってしまったことで、面会すらも叶わなくなってしまった今。
…………こうなったら、もうベイン様は強硬手段に出るんだろうな。
私たちの「面会拒否」をして。
私がそう思って今にも涙が零れそうになった──そのとき。
リサ様がベイン様を、震える声で、もう一度強く否定した。
「ベイン様。……お願いです。
諦めないでください。……あの子を突き放さないでください。
分かっているなら、なおさら……貴方じゃなきゃ、ダメなんです。
お願いですから、ユキアのところに早く戻ってあげてください。……あの子が選んで買った服を、見てあげてください。
……っ、1日でも早く、もうこれ以上、ユキアに辛い思いをさせないであげてください……!」
「………………。」
「まだ言うんだ」とでも言いたげに、白けた目を寄越すベイン様。
でもリサ様は俯いて泣いたまま、一歩も引かずに懇願した。
「今、ベイン様の釈放を望む声が王都中で上がっています。
ユキアも……あの子も、それを望んでいるんです。
だから、ベイン様も……諦めないで、早くあの子の望みを叶えてあげてください……!
何かまだ他にも事情があるなら、全部話してください。
……っ、もし何か思っていることがあるなら、隠さずに……諦めずにすべて私たちに伝えてください!
ユキアが10年も刑に服さなければならなかったのも、ユキアを救ってくださった貴方が、……っ、今こんな風にならなければいけないのも──……全部おかしいんです!こんなの、国が──法律が間違っているんです!
何でもいいんです。何か……何か特例が適用できるなら──っ、もしラルダ王女様のお力を借りられるのなら──っ、それで罪を消すことができるのなら!お願いですから、そうしてください!!
っ……そうして早く……!早くあの子のところに戻ってきてください……!!」
………………あっ。
今にも零れそうになっていた私の涙は、その瞬間に引っ込んだ。
そしてベイン様も。
ベイン様は不意打ちを喰らったように、今日一番怖くない顔で、キョトンと目を丸くした。
「ん?すんません、何て?…………ちょっと今のは、アウトじゃね?」
ベイン様が戸惑いながら、そっと私に質問をしてくる。
「……………………セーフです。」
私は「良心」に従った判定をして、小さくそっと頷いた。
ベイン様は私から視線を外して斜め後ろに顔を向け、今度は自分の担当の刑務官を見て、そっと無言でリサ様のことを指差した。
「…………セーフです。」
ベイン様の担当刑務官は、神妙そうな顔をしてそっと判定を下した。
「…………すっ……すみません。っ、ごめんなさい。」
感情が昂っているとはいえ、さすがに場の空気を察したのか。
俯いて鼻を啜りながらも、勢い余ってしまったことを謝るリサ様。
「………………。」
「………………。」
そんなリサ様を見て、無言でもう一度私と目を合わせたベイン様は──
「──…………フッ。……いや、ガバガバっすね。」
と、どこか吹っ切れたように鼻で笑った。
「はぁ〜……ひっど。
最初っからこんぐらい緩くしてもらえてたら、俺と級長ももっといろいろ話せてただろうね。
…………でもま、今こんだけ緩くなってんのも、級長のお陰か。
あのあと級長が泣きながら喋って同情でも買ってくれてたのか知らないけど、俺んときは警察の取り調べも良心的ですぐ終わったし。まだ刑期確定してから2週間も経ってないけど、看守もみんな優しいってか、俺に無駄に気を遣ってくれるし。
ぶっちゃけ割と快適なんだよね。この刑務所暮らし。寝れる時間も多いから。
俺だけいろいろ楽させてもらっちゃってて悪いね。級長には謝んなきゃいけないな。」
もう微塵も怖くない顔で、呆れて笑うベイン様。
どうしようもない虚しさと、ようやく解れてきた緊張。
そんな不思議な空気に面会室が包まれたのに……やっとベイン様が、本音を何か話してくれそうな雰囲気になったのに──……
無情にも、そこで壁の時計が、面会終了の時間を示した。
扉越しにちゃんと私たちの会話を聞いていたんだろう。私たち側の入り口の扉から、遠慮がちなノックと「……失礼します。そろそろお時間です。」という刑務所の方の声が聞こえた。
「ああ、もう時間か。……なんか、あんまちゃんと話せた気がしないな。」
私とリサ様が何も言えなくなっている間に、ベイン様は一人で時計を見上げながらまとめに入っていった。
「まあ、じゃあせっかくだから、最後に俺の方から伝言でも頼んどくか。わざわざ平日に刑務所まで来てもらった訳だし。手ぶらで帰すのも申し訳ないからね。
……ミカさんさ、俺の代わりに級長に伝えといてよ。級長がこれから王都の生活をちょっとでも楽しめるように。」
そしてベイン様は、ユキア様を楽しませるどころか、さらに寂しがらせて泣かせてしまいそうな……「愛」しかない伝言を、私たちに笑って教えてくれた。
「──級長が好きそうな味の、王都の料理屋の名前。
『10年暇してる間に、いくつか見つけといたよ』って。
もう味覚変わっちゃってるかもしれないけどね。
『とりあえず迷ったらそこ行っとけば』って、級長に今から言う店、伝えといて。」
追加の3話にまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
当初は「蛇足かな」と思って下書きに眠らせていたベイン視点ですが、こうして気付いて読んでくださる方がいらっしゃるだけでも、投稿して良かったと思えます。
彼はお世辞にも万人に好かれるタイプとは言えないと思いますが、こんな彼のことも応援していただけたら幸いです。




