最終話 ◇ 10年越しの望んだ結末
檻を出た彼女のバッドエンド。
これにて完結です。(明日、後談を投稿予定です。)
いつかの未来のハッピーエンドを少しでも期待したい方は、もう1話、後談までお付き合いいただければと思います。
後談の登場人物たちに関しましては、後書きをお読みください。
15時3分。
釈放の予定時間を少し過ぎた。
今は閉じている正門扉の向こう側──修道院の建物の外からは、感動物語の始まりはまだかと待ち望む人々の熱気が伝わってきている。
10年振りに綺麗におめかしした【聖女ユキア様】の隣に、魔法管理官の私【ミカ・テンシー】は控えた。
「…………緊張するわね。私たち、ずっと修道院の中に閉じ込められていたものね。」
私にそう言ってぎこちなく笑うユキア様。
私のことまで囚人のように言わないでください!……なんて、咄嗟に笑ってツッコめればいいのかもしれないけど。
お互いに会話下手な私たちは「そうですね。」と言って緊張で引き攣りながら笑い合うことしかできなかった。
ユキア様はそれだけを言って、口を噤んで閉まっている正門扉をじっと見つめた。
(もう少しで、ベイン様に会えますね。)
喜びきれないから伝えられない。私は思った言葉を口にはせずに、ユキア様と無言で待った。
「──開門します。」
声が静かに掛けられて、衛兵二人がかりで荘厳な王立修道院の左右の正門の扉が開けられた。
数歩進んで正門をくぐり外に出たユキア様と私の眼下には、広場に集った物凄い数の民衆がいて──……
その民衆を率いているかのように真正面には堂々と、王国魔導騎士団のお二人──団長の【ラルダ・クゼーレ・ウェレストリア】様と、第1部隊長……ユキア様の駆け落ち相手の【ベイン】様が、笑顔で並び立っていた。
◇◇◇◇◇◇
誰もがハッピーエンドを予想したと思う。
12年近く前。卒業式を目前にしてお互いの手を取って、無謀な《駆け落ち》をしたクラスメイトの二人。
そして10年間、彼のことを想い続けた檻の中の【特級聖女様】と、彼女のことをずっと王都で待ち続け、国民の憧れになった【魔導騎士団の部隊長】。
10年越しに再開した二人は、10年振りのお互いの姿を見て、愛しさを溢れさせる。
辛抱強く耐え抜いた暗闇の日々をようやく抜け出して──ユキア様がベイン様のもとに駆け出して、ベイン様は両手を広げて、胸に飛び込んできたユキア様を力強く抱きしめる。
──10年越しに叶った純愛の《駆け落ち》の結末に、皆が感動して拍手を贈る。
…………そう、誰もが予想したと思う。
しかし、そんな皆が期待した予想は、呆気なく粉々に打ち砕かれた。
自分の右隣に大槌を置き、右手で柄を持って立っていたベイン様。
この場で誰よりも目立つ派手な大型武器を持っていたベイン様の姿を、ユキア様は真っ先にその目に映した。
ユキア様とベイン様の目が合って……ベイン様は眩しい朝日を見るように、とても優しい笑顔で目を細めた。
ユキア様はそんなベイン様の笑顔を見て、頑張って整えていた表情をすぐに崩してしまった。
彼女はじわっと目に涙を浮かべて、民衆への礼も忘れて、すぐに彼のもとへ駆け出そうとした。
──……でも、
ユキア様が彼のもとへその一歩を踏み出す前に、
ベイン様はユキア様の方を向いたまま、左隣に並んで立っていた団長のラルダ様に、己の過去の罪を自白した。
「…………団長。
すんません。今さらっすけど、俺も《聖女保護法》違反してました。
18歳んときに、4回、ユキアに能力を使わせました。
んで、その申告を意図的にしませんでした。
これ《聖女隠避罪》っすよね。
時効ないと思うんで、今からでも捕まえてもらっていいっすか?」
◇◇◇◇◇◇
…………………………
幸せの抱擁を確信していた民衆が、突然の告白に静まり返る。
一歩だけを踏み出したユキア様は、目に浮かべていた涙を頬に伝わせて、その場に立ち止まってしまった。
「ねえ。…………ベイン。
…………何で今、言っちゃうの?……何で言っちゃったの?
待ってよ。……ねえ。せめてもう少しだけ……っ、もう少しだけでも待ってくれてもいいじゃない!
何でよ!……っ、何でそういうことをするのよ!何でベインはそんなに話が通じないの?!
──っ、どうして側にすらも行かせてくれないの?!
どうして分かってくれないのよ!!」
ユキア様が聖女らしくない、絶望の表情で叫んだ。
………………そして、
皆が静まり返る中で、ベイン様はユキア様の泣き顔をしっかりと見つめて、悲しそうに微笑んだ。
「級長、やっぱ俺のこと相当勘違いしてるっしょ。
あの書き置きの手紙読んだとき思ったけど。
……あのさ。さすがに俺、自分だけ逃げ切ろうとするほどクズじゃないよ。
俺、正直に自首して10年頑張った級長を前にして平気でいられるような、図太い人間じゃないんだよね。
………今の俺には、級長の隣にいる資格はないの。
分かってないのはそっちじゃん。」
それは、ユキア様が「気狂い」だと言っていたベイン様の、説得されてくれなかった本当の理由──
──……至極「まとも」な本音だった。
◇◇◇◇◇◇
「ベイン。お前のこの一連の言動は、どういう理屈だ。
……私に話しておきたいことがあるなら、話してくれないか。」
周囲の民衆とは違ってベイン様を理解していた団長のラルダ様が、予想していた展開を受け入れながら彼に問いかける。
問いを受けたベイン様は、右手で持っていた大槌を軽く持ち上げ、ドスっと音を立てて少し武器を移動させた。
大槌の頭は下にしたまま真っ直ぐに自分の身体の正面に置いて、今度は両手でその長い柄を支えた。
そしてユキア様から視線を外して、微笑みを消してラルダ様を横目で見た。
「…………別に。
俺の方は、そこまで複雑な理由無いっすよ。
ただ、俺が何度も『放牧地に大型飛竜の親子が来てる』っつってたのに、領主だった俺の親父が、魔導騎士団に通報してくれなかったんで。
──……だから、ユキアの力を借りて自分を再生させながら、飛竜の親子を倒しました。
そんだけです。
…………あんときの俺に、今の実力があればな。治癒魔法使わずにいけたかもしんないのに。
いや、無理かな。やっぱ1回は使ってたかも。
あ、自首が遅れたのはユキアの出所を待ってただけっす。」
「………………そうだったのか。」
重々しく一言呟く団長ラルダ様を見て、ベイン様は軽く自嘲した。
そして申し訳程度の敬語もなくして、ラルダ様に気安く話し始めた。
「……俺さ。入団して部隊長になってから、魔導騎士団の事務局に行って、一応ちゃんと調べといたんだよね。……ユキア待ってる間、特にやることもなかったから。
証拠ってほどにはならないかもしれないけど、裏付けにはなるんじゃない?ちゃんと残ってたから後で確認しといてよ。
12年くらい前のパルクローム領からの通報記録。
それ見れば分かるよ。……俺が2回通報してたことも、親父が通報を取り消してたことも。」
それを聞いたラルダ様が静かに息を呑んで僅かに目を見開きながら、ベイン様のことを見た。
その顔は「……まさか、お前はそれだけのために魔導騎士団に入団してきたのか?」というような表情だった。
「故意の通報義務違反って、たしか人的被害が出てない場合は『罰金刑』だよね。500万リーク以下で済んじゃうんだっけ?
……俺としては、人的被害と同等にして『懲役刑』もくっつけといて欲しいんだけど。
まあ、さすがにそれが通用しないことは分かってるよ。
牛と羊は、人間じゃないからね。」
そこまで言って、少し表情を曇らせるベイン様。ラルダ様はそんなベイン様を見て、今度はそっと目を伏せて
「…………そうか。家畜はすでに襲われてしまっていたということか。」
と言った。
「そう。
……乳牛の『アキ』と『フミ』と『ユカ』、羊の『ナミ』。
俺の友達がそんだけ目の前で喰われて殺された。
──俺は、アイツらを見殺しにした親父が許せない。
30年の懲役刑くらい受けてやるよ。
今の俺の話で親父の通報義務違反も認められて、親父にちゃんと前科がつくならそれで上等。罰金刑だけだろうが何だろうが、俺の友達を見捨てた罰を親父も受けるべきだ。
……前科がつくついでに領地剥奪でもされとけよ。」
怒りを思い出しているのか、徐々に語気が荒くなり、表情も険しくなっていくベイン様。
──家畜たちを守るために、素人の少年が文字通り自分の身を削りながら、たった一人で飛竜の親子を倒しきったこと。
──……父親にただの「罰金刑」の前科をつける代わりに、自分は「懲役30年の刑」を受け入れること。
彼が語った内容は、客観的に聞けば酷く「狂った」ものだった。あまりにも「割に合わない」復讐だった。
…………そして、彼にとって「自分の人生」がいかに軽いかということが、よく分かる発言だった。
「……団長。俺、魔導騎士団のことは全然恨んでないよ。
あの頃の魔導騎士団もさ、俺の通報を信じて一度は来てくれてたし。それをすぐに追い返して、その後の通報を取り消した親父が全部悪い。
今いる先輩も、後輩も──みんな気のいい奴らで、いい職場だった。入って良かったと思ってるよ。
言った通り、とにかく俺が許せないのはあの親父。
…………まあ、あとはユキアを10年も修道院の独房にぶち込んだこの国かな。
だって可哀想じゃん。ユキアの聖女の能力だけは散々利用するくせに、そのユキアの20代の時間を全部、しょうもない理由で奪うなんてさ。
……ああ。そういう意味なら、ちょっとだけ恨んでるかな。団長じゃなくて、第一王女様のことは。
でも、ま、王女様に何ができたわけでもないか。……やっぱ恨んでません。さーせんっした。今の取り消す。」
若干苛ついているような、八つ当たりのような発言。
ベイン様は今、10年振りのユキア様を前にして──皆に憧れ讃えられる魔導騎士団の部隊長ではなく、彼女への仕打ちに憤る一人の青年に完全に戻ってしまっていた。
「…………ベイン。」
「………………何すか、団長。」
私に宣言していた通り、ベイン様の言葉を受け止めたラルダ様。
ラルダ様は第一王女として、一人の王国民の理不尽な八つ当たりを受けてから──……最後に団長として、毅然と彼に言い渡した。
「団長命令だ。
常に復帰に備えておけ。服役中も戦闘の腕は落とすな。」
それを聞いたベイン様は、呆れて苦笑した。
「ユキアだけじゃなくて、俺にまでそういうこと言うんだ。
そこまでは頼んでないんだけど。
……毎度思うけど、ラルダは独善的だよね。」
「よく分かっているではないか。」
「俺、ラルダのそういうとこ正直苦手。」
「そうか。……許してくれ。これも私の性分なのだ。」
「知ってる。」
隣に並び立って、そう言い合うベイン様とラルダ様。
二人の魔導騎士団での日々の絆の蓄積が、私たちにひしひしと伝わってきた。
その姿は、ずっと会うことができなかった空白の10年間を持つ駆け落ち相手のユキア様を前に……ひどく残酷に映った。
ラルダ様と話している間、ベイン様はずっと、身体の正面に大槌を立てて柄を両手で持ちながら話していた。
──武器を己の前に突き立てる。魔導騎士団の最敬礼の姿勢。
…………まるで、ユキア様と自分の間に、必死に壁を作るように。
ベイン様はラルダ様の返しに笑いながら俯いて──……ついに、重く息を吐いて、こう言った。
「…………すんません。もうさっさと連行してもらっていいっすか。」
ベイン様の泣きたいほどの苦しい思いが伝わってくるようだった。
──ユキア様の前にいるのが辛い。もうこれ以上、彼女の顔は見ていられない。……お願いだから早く連れて行ってくれ。
──……これ以上、名残惜しくさせないでくれ。これ以上は辛くなりたくない。
私だけじゃない。何の事情も知らない国民たちも。
誰もが直感的に、ベイン様の言葉の意味を理解していたと思う。
そしてベイン様は、ずっとベイン様しか目に映していなかったユキア様とは対照的に、もうそれから一度もユキア様の姿を目に映すことはなかった。
警備に来ていた警察に笑って礼をしながら手錠をかけられて、ラルダ様に笑って「その大槌、代わりに持って帰っといて。」と気さくにお使いを頼んで、警察の人たちとともにその場を立ち去った。
──……ただ、その立ち去る途中。
ベイン様は少しだけ歩いて立ち止まり、集まっていた民衆の右奥の方を見た。
そして、反省しているのかしていないのか……中途半端な苦笑いをしながら、その右奥に向かって軽く謝罪と一礼をした。
「まあ、あれはユキアが勝手に書いただけっすけど。
…………手紙の内容、守れなくてさーせんっした。」
それを聞いた途端、ユキア様が何かに気が付いて、自分の服の裾を握りしめながら声を詰まらせてボロボロと泣き出した。
ベイン様はそんなユキア様の声にならない声を聞いても振り返らずに、また歩き始めて去って行った。
私はその右奥の方をよく見てみて……そこで、やっと見つけた。
ベイン様が謝罪と一礼をした先──右奥のところには、人々に埋もれかけている小柄なリサ様の姿があった。
◇◇◇◇◇◇
ベイン様がやり切ってしまった、救いようのないバッドエンド。
広場に集った国民も、修道院や魔法管理局、警備の者たちも皆、重苦しい空気に包まれた。
ただ取材に来ている記者たちだけが、無言で必死に写真を撮り、さっきまでのベイン様の発言とこの重苦しい空気感を記録に残すべくペンを走らせていた。
隣にいた戦友が去り、彼に押し付けられた無理難題とともに残されたラルダ様。
ラルダ様は数秒間、己に気合いを入れるように、静かに目を閉じていた。
──そして、
再びスッと目を開いたときには、ラルダ様の茜色の瞳には、もう悲しみの色はなかった。
誰もが凍りつき動けなくなっている中、ラルダ様は広場を真っ直ぐに歩いてきて、正門前の階段を美しい姿勢で一段一段と上って──開ききった扉のところで泣きながら立ち尽くすユキア様と、その隣に控える私の前に立った。
「……不慮の出来事により、ユキア様の晴れの場をこのような事態にしてしまい、誠に申し訳ありませんでした。
私の部下による不始末、お許しいただけるとは思っておりませんが、どうかこの場の収束は私にお任せいただけませんか。」
全員の視線が背中に刺さっている状態での、ラルダ様の致し方ない建前。
絶望しているユキア様に追い打ちをかけるような、冷た過ぎる建前だった。
「………っ、よくも………よくもそんなことが言えるわね。
……貴女、ベインの仲間だったんでしょう?」
ユキア様が顔を悲しいくらいに歪ませて泣きながら、震える声で懸命にラルダ様にそう言い返した。
ラルダ様はユキア様の恨み言を聞いて、ユキア様を気遣うように表情を和らげた。
それから私たちだけに聞こえる程度に声を落として、穏やかな口調でユキア様に思いを伝えた。
「……ええ。私がこの場に立とうとしているのは、他でもない仲間の彼のためです。
衆目の前で語るのは無粋ですから、後ほど彼の言葉はお伝えしますが──私は彼に託されました。
『貴女が迎える今日この日が、希望の日になるように』と。
……ですから、私はここで泣くわけにはいきません。
大切な部下であり、友であるベインのためにも、私は団長として厳しくありたい。
そして、我が王国の民であるユキア様とベインのためにも……私は王女として、希望を掴むために足掻きたいのです。」
私もユキア様も、ラルダ様のお言葉の意図がすぐには理解できなかった。
でもラルダ様は、そんな私たちに優しく微笑みながら、その意図をそっと教えてくださった。
「私が民衆の前で涙を流してよいのは、歓喜に満ちるときだけです。
近い将来、ベインとまた武器を手にして並び立ち、共に戦う日を迎えたとき。
そして王国がまた一つ、正しい成長を遂げたとき──ユキア様とベインが、国民たちの力によって、正しく救われたとき。
それらが叶うとき、私はきっと泣き崩れてしまうでしょう。
……その日までは、私は泣くわけにはいきません。」
それは、団長と王女の顔を崩して初めて等身大の姿を見せた、ラルダ様ご本人の望みだった。
…………ああ、そうなんだ。
私は今、分かった気がした。
ずっと私は「自分は無力だ」って感じてきた。
こんな大国のクゼーレ王国で、たった一人、私がちっぽけな勇気を出したって、何か行動を起こしたって、何も変えられないって思っていた。
それが一人や二人、何人集まっても同じ。リサ様が声を上げ続けても最後までユキア様の刑期が変わらなかったみたいに。ただの国民だけじゃ、世の中は変えられないって思ってしまっていた。
でも、それは王女様も同じなんだ。
ラルダ様だって、自分一人では変えられないって思っているんだ。
そして──だからこそ、ラルダ様は「国民の力」を信じているんだ。
一人じゃ駄目でも。二人じゃ駄目でも。十人、百人程度の団体じゃ足りなくても。
それでも、一人ひとりが勇気を出して行動をして、そうして一人ずつ、一人ずつ増えて千人になれば、一万人に届いたら──……いつか、その声は王国まで届く。王国を変える大きな力になる。
そう信じているんだ。
私はその眼前に広がる絶望と、途方もなく遠くに存在するラルダ様の望む確かな希望に気付くことができた。
それからラルダ様はまた表情を引き締め直して、一本に結った綺麗な黒髪を翻し、ユキア様に背を向け民衆を前にした。
足を肩幅より広めに開いて勇ましく立ち、その身体の正面の地面に鞘に収まった愛剣を真っ直ぐ突き立てて、柄の先端に両手を重ねる──魔導騎士団の最敬礼の姿勢を取った。
そして凛々しい声を張り上げて、眼前の大衆へと語りかけた。
「過去に罪を犯したベインは許されてはならない。法に則り、罪を償うこととなろう。彼には深い反省と更生を求める。
そして、今の一件で魔導騎士団に失望した者もいるだろう。それはすべて団長である私の責任だ。
皆にこの場で謝罪したい。……後ほどまた改めて、ここにいない国民たちへも謝罪の場を設けよう。
我ら王国魔導騎士団が、皆の期待と信頼を裏切ってしまったこと──誠に申し訳ない。
今後は魔導騎士団員が一丸となり、国民の信頼をもう一度得られるよう日々努めていく。さらなる決意をもって、王国全土のすべての民を守るために、この命を懸けると誓う。
……どうか、見守ってほしい。この通りだ。」
あまりにも自分とベイン様に厳しいラルダ様のお言葉に、民衆たちが息を詰まらせる。
しかしラルダ様は、沈む民衆たちとは逆に、一回り力強く声色を変化させた。
「そして、この国の王女として、最後に私から皆に伝えたいことがある。
我が国の秩序を守っているのは、長き歴史で先人たちが築き上げてきた法だ。
しかし、我が国に生きているのは、法ではなく、血の通った我ら王国民たちだ。
法は我々の命と権利を正しく守るためにある。だが、その目的を違えてはならない。
法を守るために国民がいるのではない。
国民を守るために、法が存在するのだ。
──法が示す道の終着点は、我ら王国民の『正しき幸福の形』だ。
だからこそ、あなたたちが正しいと思う道があるのなら、どうか勇気をもって声を上げてくれ。
歪みがあると感じたならば、臆せずに王宮に声を届けてくれ。
我ら王家は、何よりもこの国に生きるあなたたちの声を重んじ、正しき幸福の形への道を模索すると約束する。
我々が歩む道は、王国の繁栄とともに洗練されていかなければならないのだ。あなたたちの目で、見定めてほしい。
私からは以上だ。」
……ちっぽけな新人の私が沿道で泣き崩れていたリサ様に声を掛けたときのように。
大国の王女ラルダ様は許される限りの精一杯の「良心」で、戦友ベイン様への深い愛情を示した。
ラルダ様のお言葉の意味を噛み締めた民衆たちが、希望の光を見出して徐々に曇った顔を晴らしていく。
彼らに連動するかのように、灰色の雲が流れ、眩しい太陽の光が修道院に一筋降り注いだとき、ラルダ様は顔を微かに上げ、空を見て今日一番の声を張り上げた。
王国全土に響かせるかのように。すでにこの場にいなくなったベイン様のもとまで届くような大きな声で。
「『本日、我らがクゼーレ王国のさらなる発展を願って!
特級聖女ユキア様の釈放を皆でともに祝おう!!』」
ラルダ様の勇ましいお言葉を合図に、民衆たちが一斉に「クゼーレ万歳!クゼーレ万歳!」と叫ぶ。
その声は確実に、修道院を超えて王都に響いていたことだろう。
ベイン様にも、きっと届いたに違いない。
ラルダ様が笑顔で振り返り、ユキア様に前を譲るようにして横に退いた。
ユキア様は涙を流したまま、本当に小さな掠れ声で「ありがとうございます」とラルダ様に感謝を伝えた。
そして眼下に集った民衆の声を聞いて、自分の服の裾を握りしめながらユキア様が深々と民衆に一礼すると、誰かから始まった「ユキア様万歳!」の声の波とともに、一際盛大な拍手が鳴り響いた。
◇◇◇◇◇◇
鳴り止まない温かい歓声と拍手の中。
ユキア様はようやくハンカチを取り出して、流していた涙を拭った。
それからユキア様はゆっくりと正面階段を下りはじめた。
ユキア様の両隣にいた私とラルダ様も、ユキア様について階段を下りていく。
王国が用意した出所後のユキア様の居住地。そこに向かう馬車に乗り込むために、ユキア様と私たちは衆目の中を歩いていった。
駆けつけた国民たちの歓声と応援の拍手を浴びながら、
取材陣の写真の音と記者たちの不躾な質問の声を浴びながら、
警備兵の人たちや警察官、そして隣にいるラルダ様に守られて。
しばらく歩くと、途中で「ユキア!」って必死に叫ぶ聞き覚えのある涙声がした。
ユキア様はベイン様と同じように立ち止まって、その右奥の一角を振り返った。
「お義姉様、お義兄様っ、……お義母様……!
ずっと、待っていてくださって……ありがとうございました!……すぐに、また……私、そちらに伺います……!」
ユキア様は一生懸命声を張って、そう伝えていた。
それからまたユキア様は歩いていき、修道院の敷地の外に出た。
そしてラルダ様に見送られながら、ユキア様は私と、予定通りの他の護衛3名と一緒に、居住地に向かう馬車に乗り込んだ。
10年間ずっと閉じ込められていた修道院を離れるユキア様。
馬車のこの揺れる感覚も、ユキア様にとっては10年振り。
馬車に乗り、ようやく衆目から解放されたユキア様は──……喜びも悲しみも何もかも、すべての感情を失くしてしまったかのような無表情で、静かに外の景色を見つめていた。
車輪の音と馬の蹄の音を聞きながら、私たちは修道院からどんどん離れていく。
しばらくは無言の時間が続いていたけど、私がちょうど「もうすぐ居住地に到着します。」とユキア様に声を掛けようとしたところで……不意にユキア様が、外を眺めたまま私に頼み事をしてきた。
「ミカさん。
暇な仕事を終わらせてしまって悪いけど、私、今度こそ根性を見せて頑張るわ。
……だから、少し忙しい日が続いてしまうと思うけど、協力してくれないかしら。
これまでのことをすべて話すから、私の証言を公正に扱って欲しいの。
10年以上前のことばかりで、大変だと思うけど……魔法管理官として、私が能力の私的利用をした裏付けをできる限り取って欲しい。
私は彼を1日でも早く解放するためなら、何でもする。何だってやるわ。
聖女の立場を利用して、国民に過剰に情に訴える。悲劇だって演出してみせる。……解放運動なんて可愛いものじゃない、暴動を起こすつもりでやる。
……これはあまりしたくないけど、私は場合によっては治癒魔法を拒否する可能性を振り翳して、貴女たちを脅すことだってできるのよ。目の前の死傷者を使って、交渉を要求することだってできる。
だから、なるべく私がそんな非道徳的な手段を取ってしまう前に、ミカさんが上手く立ち回ってくれないかしら。」
「……分かりました。」
私がそう返事をすると、ユキア様は最後に……あの懺悔室で泣いていたときのようにあどけない少女の表情に戻って、目にまた涙を浮かべた。
「…………それとね?もう一つだけお願いがあるの。
これは魔法管理官の業務の範囲外になってしまうから、……ただの、私個人からのお願い。」
そこでユキア様は声を詰まらせてしまったから、私はそっと「何でもおっしゃってください。」と促した。
それを聞いたユキア様は震える口を小さく開いて、懸命に私に伝えてくれた。
「…………私は【聖女】だから、規則で【囚人】面会を禁止されてしまうの。
……私は彼が次に出てくるときまで、もう会えない。……声を聴くことすらもできないの。
っ……だから、……だから、私の代わりに、貴女に面会をお願いしたいの。
……無理しなくていい。4ヶ月に1回でもいいから。……彼と同じくらいの頻度で構わないから。
──……そこで、私の代わりに『手紙の代読』をお願いできる?」
聖女ユキア様のもとに配属が決まったとき、私は閑職に追いやられたと思ってしまった。
配属初日にも、ユキア様に「暇だろう」と言われた。
……今、私はこれからの仕事内容の変わりように重圧を感じながらも、
私はその「手紙の代読」に、一番の重圧を感じた。
ユキア様以上に、ラルダ様以上に……私はあのベイン様の前では、上手く喋れないかもしれない。
一瞬そう思ってしまったから。
でも、私に引き受けない選択肢はない。
私は気合いで微笑みを浮かべて、ユキア様のために力強く頷いた。
「はい。お任せください。」
私も、一緒に頑張ります。
私は心の中でユキア様にそう言いながら、自分自身を奮い立たせた。
◇◇◇◇◇◇
ユキア様の居住地には、先に移動をしていた修道院の一部の方々と、王宮から臨時派遣された侍女の方々がいた。彼女たちは皆、笑顔でユキア様の馬車を出迎えてくれた。
私はユキア様と護衛の方たちと馬車から降りて、それからもう一度、自分だけ馬車に乗り込んだ。
最後に修道院長や関係者の皆様にご挨拶をするために、私だけは再び修道院に戻る予定だから。
「ミカさん、ありがとう。
今日は本当にお疲れ様。……また、明日からもよろしくね。」
ユキア様は別れ際に、無理矢理作った笑顔で私にそう言ってくれた。
……何度拭っても流れてきてしまう涙を、その目に浮かべたまま。
そんなユキア様の周りには、一人に付くには多すぎるくらいのお世話役の方々と、隙を見せずに側に控える護衛たちがいた。
……ユキア様は一人じゃない。こんなにもたくさんの人に守られている。
身の回りのことも、身の安全も、全部しっかり保障されている。王都での暮らしはきっと快適で、全然困ることなんてないはず。
それに、きっとすぐ──明日か明後日には絶対、あのリサ様たち義家族の三人も駆けつけてきてくれるはず。
ユキア様には、自分のことを10年間ずっと思い続けてくれていたリサ様たちとの、涙の再会と温かい抱擁が待っている。
希望だってある。これからは私たち国民が全員で、頑張って王国をより良く変えていかないと。
第一王女ラルダ様による祝福を直々に受けたユキア様には、これから先、王国民からの尊敬の眼差しと温かい声援が、たくさん……たくさん向けられるはず。
でも……やっぱり、どれだけラルダ様が全力を尽くしても──……
……隣に肝心のベイン様がいない、泣いているユキア様を見ると──……今日はバッドエンドだとしか、思えないな。
クゼーレ王国歴656年。
この日、一人の聖女様が懲役10年の刑期を終え自由になり──代わりに一人の部隊長が懲役30年の罪を償うために、王都の表舞台から姿を消した。
◇◇◇◇◇◇
◇◇◇◇◇◇
「………………はぁ。皮肉だな。」
ユキア様が自由になり、担当の魔法管理官である私の出勤場所も、修道院で固定ではなくなった。
ちなみに今日は朝から魔法管理局。ユキア様の出所からたった1週間で大量に溜まってしまった書類の整理をする予定。ユキア様にお会いするのは、平日だけどお休みだ。
……もう、囚人じゃないからね。毎日「監視」する必要はない。
「ユキア様……これを見てどう思っているんだろう。」
私はここ1週間続いている、連日の怒涛の報道の様子を見てそう思ってしまった。
私の零した独り言を聞き取った局長が、しんみりとした顔で無言で同調している気配がする。
有名新聞社の朝刊の一面。
今日もまた、一面にはユキア様とベイン様の写真があった。
肝心の本人たちは並び立つことが叶わなかった、10年越しの一瞬の再会。
それを煽るかのように、どの新聞社もこぞってユキア様の写真の隣にベイン様の写真を並ばせていた。
ユキア様はあれから、自分が再度罪に問われるのも恐れずに、隠してきた聖女の能力利用──《聖女保護法》違反の過去をすべて暴露した。
義姉のリサ様にも協力してもらって、すぐに裏付けは取ることができた。
……リサ様はあの体験が本当は「気絶」ではなく「死」だったことに、激しく動揺していたけど。
ユキア様が隣でずっとリサ様の手を握りながら「……大丈夫です。お義姉様が今こうして生きていてくれて、私、本当に嬉しいんです。」って、何度も、何度も繰り返し伝えていた。
〈ずっと実の父親から命の危険があるほどの虐待をされ、一度は義姉まで殺されてしまったユキア様。
何年も何年も、必死に恐怖に耐えてきた日々の果てに、悪名高い資産家の老人のもとに大金でその身を売られそうになり──……彼女は死ぬ思いで、逃げることを決意した。〉
…………そして、
〈その少女の逃亡を手伝ったのが、領主の婚外子だった、同級生のベイン様。彼もまた実の父親から迫害され、虐待を受けていた。
しかしあるとき、家畜が大型飛竜の親子に襲われ殺されるのを目の当たりにした彼は、魔導騎士団を呼ぶために通報してくれと父親を頼った。
しかし彼は父親に『ならば何故貴様が生きている』と吐き捨てられ、必死の訴えは無視された。父親の目を盗んで呼んだ魔導騎士団は追い返されて、挙げ句、妄想癖だ虚言癖だと罵られ殴られた彼は──誰にも信じてもらえずに、大型飛竜の親子と1ヶ月、一人で対峙し続けた。〉
──何の訓練も受けていない地方の素人の少年が、1ヶ月もの間、繰り返し襲来する大型飛竜の親子と戦い続けてきた。
そんなこと、一体誰が信じられただろう。
でも、そんなあり得ない真実を、王国民は皆すぐに信じた。
圧倒的破壊力で魔物を粉砕する、クゼーレ王国一の大槌使い。
前評判や噂などが何一つ無い中から、あるとき突然王都に現れて、その実力一つで入団から僅か2年で部隊長の座にまで上り詰めた風雲児。以来、約7年間、部隊長として最強戦闘集団の部隊の先頭に立ち続けたベイン様。
……彼の尋常ではないその狂った強さこそが、何よりの証拠になっていた。
当時どれだけ必死に訴えても伝わらなかった彼の言葉は……彼が王都で築き上げてきた信頼によって、今になってようやく、皆に信じてもらえていた。
〈追い詰められ助けを待ちきれなくなった少女と、誰にも信じてもらえずついに片腕を失ってしまった少年。
二人は利害の一致から、罪を犯すことを受け入れ《駆け落ち偽装》をした。
大切な義家族と家畜を守るため。
大型飛竜の親子を倒しきり、殺人者の父親から逃げた。
それが罪の始まりで、すべて。
過ぎた懲役10年と、始まってしまった懲役30年の全貌だった。〉
真実が明るみになって、誰もが口々に言った。
──真実の何が罪なんだ!ユキア様とベイン様は、何の罪も犯していないじゃないか!
──ユキア様の10年は何だったんだ!ベイン様のこれからの30年は何なんだ!
──こんな不条理な世界は間違っている!何故二人は今も救われていないんだ!
って。
リサ様が10年叫び続けても伝わらなかった想いが、あっさりと王都中、王国中に広がった。
誰もがあのときの私みたいに、胸糞悪くなって虚しくなって……皆が二人の結末を悲しみ憤った。
ユキア様に、聖女の能力がなければ。
ベイン様に、天性の戦闘力がなければ。
リサ様はそのまま死んで、ユキア様は地獄に堕ちて、ベイン様もあっさり飛竜の餌食になって終わっていた話。
……たまたま二人の力が揃ってしまったからこそ、足掻くことができてしまった悲劇だった。
………………。
もし、もっと早く、ベイン様がリサ様に協力して声を上げていたら……今頃はハッピーエンドに辿り着けていたのかな?
……無理だっただろうな。
国民の今のこの憤りは、ユキア様の懲役10年という人生の犠牲と、ベイン様の魔導騎士団第1部隊長としての活躍の実績があったからこそ生まれたもの。
ユキア様が出所後1日で語ってすぐに信じられた言葉は、二人が10年掛けて耐えてきたからこそ、伝わったんだ。
…………何より、ベイン様には、無理だったんだろうな。
理屈じゃなくて。信頼や実績がどうこうじゃなくって。
ユキア様だけが罪を認めて刑に服しているのを目の当たりにしながら、自分は罪を隠してリサ様と一緒に「ユキアを解放しろ!」なんて……そんなこと、言えるわけがなかったんだ。
どの立場が、どの口が……ユキアと一緒に自首できなかった自分が。
どの面下げて、彼女の罪の是非を問えるんだ。
って、そう思っていたに違いない。
リサ様の存在にはずっと気付いていたみたいだけど……さすがにそんなことをするなんて……会って、お話しするなんて……到底、できなかったんだろうな。
「…………はぁ。」
私は今日も扇情的に書かれているバッドエンドの概要を読んで、もう一度溜め息をついた。
そしてその胸糞が悪くなる救いのない事実が書かれた記事を、昨日の新聞に続けて綴じた。
新聞記事をまとめて保管するのは、魔法管理官の仕事ではないけど。
一応、いつか資料として参考にするかもしれないし。
そうでなくても、こうしてバッドエンドの虚しい記事を一枚一枚重ねていくと、何だか国民一人ひとりの声が目に見えて積み上がっていっているような気になれる。
それで、少しだけ元気が出てくる。
国民の声が王宮に届いて、議論がなされて法律が改正されて、囚人にその新しい法律が適用される。
……そんなの、一体いつになるのか分からない。
すぐに実現できないのはもう分かっている。そもそも実現できるかも分からない。
それでも、ユキア様が根性を見せて頑張っている限り。
私は規律を守って公平公正に、できる限りの良心を持ちながら、ユキア様の聖女の能力が正しく人のために使われるのを見届けよう──って、あの釈放日に決意したんだ。
「よしっ!今日も一日頑張るぞ!ミカ!
今日はひたすら、書類整理と事務処理だ!」
数ある職務内容の中でも、一番面倒臭くてやりがいのない、虚し過ぎる仕事。
私は怒涛の1週間で溜まってしまった書類の山を前にして、気合を入れて軽く自分の両頬を叩いた。
そんな新人2年目の大き過ぎる独り言を聞いた局長と周りの同僚たちは、笑って私にエールを送ってくれた。
未熟な腕ではありますが、自分なりに好きに書くことができて一人で満足しています。そんな拙作にここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
【明日投稿の後談に向けて】
そのままお読みいただいても大丈夫なように書いたつもりですが、後談に登場する人物たちを先に把握しておきたい方がいらっしゃいましたら、以下をご参考ください。
◇連載「私と同じ暗殺者」
魔導騎士団が誇る、致し方ない犯罪歴と自分の人生軽視の過去を持つ先輩のお話。
◇連載「僕の弟の裏の顔」
魔導騎士団が誇る、神に愛された王国を動かせる男のお話。
◇短編「ムキムキ巨大令嬢の大失敗」
魔導騎士団が誇る、うっかり強くなり過ぎてしまった素直で一途な内気っ子のお話。
◇連載「婚約者様は非公表」
少々長い作品ですが、団長ラルダと副団長の人となりを知りたい方向け(第1部全16話からお読みいただけます)。
この日が来るまでの10年間、余生を楽しむかのような感覚で魔導騎士団員生活を送っていたベイン。そんな彼の様子を見たい方は、明日の後談の後書きをご確認ください。
※なお、時系列の簡単な補足になりますが、こちらの最終話は他の関連作品の最新話よりも後のエピソードとなっております。