11 ◇ 団長の先見と王女の約束
全12話+後談1話執筆済。基本毎日投稿予定です。
ユキア様の釈放が2週間後に迫ったある日の昼時。午後12時18分。
私【ミカ】は昼休憩の時間を利用して、王都のど真ん中、王城の真横にある魔導騎士団の施設にやって来ていた。
「………………緊張する〜。」
私は自分の緊張を少しでもほぐすために、事務局の方に通された会議室で出されたお茶を飲みながら独り言を呟いた。
リサ様に声を掛けたとき以来……ううん、それ以上に勇気を出して踏み出した一歩。
私は今日、局長の許可を得て、今年度になってから集めた錚々たる面子の名刺のうちの一枚を使っていた。
──クゼーレ王国魔導騎士団。
事務局に通話を掛けて、私は「特級聖女ユキア様の釈放当日の警備について、魔導騎士団に協力をお願いしたい。直接お話ししたいことがあるから、5分でいいから団長の【ラルダ】第一王女様に面会する時間をいただけないか。」と、厚かましくも要求した。
……「警備」なんて、そんなのは建前。
本当にお願いしたいことは別にある。
無理を承知で打診したところ、何とか「この日ならば、昼休憩の12時20分から10分ほど時間を取ることが可能です」との折り返しの事務局からの通話が来た。
それで私は、自分のお昼ご飯は後回しにして、12時になって速攻で修道院を出て、予約していた馬車に飛び乗って魔導騎士団施設にやってきた……というのが、今のこの状況だ。
約束の時間まで、あと2分。
私は緊張で早くも頭が真っ白になりかけながら、何度も自分の手帳にまとめた内容を読み返していた。
……何が正しいか分からない。何が正義なのか分からない。
ユキア様を傷付けてしまうかもしれない。ベイン様のためになるかも分からない。
ただの余計なお節介。私は二人の間に割って入れるような人間じゃない。完全に出しゃばってしまっている。
私はまだ薄っぺらい新卒2年目の社会人。
今も学生に毛が生えた程度の「良心」に振り回されているだけ。
……こんなことをしたって、何かが変わるわけじゃない。……リサ様のときみたいに、余計に虚しくなって、胸糞が悪くなるだけかもしれない。
それでも、
それでも私はもう一度、自分の「良心」に従って動くことを決意した。
ユキア様のことが、もう見ていられなかったから。
ただの同情だとしても、それでも、このまま何もしないと自分が後悔すると思ったから。
(ユキア様の本当の望みは言わない。ベイン様が隠している罪のことも言わない。
……それらを伏せたまま、団長のラルダ様が納得できる理由を挙げて『ユキア様の釈放日に、第1部隊長の【ベイン】様に修道院の警備に来てもらいたい』ってお願いする。
そうすれば、ユキア様は一目だけでも、10年越しにベイン様に会える。)
団長で王女の多忙なラルダ様とお話しできるのは、今しかない。制限時間は10分。
この10分で、私が上手く話さないと──……!
──カチャリ。
私が手帳を必死に読み返していたら、会議室の扉が動いた。
そして長い黒髪を一本に結った凛々しい姿のラルダ様がお一人で会議室に入ってきて、スッと茜色の瞳を私に向けた瞬間──……
…………私の頭の中は、真っ白になってしまった。
◇◇◇◇◇◇
ベイン様が最後に懺悔室に来て以来、ユキア様は完全に塞いでしまっていた。
丸一週間、体調不良を理由に日課を放棄して、その次の一週間は何とか務めを果たそうとしていたけど……
修道院の教えの書き取りの手は止まる。刺繍も全然進まない。護身術は体調不良を理由に休んでいた。
看守の方からの報告によれば、お昼もほとんど食べていないらしかった。
そして懺悔室では……誰かが入ってくるのを待っている間にユキア様が泣いてしまって、とても国民の話を聞けるような状態ではなかった。
私は了承を得ずに静かに反対側の廊下の方に走って行って、1時間、立ち入り禁止の柵の代わりに立って見張りをしていた。
知らない誰かが来たら、申し訳ないけどお帰りいただく。今日は懺悔室は開いていませんって。
でも……もしかしたらベイン様がもう一度来るかもしれないから、柵で全員を追い返すわけにはいかないと思った。
そう思って1週間、廊下に立ち続けて待ってみたけど……ベイン様は現れなかった。
そうしている間にも、裏では釈放日の計画はどんどんと進んでいった。
まず、大量の取材の申し込み。当日は王立修道院の方々と一緒に、魔法管理官の私も対応することになった。
それから警備。
話題性抜群の王国唯一の特級聖女様。聖女の能力独占を企む者に狙われる可能性があるのはもちろんのこと、信者や反発者も警戒対象に挙がった。
国民の一部には、「聖女」という存在に過剰な幻想を抱いている者もいる。そしてそれが高じて、ユキア様に攻撃的な思想を抱いてしまっている者もいる。
──聖女様は人ではない。人の肉体を借りた、女神様の生まれ変わり。人知を超えた存在だ。
──そんな聖女様が、穢れているわけがない。愚かにも罪を犯すなど、俗な男に唆され駆け落ちをするなど──そんな女は、聖女ではない!
他の女神たちを冒涜した、9人目の女神を装った裏切り者の悪魔だ!
そうした過激な一部の層が民衆に紛れて修道院の正門前に来て、彼女の命を狙おうとするかもしれない。
だから釈放の当日には、修道院の警備兵だけでなく、警察も出動することになった。王都警察本部との連携も取り、近くの通り一帯も含めて厳戒態勢を敷くことになった。
──そうだ!「警備」!
私はそこで閃いたんだった。
ユキア様とベイン様を、確実に一目だけでも会わせてあげられる方法を。
私はそのときすごく興奮した。これしかない!って思った。
それで、その日中に局長に許可を取って、勢いのまま魔導騎士団の事務局に名刺を見ながら通話したんだった。
…………そんなどうでもいい経緯を、今思い出している場合じゃないんだけど。
自分の突発的な閃きが実現して、一対一で、目の前にこのクゼーレ王国の第一王女様が現れたという今のこの状況。
私は何てことをしてしまったんだろうと、今さら身震いしてしまった。
「少々お待たせしてしまったでしょうか。
……御足労、感謝いたします。
私は魔導騎士団団長【ラルダ・クゼーレ・ウェレストリア】。本日はよろしくお願いします。」
私の正面に立ち、鋭い目力はそのままに、ふっと微笑んだ王女様。
このクゼーレ王国の頂点。王家の彼女には名刺なんて必要ない。そのお顔と声だけで、二度と忘れられなくなるくらいの……それこそ人知を超えた存在だった。
私は慌てて名刺入れから数枚パラパラと机の上に落としながら何とか一枚を手に取って、頭を下げて震える手で名刺を差し出した。
「アッ!あのっ!ほほ本日はお時間をみ取ってくださり誠にありがとうございます!
魔法管理官のっ、【ミカ・テンシー】ですっ!
本日はよろしくお願いします!」
……自分って極限まで緊張すると、こんなに噛めるんだ。「み取って」って何。
私はそこでようやく頭の中が少しだけ冷静になった。
ラルダ様は笑顔で私の名刺を受け取って、机の上に散らばった名刺たちとひっくり返った手帳を見て笑った。
私の向かいに椅子を寄せてきて優雅に腰掛け、私にも座るよう手で軽く促してくださった。
それから砕けた……?……うん。ご本人的には砕けた口調になって、私にこう言ってくださった。
「そこまで固くなる必要はない、ミカ様。どうか肩の力を抜いてくれ。
……さて、早速話をするとしよう。まずは貴女の話を聞かせてくれ。」
◇◇◇◇◇◇
「──なるほどな。……そうか。それは心配だな。
私は過去に何度か重傷者治癒の場に立ち会い、ユキア様と少し話したことがある。冷静沈着で聡明な御方だった。
あのユキア様がそこまで塞ぎ込まれてしまっているとはな。」
ラルダ様が私の話を聞き終えて、そう言ってくださったとき。私は遅れてハッとした。
…………全然、手帳にまとめてきたのと違うことを話しちゃった。
私はラルダ様と向き合って座ってから、本当に頭が真っ白になって緊張し過ぎて──まるで魔法に掛けられたかのように辿々しく本音を話してしまっていた。
ユキア様とベイン様の隠している罪のことは辛うじて言わなかったけど……でも、ほとんど言ってしまったようなものだった。
〈私はユキア様の担当になってから1年と9ヶ月の間、懺悔室でベイン様とユキア様がお話しするのを何度か聞いてきた。
本当はベイン様が来ていたのも、ここで言ってはいけないのだけど……でも、許してほしい。話の内容の詳細は言わないので。
それで……もう釈放まで2週間を切ってしまった。ユキア様は、まだベイン様とお話ししたがっている。でもベイン様は会いたくないとおっしゃっていた。
ベイン様と最後にお話ししてから……ユキア様は釈放日を目前にして、10年続けてきた日課すらもこなせないほどに塞ぎ込まれてしまった。
そんなユキア様を見るのが辛い。あまりにも、居た堪れない。
……このままユキア様が釈放されても、ユキア様は幸せになれない。
私に何かできるとは思わない。でも、少しでもいいから何とかしてあげたい。
そう思って考えて、私は『特級聖女の警備』の名目で、魔導騎士団のベイン様に当日来ていただく案を考えた。そうすれば一瞬でも、少しでも会ってお話しできるかもしれないから。
……お二人が望む結末が一致していなくても。それでも、少しでもいいから何か希望が欲しい。
お願いだから、一目でいいから、ユキア様に会ってあげてほしい。ユキア様の御姿を、10年越しに見てあげてほしい。……厚かましいとは思っているけど、ベイン様にそれだけでも叶えてほしい。〉
そんなようなことを、私は気付けば語ってしまっていた。
私のまとまらない感情論だらけの必死な話を、6分間も黙って聞いてくださったラルダ様。
ラルダ様は私の話に共感して頷いてくださった。
そしてそれから、うっかり建前ではなく本音を語ってしまった私が冷や汗をダラダラと流し始めたことに気が付いて、優しく笑いかけてくださった。
「はっはっは。安心してくれ、ミカ様。
ここには私と貴女しかいない。我々の会話はすべてここだけのものとしよう。貴女が話したことを、私は誰にも漏らさぬと約束する。
……もちろん、我が魔導騎士団の第1部隊長【ベイン】にもだ。」
それからラルダ様は私をより安心させるために、等価交換と言わんばかりに、敢えて部下であるベイン様に対して愚痴のようなことをおっしゃった。
「しかし、ベインはそのようにユキア様を泣かせてしまっていたのか。
……やれやれ。我が強い男だとは常々思っていたが、それを懺悔室でも発揮してしまうというのはいただけないな。魔物を打ち砕く分には構わないが、ユキア様の御心まで打ち砕いてどうするのだ。あの男は。
ミカ様をここまで困らせてしまっているのも感心しない。団長命令で、今度魔法管理局に菓子折りでも持って行かせるとするか。」
「あっ……えっと、」
会話下手な私が口籠もると、ラルダ様は私を見て、まったく困っていなさそうな余裕のある笑い方をした。
「私事とはいえ、部下が貴女がたに迷惑をかけたようだな。申し訳ない。
魔導騎士団には、なかなかの曲者が揃っていてな。私も団長として、日々難儀しているのだ。」
それから強気な笑みを浮かべたまま、ラルダ様は覇気のある茜色の瞳で私の目を真っ直ぐに見つめてきた。
──そして、私への1分間の気遣いの言葉を終えて、ラルダ様は本題に話を戻してきた。
「だが、私は確信を持っている。
我ら魔導騎士団の布陣はこれこそが最適であり、最強であると。
副団長と5人の部隊長は皆、王国民を守り抜く誇り高き魔導騎士の精神を体現している者たちだ。
第1部隊長のベインも例外ではない。
……たしかに我が強く、同時になかなか本心が読めぬ男でもある。
しかし、私はベインを理解している。
奴の鬼神の如き大槌は、奴の信念の強さだ。
他の誰でもなく、己の手で魔物を打ち砕かんとするその執念に偽りはない。
ベインは魔導騎士団の第1部隊の先頭に立つに相応しい高潔な男だ。
それは何があろうと揺るがない。
私は何が起きようと、この決断を後悔することはないだろう。」
ラルダ様は迷いのない口調で、そう断言した。
ベイン様を「理解できない『気狂い』だ」と語った、駆け落ち相手のユキア様とは真逆。
ラルダ様はベイン様のことを「『高潔』だと理解している」と言い切った。
…………時間が無いとはいえ。
私が辛うじて伏せていた話を、私が本当に伝えたくて悩んで葛藤していた真実を──……ラルダ様はいともあっさり見切って、いきなりそこに斬り込んできた。
まるで「話は分かった。貴女が伏せている彼の『隠された罪』も当然、私の想定内だ。だが安心してくれ。私が是と言えば是となる。私が理解し信じる彼こそが、彼の本来の姿なのだ。」とでも言わんばかりの返し。
凄まじい、天性の強者の風格を感じた。
……そして私は、そんなラルダ様から、圧倒的な──暴力的なまでの「正しさ」を感じた。
国民から「クゼーレ王国の象徴」と呼ばれ愛されるラルダ様。
私は彼女に、理不尽と悲哀の「影」をすべて覆い尽くす、夢と希望が華やかに輝き溢れる幸せな「王国そのもの」を見せつけられた気がした。
圧倒される私に、ラルダ様はさらに畳み掛けてきた。
「団長の私だけではない。
魔導騎士団員たちは皆、理解している。
信頼を置けぬ男を上に立たせるほど、騎士団の層は薄くない。
ベインはその凄まじき破壊力をもって部隊長の座を勝ち得て、さらに慢心することなく日々研鑽を重ねている。
そして、その飾らぬ人間性をもって、部隊員にあるべき姿を示し続けている。
ベインは我らが誇る、不撓不屈の強き男だ。」
無謀にも駆け落ちをして地方の領から逃げて……その結果、相手が懲役刑に服すのをただ見ているだけのベイン様。
人によっては弱さすら感じるであろう、そんなベイン様の生き様を「強い」と信じ、認めていた。
…………そこまで聞いて、私は思った。
ラルダ様はベイン様の「罪」を、その暴力的な正しさで消し去ってしまうつもりなのかもしれない……と。
団長の威光をもって。……第一王女様の権限をもって。
──ユキア様の10年間の涙の葛藤を笑い飛ばして無かったことにしてしまう、暴力的なハッピーエンドの予感がした。
………………。
そんな公平公正から外れた独裁的な権力で彼が救われれば……ユキア様は、本当に幸せになれるのかな?
私はユキア様を救ってほしいと思っているけど……そんなのは、やっぱり間違ってるんじゃないのかな。
私はラルダ様を前にして、一瞬そんな風に考えてしまった。
…………でも、そうじゃなかった。
ラルダ様は最後に、私に向かってこう伝えてきた。
「ベインを部隊長に据えているのは団員の総意であり、私の覚悟の表れだ。
──……概ね予想はついているが。彼が魔導騎士団と国民に及ぼす影響のすべては、団長である私が責任を持つ。当然だ。
──そして、ベインと聖女ユキア様の語る真実のすべてを、私はこの国の王女として真摯に受け止めよう。
何の足しにもならないかもしれない。慰めにもならないだろうが……貴女の提案通り、来るユキア様の釈放日には、特級聖女警備の名目で、魔導騎士団から特例で私とベインが出向き、立ち会うことを約束する。
……私からは以上だ。
魔法管理官の貴女と修道院長で検討し、再度魔導騎士団へ連絡を入れてくれ。」
…………ああ、そうなんだ。
ラルダ様は、ベイン様が望むのなら、彼に法に則って罪を償わせるつもりでいる。
そしてラルダ様は……ベイン様が、その強い心をもって、罪を認めてしまうと確信しているんだ。
ユキア様の「彼に懲役30年を課してほしくない」という望みを、ラルダ様は叶える気がない。
ラルダ様は──……ベイン様の味方で、王国の厳しい法を遵守する、公平公正な御方だった。
この国を象徴する第一王女様が、私利私欲で仲間の罪を消し去ろうとしていないこと。
私はそのことに、王国民として安堵した。
一方で、この目の前のラルダ様が、あくまでも厳格に法に従い秩序を守ろうとしていること。
私はそのことに、ユキア様と同じ、一人の大人の女性として……疑問に思わずにはいられなかった。
迷いなく真っ直ぐ前を向き続けるラルダ様の「良心」は、一体どこにあるんだろう。
ラルダ様は、心が折れないんだろうか。
私がリサ様の差し入れを焼却炉行きにしたとき以上に、ラルダ様は良心が痛まないわけがない。
ベイン様という仲間の悲惨な懲役30年の刑を目の当たりにすることを、ユキア様が絶望するであろう結末を……どうして今から、そんなにもぶれずに受け入れられているのかな。
…………ラルダ様は、一人の女性として、このことをどう思っているんだろう。
あっさり終わった会議室での10分間。
リサ様とのカフェでの会話で感じたような虚無感や胸糞悪さは微塵もなかった。
ラルダ様の、揺るがない魔導騎士団団長とクゼーレ王国第一王女の顔。
彼女のあまりにも強靭な鋼の精神に、ちっぽけな私はただ、畏怖を感じることしかできなかった。
◇◇◇◇◇◇
迷いはある。本当にこれで良かったのか、自信はない。
でも、やれることはやった。
ただの傍観者の私なりに。
ラルダ様にお会いしてから2週間後。懲役10年の刑期を終えて、ついにユキア様が釈放される日がやってきた。
今日の……じゃない。今日からの私の仕事は、ユキア様の監視役というより、秘書のようなもの。
ユキア様が出所するのは、本日15時。正門から。
でも私が出勤した朝の7時半の時点で、王国中の記者や熱心な国民たちが少しでもいい場所を陣取ろうと、すでに修道院の前に来ていた。
…………いよいよだ。…………ついに、来た。
私は複雑な気持ちのまま、きっとすべてが激変する一日への覚悟を決めて、修道院の裏に回って建物の中へと入った。
◇◇◇◇◇◇
今日がユキア様の釈放日だけど、実はユキア様に課せられた刑期は昨日まで。
だからユキア様は厳密に言えば、今日はもう囚人じゃない。
ユキア様は日課の務めをする必要はないし、私は外の様子も普通にお話ができる。
私はバタバタと朝からいろいろな人たちと挨拶をして、行き来して確認事項を話し合って、準備を手伝っていた。
そんな中でユキア様は、修道院の方々に用意してもらった綺麗に仕立ててある洋服を着て、大人しく座ってお化粧を施されていた。
10年間、ずっと禁じられていたおめかし。
罪を犯した聖女様の初お目見え。国民には少しでも謙虚で清楚な、良い印象を与えたい。はしゃいで派手にはしない方がいい。
恐らくそう言う理由もあって、だいぶ控えめなお化粧のされ方だった。だからそんなに劇的な変化や特別な効果はないはずなんだけど……でも、今日のユキア様は見違えるほど綺麗に輝いて見えた。
──すごい。ユキア様は「化粧映えする」人なんだな。
人によっては嫌がられる言葉かもしれないけど、私は素直に褒め言葉として、そう感じた。
私が来たことに気付いたユキア様は、大人しく鏡を見たまま、顔をなるべく動かさないようにしてクスッと笑った。
「……私、お化粧なんてろくにした記憶がないのよ。
実家にいた頃も、実家から離れてからもずっと。綺麗にすることに無頓着だったの。
何だか変な感覚ね。私じゃないみたい。……少し顔を動かすだけで、違和感があるわ。」
…………良かった。ユキア様、今日は何とか一日、頑張れそう。
私はユキア様の様子を見てホッとした。
ベイン様が懺悔室に来てから泣き崩れて塞ぎ込んでしまっていたユキア様。
でも、ユキア様はそれから数週間かけて、私の心配をよそに、少しずつ頑張って立て直してきていた。
……何とかベイン様のことも受け入れて、前を向こうとしているんだと思う。
本当に受け入れられているのか……強がりなのか、諦めなのか、はたまた希望を捨てていないのかは分からないけど。
いずれにしてもユキア様が頑張ろうとしているのなら、私も明るくしようと思った。
「素敵です。ユキア様。お洋服もよくお似合いです。」
純白ではない。夜明けの空の薄い色を淡く乗せたような、柔らかな白色の長い丈のワンピース。
ユキア様の藤紫色の短いお髪がよく映えた。
気高い猫のようなお顔は、清楚なはずのお化粧で何故かさらに悪戯っぽく印象的に仕上がっていた。
……でも、全然嫌な感じじゃない。
すっぴんでも存分に滲み出てしまうユキア様の妖艶さの中にある、弱くて脆くて──優しくて可愛らしい内面が、分かる人には分かるように目元の差し色と頬紅に乗せられているように見えた。
私がそう言って笑うと、様子を窺いつつ報告をしようと思っていた内容を、ユキア様の方から先に私に話してきてくれた。
「今日はね?もう皆、私にたくさん話しかけてきてくれるの。いろいろ教えてくれるのよ。
……ミカさん。貴女、私のために今日ベインとラルダ様を呼んでくれたんですって?
聞いたわ。……ありがとう。
貴女が頑張ってくれた分……私も、頑張るわね。」
「……!あっ、いえ……そんな。」
私は不意打ちでユキア様からそのことを言われて、咄嗟にそう返してしまった。
それを聞いたユキア様は、最後のお化粧の仕上げを邪魔しないように静かに黙って──そして、お化粧が終わってからクスクスと笑った。
「私、ミカさんにはここ最近ずっと情けない姿を見せてばかりだったものね。恥ずかしいわ。
……だから今日は、根性を見せて頑張るの。上手くできるか分からないけど。
──どうせなら、できる限り名残惜しくさせてやるわ。
今までで一番『俺好みだ』って……そう思わせてみせるの。
何にもならないけど。せっかくだから、彼を見習って前向きに考えてみることにしたの。」
…………無理しないでくださいね、ユキア様。
私は頭に真っ先に浮かんだその言葉を飲み込んで、数秒かけて別の言葉を探して、それを代わりに口に出した。
「はい。頑張ってください。」
上手く笑えていたか分からないけど、私は笑顔で頷いた。
ユキア様は直接ではなく、鏡の反射で私の表情を確認してから、お化粧でより印象的になった猫目をキュッと細めた。
そしてそれから……口元を緩めて、照れくさそうに笑った。
「彼は今、どんな顔になっているのかしら。
10年振りに会うのは怖いけど……不安だけど……でも、楽しみなの。やっぱり、会えるのは嬉しいの。
……本当にありがとう。ミカさん。」
私はその言葉を聞いて、最後の迷いを吹っ切った。
お節介でも、何の役に立たなくても、
──待ち構えているものが、報われないバッドエンドでも。
私はベイン様を今日この場に呼んでよかった。
勇気を出して動いてよかった。
あとは腹を括って、進むだけ。
傍観者の私が先に挫けちゃいけない。
今日一日、最後まで前を向いて見届けよう。
私はそう思って、またユキア様のために修道院内を駆け回った。
◇◇◇◇◇◇
いよいよ釈放の時間が迫ってきた、14時半。
ユキア様が外に出てくるまで、ちょうどあと30分。
私が正門の様子を見に行こうと修道院内の廊下を歩いていると、まだ正門はだいぶ遠いはずなのに、人々のざわめきが早くもこちらまで届いてきた。
私が奥の廊下から玄関ホールに出ると、開けっぱなしの正門扉の向こう……建物の外側から、パシャパシャっと写真を撮られる音とどよめきが一瞬だけ聞こえてきた。
……私をユキア様だと勘違いして、早まって取材陣が写真を撮ったんだろうな。それで一瞬、集まった国民たちも身構えたんだ。……すみませんね、期待を裏切って。
それとも、そもそも取材陣は「間違ってもいいから、念のため誰かの気配がしたら写真を撮る」って決めているのかな?……そうかもしれない。
扉の内側の玄関ホールのところでは、修道院の方々と警備員の方々、そして警察の皆様と私の同僚──今日のために駆り出された魔法管理局の人たちが慌ただしく動いたり話したりしていた。
そしてそのごちゃごちゃした人の動きの中に、圧倒的に目立っている人がいた。
2週間前にお会いした、魔導騎士団団長【ラルダ・クゼーレ・ウェレストリア】第一王女様。
彼女は修道院長と話していた。今来たばかりらしく「今日はよろしくお願いいたします。」と修道院長が挨拶をしているのが聞こえた。
──……そのラルダ様から少し離れたところに、魔導騎士団第1部隊長【ベイン】様も、ちゃんといた。
人間の警備をするにしてはあまりにも大きすぎる対魔物用の武器、彼の代名詞の大槌。
ベイン様は大槌の頭を下にして柄を左腕で抱えるように持って、どういう重心の感覚なのか、器用に大槌に寄りかかるようにして立ってラルダ様の後ろ姿をぼーっと眺めていた。
懺悔室の格子越しで声を聞いたことは何度かあるけど、直接お姿を見るのは、あの魔導騎士団の隊列を見に行ったとき以来。
私は心臓をバクバクさせながら、ちょうど暇そうにしているベイン様にご挨拶をしようと駆け寄ろうとした。
──すると、
ベイン様は私の足音に気が付いたのか、何ともつまらなさそうな……死んだような目をしたまま、ゆるっと私の方に顔を向けてきた。
「…………ああ。担当の魔法管理官の人っすよね。どうも。」
「えっ?」
私が名乗る前に、私を視界に入れるなりいきなりそう言ってきたベイン様。
私が思わず戸惑って固まると、ベイン様は寄りかかっていた身体を起こした。そのとき、両耳についている目立つ白黒の細長いピアスが揺れたのが、妙に印象的だった。
そしてベイン様は、その気怠げな三白眼の目をスッと細めて軽く笑った。
「級長、言ってたからね。『新人の担当者が昔の自分に似てる』って。
だから見てすぐに分かりました。まあ、髪型と眼鏡だけで、顔自体はあんま似てないと思いましたケド。
……ああ、でもどうだろうな。10年経っちゃってるから、そこはあんま自信ないな。
…………いつもお世話んなってます。」
1年9ヶ月前の私なら、こう思っていただろうな。
(すっごく《駆け落ち》してそうな人。)
って。
(…………あっ、苦手だ。この人。)
って、ユキア様のときと同じように思ってたと思う。
授業中はずっとやる気なさそうにしていて、先生に対する態度は愛想も敬意もなくて雑。私みたいなお堅い女子とは絶対に相容れなくて関わりもない。
先生に頼まれて仕方なく私が事務的な会話をしに行ったら、鬱陶しそうにしてくる感じ。
それで私は卒業後に、歓楽街でたむろしている姿を偶然遠くから見かけて、うっかり彼に軽蔑の眼差しを向けてしまう。……そんな感じの男子。
……って、そういう失礼な印象をもっちゃってただろうな。融通の効かないカチコチ頭だったあの頃の私なら。
ベイン様の人となりは、相変わらずよく分からない。
でも私は、ユキア様を優しく想っていたあの格子越しの空気を知っているから、
ラルダ様の絶対的なベイン様への信頼を聞いていたから、
……きっとベイン様にも、こんなパッと見ただけの印象とは全然違う、隠された人柄があるんだろうな──って、今回はすぐにそう思えた。
──他人に偏見を持たないこと。
だいぶ地味なことだけど……もしかしたら、これが私の社会人になってからの一番の「成長」かもしれないな。
私はそんなことを、ふと思った。
私たちが会話を始めた気配を感じたのか、ちょうど話が終わったのか、タイミングよくラルダ様がこちらを振り返ってやってきた。
「……ミカ様。先日はありがとうございました。
本日は、我々二人でユキア様の警備にあたります。よろしくお願いいたします。」
堂々と建前を言って、私よりも先に丁寧に挨拶をしてくださったラルダ様。
そんなラルダ様をベイン様は白けた目で見た。
「ミカさん?もラルダもさ、随分と『粋』なことしてくれるよね。
俺、すでに公開処刑喰らってる気分なんだけど。」
「ベイン。」
「はい。さーせんっした。」
文句を垂れるベイン様を、ラルダ様が鋭く名を呼ぶだけで咎める。
ベイン様は素直に私たちに謝って、それから吹っ切れたように笑った。
「俺としては会う気無かったんだけどさ。ま、考えようによっちゃ、悪くないかもね。
……せっかくだから楽しんで行くよ。
いい機会設けてくれて、あざっす。団長。ミカさん。」
──「公開処刑」。……楽しんで「行く」。
不自然でしかない単語に、私もラルダ様も察してしまった。……ベイン様の意図を。
「ベイン。お前は今日の職務を全うする気があるのか。」
真顔のままラルダ様がそう問い掛けると、ベイン様はゆるい笑顔でラルダ様にこう返した。
「え?あるよ?
俺の今日の職務って『ユキアに一瞬でも顔見せること』っしょ?
ちゃんと達成する気満々だけど。」
………………。
建前の「特級聖女警備」とは言わなかったベイン様。
その返しに私たちが黙る中、ベイン様はラルダ様にあまりにも無茶な要求をした。
「ついでにラルダにもお願いしときたいんだよね。……今日の追加職務。俺の代わりに。」
「何だ?」
ラルダ様が問うと、ベイン様はほんの少しだけ、寂しそうな笑顔に変わった。
「多分さ、どうせ辛気臭い空気になると思うんだよね。
ユキア、性格暗いし、怖がりだし、すぐ泣くしつまんないことばっか延々と考えるから。
……だからラルダの力で、今日の最後は明るく締めておいてくんない?
ラルダならそんくらいは余裕でできるっしょ?
せっかくの釈放日だからね。10年頑張ったユキアに、元気出る言葉でも掛けてやってよ。」
それは、彼が用意したバッドエンドを彼女のためにハッピーエンドに塗り替えろという、あまりにも無理のある……「愛」しかない願いだった。
…………「締め」の場面まで立ち会う気のない、ベイン様の非情な丸投げ宣言だった。
(ベイン様がいなかったら……絶対に、ハッピーエンドなんて無理ですよ。)
私は口に出さずに、心の中でそう呟いた。
でも私と違って、ラルダ様は目を伏せて静かに息を吐いて……それから真っ直ぐにベイン様を見据えて、力強く答えた。
「善処しよう。
確約はできぬが、私の持てる力を尽くす。」
それを聞いたベイン様は「あんがと。さすがラルダ。いい仲間持ったわ。」と言って笑った。
◇◇◇◇◇◇
それからお二人は、詰めかけた民衆と取材陣たちの注目を浴びながら修道院の正面階段を降りていって、ユキア様が出てくる正門の向かい側──階段の下に広がる広場の進んだところに、民衆たちを背にして堂々と並び立った。
魔導騎士団の二人が見せる、絶望必至のバッドエンドと無理難題のハッピーエンドまで、あと少し。
私は喜びも悲しみも、期待も失望もできないまま、覚悟だけを決めて釈放の時を待つユキア様のもとへと戻った。