1 ◇ 服役聖女の監視役
全12話+後談1話執筆済。基本毎日投稿予定です。
〈注意書き〉
過激ではありませんがR15相当の描写があります。暴力的要素等が苦手な方はご注意ください。
「当たり前」を望んだ二人の暫定バッドエンドまで。お付き合いいただける方は、どうぞよろしくお願いいたします。
──【聖女】とは。
通常の回復魔法を超越した、超再生の治癒魔法の使い手のこと。
回復魔法のように傷を塞ぐだけでなく、負傷から1日以内であれば、手足や内臓を再生することができる。
国家の二百年前の史料には「強力な能力を持つ聖女が、半日前に死亡したはずの人間を蘇生させた」という記述も残されている。
この治癒魔法の謎は、魔法科学では未だ解析しきれていない。しかし最新の研究で、この能力は女性にしか発現適性がないことが分かっている。
そしてその稀有な能力を持つ聖女は、王国によって保護され、魔法管理官のもとで厳密に「管理」される。
何故ならば、この能力は危険だから。
治癒魔法を聖女が慈悲の心をもって正しく使えば、本来二度と治らないはずの、最悪死に至るはずの重傷者が救われる。多くの民の希望となる。
……しかし、聖女といえど魔力には限りがある。さらに広大な土地と数えきれないほどの王国民に対し、能力が発現する聖女はたったの10人ほど。王国中のすべての重傷者のもとに聖女が1日以内に駆けつけ、全員を治癒する──なんてことは当然不可能。
となれば、恩恵を受けることができる人と、そうでない人が出てきてしまう。「常に聖女を側に置いて、その能力を自由に使いたい」と思うのは当然の心理。金に物を言わせて聖女の力を独占したり、治癒を受ける人間を選別するといったことも、誰もがすぐに考え付くだろう。
王国の長い歴史の中では、聖女を巡った争い──囲い込みや誘拐、脅迫、詐欺、果ては戦争まで──が幾度となく起こってきた。
そうした問題から「聖女」と「国民」の双方を守るために定められた制度が《聖女保護法》。
──聖女の能力が発現した場合、速やかに王立魔法管理局または公認修道院に申告しなければならない。
──聖女の能力を意図的に隠し、私的な能力利用をしていた場合は《聖女隠蔽罪》となり、懲役刑10年以上が課される。
また、聖女の存在を知る周囲の人間に対しても、同様である。
──聖女の能力保有者を意図的に隠し、私的な能力利用を黙認または享受、強制していた場合は《聖女隠避罪》となり、懲役刑30年以上が課される。
クゼーレ王国暦654年の現在、王国に認定されている現役の聖女は9人。
そして、その中に一人だけ、《聖女保護法》を破った服役中の聖女がいる。
彼女の名は【ユキア】。
またの名を【駆け落ち聖女】。
二百年振りに現れた「死者蘇生」すらも可能にする特級聖女。
現役の聖女で最も強力な治癒魔法の使い手にして──
──その自身の能力を隠し、恋人と《駆け落ち》を試みた愚かな聖女。
彼女に課された罰は、懲役10年。
王都の王立修道院に収容されてから、現在は8年3ヶ月が経っている。
私は今年度、王立魔法管理局の新卒「魔法管理官」として、例の服役中の【駆け落ち聖女】様の監視の役目を仰せつかったのだった。
◇◇◇◇◇◇
「気が重い……行きたくないぃ……。」
朝起きたときの自分の第一声は、これだった。
子爵家出身【ミカ・テンシー】18歳。
自分で言うのもなんだけど、私の取り柄は「真面目」なこと。
特別な才能や目を引く容姿があるわけじゃない。人より運が良いわけでもない。だから上手くいかないことばかりの人生を送ってきたけど、めげずに真面目に生きてきた。人様に恥じるようなことは何一つしていない。これが私の唯一の自慢。
初等部学校では「カチコチ頭」って周りに揶揄われて、中等部や高等部の学園では「ろくな才能もない子爵家の令嬢なのに、自力で就職活動をしようだなんて正気なの?お化粧とお見合いを頑張った方がいいんじゃない?」って馬鹿にされたこともあった。でも私は、いつか努力が実を結ぶと信じて毎日授業を真剣に受けて、空き時間は図書館に通い詰めた。
そうしてコツコツ勉強して、勉強して、努力して、頑張って頑張って──ついに勝ち得たのが高給の王立機関職員「魔法管理官」という、最高の就職活動結果だった。
「鈍臭い私の泥臭い努力がようやく報われたー!」って、合格通知が届いたときには号泣した。家族にも「よくやった!ミカ!」「おめでとう姉さん!」ってたくさんたくさん褒めてお祝いしてもらった。
大国、クゼーレ王国の王都。中心にある王城から放射線状に広がる大通り。重厚感のあるレンガや石造りの建物たちが美しい格調高い街並みは、日々、人々の活気で満ちている。
王国中の人々のあらゆる才能と魅力が、この王都にある王立機関に集ってくる。
夢と希望が華やかに輝き溢れる、王国一幸せな場所。
──そんな王都で、私も今日からこの王国を動かす一員になるんだ!
私はやっと手にした人生の成功を約束された証──王立機関職員の証である、キラキラなバッジを胸につけた。
バッジをつけた胸を張って、明るい未来を期待して前を向き、私は意気揚々と魔法管理局に足を踏み入れた。
そうして張り切って迎えた就職初日に任命されたのは──……まさかの「服役中の聖女様の監視役」だった。
「無理だよ、絶対無理だって。……私と【駆け落ち聖女】様って、どう考えても対極の存在じゃない?
そんな人とずーっと二人でいる仕事なんて……私に務まる気がしないぃ……。」
私は何度目か分からない独り言を呟いた。
就職初日に配属先を知らされて、頭が真っ白になって呆然としていた私に、同期の新卒職員の皆や周りにいた先輩職員の皆さんは一生懸命声を掛けてくれた。
「すごいよ!ミカさん!就職していきなり王国一の特級聖女様のもとに配属されるなんて!いきなり出世コースだよ!……多分!」
「ミカさん。聖女様を支える仕事は、誰よりも公平公正な精神の持ち主でなければ務まらないんだ。君にはその適性がある。……退職した前任者からの指名だ。君の仕事には期待しているよ。」
……でも、病院をはじめとする王国中の各施設に派遣されて活躍している他の聖女様たちと違って、私が担当になるその聖女様は、服役中だから王都の修道院から一歩も外に出られないんですよね?
ただ毎日修道院に行って、犯罪者な聖女様をずーっと見張るだけのお仕事ってことですよね?
どっちかっていうと、閑職に追いやられてる気がするんですけど。
……もしかして、前任の御方が辞めたのも、それが理由だったりしませんか?
私は正直、そう思ってしまった。
それでも私はそんな失礼な考えを払拭しようと、今日まで何度も試みた。
──……ううん。決めつけは良くない!偏見はダメ!その聖女様だって、会ってみればとってもいい人かもしれないし。何年も修道院で治癒魔法を使って王国民を救い続けているんだもん。
そんな素晴らしい御方を支える仕事!これは本当に崇高な役目なんだ!気合を入れて頑張ろう!
──犯罪者って言っても、盗みとか、他人を怪我させたりとか、人殺しをしたりしたわけじゃないもん。
《駆け落ち》からの《聖女隠蔽罪》でしょ?きっと、ただ好きな人と一緒になりたかっただけなんだ。聖女の力がバレちゃったら、普通の暮らしはできなくなっちゃうもんね。それが嫌なだけだったんだ。……うんうん。
──……あれ?でも、聖女様って、普通に結婚できるよね?たしかに居住地域なんかは指定されちゃうけど、別に罪を犯さなければその程度の制限で済むんじゃない?
むしろ聖女になれば、お金もたくさん稼げるし。好きな人と真っ当に結婚して、日中は聖女のお仕事をすればいいだけじゃない?それすらも嫌だったってことなのかな?
──……かけおち……カケオチ……《駆け落ち》からの《聖女隠蔽罪》で……懲役、10年かぁ……。
そして着地する「駆け落ちした上で犯罪までしちゃう人の考えは、私には理解できない」という結論。
結局、新人研修を終えて例の修道院に配属になる今日まで、マイナスな思考を消すことはできなかった。
それでも、私に「出勤しない」という選択肢はない。
私は気合を入れるためにいつもよりも丁寧に髪を三つ編みにして、愛用の眼鏡を掛けて、一人で「行くぞ!ミカ!」と自分に気合を入れて新たな職場へと向かった。
◇◇◇◇◇◇
「貴女が私の新しい担当者?
……初めまして。【ユキア】です。」
王国唯一の、服役中の犯罪者な聖女様。
一体どんな人物なのかと身構えながら王国最大の王立修道院に来た私を笑顔で歓迎してくれたのは、何とも聖女らしからぬ……何だかこう……ちょっと妖艶な魅力が漂う大人な女性だった。
藤紫色の髪は女性にしては珍しく、顎上くらいの短い長さに整えてある。
印象的な目尻の上がった猫目に長い睫毛。私の姿を見て微笑んだその口元は、少し薄い唇で、まるで口紅を塗っているかのように綺麗な赤色をしていた。囚人はお化粧なんてできないはずなのに。
(うん。……すっごく《駆け落ち》してそうな人。)
申し訳ないけど、第一印象はそれだった。
「はじめまして。本日よりユキア様の担当になりました、魔法管理官の【ミカ・テンシー】です。よろしくお願いします。」
聖女ユキア様の独特な雰囲気に気圧されながらも私が挨拶をしてお辞儀をすると、ユキア様はクスクスと上品に笑った。
「随分とお若い方なのね。貴女、新人さん?」
「えっ?あっ、……はい。そうです。」
「……ふふっ。だと思った。だって貴女、表情も声も身体の動きも、全部お堅すぎるもの。見ているこっちが緊張するわ。」
ユキア様からの突然の質問に、深く考えずに素直に答えてしまった私。
そんな私の顔を見ながら、ユキア様は揶揄うようにしてその猫目をキュッと細めた。
──…………あっ、苦手だ。この人。
初対面からまだ1分も経っていない。でも、私は直感的にそう思ってしまった。
学園のクラスで常に一目置かれている、一番大人びているお洒落な美人女子。いつも何人か取り巻きの女子を連れていて、私と目が合うと小馬鹿にしたように鼻で笑ってくる……あの感じ。
そんな印象を、ユキア様から感じてしまった。
でも、ユキア様の方は私と違うようだった。
本音なのか揶揄っているのかよく分からないけど、反応に困っている私を見つめてこう言ってきた。
「ミカさん、だったかしら?何だか親近感が湧くわ。
──貴女、昔の私にそっくり。
私も学生とき、そうだったのよ。眼鏡を掛けて、髪の毛はきっちり三つ編みにして。規律を守った『いかにも優等生』っていう感じの格好。
学生時代は級長もやっていたの。クラスのまとめ役。……というよりは雑用かしらね。懐かしいわ。」
いきなりの雑談らしき会話。社交性や柔軟性に欠ける私は、変に口籠もりながら「ええっと……そうなんですか。」と相槌を打つのが精一杯だった。
そんなつまらない私の反応を気にすることなく、ユキア様は続けた。
「私は服役中だから、話せる相手が魔法管理官しかいないのよ。看守は規則で会話してはいけないんですって。
だから、もし新しい担当者と気が合わなかったらどうしようかと思っていたの。
……よかった。貴女となら、会話も弾みそう。しばらくは退屈しなくて済みそうだわ。」
──……ごめんなさい。私は、そうは思わないんですけど。
私は上手くユキア様の言葉を拾えなくて、「えー……あはは。……よろしくお願いします。」と下手な愛想笑いをして、その会話を終わりにしてしまった。
でもユキア様は、そんなつまらない私を面白そうに眺めて、もう一度「こちらこそ。よろしく、ミカさん。」と言って笑った。
◇◇◇◇◇◇
就職して、聖女ユキア様の監視役に配属になって半月が経った。
そして私はもうすでに、この仕事が──……正直、嫌になってきていた。
朝の9時。
私は修道院に直接出勤する。そして朝食と朝の清掃を終えたユキア様のもとに行く。
それから2時間は読書の時間。黙々と本を読むユキア様を眺めるだけ。
でも、ただボーッと眺めているだけなのは勿体無さすぎるから、ユキア様の様子は見つつ、私も自分で持ってきた本を読んで勉強をする。
そして11時。
ユキア様は1時間、修道院の教えをただひたすら書き取る。犯した罪を悔い改め、慈愛の精神を学ぶため……らしい。
ユキア様はもはや原本も見ずにすらすらと真っさらな紙に文字をどんどん書いていっていた。
……服役9年目だもんね。それなりに分厚い冊子ではあるけど、毎日書かされてたら暗記もしちゃうか。
そして書いたものは修道院の方が回収していく。
私の配属初日に、ユキア様がボソッと「……あれ、どうせなら売って修道院の資金の足しにしてくれないかしら。せっかく書いたのにただ捨てるのは勿体無いって、いつも思うの。『服役聖女の反省模写本』、意外と売れそうじゃない?」と言っていて、私はちょっとだけ笑ってしまった。
12時は昼食。
ユキア様の見張りは看守の方に任せて、私は昼休憩になる。修道院の食堂を利用させてもらってもいいし、街に出て外食したりお弁当を買ってきてもいい。
1時間でお腹を満たして気分をリフレッシュさせてから、またユキア様の質素なお部屋に戻る。
13時からの1時間は、刺繍の時間。
ユキア様が修道院のステンドグラスと同じ綺麗な柄をチクチクと縫うのを見ながら、私はまた自習をする。
「私、刺繍は嫌いだったの。でも、8年以上やってきたからすっかり得意になっちゃった。」と言うだけあって、ユキア様の手元には、制作時間が1時間とは思えないくらいの見事な刺繍が出来上がっていた。
14時からは運動。
ずーっと修道院の建物内にいたら、健康を害してしまうから。ユキア様はここで初めて屋根の下から出る。修道院の中庭の片隅で陽の光を浴びながら準備運動をして、修道院の護衛の方に習って護身術を練習する。
ユキア様に「この時間が一番楽しいの。ミカさん、貴女も一緒にどう?」と誘われた私は、言われるがままにこの半月の間、一緒に護身術を学んでいる。
私はもともと運動が苦手だから全然上手くできないんだけど……一方でユキア様は動きがキレッキレ過ぎる。教官になっている護衛の方も、心なしかユキア様との手合わせを楽しんでいるように見えた。
そして15時。ここでようやく、ユキア様は自由時間をもらえる。
……って言っても「部屋の中で」っていう縛りがあるから、正直なところ、何もできない。
娯楽品も無ければ、私物も置けない、ちょっと広いただの独房。そこで何をするわけでもないユキア様は、この半月はずっとお昼寝をしていた。
私は初日に「慣れない場所で緊張して疲れているでしょう?貴女も寝てもいいわよ。……それとも、私と雑談でもする?暇だものね。」とユキア様に言われて、咄嗟に「あっ、いえ!私のことはお気になさらず。」と返してしまった。
その返しを聞いたユキア様は、微笑んで「……そう。じゃあ、私は寝るわね。おやすみなさい。」と言って、静かに横になって目を閉じてしまった。
……「雑談しましょう」って言えばよかったかも。
退屈な1日の中でも、特に一番退屈なこの時間。
私は1週間が経ったあたりで、初日の返事を後悔し始めた。
それから16時。
私の勤務時間の最後の1時間は、修道院の「懺悔室」。
ここで私はユキア様の横に座って、格子の向こう側にいる顔の分からない王国民の話を黙って聞く。それからユキア様のお言葉を、ただずっと、黙って聞く。
一応、私は監視役。だから、服役中の聖女ユキア様がもし不適切なことを言った場合は、その内容を修道院と魔法管理局に報告する義務がある。
でも、この半月聞いている限りでは、そんな不適切なことはまったくなかった。
懺悔室が本当の「懺悔」に使われていたのなんて、もう百年以上昔の話。守秘義務があるから、私は懺悔室での会話は絶対に外に漏らさない──けど、今はもうここで本当の罪を暴露する人なんていない。
この16時からの1時間の間にちらほらと来るのは、ユキア様が懺悔室にいることを知って「感謝」を伝えにくる人や、罪というほどではない日頃のささやかな悩みや後悔を吐露しにくる人が殆どだった。
私が配属になって半月が経った今日。ユキア様の懺悔室の担当時間に来たのは、たったの一人だけだった。
「……ユキア様。私は先日、ユキア様に息子を救っていただいた者です。
あの日、馬車の衝突事故に遭った息子を助けてくださって……っ、本当に、本当にありがとうございました……!」
涙声でお礼を言う、母親らしき人の声。
私は声には出さずに、静かにハッとした。
(……あっ。この人……多分、あの方だ。
先週、修道院に運び込まれたあの10歳くらいの男の子のお母様。)
味気ないユキア様のお決まりの日課が、崩れるときがある。
──それが、聖女の治癒魔法が必要になるほどの超重傷者が修道院に運び込まれるとき。
現在王国にいる聖女9人の中で一番能力が高い、唯一の特級聖女ユキア様。
この王国の王都の重傷者たちは、皆この王立修道院に運び込まれる。
私はこの半月の間に何度かその治癒魔法を使う場に立ち会った。
でも、初めて立ち会ったときは……情けない話、あまりにもその重傷者の方の状態が酷くて、私は直視ができなくなってしまった。
自分でも分かるくらい顔を真っ青にしながら目を背けて震えていたら、すぐにユキア様にあっさりと「ミカさん、終わったわよ。」と声を掛けられた。
そうして恐る恐る目を戻してみたら──そこにはただ綺麗な姿勢で横になって眠っている、五体満足の人がいた。
私は、言葉にならないほどの衝撃を受けた。
ただ……それと同時に、自分の存在の意味のなさを感じた。
狭き門を突破して勝ち取った、魔法管理官の仕事?
王国一の聖女様を支える、何よりも崇高な役目?
……その肝心の「治癒魔法による治療」。私が目を背けていた一瞬で終わっちゃった。
これから頑張って慣れて、頑張って重傷者から目を背けずに治療を見届けられるようになるのが、私の仕事?
それが私の──……成長、なのかな。
そう思って一生懸命見ようとした。怖かったけど、夢にも出てきて魘されたけど、頑張って見届けようと努力した。
…………でも。
私が怯えながら片目でそっと見たって、悲鳴を上げたい衝動に駆られながら両目で必死に見たって、何も変わらなかった。
私が見ようが見まいが、ユキア様がさっと治癒魔法を掛けて、欠損した手足や血だらけになった腹部が一瞬で綺麗に再生して終わり。
私には、役目なんてなかった。
「私……っ、馬車で、隣に座っていた息子が……あっ、あんな姿になってしまったとき……もうダメだと思ったんです。……っ、本当に、もうダメだと──……あの子の笑顔は、もう二度と見れないのだと……!
ですが、ユキア様のお陰で、あの子の笑顔をまたもう一度見ることができて、……毎日が、毎日が嘘のようで……!
本当に、何とお礼をすればいいか──!本当、っ本当に、ありがとうございます。」
詰まりながらも一生懸命に、何度も何度も「ありがとう」と繰り返すお母様の震える声。
私はその声を懺悔室の格子越しに聴きながら、喜びでもなく、やりがいでもなく……ただ、自分の仕事への虚しさを感じていた。
無力感に苛まれる私の横で、ずっと黙ってお母様の声を聴き続けていたユキア様。
ユキア様は定められた時間の最後の最後に、聖女らしくそっと微笑んで、格子の向こう側にいるお母様に向かって
「私の力で、お役に立ててよかったです。
これからの長い人生、貴女の息子様に、多くの幸が訪れますよう祈っております。」
とだけ、言った。
相手の顔の見えない懺悔室。
今のユキア様のお言葉は、お母様にはどう聴こえたのだろう。
──息子を救った聖女様の、慈愛に満ち溢れた光のように思ったのか。
──……それとも、何の感情も込もっていない、冷たい無機質な常套句に思ったのか。
きっと、お母様にはこの上なくありがたいお言葉に聴こえたのだろう。
ただ、横で聴いていただけの私は何故か、そのユキア様のお言葉に……自分の仕事の意味の無さを突きつけられたような、寂しい気持ちになってしまった。
そして、午後の17時。
「今週も1週間、お疲れ様。ミカさん。
また来週。良い週末を。」
私はユキア様に、笑顔で別れの挨拶を言われた。
──こんな生活をただ8年と3ヶ月も繰り返してきた、服役9年目のユキア様。
「…………私だったら、1年と経たずに気が狂いそう。」
私は帰り道をとぼとぼと歩きながら、そんなことを思ってしまった。
◇◇◇◇◇◇
ただひたすら繰り返しの、監視を続けるだけの日々。
私のことを面白そうに見てクスクス笑うだけの、本音が見えない聖女様。
聖女様の強力な治癒魔法で、一瞬であっさりと救われていく、深い傷を負った王都の民たち。
……私がいてもいなくても変わらない、何の意味もない、味気ない仕事。
その無味乾燥な日々に少しだけ変化が訪れたのは、私が配属されて3週目のことだった。