帰り道
私たちは、住宅街まで逃げきる事ができた。
息が切れている。背中は汗でぐしゃぐしゃだ。けれど、逃げられた。
「陽菜、大丈夫?」
私と同じ様に息を切らして、呼吸のたびに肩を上下させている同級生に声をかける。
「うん。なんとか。美優は?」
「こんなに、本気で、走ったのは、体育会以来、だよ」
呼吸が苦しい。
「なんだったんだろう。あの水の音」
陽菜の声には恐怖の余韻が見えた。
「それから人の声も」
私は陽菜の顔をみつめる。泣き出しそうな陽菜の顔を。
「なんだったんだろう。人なんかいるはず無いのに」
確かにそうだ。私たちが入ってきた道は、沼で終わっていた。他に入口はない。
では、人の声は幻想? でも陽菜も聞いている。
「陽菜、明日クラスのみんなにも聞いてみよう。沼の噂。何か分かるかも」
「そうね。分かれば意外と怖い事じゃなかったりするかも知れないしね」
それからしばらく私たちは並んで帰った。無言のまま。たぶん二人とも沼の事を思いながら。
つい今し方まで青く澄んでいた夏の空が、西の方から徐々に茜色に移り変わる。
肌を撫でる夏の風も、夕方の少し涼しい感触に移り変わっていく。
建ち並ぶ住宅の影は濃くなり、街灯が灯り始める。私たちの家はここから別方向。
一人の帰り道となる。
「陽菜の家ってこっちだよね」
「うん。ここでバイバイだね」
心細そうな陽菜の表情。
「もう暗くなるから気をつけてね」
私は手を振る。できるだけいつもの様に。
「ありがと美優もね」
そんな挨拶をして、陽菜と別れた。
日が沈み、辺りの雰囲気が夜に近づいていく。
一人になって考えるのは、あの場所にあった物の正体。
道の両側にあった石像は何なのか。
大量の祠はなぜあそこにあった?
沼のほとりにあった石碑に書いてあった文字は何?
聞こえてきた声の正体は?
近づいてきた水の音は何?
そして、道の入り口の看板の消えた文字。
考えても答えがない。けれども、頭から離れない。
と、背後から水の音が聞こえた。
ぽちゃ。
風に紛れて大勢の話し声が聞こえる。男や女、子供のささやき声。
誰もいないのにどこから? 私は周囲を見回す。
また音がする。
ぽちゃ。
振り返るが何もいない。
スマホの呼び出し音がした。私はスマホを見る。
陽菜だ。
電話をとる。
『美優、今だいじょうぶ?』
いつになく弱々しい声だ。
『大丈夫。何?』
『さっきから、背後に水の音が聞こえるの。ぽちゃって』
『陽菜も? 私も今聞こえたの』
『美優、怖い』
陽菜の声は明らかに震えている。
『早く家に帰ろう。走れる?』
『うん。明日ね。絶対にね』
その声は今にも泣き出しそうだった。
電話を切ると背後でまた音がした。
ぽちゃ。