視線のズレ
日曜の午後。
僕は珍しく、家族と一緒にリビングにいた。
陽菜に髪を切ってもらってから数日。
まだ外に出る勇気はなかったけれど、鏡の中の自分が少しだけマシに見えるようになって、
その変化をどう受け止めればいいのかも分からず、ただ黙ってテレビの画面を見ていた。
「舞太夫、印象ずいぶん変わったわよねぇ」
「うむ、なかなか爽やかじゃないか」
母と父は、まるで天気の話をするみたいに、僕の見た目について喋っていた。
褒められてるのか、茶化されてるのか――よく分からなかった。
そのとき、玄関のチャイムが鳴った。
⸻
「こんにちは、美月おばさん♡」
「いらっしゃい、紗英ちゃん」
「優翔く〜ん♡今日もかっこいいね〜」
いつも通りのテンションで、従妹の紗英が現れた。
白いシャツに淡いピンクのスカート、完璧に巻かれた髪。
言動も見た目も、何も変わらない“アイドル系女子”。
でも、僕の姿を見た瞬間、彼女の足がピタリと止まった。
「……なに、それ。髪」
「陽菜に切ってもらった」
「へぇ……ふーん……」
語尾が妙に曖昧だった。
そして、その後の会話も、どこかテンポがずれていた。
⸻
「意外と……髪だけなら普通じゃん」
「褒め方に悪意あるよね」
「ないけど? ただの感想だし」
いつもの調子でからかっているように見えて、
紗英の目は、さっきからずっと落ち着きなく揺れていた。
僕の顔を見たりそらしたり――を繰り返している。
優翔と話すときだけ、声のトーンが上がる。
でも、その間も視線はこっちにちらちらと向く。
(……なんなんだよ)
その微妙な“視線のズレ”が、ひどく居心地が悪かった。
⸻
その夜、風呂上がりに鏡の前で髪を整えながら、僕は考えていた。
(あいつ、なんか変だったな)
気のせいかもしれない。
でも確かに、あの視線は、以前の僕に向けられるようなものじゃなかった。
普通なら、そこで少し喜べばいい。
少しは自信を持ってもいいのかもしれない。
だけど――僕にはそれができなかった。
前にも、こういうことがあった。
見た目が良くなって、人からちやほやされて、調子に乗って。
その先に待っていたのは、取り返しのつかない後悔だった。
僕は、自分が“イケメンだった頃”に誰かを傷つけた。
その事実が、僕の中に今もずっと残っている。
「……元に戻る必要なんて、ない」
そう呟くと、胸の奥の火が、静かに消えた気がした。
どれだけ髪を整えても、
どれだけ見た目を変えても、
中身なんて――壊れたままなんだ。